後編

 今でもたまに思い出すのだ。

 あの日、見上げた階段の踊り場、夕日に照らされ笑っていたのは誰だっただろうかと。


 僕は教室に戻り午後の授業を受けた。

 いつものことだが時々心ここにあらずの状態になる。古文の水沢光咲みずさわみさき先生に当てられてとんちんかんなことを答えて皆に笑われた。

 そういえば水沢先生が中一の時の担任だったな。はじめのホームルームでいきなり爆弾発言をしたのだ。


 このA組は入試成績上位三十名でできたクラスです。他のクラスは均等に分けましたがこのクラスだけ特別です。なので思い切って成績順に班分けしました。一班は上位五人。一位から順に席を配置しています。


 そして僕は一位の席にいた。僕が天狗になった瞬間だ。

 一班は右端の列。僕が先頭で、後ろに四人の美少女がいて、僕はこのパーティーの勇者になったつもりだった。

「このパーティーは俺に任せておけ」

 あの頃、僕は「俺」という自称を使っていた。黒歴史だ。

 しかし中間テストですぐに僕のメッキは剥げた。ミスズが一位、アカネが二位、高原が三位と入試成績が決してフロックではない成績をあげたのに僕は十位にも入らなかった。

 その後も僕は試験が行われる度に順位を下げていった。しかし班分けは変わらない。一班のままだ。席だけは前から成績順に変わるから僕は最後尾の席になった。

 一班にいながら四班より下の成績。僕は埋もれていった。


 僕は楽しそうに授業をしている水沢先生を恨めしく見た。

 確かこの春結婚したんだったな。三十前にしてようやく相手に恵まれた。幸せそうな顔をしている。

 でもあなたのせいで僕は勘違いしてしまったのですよ。本当に罪作りなことをしてくれましたね。

 僕はため息をついて下を向いた。


 古文の授業が終わった。

 僕は伸びをして隣の奴を見た。

 教室が騒がしくなって、そいつは顔を上げた。額に赤い痕がついていて口元によだれがしたたって乾いた痕もあった。

 古文の授業もずっと寝ていたのだろう。水沢先生もこいつには甘い。

「起きたのか?」僕はそいつに声をかけた。

「ん? もう帰る時間か?」

「まだ六限があるよ。その後はロングホームルームだ」

「じゃあまた寝るか……終わったら起こしてくれ」

 眠り姫こと法月美鈴のりづきみすずは言った。

 さらさらの漆黒ロングヘアがもったいない。残念美人。誰もがそういう法月美鈴のりづきみすずはかつて僕と同じ一班にいた一人だ。

 入試成績は僕に次いで二位。中間テストでは一位だった。しかしその後、成績は下降し、僕と同じような道をたどる。

 今では僕と同じく三百人中五十位にも入っていない。

 中一の一学期のみ優等生だった女子だ。

 高原に言われて僕は考えていた。高原やアカネが笑っても当たり前すぎて記憶に残らない。もし残るとしたら追従ついしょう笑いしかしなかったユマかクールビューティと言われた法月美鈴のどちらかだ。

 しかしその二人が爽やかに笑うことがあっただろうか。

「ん? 私の顔に何かついているか?」

「よだれだよ」

「おっと」法月は顔を拭った。「そんなこと、美少女に言うものではないぞ」

 法月は確かにぞっとするような美少女だが、いろいろ残念なところがあるからその台詞もジョークになる。

 そんな法月だから、どこか自分と重なるところがある法月だから、僕は今でも法月に対して昔のように「お前」と話しかけることができる。たまにだが。

「法月、お前、覚えているか? 中一の頃、階段踊り場にたむろって俺たち一班が話し合っていたことを」

「今、『俺』って言ったな、生出おいでの記憶を取り戻したのか」クックックと法月は不気味に笑った。

 そうだ、こういう笑い方をする奴なのだ。

「中二病が再発したのならあたしのことも『王女様』と呼ばないとな」パーティーのことを言っているのだ。法月はとかとか言われていた。

「――手癖が悪いユマが魔法師、すぐにキレるアカネが剣士、そしていつも場を支配するイズミが魔王だった。懐かしいな。あたしたちの黒歴史だ」

「黒歴史の認識はあるんだな」

「そりゃそうだろ、二学期には二班のリノやイツキが台頭してきて、あたしたちの天下はすぐに終わった。アカネとイズミがブチキレて殴り合いの喧嘩を始めるし」

 身体能力が高いアカネと高原は絶対に折れない。僕はあの時、女子が取っ組み合いの喧嘩をするのを初めて見て震えおののいたのだ。

「あの二人に罪はなかったのにな。一班の成績を落としたのはお前とあたしだ」クックック、と法月はまた笑った。

 やはり違う。違うのだ。夕日を浴びても法月はあの残像にはならない。


 放課後、僕は法月のりづきを階段踊り場に連れていった。

「なんだ生出、こんなところに連れてきて。もしやお前、このあたしに……」

 僕は踊り場の窓を背に法月を立たせてみた。

「……お前の気持ちは嬉しいが、その、なんというかタイプじゃないんだな」なぜか法月はもじもじしている。

「法月、今、夕日は射し込んでいるか?」僕は訊いた。

「わかったよ、一緒に夕日を見れば良いんだな」法月は後ろを振り返った。「て、夕日なんか射すわけないだろ。まだ四時にもならない」

「じゃあなんであの時、夕日が射し込んでいたんだ?」

「は? 意味不明イミフだな」

「確かに射していたんだ。でなければあんな場面が頭に残らない」

「はあ」法月はため息をついた。「何を勘違いしているのか、って勘違いはあたしか。とにかくあたしにわかるように言ってみな」

 僕は記憶に残り時々思い出す場面を法月に言った。


 今でもたまに思い出すのだ。

 あの日、見上げた階段の踊り場、夕日に照らされ笑っていたのは誰だっただろうかと。


「なるほど」

 法月はしばらく真顔になっていた。ぞっとするほど美しい法月美鈴の姿になって。

 そしていつもの不気味な笑みを浮かべた。

「クックック」

「何がおかしいんだ?」

「あたしもいろいろ思い出したんだ。そもそもなんであたしたちはこんなところでたむろってたんだ?」

「一班の打ち合わせじゃないか」

「打ち合わせなら教室でもできるだろう」

「それは……」僕は息を飲んだ。

「教室でできなかったからだ」法月は言った。「成績は落ちる一方、それでも班分けは変わらなかった。水沢先生の方針で。きっと水沢先生はあたしたちの奮起を促したかったのだろう。しかしイズミとアカネはともかく、あたしやお前、そしてユマもそこまで必死になれなかった。プライドだけは高かったあたしたちはクラスメイトに知られぬよう何度も話し合いを重ねる必要があった。それがこの踊り場の会議だ」

 そうだった。僕はようやく思い出した。決して楽しいお喋りではなかったのだ。

「秋も深まり十二月になっていたかもしれないな。その頃には放課後に夕日が射し込むこともあっただろう。そして真剣に話し込んでいる時に、六人目が現れたんだ」

「六人目?」

 一班の五人以外にもう一人女子がいたというのか?

 そんなことがあったら覚えているだろう。

「六人目はたびたび現れたよ」法月は言った。

 僕が信じられないと思っていたその時、階段を上ってくる人影があった。

 僕はぎょっとしてその方を振り返った。

「あら生出くんと法月さんじゃない。こんなところで立ち話?」

 それは古文の水沢先生だった。

「あれ、ひょっとして大切な話をしていたの? お邪魔だったわね。でも生徒同士の恋愛は校則で禁止されているから気をつけてね。私は見なかったことにするわ」

「そういうのじゃないです」コミュ障の法月は僕以外が相手だとからっきしダメだ。下を向いて目をそらしている。

「そういえば昔、中等部の一年の頃だったかしら、あなたたち一班の生徒五人が集まってよくここで立ち話をしていたわね。二班に負けないよう円陣を組んで話し合っていたのでしょう? 青春ね。とても懐かしいわ」

 そう言って水沢先生は爽やかに笑った。

 僕はその笑顔をまともに見られなかった。

 夕日ではないが外の光が水沢先生の髪に当たって頭の稜線が輝いていた。

 嘘だろう、これって……

「生出くんも法月さんも授業中は寝ちゃダメよ」

「はい」法月は返事をするだけだ。

「じゃあね、私は校内見守りよ」水沢先生は階段を上っていった。

「クックック」法月が不気味に笑う。「思い出したか? 六人目」

 僕は何も言えなくなっていた。


 今でもたまに思い出すのだ。

 あの日、見上げた階段の踊り場、夕日に照らされ笑っていたのは誰だっただろうかと。


(了)

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あの日、夕日に照らされ笑っていた君は はくすや @hakusuya

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