わけあり内見

大隅 スミヲ

第1話

 飛び込みで内見をしたいという申し出があった時、どうせ冷やかしだろうと佐竹美晴は思っていた。この業界に勤めて10年になるが、飛び込みの内見で契約を結んだ客はひと組もいなかった。


「ねえ、ここの部屋でいいんじゃない?」

「そうだね。眺めも結構いいし」


 客は若い夫婦と思われる男女だった。ふたりとも背が高く、寄り添いながら小声で話をしている。

 きっとふたりは新婚だろう。二人の距離感に、どこか初々しさがあるのを美晴は感じ取っていた。


「あの、すいません。ベランダに出てみてもいいですか?」

 旦那さんの方がそう言って、ベランダへと続く掃き出し窓を指さす。


「ええ、もちろん。ベランダにサンダルがありますので使ってください」

 美晴がそう言うと、ふたりは揃ってベランダへと出ていった。

 飛び込みだったけれども、もしかしたら契約取れるかもしれないな。

 ベランダに出たふたりの後ろ姿を見つめながら、美晴は皮算用をはじめていた。

 外に出ているふたりの声は美晴の耳には届いていなかった。

 ただふたりの姿は仲睦まじく見え、ベランダから見える周りの風景を楽しんでいるように見えていた。


※ ※ ※ ※


「この部屋からなら、角度はバッチリだな」

「そうですね。あの部屋はカーテンがないので、夜になればこちら側から見えやすくなるかと思います」

「夜だとさすがに内見はできないな」

「とりあえず、この部屋を確保しますか」


※ ※ ※ ※


 しばらくするとふたりはベランダから室内へと戻ってきた。

 少し肌寒さはあるが、南向きのベランダは日当たりも良いので上着を着ていれば寒さもほとんど感じないくらいだった。


「どうでしたか、結構見晴らしもいいでしょう?」

 美晴は戻ってきたふたりにそう話しかけた。


「そうですね。ちょっとお話をさせていただきたいですけれど」

「ええ、どうぞ」


 もしかして、もう契約したいっていう話に行くのか?

 よほど、この新婚カップルはこの物件が気に入ったみたいだ。もし、まだ迷っているようであれば、他の客もここを狙っていると匂わせて契約させてしまった方がいいかもしれない。ここから、また別の物件を見に行ったりすれば、時間もかかるし……。

 美晴は、心の中でそんなことを思いながら、夫婦が口を開くのを待っていた。


「我々、こういう者です」


 旦那さんの方が出したのは予想外のものだった。

 黒革の手帳型身分証。開かれたところには『警視庁新宿中央署刑事課強行犯捜査係』という所属と、富永という男の名前、そして巡査部長という階級が書かれていた。


「え……。警察にお勤めで?」

 よく状況が把握できていない美晴は、素っ頓狂な声を上げる。


「捜査にご協力ください」

 隣にいた奥さんの方も同じように身分証を提示している。こちらも同じ新宿中央署に所属する刑事で、高橋佐智子巡査部長だった。

 彼らは新婚夫婦などではなく、新宿中央署の刑事であり、相棒同士だったのだ。


「この部屋を新宿中央署で数日から数週間、借りたいと思います。すぐに手配できますよね」

「え、あ、ええ……」

 ようやく状況がつかめてきた美晴の顔からは血の気が引いていく。


「す、すぐに上司に確認を取りますので、お待ちいただけますか」

「わかりました。できるだけ話は内密にお願いします」


※ ※ ※ ※


 その日の夜、新宿中央署刑事課に所属する高橋佐智子と同僚で先輩の富永は、家具ひとつない広い部屋の中に二人でいた。

 寒さ対策として毛布を被り、双眼鏡を使って向かい側にある部屋の監視を行う。


 道を挟んで、向かい側の部屋。そこは連続強盗事件の犯行グループがアジトとして使っている可能性が高いとされている部屋だった。


「まだ、誰も帰ってこないな」

 富永はそう言いながら缶コーヒーを口にする。


 本当に犯行グループが向かいの部屋に戻って来るかどうかはわかってはいなかった。ただ、可能性は潰しておきたい。その思いから張り込みをしているのだ。


「マンションの下に車が停まりました。白のバンです」

 道路の方を監視していた佐智子が富永に告げる。


 しばらくすると、向かいの部屋に電気が灯り、人影が現れた。

 カーテンが無いので部屋の中はこちらから丸見えだった。


「全部で三人。運転手を含めると四人か……」


 それは連続強盗事件の犯行グループの人数と一致していた。

 富永はカメラを取り出すと、フラッシュを焚かないようにして向かいの部屋の写真を撮った。暗い方からだと、明るい方はよく見えた。逆に明るい方から暗い方というのはあまり見えない。だから、よほどのことが無いかぎり佐智子たちの動きが向こうから見えることはなかった。


「どうします?」

「いま、織田さんが令状を持ってこっちに向かっている。それまでは待機だ」

 冨永が佐智子の問いにそう答える。

 織田さんというのは、新宿中央署刑事課強行犯捜査係長であり、佐智子たちの上司であった。


 すでに向かい側の部屋に入ってきた四人の顔は、防犯カメラに映っていた強盗事件の犯人たちの顔と照合されており、一致したことがわかっている。

 あとは逮捕状が来れば、やつらを逮捕できるというわけだ。


「あっ!」

「どうした、高橋」

「あいつら出かけるみたいですよ。上着を着だしています」

「なんだと。まずいな。織田さんが来る前に逃げられちまう」

「バンカケして足止めしますか?」

 そういうと佐智子は部屋から出る準備をはじめた。

 バンカケというのは、職務質問の隠語だった。職務質問の際、最初に「こんは」と声を掛けることからバンカケという隠語なのだそうだ(諸説あり)。


「いま、織田さんにこちらの状況を伝えた。もし、織田さんが間に合わないようだったら、こっちで足止めするしかないな」

 冨永はそういうと、上着を羽織って佐智子といっしょに部屋を出た。


 向かいのマンションの下には、白のバンが停車していた。しかし、運転手の姿は無い。もしかしたら、上の階に他のメンバーを迎えに行ったのかもしれない。


 上の階の部屋を見上げると、ちょうど電気が消えたところだった。


「やつら降りて来るぞ」

 富永は小声で佐智子に伝える。


 佐智子は無言で頷くと、マンションの出入り口へと向かった。

 ちょうどその時、自転車に乗った制服警官がふたりやってきた。織田から言われて応援に駆けつけたのだという。

 佐智子と富永はマンションのエレベーターホールで待機し、制服警官ふたりには階段を見張ってもらった。どちらから来ても対応できるようにしておく。


 エレベーターが動いていた。現在の階数表示が徐々に下がってくる。

 二人の間に緊張感が漂う。


 階数表示が1となり、エレベーターのドアが開いた。

 中に乗っていたのは若い男が四人だった。


「失礼」

 降りてきた男のひとりがそう言い、佐智子の横を通り過ぎようとする。

 しかし、佐智子は男と同じ方向に足を一歩踏み出して、男の前を塞ぐ。


「あ、ごめんなさい」

 佐智子はそう謝りながらも、しっかりと男たちの顔を見ていた。

 その中のひとりに見覚えがある。別の強盗事件で指名手配中の犯人だった。

 佐智子は無言で富永に頷きかけると、富永が口を開いた。


「お兄さんたち、ちょっといいかな」

「なんだよ」

 男たちの中で一番ガタイのいい男が尖った声でいった。


「警察なんだけど、話を――」

 富永がそこまで言った時、ガタイのいい男が富永のことをつき飛ばそうと腕を伸ばしてきた。次の瞬間、その男の身体は宙を舞っていた。柔道の払い腰だった。

 富永は男のことを投げ飛ばすと、そのまま寝技で組み伏せていた。


「公務執行妨害の現行犯で逮捕する」

 それを見た残りの三人はバラバラの方向へ逃げようとした。

 佐智子はひとりの足を払うと、その場に転ばせる。


 残りのふたりは騒ぎを聞きつけてやってきた制服警官たちによって取り押さえられていた。


 そして、遅れてやって来た織田が逮捕状を読み上げて、四人の身柄を新宿中央署へと移送するのだった。

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