とある霊感持ち不動産スタッフの日常

陽澄すずめ

(首吊りアパート編・前日譚)

「マジでこの部屋で出るんかー」

「うええ、なんかゾクッとする気がするー」


 スマホを構えて部屋じゅうを撮影する騒々しい若者二人組を尻目に、不動産スタッフの男・大黒だいこくは気付かれぬよう溜め息をついた。

 この築三十五年のアパート『メゾンソレイユ』の203号室は、一年半ほど前に二十代の会社員の女性が自殺した、いわゆる事故物件だった。


「やっぱ口コミで書かれてた通りだったわー。頼み込めば事故物件紹介してくれる不動産屋だって」

「……可能な限りは、お客さまのご要望にお答えするつもりです」


 一般に、事故物件の紹介はなるべく避ける不動産屋が多い。入居者と物件オーナー双方のトラブルを仲立ちしてしまうリスクがあるからだ。

 大黒は自分の父親の経営する『大黒不動産』の営業担当者である。この若者の言う通り、どうしてもと粘る客には曰く付きの部屋も紹介するようにしている。客のニーズを汲んだ対応を、というのが店主である父親の方針だった。


 しかし、今回の客のニーズというのが。


「ガチの心霊動画撮れたら、めちゃ再生回数上がるっしょ」


 二人組は動画配信者であるらしい。ふざけた動機だと思ったが、あまりにしつこいのでひとまず内見に連れてきた。

 この部屋は、某事故物件サイトに心霊現象ありと書かれたアパートだった。


 一見すれば何の変哲もないワンルームを、大黒はぐるりと見回す。そしてある一点でぴたりと視線を止めた。

 くだんの女性は、洋間とキッチンを隔てる扉のノブに引っ掛けたタオルで首を吊って死んだ。

 ちょうど、その辺りに。

 

 大黒には霊感があった。そこまで強い力ではないが、不可思議な存在の気配がぼんやりしたモヤのように視えるのだ。


「あのー、お兄さーん。どうしたんすかー?」

「……いえ」

「あっもしや、その辺に霊がいるとか?」


 大黒はノンフレームの眼鏡のブリッジを押し上げた。


「私の口からはお答えしかねます」


 どうせ説明したところで、彼らにはそれが事実かどうか確認するすべもないだろう。

 大黒の素っ気ない言葉で、二人は逆にテンションを上げた。


「あーこれ、ガチのやつっぽいってことじゃん!」

「もう撮れ高確実じゃね?」


 ああ、下らない。品性を疑う。仮にも人一人が亡くなった部屋なのだ。どんな理由であれ、死者を冒涜していいはずがない。


 不意に、肌の粟立つ感覚が強まった。ドアノブ付近のモヤも一気に濃さを増す。大黒は思わず声を漏らした。


「あ、」


 パチン!


「えっ?」

「何っ⁈」


 静寂が訪れる。だが、それも一瞬のことだ。


「えっ、えっ、もしかしてラップ音?」

「ヤバイヤバイ、今のも録れたかな?」

「お兄さん、ここって他にどんな心霊現象が起きるの?」


 騒がしい二人とは対照的に、大黒は冷えきった声で告げる。


「玄関の鍵が勝手に開きます」

「え?」

「玄関の鍵が勝手に開きます」

「マジ? それはどういう……?」

「ポルターガイストの一種でしょう」


 事故物件は事案の発生後三年程度は顧客に対する告知義務があると、宅地建物取引業者のガイドラインで定められている。

 この部屋を借りようとする者に対して、正確な情報を提示する必要があるのである。


「えっとすんません。ネットの方で、自殺した女性がストーカー被害に遭ってたっぽいって書き込みがあったんすけど、そのストーカーって捕まってるんすよね?」

「さあ。私どもはあくまで物件そのものの情報を管理する立場ですので」


 若者二人は急に大人しくなり、互いに顔を見合わせている。今、彼らの脳内ではさまざまな憶測が飛び交っていることだろう。

 勝手に開く鍵。野放しかもしれないストーカー。女性が死んで二年半経過してもなお、その現象が止まない部屋。幽霊より、生身の人間の方が分かりやすく恐ろしい。


 大黒はさらに畳みかける。


「このようにいろいろと不都合のあるお部屋ですので、家賃はお安くご案内できます。契約期間は二年ですが、半年以内に解約されますと違約金が発生しますのでご注意くだ」

「あーっ、ちょっと、ちょっと待って!」


 見積書を表示させたタブレットを差し向ける前に、遮られた。


「すんません、やっぱやめときますっ」

「承知しました」


 二人が逃げるようにその場から立ち去った後、大黒は死者に向けて静かに手を合わせた。

 部屋を出ると、アパートの外で草むしりをしていた六十代ほどのふくよかな女性が声をかけてきた。この『メゾンソレイユ』の大家だ。


「あの、大黒不動産さん……今回もダメだったのかしら」

「大家さん、いつもお世話になっております。先ほど内見の最中にも心霊現象がありました。やはり一番のネックは鍵のことのようです」

「やっぱりそうよねぇ……」


 大家は肩を落とし、哀しげな顔をした。


「あの子、まだ成仏できずにあの部屋にいるのね」


 あの子とは、自殺した女性のことである。どうやら生前に交流があったようだ。


 鍵の開く現象の発生時、アパート敷地内に設置した防犯カメラの映像に不審人物の姿は確認されていない。

 つまり、間違いなく霊が起こしている現象なのである。


 あの無作法な若者たちに荒らされなくて良かった。霊も、大家の気持ちも。


「宜しければ、霊的特殊清掃を手配することも可能ですが」

「霊的特殊清掃って?」

「あの部屋には霊の念が染み付いています。その魂を然るべき方法で天に還し、部屋を元通りに浄化するのです。専門の除霊業者がおりますので、そちらを派遣します」


 大黒不動産は、表向きはごく普通の街の不動産屋さんだ。粘れば事故物件を紹介してくれると口コミに書かれている。

 しかし、事故物件のオーナーからの希望に応じて霊的特殊清掃を手配していることは、あまり世間に知られていない。


「それをしていただいたら、あの子の魂もちゃんと成仏できるのかしら」

「腕の確かな業者をお呼びします」

「じゃあ、お願いしようかしら。いつも悪いわねぇ、いろいろとお気遣いいただいて」

「いえ」


 頼りにしている女性除霊師がいる。真面目で冷静で、細やかな取り回しもできる人だ。彼女に頼めば、上手く浄化してくれるだろう。


 大黒は一つも表情を変えることなく、眼鏡を押し上げた。


「仕事ですので」


 霊感があること。家業が不動産屋であること。どちらも大黒にとっては当たり前のことだった。

 だから、こうした業務もごく当たり前の日常なのである。


 さて、次の内見客の予約の時刻が迫っている。大黒は社有車に乗り込み、帰路に着いた。



—了—



※『ゴーストハウス・スイーパーズ』本編に続く!

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