第三話
夏休み最後の夏期講習が終わり帰宅しようとして、自転車のサドルを不用心にも触れてしまった。
「あちっ!」
炎天下で温まったサドルは到底座ることなどできないくらい熱を帯びていた。
座って自転車を漕ぐのは諦めて、立ち漕ぎで帰路に着くことにした。
滝のように流れる汗に風を感じても、真夏の暑くて湿った空気ではさほど心地良くはなかった。
夏期講習の内容を頭の中で反芻しながら時折、早く家に着いて冷えた麦茶を飲み干したいと欲求が顔を覗かせた。
しばらく自転車を漕いでいると帰路の途中にあるヒナツの家が見えてきた。
それと同時に1人の人影が陽炎で揺らいだ。
「げっ」
遠くの見覚えのある姿を認識した途端、思わず感情を口にしてしまった。
「おっ、もしかして透間くんじゃないか!」
遅れて向こうもこちらに気づくと逃さないとばかりに声をかけてきた。
「…こんにちはー」
慌てて自転車にブレーキをかけて停止した。
「ひっさしぶりだねぇ!大きくなって〜。元気してた?」
こちらの頭のてっぺんから爪先まで視線をなぞりながら口にした台詞はまるで親戚のようだが、全くもって自分とは血縁関係のない人物だった。
「この暑さがなければ元気なんですけどねー、ははは…」
名は確か晨朝影郎だったか。
純白のワイシャツの袖を捲り覗かせた腕には、想像もつかないような金額の時計が巻かれていた。
紛れもなく晨朝家の血筋を引く人物なのは間違いないのだが、本家の人間ではなく分家の人間である。
「いやぁ今日は特に暑いよね!おっ、そうだ。ちょっと待ってね」
男は何かを思い出したかのように否、わざと思い出したかのような素振りで鞄の中身を漁り始める。
「はいっ。コレ」
茶封筒を手渡される。
中身は容易に想像できた。
「いいですよそんな!」
「おっ、遠慮を覚える年頃になったかぁ!でもいーのいーの、気にしないで!透間くんも親戚の子みたいなもんだからさ!」
一度は断った茶封筒を無理矢理押し付けられる。
「いやぁ本当に…いつもありがとうございます」
「気にしない気にしない!ところで…」
茶封筒を完全に受け取ったことを確認すると男は口元の笑みを維持したまま瞳を少し大きくさせた。
「陽夏ちゃんは元気かな?」
嗚呼、やはり来た。
いつものことだが、品定めするような質問だなと思う。
「ヒナツは相変わらず元気ですよ。むしろ部活も引退して元気が有り余ってるくらいです」
「いやーよかったよかった!しかし陽夏ちゃんももう部活を引退するような学年かぁ!」
男は感慨深いようなリアクションを取るが、それも白々しく感じる。
「それで…もうすぐ陽夏ちゃんの誕生日でしょ?何か欲しいものあるか知らない?」
むしろそれを聞くための賄賂を手渡されたような気がしてならなかった。
前から無難に弓道道具を答えていたが、もうそれは通用しなくなってしまった。
「あーあいつ最近大学目指すようになったから勉強が捗るものとか欲しかったり…なんて流石に誕生日プレゼントでそれはないですよねっ!ははは…」
参考書など誕生日プレゼントで贈られてもちっとも嬉しいわけないだろうし、相手の意にそぐわない回答を空笑いで取り消す。
けれど男は訝しげに眉を顰め、顎に手を当て思案していた。
「ヒナツちゃんが大学…?そんなことあるわけないだろうに…ふむ」
「そ、そういえばアイツ新しいSDカードが欲しいとは言ってましたね」
「SDカード?」
「何かのデータの容量が足りないだとかって言っててそれで…」
「そっか。あぁいや良いんだ。答えてくれてありがとう透間くん」
そう言って男は巨大な日本家屋の門をくぐっていった。
夏の暑さで流した汗の中に冷や汗が混じっているのを感じる。
子供の頃は気にならなかったのに、大人に近づくにつれ分かり始める不気味さ。
もう一度茶封筒を眺め、そして屋敷へと視線を移す。
それは欲望と権力に塗れた一族の有様だった。
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帰宅して早々に浴室へ駆け込みシャワーを浴びる。
汗を軽く洗い流して部屋着に着替える。
タオルで髪を乾かしながら自室へ戻り、カバンの中から茶封筒を取り出した。
「しかしヒナツの誕生日かぁ」
実際のところ何を贈るか本当に迷うところではあった。
「親からも貰わねーぞこんな額」
天井の照明で透かして見れば、この国において一番高い貨幣が一枚封入されているのが分かった。
予算はこれで確保できたとはいえ、この金で何かを買うのも抵抗を覚える。
「つっても金がないのも事実だしなぁ…」
いつもなら幼馴染の誕生日前は少しずつ節制するのだが、アヤとミキトのことがありそんな事に気を回す余裕がなかった。
「いい加減こっちも片付けないとな…」
思い浮かべたのは、今となってはもう苦すぎる初恋のこと。
アヤに想いを伝えてフラれるのもただの儀式だ。
さっさと済ませてしまえばいいというのに、何年も連れ添った感情を手放させずにいる。
「女々しいなぁ…」
儀式だからと適当に告白して済ませるのも違う。
本気で気持ちを伝えたいが報われたいわけでもない。
告白が受け入れられたところで、ミキトの気持ちを考えれば嬉しくないし、アヤもアヤでミキトがいるというのに俺の告白を受け入れるような、そんな真似を初恋の女の子にはして欲しくはない。
コンコンとノックが2回鳴ったので慌てて茶封筒にお札を戻す。
「透間おかえり」
「ただいま」
そのまま部屋を覗いてきたのは母親だった。
「今日昼過ぎくらいに陽夏ちゃんが家の前にいたわよ」
「ヒナツが?」
「あんたが呼んだんじゃないの?」
実の息子に疑いの眼差しを向けながら腰に手を当てる。
「まさか。今日夏期講習だってば。なのにそんな時間に呼ぶわけないじゃん」
「あれ?やっぱりそうなの?てっきり透間が呼んだから陽夏ちゃん待ってたのかと思ってたから。陽夏ちゃんにも中で待ってていいって言ったのに遠慮して結局帰っちゃったみたい」
ヒナツもよく分からんことをするなぁと、幼馴染の行動を不思議に思う。
「後で俺から用件聞いておくよ」
「分かったわ。それとコレ」
コレ、と言って差し出されたのはお盆に載せられた一切れのスイカと一杯の麦茶だった。
「ん、ありがと」
「じゃあ勉強がんばってね」
差し入れを受け取ると、母親はそそくさと部屋から出ていった。
「…用があるならメッセージでも送りゃいいのに」
もしかして影郎という男に余計な情報を与えたのが気に入らず怒鳴り込もうとしたのだろうか。
しかしそれでは時系列が合わないと気づいたのは、ヒナツへのコールボタンを押した後だった。
『もっしもーし』
2コールも鳴らないうちに出たヒナツの声は、少なくても怒っているようには聞こえなかった。
「わりぃな、いきなり電話かけて」
『そんなのいつものことだろ〜。どったの?』
「どうしたっていうか、逆に聞きたいんだけど今日うちに来たみたいじゃんか。何か用でもあったのか?」
『え?』
「え?違うの?」
『…ううん、ごめん。確かに行ったよ』
「連絡よこせば良かったのに」
『…いやトーマ家で勉強してるかなって思ったから一緒に勉強しようかと思って』
「んなら、なおさら連絡よこせよな」
『…いや、うん…。それはそうなんだけど…。…トーマって夏期講習行ってたんだね』
「え…」
『…、おばさん言ってたよ』
ならばもう隠したってしょうがないだろう。
「まぁ…な。東京の大学行くならそれが一番手っ取り早いかなって」
『…、本気でここから離れるつもりなんだね』
「まー冗談でそんなこと言わないわな」
『…、ねぇ、なんで東京の大学目指すことにしたの?』
「…やりたいことが見つかったから」
ありきたりな嘘を吐き捨てる。
『嘘だよね?』
だが間髪入れずに否定してきたので言葉に詰まってしまった。
「…、嘘じゃねぇよ」
『じゃあやりたいことって何?』
ヒナツからすれば疑わしいから投げた問いなのだろうが、なんだか本質を見透かされたような問いだった。
「…それも言えない」
『言えないやりたいことって何?』
じわりじわりと追い詰められてゆく。
「…、それ以上聞いたって無駄だぞ」
八方塞がりな問い詰めから何とか逃げ出そうと無理矢理拒絶する。
「…そういやヒナツ、なんか欲しいもんあるか?」
さらに話題も無理矢理変えて、あまり感じたことのない空気感から抜けようとする。
『へ?ほしいもの?』
ヒナツも思ってみなかったことを聞かれたようで、随分と間抜けな声が返ってきた。
「いやもうすぐ誕生日だろ」
『それ本人に聞いちゃうの〜?もっとサプライズとかさぁ〜』
「生憎、そんな殊勝な性格じゃないもんでね」
『ふふっ、知ってる』
「んで、何が欲しいのよ?」
脱線しかけた質問の軌道修正をする。
『え〜。んー、じゃあトーマがウチにあげたいもの』
「なんだそりゃ。聞いた意味ねぇじゃん」
『へへ、ウチに聞くんじゃねぇ。ちゃんとトーマが考えてプレゼントしろよー』
「んなこと言ったってもうネタ切れだよ」
もうかれこれ10年以上誕生日プレゼントを贈っているのだ。
プレゼントを贈ろうにもアイデアが枯渇してしまっているのだ。
「ちゃんとウチのこと考えて。その代わり何貰っても文句は言わないからさ」
「んー、じゃあ…」
『まったまった!今言わずサプライズにしろよぉ』
「めんどくせぇなぁ。どんだけサプライズされたいんだよ」
『そりゃもー超〜されたい!…あっ待って、分かった!すぐ行く!…ごめんトーマ、パパに呼ばれたから通話切るね。ちゃぁんと考えるんだぞぉ?』
「分かった分かった。じゃーな」
『バイバーイ!』
通話を終える。
「あ、そういえば…」
晨朝影郎に会ったことを伝え損ねた。
もしかしたら父に呼ばれたというのもその男に関係していたのかもしれない。
自分としてはあの男に変なことを教えたつもりはないのでヒナツから怒られる心配はあまりしてないが、一言くらい会ったことを伝えればよかったなとは思う。
結局、ヒナツの誕生日プレゼントを一から考えなければならないが、それと同時に頭を悩ませているのが先のヒナツの質問だ。
『やりたいことってなに?』
自分としては、新しい自分探しのつもりで新天地を目指していたつもりだった。
だが大学行ってからやりたいことを決めるのだろうか。
いや、違う。
大学はやりたいことを学ぶところなのだ。
大学に進んでからやりたいことを決めるのではもう遅いのだ。
「…将来の夢ってなんだったっけ?」
中学生になった時も、高校生になった時もただのステップアップくらいにしか考えたことなかった。
いつか…なんて漠然と考えていた将来設計も、今決めなくてはならないような分岐路に立たされている。
心機一転だとか、自分探しだとか、頭の中でそれっぽい言葉を並べて大学受験の動機にしてたけど、それは全部言い訳だ。
結局、俺はまだ捨てられない初恋を抱えてる。
だから逃げるために自分自身にさえ嘘をついて格好つけて1人で納得した気になっていただけ。
全ては初恋を忘れるため。
「…俺は何やってんだ」
自分が情けなくて呆れた声を出してしまう。
やはりなあなあにしたままアヤへの気持ちを無くそうとするのは良くない。
ならば玉砕覚悟の告白をするべきなのではないか。
でも、いつ?どこで?どうやって?
頭の中で答えの出ない問いがぐるぐると回り続ける。
加えてヒナツの誕生日プレゼントも考えねばならない。
ただでさえ受験勉強を詰め込んでいる頭は爆発寸前だ。
気分をリセットしようと部屋の窓を開け放つと、夏の熱気と共に青色の匂いが飛び込んできて、風鈴がチリンと音を鳴らした。
麦茶が入ったコップの中の氷がカランと崩れ、スイカを一口咥える。
夏が鮮烈に脳に刻まれる。
「あっ…」
暗い夜空に咲く一輪の花を思い浮かべた時、抱えてた悩みの一つが解決するような気がした。
「…案外なんとかなるかもしんねーな」
抱えてた悩みの一つ、幼馴染への贈り物その答えが喉元まで迫ってきていた。
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あれから数日。
夏休み最後の日がヒナツの誕生日なのだが、当日は縁のある人々が晨朝家に集まりお祝いを兼ねる会合を開くので、幼馴染だけのお祝いは自然と前日になる。
お祝いも兼ねて隣町へ遊びに行き、今はその帰り道の途中だった。
あの電話以来ヒナツに会うのは初めてだったが、特に変わった様子はなかった。
少しテンションが高く、若干うっとおしくも感じるのは誕生日だからだろう。
「ねぇねぇトーマ」
肩を叩かれたので振り返ると頬に何かが突き刺さった。
ヒナツの今にも決壊しそうな顔を見て、突き刺さったのはヒナツの指だと分かった。
「ッくく、あははは」
堪えきれなくなり笑い上げたヒナツの手首を掴み、手早く背中へ回し関節をキメる。
「いたたたた!本日の主役だぞ!」
「じゃあこれが俺からのバースデープレゼントだ!」
「いたいいたい!ごめんってトーマぁ」
謝罪が聞こえたところで手首から手を離した。
「いったいなぁもうっ…。DVだDV」
「先に戦争を仕掛けてきたのそっちだ」
「大げさ〜。ちょーーーっと悪戯しただけだぞ」
「日々の積み重ねだな。そのちょっとの積み重ねが宣戦布告となった」
「和平交渉を望む」
「2度とくだらない悪戯をしないことを条件に和平を結ぼう」
「いやでーす。却下」
ヒナツは頭の上で腕を交差し、バツ印を空に描く。
「はは、なんで交渉持ちかけてきた方が却下するんだよ」
「バースデープレゼントといえば!」
ひょいとアヤが下らないやりとりの間を割って入る。
「はいこれ。保湿凄いからオススメ」
アヤはカバンから丁寧にラッピングされた化粧品をヒナツへ手渡す。
「アヤありがとう!」
「俺はこれな」
続いてミキトも同じようなラッピングされた箱を手渡す。
「なにこれ?」
「ヘアブラシ。結構良いやつだよ」
「へぇそうなんだぁ、ミキトもありがと!」
ヒナツは2人から贈り物を貰い、満足気に満面の笑みを浮かべた。
ひとしきりに喜んだ後、ヒナツはくるりとこちらに身体を向けてきた。
「ん」
ヒナツが掌をこちらに差し出してくる。
「毎年物を貰えると思ったら大間違いだぞ」
「え…、えっ?トーマないの?」
怒るわけでもなく悲しむわけでもなくポカンと口を開いて放心状態になってしまった。
3人の視線が痛くなり始めてきたので、早々にネタバラシをすることにした。
「ここには、な」
「「「?」」」
3人とも訳が分からないといった様子で首を傾げる。
「まぁついてこいよ」
目的物はまだ隠したまま、目的地へと3人を導いていく。
雑談しながらしばらく歩くと目的地である浜辺へとたどり着いた。
「なぁトーマ。なにがあるってんだよ?」
一見何も見当たらない浜辺へと連れてこられた事にミキトが疑問を口にする。
「ちょっと待っててくれ」
今朝方、砂浜の中にヒナツへのプレゼントを埋めて隠し目印をつけておいたのだ。
カバンの中からシャベルを取り出して、つけた目印の下を掘り起こした。
「おぉ、…お?バケツと…なにそれ?」
バケツの中の大量の砂をひっくり返すと、目当てのものが出てきた。
「じゃん。線香花火」
そう、これがサプライズを受けたいというヒナツの要望と、変わった贈り物を贈りたいという俺の希望と、あの男から貰った金で形の残るものを贈りたくないというプライドの折衷案だった。
さらに砂浜に埋めきれなかった分の線香花火をカバンの中から取り出す。
「うおすげーあんな!」
「大人買いってやつだ。たまにはこういう残らない物もいいだろ」
「もう、私たちには先に言ってよねー。もっとラフな格好で来たのに」
「わり、そこまで気回んなかったわ」
確かに言われてみればアヤもミキトもそこまで砂浜ではしゃぐような格好ではなかった。
「えー!ありがとうトーマ!!」
「驚いたか?」
「え?」
「いやお前が言ったんだろ?サプライズして欲しいって」
「あっ…あーいや、ははは。驚くってよりかトーマなりに考えてきてくれたことに嬉しくなっちゃって…ひひ」
「これで分かったろ?二度とサプライズなんか俺に求めんじゃねーぞ」
「えーやだやだ!!めっっっっっちゃ嬉しかったからまたやってよぉ!!」
「驚かなかったらサプライズの意味ねーだろ。意味わかんね」
「分かってないなぁ…もう!別に驚きたかったんじゃないだぞ!」
ヒナツはにやけた顔が残ったまま口を尖らせた。
「サプライズとドッキリは違う、…でしょ?」
アヤが補足するようにヒナツの考えを代弁
してきた。
「そうそう!分かってないなぁトーマは」
「うっせ」
早速始めたいと言った様子でヒナツが線香花火へと手を伸ばした。
そんな様子を見たミキトが当然の疑問を投げかける。
「火はあんのかトーマ?」
「あっ」
わざとらしい声をこぼすと、ヒナツはあんぐりと口を開けて呆れたといった顔浮かべた。
「はぁ〜!?忘れたのトーマ!?」
「うっそー」
これ見よがしにカバンからライターを取り出す。
「「おい!」」
「はははっ、サプライズサプライズ」
下らないやりとりしているうちに既に太陽は水平線に沈み終わろうとしていた。
藍色に染まっていく空の下で4色の火花が散り始める。
「誰が一番長持ちするか勝負しね?」
不意にミキトが提案する。
「えー!先言ってよ!ウチが一番最初に火つけたから不利じゃんかよぉ」
「んじゃ次な次。次は一斉に火をつけようぜ」
「いいねぇ。じゃあ最下位は罰ゲームな」
「ウチ誕生日なのに罰ゲーム受けないといけない可能性あるわけ?!」
「勝ちゃあいいだよ、勝ちゃあな」
「いーじゃんやってみよーよ」
「え〜アヤまでぇ」
それぞれのタイミングで最初の線香花火が燃え尽きた後、ミキトは4つの見た目が同じの線香花火を取り出した。
「じゃあ好きなやつ取ってけよ」
4本の線香花火を4人で囲む。
「好きなやつって言ったってどれも同じだろ?」
そう言って、適当な一本を選んで手を伸ばそうとした時、手の甲をヒナツに叩かれた。
「いってぇなぁ」
「この選択に全てがかかってると言っても過言じゃないんだぞ?!」
「マジかよ」
「それに最初の一本を選ぶのはどう考えても誕生日であるウチにある!」
「まぁなんでもいいや。俺は余ったやつで」
「じゃあウチはコレ!」
「俺はコレ」
「私はこっち」
各々決めた線香花火を取り上げる。
「じゃあここに花火の先端合わせて」
右手にもったライターで重ね合わせる空間を指示して、3人ともそこへ線香花火を重ね合わせる。
「じゃあいくぞ」
4本の線香花火を一点に重ねたところに火をつける。
「さて罰ゲームはどうすっか」
「てかそれ普通火をつける前に話合わない?」
「んじゃ軽めのやつでいいよ軽めのやつで」
「軽めかぁ、後片付けとか?」
「え〜重すぎじゃない?」
「アヤに同意ってわけじゃないけど、その罰ならヒナツが虚しすぎるな」
「ちょっと!なんでウチが罰ゲーム受ける前提なんだよぉっ」
「俺はそれが一番先に燃えつけると思うぜ」
「けっ、燃えないもん!誕生日パワー舐めんなよぉ?」
「そうだな、せっかくの誕生日だし息吹いて消したらどうだ?なんなら俺がやってやろうか?」
「はぁ?!やめろよ!こっちくんな!」
「じゃれんのもいいけど、そろそろ決めないと燃え尽きちまうぞ」
「じゃあ飲み物買ってくるなんて、どう?」
「あーなんかパンチに欠けるような気がするけど、それでいっか」
「もうっ、こんなミニゲームの罰にパンチなんか求めないでよねー?」
絶え間なく会話を繰り返すと、やがてその時は訪れた。
「「「「あっ」」」」
4人の声が重なる。
「うがーー!!なんでだよぉ!!!」
「ははは、さすが本日の主役だわ」
最初に落ちたのはヒナツの線香花火だった。
「おっと、あぶねー」
僅差でミキトの線香花火が砂浜へ落ちていった。
「え〜、トーマとアヤの長持ち過ぎない?インチキだインチキ!」
「どーやってインチキするんだよ。こーゆーのはなぁ余り物に福があんだよ」
「ぶーぶー」
ヒナツは口を尖らせて親指を逆さに立てた。
「んじゃ俺も行こうかねぇ」
すると砂浜にしゃがんでいたミキトは立ち上がり腰に手を当てた。
「えっ、いいのミキト?」
ヒナツは少し驚いた様子でミキトを見つめた。
「ゆーて僅差だったわけだしな。それに流石に主役1人で買いに行くのもかわいそうだしな」
「ミキトは優しいなぁ〜。ミキト"は"」
悪意のある強調だったが、まさに負け犬の遠吠えにしか聞こえなかった。
「ははっ。敗者が生言ってら」
「むかぁ!絶対仕返ししてやるから覚えてろよ?!」
「おー楽しみにしてるわー」
微塵もそんなことは思ってなく、抑揚のない適当な声で返事をした。
「ほらヒナツさっさと買いに行こうぜ。トーマとアヤ何が欲しい?」
「炭酸ならなんでもいいや」
「私は麦茶」
「りょーかい。いこうぜヒナツ」
「いー!だ!」
ヒナツは歯を剥き出しにして負け惜しみの威嚇をして、ミキトと共にこの場を去っていった。
「ははっ、ガキだなアイツ」
「トーマと絡むといつもそうだよねー」
「それ関係あんの?」
「あるよー」
「わけわかんね」
待ってる間何もしないのも勿体無いので、新たに線香花火を取り出して火をつける。
暗くなり始めた砂浜にまた明かりが灯される。
合わせるようにアヤも線香花火を取り出して火をつけた。
「粋じゃん」
線香花火に照らされたアヤが話しかけてきた。
「あ?…あーそういう。茶化すなよ、恥ずかしくなんだろ」
初めは何の事を言ってるのか分からなかったが、数瞬間を置いて自分の贈り物について言及していることに気がついた。
「あはは、ごめんごめん」
波打ち際が寄せては返っていく。
「あ、トーマの落ちちゃった」
「じゃあアヤから火種貰おうかな」
「ん、どーぞ」
もしかして今なのか?
不意に感じたタイミングの良さに、ここ最近ずっと悩んでいた事で頭がいっぱいになった。
「アヤ」
「ん?どうしたの?」
もう一度息を吸う。
「好きだ」
自分でも驚くほどスルリと出た言葉だった。
散々シミュレーションした時には長ったらしい前置きなんて考えてたりもしてたが、結局自分の口から出た思いはたったの3文字。
ミキトに打ち明けた時とは違って、今度は夜の海辺の波音がやけに大きく聞こえた。
線香花火に照らされたアヤの瞳がゆらゆらと揺れて、困惑した表情は今にも線香花火を手放しそうだった。
「え…嘘、そんなことって。…でも私ミキトと」
そんなことは知っている。
けれども、こんなもの儀式なんだからアヤは振るだけでいいんだと言ってアヤの言葉を誘導したくはなかった。
結果なんてどうでも良い。
アヤの本心が聞きたい。
俺を振ってくれともミキトと別れて付き合ってくれとも言わない。
永遠にも刹那にも感じる矛盾した時の感覚に脳が麻痺していく。
やがてアヤは震えた唇を開いた。
「ごめんトーマ。トーマの気持ちに応えられない。例えミキトと付き合ってなかったとしても答えは同じ。だって私もミキトが好きだから」
振られるなんて結果を散々覚悟してきたからか、失恋の悲しみなんかよりもアヤの筋が通った返事に少し安堵した。
「はあぁぁ〜〜〜〜〜〜〜、だよなぁぁ」
大きなため息が出しながらうなだれる。
まさに脈なし、完全敗北だ。
「でも、トーマのこと幼馴染としては大好きだから嬉しくないって言ったら嘘になる」
「いーって慰めんくても。覚悟はしてたからさ」
「ううん、そういうつもりじゃないよ。…ねぇ聞いてもいい?」
「何を?」
「いつから私のこと好きだったの?」
「それ聞くかぁ?」
「だよね、ごめん」
「…中学上がった頃からかな。いつからってのははっきり覚えてはないわ」
「…ごめん全然気が付かなかった」
「いや上手く隠せてたみたいで安心したよ。アヤのことは好きだったけど4人の関係も崩したくはなかったし」
想いを伝えることで幼馴染ですらいられなくなることが怖かったなんて情けない理由だけは伏せた。
「グスッ…ごめんね…」
いきなり涙声で謝られてしまいギョッとしてしまった。
「待て待てっ、泣くなって。言ったろさっきも、覚悟してたって」
「ううん違うの」
「?」
「トーマのことだって大好きだし、本当はずっと一緒にいたい。けど"これからも友達でいようね"なんて、トーマの気持ちを思えばそんな自分勝手なこと言う資格なんて無いのに、…私最低なことばっか考えてる」
初恋の女の子に大切に思われていることは嬉しい。
だがそれ以上に異性として見られてないことがハッキリと伝わってきて、傷ついた心に沁みて痛い。
「…前にも言ったろ?いつまでも子供じゃいられない。子供の頃のままじゃいられないんだよ」
先日唱えた台詞をもう一度なぞると、またアヤは悲しそうな顔を浮かべた。
「…だからこんな最後の思い出作りみたいなことをしたの?」
自分の魂胆が見抜かれてしまい、キュッと心臓が縮まるような感覚を覚えた。
「最近のトーマちょっと変だったから私も漠然と嫌な想像を描いてたの。トーマが私たちとお別れの準備をしてるんじゃないかって」
図星も図星。
そこまで見抜かれているとは、やはり今まで共にした時間は侮れない。
「俺らしくないってか?ははっ…、だせぇなぁ」
「…否定しないの?」
不安げに震えた声でアヤが尋ねた。
「意味あるかぁ、それ?もう分かってんだろ。だから嘘なんかつかねーよ」
堪えきれなくなったアヤの鼻を啜る音と共に砂浜に水滴が落ちる音がした。
ミキトに泣かせるなと言っておいて自分はこのざまだ。
好きな女の子を泣かせてしまうなんて、そんなこと一番やりたくなかったのに結果そうなってしまった。
今はそれが辛い。
けれど気休めなんか言ったってお互いのためにならないと思った。
アヤは口を閉ざして啜り泣いてしまった。
ミキトとヒナツはどこまで飲み物を買いに行ったのだろう。
1秒がとても長く感じるこの空気では、二人の帰還が待ち遠しかった。
「…一つ言っておくと最後の思い出作りってのは違うからな?」
「…ん」
「アヤが俺のことどう思ってるか分からないけど俺だってこの関係は好きなんだ。…今日の日の事がいつか笑って話せる日が来て欲しいって思ってる」
「ほんとにごめんねトーマ…」
「もう謝んなって。ケジメつけたかっただけなんだからよ」
「ねぇトーマ」
「ん?」
「この話って…」
この先の言葉を紡ぐのに少し慎重になっている様子だ。
言いたい事は何となく察せるのは、やはり幼馴染だからだろう。
「ミキトには言っても構わねーよ。アイツには概ね夏祭りの時に話はしてある」
「もしかしてそれで…」
アヤの中で燻っていた疑問に合点がいったようで、さらに申し訳なさそうに顔を曇らせた。
「あの喧嘩はアヤは関係ねーよ。そもそも喧嘩っていうのも何か違うし」
決してアヤのそんな顔を見たかった訳じゃないので、焼け石に水だろうがフォローは入れておく。
「うんわかった…。あとヒナツはどうするの?」
「ヒナツは…」
ヒナツにありのままを伝えたらどんな反応が返ってくるのだろうか。
やはり4人の関係に不安を覚えてしまうだけかもしれない。
あえて余計な事は言わない方がいいだろう。
「ヒナツにはいいだろ。ここだけの話で終わらせよう」
「わかった。私も余計なこと言わない」
「ああそれで頼ッ…!?」
突然の首筋に痛覚にも似た感覚が走る。
得体の知れない感覚の正体が冷えたサイダー缶だと分かったのは、振り返って先に満面の笑みでそれを持ったヒナツがいたからだ。
「いつぞやの分も含めて仕返しー!」
「くそが…。はよそれ寄越せ」
手を差し出すと、ヒナツは何の配慮もなくサイダー缶を投げ捨てる。
「ざっけんなお前っ」
「べーだ!」
ヒナツは目元に人差し指を当て舌を出した。
「アヤ買ってきたぞー」
下らない挑発に少し怒りを感じていると、ヒナツの後ろからミキトが麦茶を差し出しながら歩いてきた。
「あっ!ありがとう!」
砂浜にしゃがんでいたアヤが立ち上がりミキトの元まで駆け寄った。
そんな光景に淡い寂寥感が胸に渦巻く。
気持ちを切り替えようとサイダー缶のタブに手をかける。
「何話してたの?」
力を込めて蓋を開けようとした時にヒナツはそれまでとは少し変わった声色で尋ねてきた。
「あ?大した話じゃねーよ」
もしかしてアヤとの会話を聞かれていたのだろうか?
だとしても一から十まで聞いているとは思えないので適当にはぐらかした。
「何話してたの?」
人の話聞いてるか?と思わず言いそうになるような質問の繰り返し。
ヒナツの追求が止まらないので、思いついた出まかせを話すことにした、
「なんで線香花火を思いついたのかってそーゆう話だよ。わざわざ話すことでもないだろ?」
「…そっか」
どこから聞いていたのか分からないがとりあえず誤魔化せたようだった。
「ほらほら18になったんだから18本は線香花火やんねーと」
「誕生ケーキのろうそくか!てか18本どころじゃない量でしょあれ」
「そうだよ。洒落にならんくらい買ったからな」
「ひひっ!じゃあどんどんやらなくちゃね!」
笑顔が戻ったヒナツは大量に積まれた線香花火の山へと駆け出した。
「ねぇねぇ!これ面白そうじゃない!?」
変わった形のからくり花火を取り出して、近くにいたアヤとミキトに見せつけた。
「えー!なにこれ?」
「これどうなんだ?火つけてみようぜ」
子供の頃から見てきた3人の幼馴染たち。
一つのからくり花火に興味津々になっている姿は童心に帰っているように見え、3人の子供の頃の姿がフラッシュバックする。
「トーマー!火ー!はーやーくー!!」
「あ…?ああ、…今行く」
その時覚えた懐かしさはもう戻れない時の残酷さを強く胸に刻んだ。
ーーーーーーーーー
ーーーーーーー
ーーーーー
ーーー
ー
浜辺で線香花火を楽しんだ後、「また学校で」と3人に別れの挨拶をして解散した。
今はその帰り道。
アルタイルが輝く夜空の下を歩く。
一歩踏み出すたびに思い出のページが勝手に捲られていく。
初めてアヤに出会った時。
まだ恋心を覚える前、一緒になって泥まみれになった時。
初めて制服を身に纏った彼女の姿を見た時。
クラスの男子とは違う特別扱いされ舞い上がっていた時。
関係を変えたくても特別扱いが終わるのが怖くて悶えた時。
海辺で宝石のように輝く目に夕陽が映っていた時。
そして、線香花火に照らされていた当惑の表情を見つめた時。
大地を踏み締めるたびに麻痺していた想いが感覚を取り戻されてくる。
…初恋はもう、終わったのだ。
「あぁ…ちくしょう…」
抑えきれなくなった想いがとうとう目元から溢れ出てしまった。
まったくもって自分が嫌になる。
高校生にもなってこんな道端で泣いてしまうなど、まるで子供みたいじゃないか。
そんな惨めさが追い討ちとなって堰き止めていた想いがどんどん溢れ出てきた。
「んだよッ…これ…」
ケジメをつけるだとか覚悟してたとか格好つけて自分に酔っていただけ。
自分が傷つかないような言い訳ばかり並べて達観した気になっていただけ。
自分の稚拙さが嫌で嫌で仕方がない。
上を向いて歩く。
かの有名な歌によるとそれは涙が溢れないようにするためらしい。
じゃあ上を向いて歩いても涙が止まらない時、どうすれば良いのだろう。
答えなど分からぬまま、大三角すら滲んで見えない夜空の下を独り歩いていった。
夜明けの水葬 罰印ペケ @batsuzirushi_peke
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