裏窓
リュウ
第1話 裏窓
僕は、三十階のマンション住宅の内見に来ていた。
「二十階ですが、眺めはいいのですよ」
不動産屋の社員が、重めのカーテンを開ける。
大きな窓から、光が部屋の中に差し込む。
社員は、外に目をやると一瞬顔をしかめた。
その原因はすぐにわかった。
この窓からの展望は、百八十度開けた景色ではなかった。
向かいに同じ高さのマンションがあったからだった。
距離はあるのだが、視界を妨げていた。
「カーテンは遮光性だし、保温性もあるので快適ですよ」
カーテンをタッセルで束ねると終わると僕の顔を伺った。
「あれっ、お客様。以前、向かいのマンションの内見しませんでしたか?」
記憶を探す顔で僕の顔を見た。
「いいえ、初めてです」
「そうですか……私の思い違いですね」
社員は、考えるのをやめて目を向かいのマンションに移した。
「見晴しの良い物件をお探しですよね……。
ちょっと、あのマンションが邪魔ですかね」
向かいのマンションに視線を向けながら小声で言った。
僕は向かいのマンションを見回した。
高さは、このマンションと同じだ。
こちらに窓を向けているので、動いている住人が見えていた。
<そうじゃなくちゃ>と僕は心の中で呟いた。
「天体観測が趣味なんですよね」
「いや、観測なんて立派なものじゃなくて、鑑賞とか観望で見て楽しむだけです」
<そう、見て楽しむだけ>
「いや、大丈夫じゃないかな……」と僕が呟くと社員は「そうですか」と安心した笑顔を返した。
僕は、この部屋に決めた。
引っ越し荷物を解くのに時間がかかった。
この作業は、何度やっても時間がかかる。
カーテンを開ける。
外は暗かった。時計をみると二十二時を回っていた。
今日はここまでにしようとソファの背に腰を乗せて外を見た。
夜景が綺麗だ。
街頭が道路を照らし、信号が赤と緑の灯りを点滅させる。
丁度いい街だ。
向かいのマンションに眼を移すと、カーテンを引かない窓が見える。
僕は、荷物の中から天体望遠鏡を取り出して、部屋の明かりを全て消した。
独り身の僕の楽しみ。
”家庭鑑賞”
僕はなぜか、一人になる。
学校でも、会社でも、気が付くと一人だ。
別に困ったことがないので、気楽と言えば気楽だった。
時々、たまらなく寂しくなることがある。
結婚しておけば良かった。
家庭を持てば良かったと。
でも、それは一時的なもので、すぐに一人で良かったと思うのだ。
しがらみが嫌い。
気を使うのがいやなのだ。面倒くさいのだ。
だから、寂しくなったら、こうやって望遠鏡で他人の部屋を覗く。
その家族の一員になった気持ちを味わうのである。
他人の部屋を覗く、そんな映画があった。
ヒッチコック監督の「裏窓」。
足を骨折したカメラマンが、退屈しのぎに向かいのアパートの住人を見ていると見てはいけないものを見てしまうという話。
多分、自分も何か刺激が欲しいのだろう。
何日か過ぎた時だった。
いつものように、部屋の明かりを消して、他人の家庭を覗いていた。
この高さになると、住人は油断していて、カーテンを引くのを忘れる。
または、しない。
テレビを見ながらくつろぐ家族。
遅くまで勉強している学生。
下着姿で部屋をうろつく人。
色々である。
向かいのマンションに視線を映す。
大体、やっていることは変わらない。
私の部屋と同じ階を左端から望遠鏡で覗いていく。
真ん中の部屋は、空き室なのか灯りがない。
その時だった。
開き部屋で何か光ったのだ。
望遠鏡で注意深く部屋を覗く。
誰か居る。
目を凝らす。
僕ははっとした。
こちらを望遠鏡で覗いているヤツを見つけた。
じっと、覗いていた。
お互いに覗きあっていたのだ。
辛うじて動きは分かる。
相手は、何か取り上げこちらに手を向けたようだ。
<危ない!>
僕は、咄嗟に望遠鏡から目を離した。
予感は的中した。相手は、こちらにレーザーポインターを向けたのだ。
望遠鏡に照射されたら、失明するところだ。
「ふざけるなぁ」
僕は、誰もいない部屋で叫んぶと部屋を飛び出していた。
そう、向かいのマンションの二十階の真ん中の部屋だ。
<ふざけるな!ふざけるな!ふざけるなぁ!>
僕は、怒りに震えながら向かいのマンションを目指した。
近くだと思っていたマンションは、意外と距離があった。
マンションの入り口に着いた時は、息が絶え絶えになっていた。
深呼吸し、息を整える。
郵便受けから、その部屋は、2005室とわかった。
エントランスにあるインターホンで部屋番号を呼び出した。
「はい」男の声だった。
「向かいのマンションの者ですが、あなたと会って話したいことがあります」
僕は、なるべく冷静に声を整えて言った。
応えが遅い、「聞こえてますか?」強めの声で言った。
「ああ、分かりました。どうぞ」
自動ドアが開いた。
僕は、エレベーターで二十階まで昇り、部屋インターホンを鳴らした。
反応がない。
僕は、ドアノブに手をかけ、回してみた。
鍵は開いていた。
ゆっくりとドアを開け、靴を脱いで部屋の中に入って行った。
内ドアを開ける。
中は暗い、ぼやっと家具の影が見えた。
窓辺に人が居る。
「あのう」僕は恐る恐る声を掛けた。
「向かいのマンションに住むものですが、私の部屋を覗いてませんか?」
その人は、ゆっくりと立ち上がり僕の方に振りむいた。
「あなたも覗いてましたね」
そういうと、部屋の明かりが付いた。
眩しい、灯りに眼が慣れるように瞬きしながら、その人を見た。
僕は声が出なかった。
そこに居たのは、僕だった。
その人は、ゆっくりと歩いて来て、僕と向かい合った。
「会ってしまいましたね」そういうと微笑んでいた。
僕は、状況を飲み込めずにいた。
「いやぁ、お互い、似ていますね。
恰好も似ているから、性格も考え方も全て似ていることでしょう」
僕は、何が何だかわからない。
「都市伝説、聞いたことがあるでしょう。
ドッペルゲンガーに会うとどうなるか」
僕は、その場にへなへなと崩れ落ちていた。
裏窓 リュウ @ryu_labo
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