【KAC2024②】この物件、内見させて欲しいんです

一式鍵

不動産屋勤務・皆川公安の目撃証言

 最近は暇だった。引越シーズンを無事に乗り切った俺たち、徳川不動産の社員はちょっとだけ気が抜けていた。それほど大きな会社でもない俺たちの会社は、いわゆる「アットホームな職場」である。


 労基法は常にギリギリセーフだったし、パワハラももみ消せる程度のものしかない。女性が強いのでセクハラは趣味の悪い逆セクハラしかない。天国のような仕事場だ――新卒入社から三年程度の俺の感想ではあるが。


 もうまもなく閉店時間――窓口当番だった俺は書類を片付け始めていた。自動ドアが開くと、そこには見目麗しい、いや皮肉でも何でもなく、文字通りに俺の目を釘付けにするほど美しい推定二十代半ばの女性が立っていた。


 漆黒のロングヘアは自然に流されていたが、数メートルの距離を隔ててもなおよく手入れの行き届いた髪だとわかる。肌は雪のように白く、目鼻立ちはコーカサス系の血が入っているのかと思われるほどはっきりしていた。色素の薄い目は大きく、整った眉との相乗効果で、吸い込まれそうなほどだった。実際、その目で見つめられている俺は「いらっしゃいませ」すら言えずに固まっている。


 身長はざっくり百六十センチ前半だろう。俺より十五センチほど低いとみた。体型は細身だが恐らくの範囲に収まる。


 ちょっと変わってるなと感じたのはその服装だ。上半身は男物の暗黒色の革ジャケットで完全に覆われていて、下半身は黒いレザー生地のロングスカート、足元は丈の長さは分からないが同じく革の、しかもベルト付きのブーツだ。髪とジャケットに隠れているのか、ピアスもネックレスも見えない。その白くて細い指にも指輪の類はみえなかった。そして彼女は、大きめのキャリーケースを引っ張っていた。こちらも色はまごうことなき黒だ。


 つまりのこの方、黒と白、そして唇の桃色以外の色がない。独特のファッションセンスだと思った。


「あのー……」


 彼女は俺を見て、それからお客様用の椅子を見た。その時になって俺はようやく本来の仕事を思い出して、「いらっしゃいませ」と告げ、その椅子をすすめた。


「部屋を探しに来ました」


 うん、そうだろうそうだろう。この徳川不動産、ほとんど唯一の仕事が部屋を手配することだ。俺は相槌を打って、部屋の希望を聞き出した。


 地区、間取り、家賃はこの辺では標準的な範囲――つまり多くの物件が該当する。女性にも安心なオートロックだったり二階あるいは三階以上だったり、キッチンが、風呂トイレは、ペットは……と条件を絞っていった結果、今すぐ案内できる物件が一つだけヒットした。そう、彼女、絞り込みの段階で意外と細かく注文してきたのである。


「あの、皆川さん」


 彼女は透き通った、しかし一本筋の通った声で俺の名を呼んだ。名乗り遅れたが、俺は皆川ミナガワ公安キミヤス。社内では「公安こうあん君」などと呼ばれている。一部、お局様からは「ハム安君」と呼ばれていたりもする。何とかという漫画由来だと言うが、俺が生まれる前の漫画の話だったと思う。


「この部屋、今から見に行けませんか?」

「今からですか?」


 露骨に嫌な声が出てしまった。今日は定時退社する気満々だったのだ。ちなみに俺のいう定時というのは、残業二時間つけ後くらいの時間だ。残業代が出るかどうかは――社長の次第だ。


 俺は壁掛け時計を一瞥し、一瞬の内にいろんなことを考えて、彼女――瀬川セガワ歩歌アユカに営業スマイルを向けた。


「大丈夫ですよ。近くですし。では車を手配しますので、少々お待ち下さい」

「お願いします」


 そして俺は不動産屋のロゴの入った車を入り口に移動させ、中で待っていた瀬川さんを呼ぶ。瀬川さんはキャリーケースをガラガラと引っ張って車に移動する。キャリーケースはトランクに入れようかと思ったが、瀬川さんは断固拒否した。


「大事な物が入っているので」

「わかりました。それでは向かいましょう」


 念のために言っておくと、内見は女性社員と一緒に行くこともできるという提案はしてあった。が、瀬川さんは俺でいいと言った。何やら急いでいる様子で、少しそわそわとしているのが気になった。


 内見対象は車で十分かからない場所にあった。小綺麗な単身者用賃貸マンションで、立地や間取りを考えるとかなりオトクな物件と言えた。


「ここか……」


 瀬川さんは駐車場からその白い建物を見上げて言った。薄暮を過ぎた時分に見せたその横顔に、俺は一瞬見惚みとれかけた。しかしすぐに我に返った俺は瀬川さんを中に案内する。


 オートロックを解除し、中に進み、エレベータで四階まで上がり……と進んでいく内に、瀬川さんの足取りは目に見えて重くなった。


「体調でも?」

大丈夫です」


 まだ?


 俺はその言葉に引っかかったが、立場上、無理にどうこうすることもできない。でも倒れられでもしたら面倒だなとは思った。


 内見対象の部屋は四〇三号室。


 確かこの部屋は半年前に空いたんだよな。以前は若い女性が一人で暮らしていたらしいけど、契約期間満了前に、急に引っ越したという情報があった――こうなると敷金が返ってこないから、何か特段の事情でもあったのだろうか。


 ドアを開けると――暗かった。それもそうだ。世間一般にはすでに夜だ。俺はブレーカーを上げて廊下の電気をつける。有り難いことに照明は備え付けだ。


 後ろで物音がしたので振り返ると、玄関に上がった瀬川さんはキャリーケースをゴソゴソとやっていた。


「どうしました?」

「いえ、備えが必要で」

「備え?」

「私、霊感が強くて」

「れ、霊感、ですか?」


 正直、俺は霊感というものを信じていない。オカルト、妄想、思い込み、注目を浴びたい願望、そういうものをわかりやすく結実されるものがだと、俺は思っている。そもそも霊なんて科学的に説明のできないものをどうにかできると考えるのは、正直ちょっとアレだ。


「今、疑いましたね?」

「え、いえ、そんなことは。それでこの部屋には霊がいるんですか?」

「います」


 瀬川さんが手にしているのは人のような形の紙だ。


「それは式神ですか?」

「よくご存知ですね」


 瀬川さんは紙切れを放り投げる。それはまるでのように廊下からリビングの方へと飛んでいき、一番大きな窓のガラスにピタリと貼り付いた。


「これは悪業罰示式神あくぎょうばっししきがみです。かつて私が退治した悪霊を使役しています」

「は、はぁ……」


 何がなんだか分からないが、今の式神とやらの飛行機動は明らかに不自然だった。しかもどういう原理か窓ガラスに貼り付いて、しかもなんか光っている。


「この部屋に巣食う悪霊を逃さないように見張ってもらっています」

「あなたは最初からこの部屋に?」

「ええ」


 瀬川さんは頷いた。道理で条件が細かったわけだ。


「不動産屋さんなら内見名目でスムーズに入れると思って。ごめんなさい、利用してしまって」

「お客さんじゃないなら帰りますよ」


 俺はそう言ったが、それは怖かったからだ。ゾクゾクして腕には鳥肌が立っていた。心なしか呼吸も苦しい。


「皆川さんは極力動かないでください。今は私の力で隠していますが、下手に動くと見つかります」

「そ、そうなんですか。部屋から出るわけには」

「ここはもう結界の中です。出られません」


 なんてこった。


 ――瀬川さんの妄言であることを祈りたい。


 とはいえ、そうと言われてしまっては俺の足は動かない。照明がバチバチと不自然な明滅を繰り返し始めた。瀬川さんはいつの間にかその両手に札のようなものを何枚も持っていた。


「この部屋の前の住人は宇喜多ウキタ秀香ヒデカさん。先月自殺しました。その前の住人は大宮オオミヤ蛍汰ケイタさん。彼も部屋を出て半年程度で自殺しています。その前の住人は有栖川アリスガワ紗千花サチカ。彼女は存命」

「自殺……」

「物件を出た後の元入居者の所在なんて追えませんからご存じなくて当然です」


 瀬川さんはそう言いながらもテキパキと札を床に並べていく。置かれた札と札の間に白い輝きが走り、瀬川さんはその中央に立った。


「私の霊感、信じてもらえますか?」


 瀬川さんの美しい微笑みに、俺はぎこちなく頷いた。確かに目の前に起きていることは手品のような代物ではなかった。俺の常識というものを完全に覆す、何かだ。


「紗千花は私の姉弟子のような人でした。が、五年前に失踪しました」

「五年前というと、その紗千花さんがここを出た時、ですか?」

「そうです。そして今も行方不明」


 それがまたなんでこの部屋に霊なんかを?


「ここにいるのは紗千花の残滓ざんし――残り香のようなものです」

「紗千花さんが行方不明になった時の情報を集めれば、もっと早くここに来られたのでは」

「いえ」


 瀬川さんは首を振る。床からの発光に照らされた彼女はいっそ神秘的だった。天井の照明はとっくに消えている。


「彼女によって巧妙に隠されていました。私たち陰陽師の目をあざむくのは、彼女には簡単なことだったようです」

「それで、ここに来るまでに五年もかかったと」

「二人も犠牲者を出してしまいました」

「自殺はこの部屋のせいだと」

「ええ。霊障はの悪い風邪のようなものです。私たちを頼る以外に治療方法がないので、自然治癒もせず、徐々にむしばまれて死に至ります」


 なんという恐ろしいことだ。俺はもうすっかり彼女の言葉を信じていた。


「皆川さん、ここで目にしたことは秘密にしていただけますか」

「それは命令ですね」

「ええ、命令です」


 瀬川さんの瞳がギラリと光った。ナイフの切っ先のようなその輝きに、俺は喉を鳴らす。喋ったらただでは済まないぞ――彼女はそう言っていた。或いは霊障を起こされるかもしれない。瀬川さんと俺の力関係は、いまやもう明白だった。


 瀬川さんは「フッ」と緊張を解すような息を吐くと、突然表情を引き締めた。


「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・前・行――!」


 バチバチと床から音が鳴る。部屋の隅っこでしゃがみこんでいた俺が転倒しそうになるほどの衝撃が伝わってくる。床の五芒星の文様から発された輝きはやがて空中に、俺と瀬川さんの延長上、つまり部屋の反対側の隅に集まった。


 それは巨大な顔――女性のものに変じていく。人間大の光る生首が生じていた。


「紗千花!」


 瀬川さんは呼びかけながら、もう一度九字を切った。そういえば「皆陣列在前」だと思っていたが、瀬川さんは「皆陣列」と言っていた気がする。


『歩歌か。やはりあんたが最初に来たねぇ』


 生首が喋る。俺は身動きができない。指先一本でも動かしたら気付かれる。


「紗千花、あなたは今どこにいるの。どうして霊障を振りまくような真似なんて!」

『私は別に悪事を働いているわけじゃないさ。発されるべきおこりを解放しているだけさ。さもなくばこの世界はいつかそんなよどみが膨れ上がって破裂してしまう』


 生首が輝いたかと思うと、普通の成人女性の姿になっていた。


「式神……!」

『そ。今、私は遠くからあんたたちを見ているのさ』


 挑戦的なその顔は、瀬川さんより少し年上のようだ。全身が薄緑色に輝いているから、ショートボブの髪型以外の細かいところまでは見て取れない。白装束を着ているように見えなくもない。


「紗千花、あなたはそうやってガス抜きしているだけって言うの?」

『そう、その通り。本来この世界に発されるべきものをそうしているにすぎない』

「無関係な人が死んでいる!」

『運命』


 紗千花は右手の人差し指を立てて振った。


『そうなるべくしてそうなっただけ。それを防ぐことのほうが、この世のことわりからよほど外れている』

「この部屋に住んだ人が二人も死んでいるのよ」

『あんたがここを尋ねてくる日のために置いておいた式神のエネルギー源として利用させてもらったからな。その程度の影響はあるかもしれないな』

「それは人殺しよ!」


 瀬川さんの声の温度が上がっていく。


『現代社会の法律で裁けない以上、犯罪でも何でもないよ』


 確かにそうだ。しかし――。


「国が裁けないなら、私たち陰陽師のルールで裁く」

『それこそ社会のルールから逸脱しているよねぇ?』


 挑発的な紗千花。彼女の言うことはもっともだ。仮に瀬川さんが紗千花をとしたら、のは瀬川さんだ。


「あなたの目的は何なの」

『言っただろう? この世界を崩壊から救うことだよ。抑圧されたおこりたちは、いつか弾ける。その時がこの世界の終わりの始まりさ。それとも歩歌、あんたはそんな未来を望むのかい?』

「いえ。でも、やり方が悪いわ」

『代案を示しな?』


 鋭い言葉に瀬川さんは動きを止めた。


『かつての陰陽師たちは上手くやっていた。ガス抜きというやつをね。でもここ百年ときたらだらしない。社会的以外のすべてを禁忌として、社会に迎合げいごうしながら、いずれくる破滅から目をらしてきた』

「だからって」

『人の一人や二人、どうだというのかねぇ? 放っておけば数万、数百万、あるいは数億の人間が苦しむことになる。大事の前の小事。必要な犠牲だよ』


 その言葉に瀬川さんは手にした札を握りしめた。札たちがクシャリと音を立てる。


「それでも、その人たちに罪はない!」

『その犠牲をためらった結果より多くが艱難かんなんに見舞われるのだとすれば、それが罪だ。私たち力あるものの罪だ』

「それでも私は! 紗千花! あなたの罪を訴える!」

『ははは! 好きにしろ、甘いぞ、歩歌。あんたは昔から甘い。でも、私にハッキリとノーを突きつけられたのもあんただけだった。昔から」


 紗千花は瀬川さんに触れようと手を伸ばした。が、瀬川さんはその手を札で払いけた。バチっと音がなる。紗千花は慌てた風もなくその手を引いた。


『ところでさぁ』


 紗千花は


『そこの男は、一体なんだい?』

「不動産屋さんよ。あなたのことは見えてないと思うけど」

「み、見えてます、けど」


 思わず俺は言った。俺の目の前に紗千花が瞬間移動してきていた。


「嘘……」


 瀬川さんが息を飲む。俺は呼吸すら忘れている。


『あんたの結界内で私の姿が見えている。これはなかなかのじゃないか?』

「術者……?」

『おやおや、私の声も聞こえているのかい』

「さっきから全部……」


 俺は壁にめり込みそうなほど背中を押し付ける。紗千花は俺の前に立つと、すっとしゃがんで視線を合わせて微笑んだ。営業スマイルのプロである俺にはわかる。この笑顔はのそれだ。流されては行けない笑みだ。


 俺は首を何度か振った。


「その人には手を出さないで」

『私は無差別殺人鬼じゃないよ。人聞きの悪い』

「似たようなものでしょう?」

『まぁ、いいさ。この式神ももう活動限界さ。あんたが来た以上、この部屋にもう用はない。追ってくるなら死にものぐるいで探しに来るといいさ』

「紗千花、もうこんなことやめて」

『まだまだ、始まってもいないさ』


 紗千花は壮絶な微笑を俺に見せ、立ち上がる。


『あんたの正義と私の大義、どっちが強いかやってみようじゃないか』

「紗千花、だからっ……!」

『人をまもるっていうことの意味を今一度考えてみるんだねぇ、歩歌』


 床の五芒星が弾けた。札が浮き上がり、青く燃える。


 部屋が暗黒に包まれたと思ったら、すぐに天井の照明が点いた。部屋は何事もなかったかのように綺麗な状態だった。


「これは」

「さっきまで私の結界の中にいたから。元の世界に影響を与えないために。ちょっと危なかったんですけど」


 瀬川さんは早口でそう言った。ちょっと危なかった――ちょっとだったのか? そんな疑問は湧いたが、俺は何も言わないことにした。立ち上がろうとして、足腰に力が入らないことに気が付いた。


「皆川さん」


 瀬川さんは俺に手を差し出した。


「内緒ですよ」

「わかってます」


 俺はその手をとって、どうにかこうにか立ち上がる。瀬川さんは窓のところへ行って、外を見た。四階とはいえ、結構眺めはいい。


「いい部屋ですね」

「この部屋であの人は何を考えていたんでしょうね」

「世界の安寧」


 瀬川さんは寂しげに言った。


「あの人は、です」

「そ、そうなんですか」

「ええ」


 瀬川さんはそう言うと、俺を先導するようにして玄関に向かう。


「犠牲の上に立つ安寧は、虚しいものです。違いますか、皆川さん」

「俺にはその是非はわかりません」


 そんなこと、おとなになってからは考えたことなんてなかった。


「皆川さん」


 エレベータの中で、瀬川さんは俺を見る。


「まだしばらくお世話になります」

「ええっ!?」


 どうしてそうなるの。瀬川さんは微笑み、スマートフォンを取り出して、何やら捜査した。


「実はもう一軒、内見させて欲しい物件があるんです」


 その画面を見せながら、瀬川さんは白々しく言った。


 そこには俺もよく知る事故物件の情報が表示されている。とはいえ、不動産関係者――それも事故物件に関心がある者――でもない限り、そこが事故物件だと知っている者はほとんどいない。事故が起きたのは二十年以上も昔だという話だったし、入居者も入れ替わり立ち替わりしているから、告知義務ももうないのだ。


 皆川公安、二十五歳。俺の無難に終わるはずの人生は、ここに来て激しく脱線してしまったのだ――俺は瞬間的にそう悟ったのだった。

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