幽霊フェチな入居希望者様に、霊障物件ご紹介いたします

初美陽一

良い物件、ありますよ

 不動産の仲介を副業とする〝正堂せいどう 本道もとみち〟が、深夜という珍しい時間帯に、五階建てマンションの四階、その最も奥まった部屋の前で立ち止まる。

 目的は、〝住宅の内見〟だ。


 ビシッ、と決めたスーツはまるで喪に服すかのような漆黒。

 スキンヘッドにサングラスと、楽器の一つでも持たせれば、ちょっとしたロックミュージシャンにでも見えるかもしれない。


 しかし20代後半という若さにして、礼儀正しく達観してさえいる彼、本道もとみちが――軽く振り返り、ついて来ていた人物に静かな口調で声をかける。


草薙くさなぎ葉子ようこさん――本日はお越し頂き、誠にありがとうございます。こちらのお部屋が、ご案内する物件です」


「……は、はい……その、よろしく、おねがい……します」


 伏し目がちに返事した女性は、二十歳前後だろうか、いかにも内気な様子でオドオドとし、大きな胸の前で組んだ両手をもじもじと動かしていた。


 ロングヘア、とはいえ前髪も両目が微かにしか見えないほど長く、肌も透けるほど色白で、人馴れしていない様子が少々心配になる。


 だからこそ本道は、〝怖がりな雰囲気なのに、わからないものだな〟と思っても口には出さず、オーナーから預かっていた鍵で扉を開き――葉子を招き入れる。


「では、どうぞ。こちらが草薙さんご希望の……

 ―――です―――」


 紹介しつつ、先導のために本道が先に入室し、玄関で靴を脱いでから上がると、葉子はすぐ後ろにピタリとついて来た。


 1LDKの間取りで、玄関から廊下を真っ直ぐに抜け――リビングに入った、瞬間。


『……ア、ア、ア゛。……アアア゛ッアアアア゛ア゛』


 部屋の中央、置きっぱなしのローテーブルの上で――白目を剥き、呻くような声を上げ続ける、が。


 紛うことなく―――霊だ。


「! きゃっ……! あ、ああっ……わ、わたし……わたしっ」


 物件を希望していたとはいえ、さすがに恐ろしいのか、本道の背に隠れながら……葉子が言うのは。


「わたしっ…………人見知りで、ちょっと緊張しちゃうんですけど……」


「ハハハ。生首が怖いとかではなく?」


「わ、笑わないでくださいよぅ……まあその、わたし、趣味っていうか……ホラーとか、好きなので……」


「ハハハ、そうでしたね。だからこの霊障物件の内見を希望なさったわけですし」


「は、はいっ。え、えへへ……」


 はにかむように笑う口元は、なかなかに可愛らしく見える。


 まあそれはそれ、と本道は両手を合わせながら、生首の女性に声をかけた。


「どうも、住宅の内見で伺いました。少々お騒がせ致しますが、ご了承ください」


『ア゛ッ! ア、アア゛ア゛アッ………イイヨ………ア゛ア゛ッ』


「わァ……い、意外と礼儀正しいんですね……その、お、お邪魔しますっ……」


『ドーゾ、ドーゾ………アアッア゛、ア゛アアアア゛ッ!!』


 まだおどろおどろしい呻き声は響いているが、特に気にすることもなく、本道と葉子はリビングから廊下へ戻りつつ語り合う。


「どうでした? もしこの部屋をお選びになるなら、先ほどの彼女とはご一緒することになる、と思いますが……」


「い、いえいえ、さっき言った通り、わたし、人見知りなので、むしろちょうどいいかも、です……幽霊で生首だけ、くらいのほうが。なんなら一番怖いのって、生きてる人間だと思いますし……ちょっと変わったルームシェアと考えれば、ぜんぜんっ」


「ハハハ。前向きながらしっとりと闇を感じるご意見、恐縮です。まあそうですね、いざとなったら、呻き声のような音の出る前衛的なオブジェとでも思って頂ければ。……おっと、次は洗面所ですね、さて……フム」


 リビングや浴室と違い、ちょうど日に当たりにくい場所、電気がいていてさえ微妙に薄暗い――洗面台の前で、葉子が蛇口をひねると。


 流れてくる、水、と共に――ぼとり、乱れて絡み、一塊ひとかたまりとなった長い髪が。


「! 正堂さんっ……これってっ」


 葉子が慌てて振り返り、本道に問うのは――


「こういうのって、とかは大丈夫なんでしょうか……? 雑菌とか、ちょっと心配になっちゃうんですけど……」


「あ~、霊障そういうのって実体とかないので、平気ですよ。まあちょっとビックリしちゃうかもですけど、ホラーとかお好きな方ならむしろ、楽しめるんじゃないですか? あ、そのまま流しても詰まったりしないので大丈夫ですよ。霊気とかも一緒に流れていくので」


「へ~、そうなんですね~」


 若干、口調も打ち解けてきた気もする葉子が、言う通り蛇口をひねって流し去る。


 続けて風呂場を内見しようとした――瞬間、フッ、と灯りが消え、二人は何も見えぬ暗闇に包まれる――!


「きゃっ!? せ、正堂さんっ、これってっ!?」


「ああ、普通に電球の寿命でしょうねぇ」


「なるほど~」


 洗面所に戻ると普通に明るかったので、早々に風呂場を後にする二人。


 そして最後に、トイレの確認をしようと、扉の前に立つ、と――既に、から、ギチ、ギチ、ギチ、と異音が聞こえてくる。


 鍵もかかっていた、誰か足を踏み入れた痕跡もない、誰もいるはずがない、なのになぜ――といったことを特に気にすることもなく、本道が扉を開けると。


『――ゲ、ヒッ、ゲヒ、ゲヒ、ゲ、ヒィ……ヒキズリ、コンデ……ヤル゛ゥ……!』


「きゃあっ!? せ、正堂さん、これってまさか……!」


「ああ、悪霊ですねぇ。引き寄せられやすいんでしょうねぇ、こういう所は」


「そ、そんな、悪霊なんて、わたし、どうすればいいのかっ……きゃあああっ!」


「あ、大丈夫ですよー。……きてはあァァーーーッ!!」


『ギャアアアアアアッ!! ……ア゛ッ、ア゛ア゛ッ……』


「わ~、すご~い」


 本道の一喝と共にかざしたてのひらから、閃光が迸り――悪霊を一瞬で浄化する。


「あとすごいと言えば、最新型のウォシュレット完備なんですよね~。居心地が良いから、悪霊も居ついちゃったのかもしれませんねぇ」


「わ~、お得~」


 悪霊の浄化と最新型ウォシュレットへのリアクションが同等の、そんな葉子に――玄関先で靴を履いた本道が、結論を尋ねる。


「それで……どうなさいます? こちらの物件、ホラーな雰囲気がお好き、というご希望に適していると思いますが」


「えっ……う、うーん、どうしよう……うう、ごめんなさい、わたし優柔不断で……だから今も、こんな風になっちゃってるくらいで……」


「ハハハ、構いませんよ。……でもそうですね、オススメできる大きなポイントが、一つ」


 人差し指を立て、サングラス越しにウインクしながら、本道が言うのは。


「この部屋……天国に近いあの世へ通じる、霊道が通っちゃってるんです! ですから、ええ……の際は、非常に便利かと」


「! ………………」


 その言葉に、葉子は暫し考え込み、そして――俯きがちな顔を少しだけ上げてから、小さく頷き直した。


「ありがとうございます、正堂さん……わたし、決めましたっ。ここにいただきますっ。じゃあっ」


「そうですか。……ええ、ええ、何よりです。お客様の、今後の生活……というのもおかしいかもしれませんが、より良いものであるよう祈っておりますよ。

 ……ああ、そうだ、最後に一つ」


 人差し指は立てたまま、本道が葉子へと問いかける。


「もし今後、この部屋へのが現れるとしたら……どんな方が良いか、ご希望をお伺い致しますが」


「! ……それ、は……わたし、その……」


 少し、逡巡してから――葉子は、答えた。



「恋を……恋を、してみたいです。

 わたしと似たような、趣味で……

 ちょっと、内気なくらいで……

 気が合いそうな……そんな人と、恋を。

 は……怖くて、できなかったから」



「……それならせっかくですし、生きている人間より、むしろ幽霊のほうがお好きな人……という条件も、付けておきましょうか」


「! そ、そういう人が、いればいいんですけど……でも。……正堂さん」


 最後に、葉子は――その体を徐々にしながら、口元に微笑みを浮かべ、ぺこりとお辞儀しつつ。


『……ホントウ、ニ……アリガト……ゴザイマシタ……―――』


 そのまま――葉子は、見えなくなった――


 ……玄関から出た本道は、鍵を閉め、サングラスを外して扉越しに部屋を見る。


「……うん、ちゃんとこの部屋に憑いたようですね。草薙葉子さん、貴女ののご多幸を、お祈り申し上げます」


 本道について来て――いや、来ていた彼女に、手を合わせて一礼してから。


 本道は今回の仕事を終えたことを、依頼主の不動産屋と住宅オーナーにメールし、帰っていった。


 ■  ■  ■


 大きな寺院の本堂を抜けて、庫裏――つまり住まいである建物の廊下を歩くのは、若くして立派な僧衣を纏った正堂せいどう本道もとみち

 外出時はため着けているサングラスも、今は外している。


 副業ではない、の姿で、本道が客間へと入ると。


「……あっ、す、すいませんっ。お忙しいところ、お邪魔して……」


 内気な様子ながら礼儀正しそうな青年が、崩していた足を慌てて直し、座布団の上に正座する。

 対面の座布団に座った本道が、にこりと柔和な笑顔を見せつつ語り掛けた。


「どうぞ、楽な姿勢になさってください。さて、御用件ですが、電話で伺っております……〝住宅の内見〟がご希望、とのことで。……不動産屋さんから、こちらへ連絡を頂いた、ということは……、ですね?」


「あ、はいっ! えっと僕、来月の四月から、大学に通うため実家を出るんですけど……えっと、しょ……初対面の人にこんなこと話すの、恥ずかしいんですけど……僕、昔からホラーとか、好きで……特にその、幽霊とか大好きで……なんて、言われちゃうくらいで……」


「なるほど。いえ、お気になさらず。人の好みは人それぞれ、誰しもそういう部分は持っているものです。恥ずかしがることなどありませんよ」


「そ、そうですか? ……あ、じゃあ、その……」


 本道の達観した、それでいて柔和な雰囲気に安心したのか、ついつい青年が告げた正直な気持ちは。


「……せ、せっかくだから、幽霊が……美人だったり、可愛かったりしたら……う、嬉しいな~……なんて」


「ハハハハハ」


「ちょ、笑わないでくださいよ……正堂さんも男なら、ちょっとは、その……わかるでしょ?」


「いえ自分、そうですから」


「そ、でしたね……」


 言いつつ、顔を真っ赤にしながら俯く青年の、内気な様子に。


 うんうん、と頷きながら、本道は告げた。




「良い物件、ありますよ」




 ― end ―

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