【KAC20242】内見
涼月
第1話
引っ越したい······
なんの変哲もない六畳の部屋を見回して思う。
布団と着替えと小さな折りたたみ式テーブル。最低限の荷物しか無い部屋は、およそ年頃の娘らしくない。でも、奨学金の返済金を支払いながら都内で生活するなら、こんなものだろう。
お陰で引っ越ししやすいからいいんだけど。
何を隠そう。私は引っ越し魔だ。
勤め始めて五年の間に、既に三回引っ越した。そのうち一回は転職に伴うものだけど、後の二回は気分······違うわね。彼氏と別れたからだわ。
で、今回も言わずもがなってこと。
元々結婚願望は無いし、彼氏は寂しさを埋める一時の饗宴。
だから引きずってるなんてことも無いのに、何故かリセットしたくなる。
厄介な性格。
礼金、敷金が無くて、オートロック、家賃がなるべくお安いところ。
いくら夜寝に帰るだけの部屋でも日当たりだけは譲れない。
その代わり、駅から多少遠くても、通勤時間がちょっとかかっても我慢する。
そんなことを考えていたら、ふと良いことを思い出した。
そういえば、幸太のヤツ、不動産会社に勤めたっていってたわね。
以前送られて来ていたLINEを遡り、勤め先を突き止めた。
あの、人の良さそうな困り顔、また見られるかな?
ひょろりと細くて可愛らしい顔立ち。よくやんちゃな男子等に絡まれていた。小学生の頃の私は背も高くて、大人びて捻くれた性格だったので、いつもはスルーしていたんだけど、ある日ちょっと悪質な嫌がらせ現場を目撃して黙っていられなかったんだ。
その後からかな。幸太が子分みたいに引っ付いて来るようになったのは。
気が優しくて泣き虫な幸太。きれいな顔立ちだからかな。泣き顔を見てみたくなるのは。
これじゃ、虐めていた男の子たちと一緒じゃん。
私は自分の加虐性に気づいてどきりとした。
だから走って逃げようとしたけど、そうすると泣いちゃいそうな気がして······
結局、前後になって帰ることが多かった。当然、私が前、彼が後ろ。
黙っている日が多かったけど、時々私が勝手に毒を吐いて、それを幸太がうんうんって聞いてくれた。
あの頃の私は友達がいなかったから、なんだかんだ言って嬉しかったな。
こんなことを思い出したのは、やっぱりちょっと気が弱くなっているからかな。
思い立ったが吉日とばかりに、私は彼が勤めるスマイル不動産へ行ってみることにした。
なんのアポも取らずに押しかけたら会えない可能性のほうが高いよね。
そう思っていたんだけれど、いた!
ガラス越しに店内を覗いたら、バッチリと目が合ってしまった。その涼やかな目元が大きく見開かれて戸惑ったような表情になる。
ああ、あの頃と同じだ!
懐かしくなって頬が緩みそうになるのを、慌てて引き締める。
ワザと素っ気ない声で「部屋を探しているのですが」と告げた。
「······
「いらっしゃいませでしょ、最初は」
「あ、ご、ごめん。いらっしゃいませ」
「久しぶり」
「久しぶりだね。部屋を探しているって、何か今の住まいに気になるところがあるの?」
「うーん、なんとなく」
「······彼氏と別れたから?」
「そうだけど······それが理由じゃない」
「······女性の一人暮らしだと、こんな物件はどうかな」
その後は、彼が色々調べてくれていくつか気になる物件もあった。
なんか、すっかり頼もしくなっちゃって。
眼の前の可愛らしい顔立ちは今も変わらず。眼福。
でも、広くなった肩幅、骨ばった指先、強さを秘めた眼差しにトクンと心が鳴った。
やっぱり、あの頃とは違う。
彼は、大人になって強くなったんだ。私が守ってあげていた頃の幸太じゃない。
急に惨めな気持ちになってきた。
私だけ成長していないような気がする。
そうじゃない。本当に成長していないんだ。
「やっぱ止める」
「え!?」
困惑と憐れみ。何故かそんなものを感じて、私は居たたまれなくなって顔を背けた。慌てて立ち上がり去ろうとしたら、ガシリと腕を掴まれた。
その力強さに、急に男を感じた。
「······」
「ごめん。でも、一軒だけ、見て行って欲しい」
真剣な眼差しに、NOとは言えなかった。
彼が案内してくれたのは、小綺麗なマンションの一室。どう見ても私の今の収入では分不相応だ。
「あのさ、急に止めるって言ったのは悪かったけど、いくらなんでもここは無いでしょ。高そうだし。あ、でもノルマとかあるんだよね。ごめん、協力できなくて」
「そんなんじゃない」
低く唸るようにそう言うと、手慣れたように鍵を開けた。
想像通り、居心地が良さそうな空間。しかも家具付き!
「だから、こんな高いところは」
「ルームシェア、してくれないかな?」
「え?」
「ここ、おれんち。先月兄貴が結婚して出てっちゃったから、家賃高くて困っているんだよ。だからはんぶんこして欲しい」
思わぬ申し出に、言葉を失う。
本気で言ってるの?
「いや、でも、一緒に住むって、私なんかと」
「明里ちゃんだから······住みたいんだ」
「でも」
「俺は、絶対に明里を置いていかないから! 絶対に一人にしないから」
幸太の言葉が私を貫いた。フラッシュバックのように蘇る記憶。
母に置いていかれて泣いた夜。
帰って来るのを待ち続けた日々。
高校入学と共に、母は男を作って家を出た。
雀の涙の生活費は、時々恵んでくれたけど。
そうか······だから私は引っ越しを繰り返していたんだ。
怖くて、寂しくて。
「明里、俺は絶対に置いていかない。約束する」
そうか······幸太はずっと気づいていたんだ。私の欠けた心に。
「本当に?」
「うん。約束する」
これ以上は、偽れない······私はグシャグシャの顔で頷いた。
了
【KAC20242】内見 涼月 @piyotama
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