第1話 2019年6月1日 有田純平 徳島阿波おどり空港

「送ってくれてありがとう。」


 ビックリマークのつかないいつもの口調で彼女は言った。


「いや、なんて事ないよ。ただお前がいなくなると悲しくなるな。」


 思っているのか思っていないのか、よくわからない変な台詞が出てきた。

 彼女がこの村を、この県を離れたところで僕には何も生活の変化を与えないだろう。とそう自分自身で思っているはずなのに。


 そんなことを知ってか知らずか彼女は返答する。


「そう言ってもらえると何だか恥づかしいような変な気持ちになるね。」

 




 その後も、緩やかな会話のキャッチボールが続いた。

 中学の時に本州に転職した先生もこんな気持ちだったのかねぇ、だとか

 家出はいつまで続けられるんだろう、だとか


 しかし、別れは来るもの時刻は午後6:00 、遂にミットを外す時が来た。


「それじゃあ、またね。」


 いつもの調子で放たれた、彼女からの最後のボールを握ったまま返すことはせず、右手を軽く上げ手を振った。

 そんな僕の調子を見ると彼女は僕に背を向けて、


 リュックサックを背負い直し、

 足を急がせず、

 引きずらず、ただいつものように歩いて行った。


 僕も帰ろうと思った矢先、携帯が軽く振動する。

 通知を開いて見てみると、

 どうやら天然で可愛い僕の恋人の鈴村凛からの連絡だった。


 風が髪を撫でて吹き抜けていった。


 ふと視線をあげ前を向くとそこにもう天塚葵はいなかった。

 人が押し寄せる空港の中、ひとりきりになったかのように錯覚した。



 原付で家に帰る途中、不思議と天塚葵との昔の思い出が蘇って来た。


 小学生の時、合唱の指揮をしていた彼女を。

 中学生の頃、「伊達メガネ、似合うでしょ。」と言ってきた彼女を。

 高校生になって遂に身長が抜かされた時、初めてニコっと笑ったのを見た姿を。


 胸を焦がすようなこの感情は、まさか初恋の残り火だとでも言うのだろうか。くだらない、僕には彼女がいるんだぞ。

 といつもなら一蹴できるのに何故だか今回は出来ない。

 モヤモヤした気持ちを抱えながら僕は家路についた。

 

 家に帰り玄関の扉を開けた時、胃の辺りに錘が乗っかったような気がした。


「?」


 モヤモヤした気持ちも晴れないまま、夕食の時間になった。


 夕食を食べている途中でお母さんが、


「天塚さんのところの娘さんが家に帰ってきてないみたいだけど知ってる?」


 と言った。胸の奥がさらに重くなるのを感じ、


「いや、知らない。まだ8時だし帰って来てないだけじゃない?」


 とそっけなく返事をした。

 なるべくいつものペースを意識して白米を口に放り込む。


「そうよねぇ、天塚さん過保護気味だから」


 少し笑いながらお母さんは続けた。


「女の子だからって夜遊びの一つや、二つしたい年頃だろうにねぇ」


 と言っているのを聞きながら、鳥の唐揚げを箸で取り口に運ぶ。

 噛んだそばから肉汁が溢れ出し口の中に広がる。咀嚼を繰り返すごとに衣のサクっとした感触と鶏肉の旨味が舌を刺激する。メルシーである。


 ……唐揚げに思考を逃げたかったが、無駄だった。


 考えてしまう。


 彼女は、天塚葵は飛行機に乗り組み無事大阪に着いただろうか?


 粉物の国、オオサカへ


 夕食を食べ終え、風呂に浸かり、軽く明日の授業の予習をこなし時刻は既に23:00。胸の内の錘が重くなることはあれど軽くなることはなく、普段より寝付けない夜が始まった。

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天塚葵の初恋 @Saori05

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