第二話


「ふぅ…」


 自習から一息つけたところで部屋の窓から茜色の光が差し込んできていることに気がつく。


 それは待ち合わせの時間が近づいている証拠でもあった。


 地元の境内で行われる夏祭り。


 誰が言い出さずとも幼馴染4人で参加するのは毎年の恒例だった。


 先日、想い出作りにと幼馴染4人で夏祭りに行こうと約束した。


 ある意味、わざわざ約束までして夏祭りに行くのは異例の出来事だとも言える。


 もう少し集中しよう。


 そう思い直し、再び机に向き合おうとした時だった。


「ばぁ!」


「うぉ!!!…ほんっとにびっくりしたぁあ。やめろよなぁお前」


「うははっ」


 突如として大声をかけられ全身が跳ね上がった自分をコロコロと笑う浴衣姿の少女が一人。


「いつの間に来てたんだよヒナツ。…つか気合い入りすぎだろ」


「へへっ、いいでしょ?似合ってる?」


 くるりと1度、身体を回転させる。


「ん?あぁ。馬子にも衣装だな」


 和かに浮かべていた笑顔が凍りつき、そのまま両腕を使って首を絞めてきた。


「だっ、れっ、がっ!馬子だって〜!!?」


「ぐぇっ…、ギブギブ!冗談だって!似合ってるっ」


 首を絞める腕を叩き降参の意を伝える。


「む…なんか無理やり似合ってるって言わせた気がしてやだなぁ」


 スルリと腕が解かれる。


「事実そうだろ…、ああ待て待て!似合ってんのは本当だってば!」


 不満を口にした途端、ヒナツが身構えたので慌ててフォローする。


「…なら最初っから素直に褒めてくれたっていーじゃんかよぉ」


 すると幼子のように口を尖らせて拗ねてしまった。


「…最初から褒めて欲しいやつはな、いきなり人を驚かせたりしないっつーの」


「まぁそれはさ?ほらお約束というか…、トーマめっちゃ驚いてたもんね。『うぉ!!!』って…、ひひっ、うはは!駄目だ思い出しただけでも面白いっ」


 喜怒哀楽が忙しなく移り変わる。


 晨朝陽夏とはそういう少女なのだということはもう、とっくの昔から理解している。


 部屋にこの賑やかな少女の侵入を許した時点で、もう少し集中して勉強するという選択肢は無くなってしまったようだ。


 仕方ないと思い、身支度をするために着替えを手に取った。


「着替えるの?」


 いつの間にかベッドに腰掛けたヒナツが問いかける。


「着替えるよ。だからお前はリビングでも行ってろ」


 しっしっ、と手の甲で払いのけるしぐさをする。


「いいよめんどくさい。男の子の着替えなんて減るもんじゃないんだし」


「男でも羞恥心は擦り減るの」


「何を今さらぁ〜、一緒にお風呂入ったこともある仲じゃん」


「何年前の話してんだよ」


 それは互いをまだ異性として意識していない頃の話。


 今となってはあり得ない話。


 そう、今となっては。


 喉奥にまた苦味が込み上げてくる。


「んーと、6年前?」


「もっと前だろ。ほら行った行った」


 ベッドに腰掛けるヒナツを抱えて起き上がらせようとするが、逃げるようにうつ伏せになってベッドにしがみつく。


「いーやーだー!」


 そのままヒナツは足をバタつかせて必死に抵抗し、浴衣が少しずつ着崩れていく。


「おいせっかく綺麗に着付けしたのに暴れんなって!わかったわかった、もう行かなくていいから暴れんな」


「よし、ウチの勝ちぃ」


 駄々をこねる様に白旗をあげるとヒナツは勝ち誇ったような笑みを浮かべた。


「ったく、ここに居んのいいけどあんまジロジロ見んなよ」


「…。…うん」


 少し気になる間がある返事を貰うが、ちらりとヒナツに目を向けるとうつ伏せのままだった。


 見られてないうちに急いでズボンから履き替える。


「てか待ち合わせ18時にヒナツんちの前だったろ。何でうちきてんだよ」


「えー。だって暇なんだもん。それにトーマ

ん家が一番近いしなー」


「だからってわざわざ集合場所から離れるか?」


「じゃあ言い方変えてあげよう。トーマを迎えにきたってことでよろしく」


「意味わからん…。歩いてきたのか?」


 ヒナツが足をバタつかせていた時に気になったことを聞いてみる。


「?、そりゃーとーぜん」


「下駄履いて?」


 それまでうつ伏せだったヒナツが飛び起きる。


「え!?何でわかったの?!」


「足の指の間、赤くなってんぞ。慣れない下駄の鼻緒で擦ったんだろそれ」


「へ?あ…、え、えっち!すけべ!なに人の足見てんだ!」


「その足バタつかせて駄々こねてたのはどこの誰ですかねー?」


 引き出しにしまっていた絆創膏を2枚取り出す。


「ほら足貸せ。絆創膏貼ってやるから」


「はぁ!?すけべ!なーに女子の足無料で触ろうとしてんの?!」


 流石に恥ずかしいのかヒナツは紅潮し、こちらの正面に体を向け直して足を引っ込めた。


「アホなこと言うなって。自分で絆創膏貼ろうとしたら身を屈めるからまた着付けが崩れるだろうが」


「んんん…」


 おずおずといった様子で引っ込めた足を差し出してくる。


「イキって下駄なんか履いてくる奴がわりんだよ。普段通りで良かったのに」


「…それじゃ意味ないんだもん」


「え?」


 意味のわからないことを言われたので聞き返すと、差し出された足で蹴られる。


「…うっさい!早く貼れ!」


「ははっ、本当お前はむちゃくちゃだなぁ」


 自然と頬が釣り上がり、少し苦味が紛れた。


 差し出された右足の指の足に目がけて絆創膏を貼る。


「ねぇ」


「ん?」


「なんで下駄履いてきたって分かったの?」


「どうせヒナツのことだからな。浴衣着てまで気合い入れてんだから下駄も履いてきたんだろうなって思っただけ」


「そっか…。そうなんだ…」


 続けて左足に2枚目の絆創膏を貼る。


「…っし、終わり」


「…あんがと、トーマ」


「はいよ」


「これでウチの足見たことはチャラにしてあげる。へっ、役得だな」


「何で上から目線なんだよ。つーか今更幼馴染の足なんかに欲情しねーよ」


「…」


「…ん?どした?」


 こっちとしてはいつものじゃれ合いとして軽く煽り返したつもりだった。


 だからすぐに怒ったヒナツが言い返してくるもんだと思っていたのだが、ヒナツは俯いたまま特に反論してこなかった。


「…ヤに………じょ……………せに」


「え?」


 表情すら窺えないヒナツからポツリと何かがこぼれた音がした。


「…いやなんでもない。ウチ、リビングに行っておばさんに浴衣直してもらうの手伝ってもらうよ」


「あ、おう。その方がいいと思う」


「トーマも上着着替え終わったらリビング来なよー」


 そう言ってヒナツは部屋を出て行く。


「…何ボソッと言ったんだあいつ?」


 なにを呟いたのか、かろうじて聞き取れた部分ではさっぱり分からなかった。


 考えて分からないことに頭を使っても仕方がないので、上着を着替えることにする。


 そのタイミングで携帯にピコンと1つ通知音が鳴り響く。


 スマホの画面を覗くと要するにミキトがヒナツの家に着いたとの連絡だった。


 予定より早い時間だがこのままヒナツの家へ向かった方が良さそうだと思い、リビングへと足を運んだ。


 リビングの戸を開けると丁度お袋がヒナツの着直しを終えたところのようだった。


「じゃあ、ちと早いけどヒナツん家いくぞ」


「えー!もう?まだ来たばっかなんですけど」


「ライン見てないのかよ。さっきミキトがヒナツん家着いたって」


「えぇ!ミキト早っ!それじゃあミキトと、それからアヤにもこっちに来てもらう?」


「俺ん家の方が神社に遠いんだから遠回りなるだろうが」


「じゃあヒナツちゃん。トーマのことよろしくね」


「おまかせください!」


 ヒナツは張った胸を握り拳で叩いて、根拠のわからない自信を露わにした。


「んなアホなポーズしてっとまた着崩れるぞ。じゃあお袋行ってくる」


「2人とも行ってらっしゃい」


「行ってきます」


「いってきまーす!」


 玄関を出て歩き始めるとカランカランと鳴る下駄の足音が少し心地よかった。


「そーいえばさトーマ」


「ん?」


「ウチもさ、大学受験しよっかなーなんて思ってたり」


「え?ヒナツも」


「なんか幼馴染4人の中でウチだけ仲間はずれなのも嫌だし」


「んな子供みたいな理由で」


「いいだろーべつにぃ。それに理由はそれだけじゃないしっ」


 意味深な台詞に疑問を抱いたが、それよりももっと気になることが浮かんだ。


「…ん?でもいいのかよ」


「なにが?」


 確かに俺もヒナツも大学を目指してはなかったが、その理由は似て非なるものだった。


「なにがってほら、お前跡目…」


 地主かつ大きな一族の晨朝家、その一人娘。


 確かヒナツは高校卒業後は、大学に行くことは許されず次期当代として家業を学ぶことを半ば強制されていたはずだ。


「へーきへーき!そんなことよりさっ」


 跡目という言葉を聞いた途端、一段階大きな声を上げたので本当に大丈夫なのかと疑う。


「トーマはどこ受けるの?ウチも急に大学目指すことになったから参考程度に知りたくてさぁ〜」


 まぁ気になって当然か。


 だがもしここでヒナツも志望校を気に入って同じ大学に入学することになったら、幼馴染たちと一旦距離を置くという目的が達成できなくなる。


 もちろんそれが受験動機の全てではないが、今のグチャグチャになった心境ではかなりウェイトを占める目的だった。


「それは内緒だ」


「えーなんでぇ。教えろよぉ」


「なんでもだ。合格したら教えてやるよ」


「もしかしてトーマ落ちた時のこと考えて恥ずかしくて言えないの〜?そんなの気にしなくていいのに。ウチぜぇったいトーマのことバカにしないし、ね?だから教えろよぉ〜」


「違うっての。ヒナツだろうがアヤだろうがミキトだろうがこれは教えられんの」


「いやいや。いいから教えてよぉ」


「教えない」


「教えてよー」


「諦めろ」


「教えてよ」


「教えません」


「…教えてよ」


「諦めろって」


「いいから教えてってばッ!!!」


 数日前と同じく突如として怒鳴るヒナツにぎょっとしてまった。


「あっ…ごめん。いきなり怒鳴っちゃって…」


「いや…俺は気にしてないけどさ…」


 怒鳴られたことは確かに気にはしてないが、様子がおかしい幼馴染は少し気になるところだった。


「なんか…トーマに隠し事されてるのが悲しくなって…つい。…ねぇ本当に言いふらしたりしないからウチにだけでも教えてくれない?」


「意地悪で言ってるわけじゃないんだ。こればっかしは教えられない」


「…」


 普段は快活なヒナツに黙られてしまうと少し気まずくなってしまう。


 そんな事を深く気にする間柄ではないのだが、夏のジメッとした湿度が上がるような気がした。


 せっかくこれから4人で最後の思い出を作ろうとしてるのに出端からこうじゃつまらない。


「ちょっと待ってろ」


「…」


 駄菓子屋の前を通り過ぎようとしたところでヒナツを待たせる。


 咄嗟に思いついたモノを購入し、ヒナツにバレないように背中で隠しながら店を出る。


 だがヒナツは何処か上の空といった表情で、店を出た自分には気づいていない様子。


 しめたと思い隙だらけのヒナツのうなじに駄菓子屋で買ったモノを押し当てる。


「きゃっ!!!」


 ヒナツは身を縮めながら驚く。


「ははっ、さっきのお返し」


 ヒナツにネタバラシとして、うなじに押し当てたアイスを見せびらかす。


「んんー、もう!なにすんだよぉ」


 ヒナツの口を開かせることには成功したが当然少し憤慨している。


「ほらよ」


 それを宥めるために2人分に分けられるアイスを分割し、片割れをヒナツへ手渡す。


「えぇ?これから祭りだぞ?」


「平気平気。アイスくらい腹の足しにもならんだろ」


「それもそっか…。へへ」


 互いにアイスの封を開けて口にする。


「うまっ」


「んまいなぁ」


 日暮れでもまだまだ暑さが残る中食べるアイスは美味しかった。


 少し重くなってしまった足取りも軽やかになっていく。


「足大丈夫か?」


 ヒナツの機嫌も少し良くなったところで当たり障りのない会話を試みる。


「うん、へーき。心配してくれてありがと」


「まぁ予備の絆創膏も持ってきたから剥がれたりしたら言えよ」


「うぇっ、いーて!ミキトの前でアレやられたら恥ずかしすぎる」


「ミキトがいない時にアヤに頼めばいいだろ。てかまた俺が貼るなんて言ってないけどな!」


 からかった口調でヒナツのことを煽ってみる。


 すると無意識のうちに口にした前提が間違ってたのに気づき始め、ヒナツはみるみるうちに赤面していく。


「う、うっさい!元からそのつもりだったしっ!」


 ヒナツの調子が元に戻りつつあった。


 何気ない会話を重ねながら歩いて行くとあっという間にヒナツの家が見えてきた。


 ヒナツの家の前には事前に連絡があった普段着のミキトと特に連絡がなかった浴衣姿のアヤがいた。


 別々に来たのならアヤも連絡を入れそうなはずなのに、ミキトからしか連絡がないということは一緒に来たのだろうか。


 ミキトとアヤが手を繋いで来たところを反射的に想像してしまい、またこんな女々しいことばかり考えてしまう自分に嫌気がさす。


「ヒナツ〜!」


「アヤー!」


 お互いの声が認識できる距離に近づいた途端、浴衣姿のアヤとヒナツが駆け寄った。


「んだよ2人とも浴衣着て。裏で打ち合わせてたな?」


 ミキトも女子たちが浴衣を着てくることは聞いていなかったらしい。


「そうだよー。男子たちを驚かせようって、ね?ヒナツ」


「へへーん、どうだ!驚いたか?」


「驚かせたかったなら男女分かれて合流するべきだったな」


 余裕の笑みを浮かべたミキトを見て、ヒナツはげんなりした表情を浮かべる。


「ほんっと冷めてんなぁ。美少女2人が浴衣着てんだから普通テンションあがるだろうが!」


「確かにアヤは可愛い」


「おい!!!ウチは!?」


「冗談だって。ヒナツも可愛いよ」


「なーんかミキトが言うと女ったらしの台詞にしか聞こえない」


「ひっでぇ」


 ミキトとヒナツの笑い声に釣られてアヤも笑う。


 結局ミキトとアヤのことを抜きにして、こういった空気感は好きなのだ。


「早めだけどみんな揃ったし行こうぜ、夏祭り」


「そうだな」


「うん。そうしよっか!」


「なに食べよっかなー」


 4人はそれぞれの足取りで沈む夕陽に向かって歩き始めた。



ーーーーーーーーー

ーーーーーーー

ーーーーー

ーーー


 夏祭りが行われている境内に辿り着くと屋台と人で賑わっていた。


「じゃあ恒例の縁日大会といきますか」


 さっそくミキトが提案を口にする。


 しかしこんな気持ちを抱えたまま夏祭りを楽しんでいいのだろうか。


 焦燥にも似た感情が、自分の気持ちのけじめをつけさせようと急かす。


「ミキト。話があるんだ」


 女子2人がミキトと距離ができた一瞬の隙をついて耳打ちする。


 ミキトはすぐに聞き返さずこちらの表情を伺い、込み入った話になるのだと悟ってくれたようだ。


「分かった。…アヤー!ヒナツ!わりぃんだけどいつものおっちゃんのたこ焼き買ってきてくんねーか?」


「えぇ?男子のくせに女子をパシリかよ」


「俺たちはあのぜんざい並んで買ってくるからさ。そしたらいつものとこで待ち合わせな」


「え!あれ並んでくれるの?」


 ヒナツとアヤの目の色がみるみるうちに変わっていく。


「おう。待ってる間、好きなもん食ってていいから」


「しょうがないなぁ〜。じゃ行こっかヒナツ」


「そうだね!頼むぞー男子たち」


「りょーかい」


 ヒナツとアヤが人混みの中へ消えて行くのにそう時間はかからなかった。


「じゃ行くかトーマ」


「あ、あぁ助かる」


 ここでは落ち着いた話もできないと境内のはずれの位置まで自然と歩みを進めた。


 すぐ近くで賑わっていたのが嘘のように静かな茂みにたどり着くとミキトは口を開いた。


「で、話ってなんだぁ?…女子がいると言えないエロい話?…ってそんな茶化すような感じでもなさそうだな」


 こちらが切り出そうとしてる話の雰囲気を察したのかミキトの緩んでいた頬が引き締まる。


「…聞きたいことがあるんだ」


「ああ」


 今ならまだ引き返せる、そんな臆病者の囁きを無理矢理押し退ける。


「アヤと…付き合ってんのか」


 嗚呼、言ってしまった。


 心臓の鼓動が早くなり、微かに聞こえていた祭りの喧騒がどんどん聞こえなくなっていった。


 余計に自分の脈拍がうるさく聞こえる。


 少し目を丸くしたミキトは、改めてこちらに向き直して口を開いた。


「そうだ」


 周りの声は聞こえないのにミキトの声だけはハッキリと聞こえた。


 分かっていたことなのに、99%確定していた事実が100%に変わっただけなのに、聴きたくない答えが返ってきて絶望した。


「いつから…?」


 これ以上何も聴きたくないのに愚かにも自分の口は止まらなかった。


「今年の春休みの終わりから」


「4ヶ月半も黙ってたのか?」


 自分の怒りが恨みになるのが怖い。


「すまん。俺は…俺はずっとトーマに言いたかった!お前に隠し事してるみたいで嫌だったんだ!けどアヤが時期を見ようって」


「…アヤのせいにすんなよ」


 言いたくない言葉が次から次へと溢れてしまう。


「そう…だよな。ごめん」


「俺は…、俺だって!…俺だってアヤが好きだった…」


 伏し目がちなミキトの瞳が大きく開いた。


「そうだった…のか。ごめん気付いてなくて…」


「いや勝手に胸に秘めていたのは俺の方だし、アヤが誰と結ばれようとそれはアヤの自由だ。それにどっか知らねーやつよりかはお前の方が全然良いしな。…けどよぉ、もっと早く言って欲しかった!俺ら幼馴染じゃねぇのかよ…」


 失恋の苦しみもそうだが、幼馴染として隠し事されていたことも苦しかった。


 その想いをミキトへぶつける。


「お前の言う通りだな…。本当にごめん!!」


 ミキトは頭を下げて謝るが、別に謝って欲しかったわけではなかった。


 しかし謝られた手前、これ以上ミキトを責め立てることなんてできやしない。


 行き場のなくなった想いが胸の中でグルグルと循環して暴れ回る。


 それから少しの間、お互いに沈黙してしまう。


 その沈黙を破ったのはミキトの方からだった。


「…一回殴ってくれ」


「へ?」


 唐突に理解できない提案をされて間抜けな返事をしてしまった。


「トーマにはその権利がある」


「いやいやいや!いつの時代のドラマだよ。今時そんなことやるやつなんていないって」


「だからこそだよ」


「意味わかんねぇ…。お前そんな奴だったか?」


「たまには…な?」


 俺がミキトを殴る?


 考えたこともなかった。


 行き場のない感情は殴ったことでどうにかなるのだろうか。


 いやどうにもならないだろう。


 殴るという発想を得てもなお殴りたいという気持ちなど微塵も湧かなかった。


 けれどミキトはふざけているわけでもなく真剣な眼差しでこちらを見つめてる。


「…手加減しねぇぞ」


 口ではそう言ったが、かと言って本気で殴りたいわけじゃ無い。


「じゃなきゃ意味ないだろ」


「じゃあ…いくぞ」


 握り拳を作るが震えが止まらない。


 意を決してミキトの頬を目掛けて全力で拳を振り抜くが、ミキトを殴りたくない気持ちが拳に急ブレーキをかける。


 それでも勢いがあまり、拳に気色の悪い感触と痛みが走る。


 それでも気が晴れないのは、やはり本気で殴れなかったからではないだろう。


 きっと本気で殴ったって同じだ。


「ってぇ…。やっぱ手加減ーーー」


「わりちょっと強く殴りすぎた」


 それ以上は言わせないとミキトの言葉を遮る。


 本気で殴れなかったことはミキトも分かっていたようだった。


「は?」


「だからその分殴ってくれよ」


 左頬に青痣が出来たミキトがキョトンとした表情を浮かべる。


「…。…はははっ」


 こちらの気持ちが伝わったのか、ミキトは何も言わずに笑いあげた。


「俺も手加減しねーぞ」


「じゃなきゃ意味ない、だろ?」


 これはただの儀式だ。


 青年2人が気持ちをリセットするための馬鹿げた儀式。


 歯を食いしばりその時を待つ。


「いくぞ」


 一瞬なにが起きたのか分からなかった。


 ミキトが構えた瞬間から左頬に衝撃が来るまで殆ど時間がなかったように思える。


 ゴン、という鈍い衝撃音が口の中に響き渡る。


「いっっ…ってぇ」


 頬が段々と熱くなってくると共に痛みも段々と強まってきた。


 けれど右手にこびりついていた不快感はいつの間にか無くなっていた。


「…本当にこれで良かったのか?」


「あ?これでおあいこだろ」


「でも俺はアヤとのことを…」


「だぁー!蒸し返すな!…いててて。素直にお前らのことを祝福させてくれや」


 ミキトは少し驚いた顔した後、ゆっくりと笑みを浮かべた。


「…おまえと幼馴染になれてよかったわ」


「そりゃどーも。…アヤ泣かしたらぶん殴るからな」


「あぁ」


「くそぉ…。まじでお前が羨ましい」


 ガスを抜いていくように本音が漏れてしまう。


「すまん…」


 そんな本音を聞いて気まずそうにミキトは謝った。


「謝んなよ。余計に惨めになるじゃんかよ」


「それを言われるとなんもいえねーよ俺は」


「気ぃ使うなってことだよ。それとアヤを幸せにしろってこと」


「約束する」


「それじゃあぜんざい買いに行こうぜ。アヤとヒナツが涎垂らして待ってるぞ」


「ははっ、それもそうだな」


 概ねミキトには伝えたい気持ちを伝えた。


 その代償として約束した物を買いに俺とミキトは祭りの喧騒へと戻って行った。


ーーーーーーーーー

ーーーーーーー

ーーーーー

ーーー


 とある一軒の屋台が出すぜんざいは絶品というほかない代物で、年々その美味しさが知れ渡り今となっては大行列が出来るほどの屋台となっている。


 40分程待たされた挙句ようやく4人分購入できたが、アヤとヒナツと分かれてから1時間は経とうとしていた。


 急いで毎年恒例の溜まり場へ向かうとアヤとヒナツが色々なモノを食べ広げていた。


 近づいたこちらの様子に気がつきアヤもヒナツも笑みを浮かべるが1秒ともたなかった。


「ミキト?!トーマ?!どうしたのその顔」


 ミキトも俺も互いに殴り合った箇所が時間の経過と共に腫れ上がっていた。


「ちょっと喧嘩した」


「ちょっとどういうこと!?なんでミキトとトーマが喧嘩なんかするの!?」


 アヤは今にも泣きそうな顔でこちらを問い詰めてきた。


 ミキトがチラリとこちらの顔を伺うのが横目に見えた。


 おそらく俺の判断に委ねているのだろう。


「大したことじゃないよ」


 今はまだアヤには話さない。


 それが今下した結論だった。


 ミキトにそれが伝わったのか定かではないが、長年共に過ごしてきた時間を信頼する。


 訳がわからず泣きそうなアヤの肩にミキトが手を乗せる。


「それよりアヤ。やっぱりトーマとヒナツには話したい」


 ミキトは真っ直ぐアヤのことを見つめる。


 その光景は未だ羨ましさを覚えるものだった。


「え?どうして急に…、いや、そうだよね。急なんかじゃない。遅すぎるくらい…だよね」


「あぁ」


「どうしたの?」


 おそらく唯一状況が飲み込めていないヒナツが問いかける。


「ヒナツ、…トーマ。実は俺とアヤは付き合ってるんだ」


「うぇ!?本当?!」


 ヒナツが初めて知ったようなリアクションをしてくれて助かった。


 今更驚いてやれるほど自分は器用な性格はしていないからだ。


「2人には黙っててごめんね。私がミキトにお願いしたの。…この4人の関係がなくなってしまうじゃないかって怖くって」


「なくなるもんかよ。俺たち何年一緒にいたと思ってんだよ」


 強がりにも似た嘘を吐いてしまった。


 距離置きたくて東京の大学を目指したのは他でもない自分なのだから。


「えー!なんか2人ともずっと一緒にいたから不思議な感じ!いつからなの!?」


「えっと…実は春休みの終わりから…」


「えー!全然気が付かなかった!!」


 アヤとヒナツの会話が盛り上がったところで、ミキトにそっと肩を叩かれた。


「これでいいのか…?」


 ミキトがこっそり2人には聞こえないように耳打ちしてきた。


「あぁ。アヤには別に気持ちを伝える。それくらい…いいよな?」


「俺は何もいう資格はねえかな」


「あるだろ。彼氏なんだから」


「ちょっと男子!2人でなにコソコソ話してんの?」


 小さな声で談合していたことがヒナツに気づかれる。


「「いやなにも」」


 全く同じタイミングで同じ台詞が重なり合う。


「あやしい…」


 アヤは目を細めこちらに疑いの目を向けてくる。


「それよりぜんざい食おうぜ。俺たち並び続けて疲れたんだよ」


「ウチらも丁度甘いもの食べたい口になってるし、いいね!」


 意外とも、想定通りとも言えるがヒナツが提案に乗ってきたので助かったと思った。


 アヤはどこか納得していない表情を浮かべるが、諦めたようにぜんざいを受け取る。


「うっま!相変わらず美味いねぇ」


 一足先に口にしたヒナツが目を輝かせて感想を述べる。


「…うん!美味しい」


 釣られてアヤも口にするとこちらに向けていた疑惑の目も輝き始めた。


 それからは全員目を輝かせながら絶品のぜんざいに舌鼓を打った。


「ねぇ!あとで久々に盆踊り参加しない?」


 なんだかんだぜんざいを1番早く食べ終わったアヤが変わった提案をしてきた。


「…やるか」


 色々考えはしたがアヤの提案に乗ることにした。


「うぇ!意外。トーマなら絶対『いいよめんどくさい〜』っていうかと思った」


 どこか誇張された物真似が少し腹立たしい。


「うっせぇ。そーゆーときもあんの」


 今はただ祭りを楽しむのも良いだろう。


 確かに今日一日で予定していたほど気持ちにケジメがつけられなかった。


 1番の原因はアヤにちゃんと想いを伝えていないこと。


 それはわかっているがアヤに想いを伝えるなら2人きりになれたタイミングで伝えたかった。


 それにアヤだけではなくミキトに対しても気持ちのケジメをつけたかった。


 だから頬に残る痛みがそのための一歩になることを願ってやまない。


 今日の日がいつか笑って話せる時が来ると信じて、今はただ祭りの熱に身を投じていった。

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