捜しています、狭小物件!
来冬 邦子
狭小物件がお気に入り。
「ごめんくだあさい」
外国人のような訛りのある声の主が、店のドアを開けた。
午前中だというのに、今日はこれで六人目だ。三月の不動産屋は繁忙期である。
「はい。いらっしゃいませ!」
受付担当の女子社員が立ち上がって、つばのある帽子を被った男を席に案内した。かなりくたびれたツイードのジャケットと膝の出たズボンを履いている。そしてその骨張った手で大きな額縁を抱えている。
俺は客の向かいの席に移動すると、自分の名刺を素早く差し出した。
「
客は俺の名刺をしげしげと眺めると「後藤です」と、かすれた声で名乗り、疲れ果てた眼差しで額縁の絵を見つめた。俺は絵には詳しくないが、綺麗な青い絵の具がベッタリと塗り重ねられた抽象画だった。
「どのような物件をお探しですか?」
「どのような?」
後藤はううむと唸り、咳をした。
「狭くて小さめで、変わった間取りの家だと思うんだが」
今度はこちらが唸る番だったが、俺は直ぐに
「お客様、もしかすると狭小物件をお探しなのですか?」
「きょうしょうぶっけん、って何だね」
「狭小住宅は土地が狭くて床面積も小さい物件です。購入費用や光熱費なども大幅に安く済みます。わたくしどもでは、狭い土地の形を活かしたユニークな間取りの物件をいくつか御紹介出来ますが」
「おお、なんとご親切な方だ。一緒に探してもらえるのかね」
「もちろんですよ。内見されるのでしたら車でご案内します」
「助かった。地獄に仏とはこのことだ」
後藤は、何度も頭を下げた。
「ではさっそく」
俺は額縁を大事そうに抱いた男を連れて駐車場に行き、社用のベンツに乗せた。
それから三件ほど物件を回ったが、後藤は駅近であるとか築何年かには興味がないらしく、玄関から中をひょいと覗くと「これは違う」とあっさりと言って車に戻ってしまう。何か譲れないこだわりのようなものがあるのだろうか。俺はなるべく顔に出さないように気をつけながら探りを入れた。
「お客様はどのような家をお探しなのですか?」
「それがわからないんだよ」
後藤は困り果てた顔を左右に振った。
「引っ越すとは聞いていたのだが、住所も街の名前も分からなくて」
「え?」
「引越トラックから額縁ごと落ちた時には、途方に暮れたよ」
「ええっ?」
俺は急いでベンツをコンビニの駐車場に停めた。
「今頃、わたしを捜しておるだろうか」
「後藤さん、それって、迷子じゃないですか!」
「そんな大袈裟なもんじゃないよ」
「いや。いや、いや。これは不動産屋じゃなくて警察案件ですよ。しかしトラックから落ちて、よく怪我しませんでしたね。大丈夫なんですか?」
「額縁の角が欠けてしまった」
「そんな小さなこと、どうでもいいですよ」
俺は頭を抱えた。参ったなあ。このまま最寄りの交番に行くしかないだろうな。お客だとばかり思ったのに。
「ああっ!」
後藤が突然大声を出して、目の前の大通りを指差した。
「どうしました?」
「うちのトラックだ。あれ、白いの、あれだよ!」
「しめた!」
俺は咄嗟にエンジンをかけた。トラックはいま信号待ちをしている。俺はコンビニの駐車場からゆっくり車を出すと、走り出したトラックの後を追跡した。トラックはいくつか角を曲がると、新築の一軒家の前で止まった。不思議な形の三階建てで、どうみても完成した狭小物件だった。
俺は後藤の額縁を持ってやりながら、二人でトラックのもとへ急いだ。すると助手席から初老の男が降りてくるや、目を丸くして俺の持つ額縁の絵を見た。
「その絵!」
手を伸ばして額縁に触れる。なぜか、後藤には見向きもしない。
「失礼ですが」俺は腹に据えかねて男を睨んだ。「後藤さんのことは御心配じゃないんですか」
「ああ、これは失礼しました。申し訳ない」
老紳士は恐縮した顔で頭を下げたが、なんだかうわの空だ。
「わたしは古賀と申します。今日、こちらに引越してきたんですが、途中で大事なこの絵を落としてしまって、今も捜していたところなんです」
古賀は俺の手を熱く握る。「ありがとうございました。感謝申し上げます。この絵は贋作だという奴もおりますが、わたしはほんもののゴッホだと信じているんです」
俺はなにも言えなかった。額縁の中を見て言葉が出てこなくなったのだ。そこには美しく渦巻く青色を背景に帽子を被った男が真っ直ぐにこちらを見つめている。俺がたった今まで後藤と呼んでいた男は影も形も残さず消えてしまっていた。
「迷子になったのは、後藤さんじゃなくてゴッホさんだったのか」
俺の一人言に、絵の中のゴッホが微笑んだ。
捜しています、狭小物件! 来冬 邦子 @pippiteepa
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