ただ、眺めることしか出来ない

澤田慎梧

ただ、眺めることしか出来ない

 「内見」という言葉の起源は、古代中国の故事にあるという。

 越(今のベトナム)の王・内見が、和睦の為に敵国から嫁いできた妃に自ら宮殿を案内し警戒心を解いた、というエピソードに由来する。


 ――もちろん、これは嘘である。

 実際には「内部見学」の略であり、「内覧」とほぼ同じ意味を持つ。

 ようは、不動産を買ったり借りたりする前の下見である。


「あの……お客様?」

「失礼。少し考え事をしていました」


 そう。今、俺はその内見の真っ最中だった。不動産屋の担当者が必死に繰り広げる営業トークがあまりにも退屈だったので、くだらない妄想をして気を紛らわせていたのだが、どうやら没頭し過ぎていたらしい。

 そっと窓ガラスの方に目をやると、薄ら笑いを浮かべたやべー中年男がうっすらと映っていた。我ながら「この顔に、ピンときたら110」というキャッチコピーが似合いそうな人相だ。


 それはさておき。


「ええと、細かい話は特にいいので、『例の件』について聞かせてもらえませんか?」

「――分かりました。あの、先ほどもお話しましたけど、この件はくれぐれもご内密に」

「分かってますよ。他言無用、ですよね」

「……では、順を追ってお話します。、十六年前のことです」


 不動産屋が語ったのは、ありふれた都市伝説のような話だった。

 今、俺達がいるこの部屋――築三十年の五階建てマンション最上階の一室では、定期的に住民が「失踪」するというのだ。

 いずれの場合も、ある日突然、日常の痕跡だけを残して煙のように消え失せるのだとか。


 その数、十六年間の間で実に四人。

 偶然では片付けられない数だった。

 そしてその四人は、いずれも未だ見つかっていない――。


「ある方は会社に遅刻の連絡を入れた後、またある方は夜のゴミ出しで他の住民と挨拶して部屋に戻った翌朝から、行方が分からなくなったそうです」

「それで、その日付というのが――」

「はい。うるう年の二月二十九日なんだそうです」


 二月二十九日を境に住民が姿を消す部屋。

 なんとも魅力的なだった。


「よし、借ります」

「えっ!? 私の話、聞いてましたか? ここ、いわくつきなんですよ?」

「でも、おたくの会社の賃貸物件には違いないんでしょ」

「それは……そうですが」

。とっとと引っ越したいから、早速契約の話をしましょうよ」


 ――そんな訳で、とんとん拍子で契約は進み、早くも二月二十九日の朝がやってきた。


「ほ~ん? 今のところ何もないな」


 リビングでノートパソコンを起動しながら部屋の中を見回す。特に変化はない。

 壁が臓物のように蠢いていたり、窓の外が虹色の謎空間になっていたり、はたまた玄関のドアを誰かがずっとノックしていたりといった怪奇現象は起こっていない。


「なんだ、つまらん。結局いつも通り、『何も起こりませんでした』か」


 言い忘れていたが、俺の仕事はミステリーライターだ。推理の方ではなく、怪奇現象の方の。

 得意分野は都市伝説。中でも事故物件や「いわくつきの物件」巡りの記事では一定の評価を得ていると自負している。


 俺のポリシーは、とにかく現地で取材することだ。それが高じて、事故物件やいわくつき物件に住んでみる、なんて企画をやってたりもする。

 今回の引っ越しもその一環な訳だ。


 ――で、いつもいつも期待外れに終わっている。

 幽霊が出ると噂の部屋には何もいなかったし、ポルターガイストが起こると言われていた部屋は単に地震などの揺れに弱いだけだった。

 こんな商売をしている身分でなんだが、世の中の怪奇現象なんてのは嘘か勘違いかのどちらかしかない。


 今回の場合は……たまたま住人に失踪者が続いただけだろう。

 もしくは、最初の住民の失踪に後の住民が「引っ張られた」か。――あるのだ、人間には。何となくジンクスめいたものに従いたくなってしまう欲求というものが。


「っと、もう昼か。飯でも買いに行くか」


 仕事をしながら部屋の中を観察していたが、結局昼になっても何も起こらなかった。

 まあ、俺の記事は「実際に試してみた」ことが重要なので、何も起こらなくても問題はないのだが。


「今日は何を食おうかな~」


 サンダルをつっかけて玄関のドアを開け一歩踏み出す。

 ――と。


「……おお?」


 ドアの向こうに広がっているのは、ここ数日で見慣れたはずのマンションの外廊下ではなかった。

 そこにあるのは、どこか

 自分の部屋の玄関から外に出たはずが、別の部屋の玄関の中に踏み入っていたのだ。


「お、おおお? これ……なんだ、よ?」


 戸惑いながらも一歩、また一歩と足が勝手に踏み出していく。

 背後で「ガチャンッ」とドアが閉まる音がしたが、気にしてはいられない。俺は今、本物の怪奇現象のただ中にあるのだ。


「お、お邪魔しま~す」


 間抜けとは思いつつも、念のため一声かけながら玄関を上がる。サンダルは念の為、履いたままだ。

 部屋の明かりはついていないが、仄かに明るく視界は悪くない。短い廊下の先にドアが見えたので、それを開く。

 姿を現したのは、やや時代がかったアイランドキッチンを備えたリビングルームだった。


 そこで気付いたのだが、この部屋には家具の類が一切置いていない。まるっきりの空き部屋だ。


「へへ、なんか秘密の内見って感じだな」


 特に意味のない呟きが口から洩れる。

 まあ実際、全くの空き部屋を拝めるのなんて、内見の時か引っ越しの時くらいのものだ。内見しているような気分にもなってくる。


 そのまま、部屋の中を確認していく。どうやらここは、2LDK の部屋のようだ。他の部屋にも家具の類はなく、人の気配もない。

 驚いたのが窓の外で、普通の街並みが広がっているのだが、外には全く生き物の気配がない。

 道行く人も、車も、空を飛ぶ鳥さえも見えない。それでいて空は青く雲は流れ、その下に都会の街並みが広がっているのだから、不気味だ。


 ――なんだか、急に怖くなってきた。


「戻ろ」


 独り言ちながら玄関へと戻り、ドアを開ける。

 そこに広がっているのは、もちろんここ数日間で慣れ親しんだ我が家――。


「じゃない。ここ、どこだ?」


 一瞬にして背中にびっしりと汗が湧き出てくる。

 ドアを開けた先にあるのは、またもや見知らぬどこかの部屋だった。まだまだ塗料の匂いが漂う、新築マンションの一室っぽい部屋だ。


「ちょっ、俺の部屋! 俺の部屋に戻してくれよ!」


 怒鳴り散らしながら、ドアを一旦締め、もう一度開く。

 だが、姿を現したのは、またまた違う部屋。今度は一転、かび臭い時代がかった白壁のぼろい部屋だった。


「ど、どうなってるんだよ! くそっ! ……そうだ、スマホ」


 ポケットのスマホを取り出すが、アンテナは無情の「圏外」表示。ホラー映画じゃ定番の流れだが、自分が同じ目に遭うと本気で血の気が引く。


「おい! ここから出してくれよ!」


 半ば錯乱しながら部屋の中を走り回る。

 ドアというドアを開けるが、俺の部屋には戻れない。

 窓に手をかけるが、びくともしない。無茶苦茶にガラス窓を叩いてみたが、割れるどころかヒビ一つ入らない。


 ――そうして、一体幾つの部屋を巡っただろうか。

 気付けば窓の外の日はとっぷりと暮れて、部屋の中は真っ暗になっていた。当然の如く明かりはつかない。電気が通っていないのだろう。

 窓際に差し込む僅かな月明りと、スマホのライトだけが頼りだ。


 スマホの画面を見ると、既に二十三時を過ぎていた。腹がグゥッと鳴る。そう言えば、昼飯も食べ損ねていたのだった。


「……これ、二月二十九日を過ぎたら普通に戻れるとか、ないかな?」


 誰も答えてくれない問いかけをしながら、床に座り込む。


「……なあ、この『内見』はいつ終わるんだ? これじゃあ『内部見学』じゃなくて『内側から見てるだけ』だぞ。……はは、あまりうまくねーなー」


 我ながらくだらなすぎるダジャレを口にすると、一気に体の力が抜けてしまった。

 疲れた。とにかく、疲れてしまったのだ。

 一休みして、項垂れて。襲い来る睡魔に身を任せると、意識はそのまま優しい闇へと墜ちていった――。


  ***


「――へえ、ここが例の物件ですか。住人が次々に姿を消すっていう」

「はい。四年前にも、怪奇雑誌のライターさんが姿を消しまして」

「ええ、覚えてますよ。結構話題になりましたもん。――その人、まだ見つかってないんですよね?」



(おわり)

 



 

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