第4話 僚の場合
職場の同僚、
以前、住代さんから相談を持ちかけられたことがあった。
なんでも、都内の一軒家に月五万円で住める募集があるという。
そりゃ、驚いたよ。都内は都内でも、八王子や青梅じゃなくて恵比寿だったから。しかも高級住宅街。
不動産屋の誤植だと思ったんだけど、特別な理由があるんだそうだ。
それは、住宅の内見という条件。
恵比寿の一軒家に月五万で住める代わりに、内見を受け入れなくてはならないらしい。
住代さんの最初の相談は、この内見条件の妥当性についてだった。
月五万で恵比寿に住めるのは魅力的だけど、内見を受け入れなくちゃいけないのは抵抗感がある。この二つを必死に量りにかけているうちに、住代さんの天秤はグラグラになっちゃって、自分自身では判断できなくなってしまったという。
まあ、そりゃそうだ。プライベートを他人に覗かれるのは誰にも抵抗はあるからね。僕だって嫌だ。
でも、不動産屋としてはなかなか面白い試みだって思っちゃったんだ。他人事だったということもある。
——人のプライベートを月五十万で買う。
ひとことで言うと、そういう試みだったから。
素直にそう伝えたら、住代さんは乗り気になっちゃったんだよ。
そして、契約しようと不動産屋を訪問したらしい。
すると見落としていた入居の条件があったと言うんだ。「子供のいる家族」という大きな条件が。
なんだか嫌な予感がしたんだよね、二回目の相談の時に、ここまで話を聞いて。
つい「面白い」と言ってしまった自分の言葉が、まさかこんな形で返ってくるなんて。
「もし僚くんが面白いと思ってくれるなら、私と結婚してくれないかなぁ、なんて」
いやいやいや、結婚は面白いでするもんじゃないでしょ?
僕は断ろうとしたんだけど、住代さんにこう言われたんだ。
「その家ね、今建ててる途中なんだって。実際に住めるのは半年後だから、それまでに答えをもらえると嬉しいかな」
少しほっとした。
すぐに契約しなくちゃ他の人に取られちゃうから、結婚もすぐにと言われるんじゃないかと思ったから。
こういう事態になったのは自分にもちょっと責任があるから、時間の猶予があるなら考えてみてもいいかもしれない。
実は、前々から気になっていたんだ、住代さんのこと。最初の相談に乗ったのも、下心が無かったわけでもない。
しかし、結婚とは別にもう一つ大きな問題があった。
子供がいる家族、という入居の条件だ。
だから僕は訊いてみた。
「申し訳ないけど、結婚についてはちょっと考えさせて欲しい。あと、入居の条件に『子供の存在』があったと思うんだけど、それはどう考えてるの?」
僕が結婚に了承したとしても、半年以内に子供が授かるわけがない。
も、もしかして、住代さんは実はシングルマザーだったりするとか?
「ど、どうしようね、子供……」
ノーアイディアだったんかい!
全く呆れちゃうんだけど、そういう裏表がないところも住代さんの魅力だったりするから憎めない。
僕は結婚という人生最大のイベントと同時に、それよりもさらに大きな課題を背負うことになっちゃったんだ。
◇
その日以来、僕の心は揺れている。
もちろん住代さんとの結婚の件だ。
いや、結婚については答えは出ている。だって僕は、どちらかというと住代さんが好きだから。来年三十歳になる僕にとって、住代さんとの結婚話は棚から牡丹餅に近いものがある。
問題は子供だ。
住代さんの話通りに行動すると、結婚後に養子をもらうことになるだろう。
それって、一体どうなんだろう?
こういう問題を考える時、僕はまず外見の方を心配してしまう。
そして、そんな自分がつくづく嫌になる。
「結婚してすぐに養子をもらうってどういうこと?」
「ええっ、養子をもらう理由って、恵比寿の一軒家に格安で住むためだけなんだって?」
親や親戚たちの叱責やひそひそ声が、今にも聞こえて来そうだ。
自分の気持ちに揺らぎがないのであれば、何を言われても平気なんだろうけど、まだそこまでは固まっていない。
住代さんとの結婚まではいいんだよ、そこまでは。
そうだ、住代さんからそういう条件を出された、ということにすればいいんじゃないのか?
そういうシナリオを用意しておけばいいんだ。
例えば「僕は住代さんが好きすぎて、何回もプロポーズしてたけど断られ続けて、やっと了承してくれたのがこういう条件だった」と説明すれば、親や親戚も納得してくれるかも? 実際、それに近いんだし。
ここまで考えて、僕はふと思う。
何で外見ばかり気になっちゃうんだろう——と。
ちゃんと向き合わないといけないのは自分の気持ちだ。
僕の気持ちさえ固まっていれば、あとは何とかなる、はず。
「自分の気持ちか……」
結婚したら子供は欲しい。
養子ではなく、自分の子供を。
これは偽りのない真の気持ちだ。
しかし住代さんとの結婚は、養子をもらうことが前提となる。
そしてその理由は、恵比寿の一軒家に住みたいということだけ。住代さんの言葉を信じるとすれば。
それってかなり不純なんじゃないだろうか。
養子に来てもらう子供にも失礼だ。
「やっぱり断るしかないな」
僕は住代さんに、正直な気持ちを打ち明けることにした。
◇
「ごめんなさい」
いつもの喫茶店に住代さんを呼び出した僕は、開口一番に頭を垂れて謝罪した。
「住代さんのことは好きなんです。どちらかと言えば結婚もしたいんです。でも養子をもらうことは、ちょっと……」
すると住代さんは立ち上がり、満面の笑みで僕の手を握ってきたんだ。
「嬉しい! ありがとう、僚くん!」
「えっ?」
僕は困惑する。
「えっと、僕は住代さんの申し出を断ろうとしてるんですが……」
「養子については、でしょ?」
「ええ、そうです」
「でも結婚はOKなんですよね?」
「まあ、そうですけど……」
「じゃあ、問題ないですよ。だって里子をもらえばいいんですから」
「里子……って?」
「子供を預かって育てる制度です。預かる時に、その理由をちゃんと伝えておけば先方にも失礼はないですよね? それとも、もしかして僚くん、子供が嫌い……とか?」
「いやいや、そんなことはありません。全然好きですよ、子供」
「じゃあ、決まりですね!」
「え、あ、はい……」
こうして僕は、結婚することになっちゃったんだ。
内見家族(KAC20242) つとむュー @tsutomyu
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