愚女~ナンパ、痴漢、セクハラされたい~
ゆきとかげ
「中絶するから、妊娠させて」
若い頃は山口百恵さんや高田みづえさん似とちやほやされ、地元ではアイドル気取りだったという美人な母と、女中さんもいた名家育ちの不細工な父の間に生まれた私は、顔が父の方に似てしまった。もしも母に似ていたら、これまでの私の黒歴史は存在しないだろう。
1歳過ぎた頃から、男の子と間違えられることが多かったらしい。当時の写真を見返してみるとたしかに男の子に見える。赤いワンピースとか女の子らしい服を着せられても全然似合ってないし、短パンにTシャツという男の子のような服装の方がしっくりしてた。
物心つくと男の子に間違えられることが嫌になった。女なのに男と勘違いされることが恥ずかしかった。女の子に見られるように、リボンとかフリルのついたかわいらしい服を着たところで似合わないし、そういう服を着たいという欲求さえすでに失せていたのか、欲しがった服は男の子向けアニメのスウェット上下セットだったらしい。キレイなドレスを人形に着せて遊ぶのは大好きだったけど、それは自分には似合わない服と幼いうちから悟って生きていた気がする。
入学式や卒業式でしかスカートをはかなかったから、「スカートめくり」をされたこともない。日常的にスカートをはいていたとしても、スカートめくりしてくる男の子はいなかったと思う。そういうことをされるのは決まってかわいい女の子だから。
母もショートカットだし、子どもなのに髪質そのものが剛毛だったため、私はいつもショートカットで伸ばしたことがなかったから、ますます男の子に見えたと思う。私は異性から、女の子扱いされたことがなかった。
見かけは男の子だというのに、発育の早かった私は、小2で初潮を迎えた。体毛が毛深かったし、小1の時点で陰毛も生え始めていた。短髪だからリボンで髪を結ったこともないけれど、身体だけは女に成長していた。まだ低学年なのに乳房も膨らみ始め、女になってしまった私の身体を隠すために、母はあえて女の子らしい服装をさせなかった可能性もある。
8歳くらいだったからうろ覚えだけど、何日間か下着に茶色いものがついていて、母から「砂場で泥遊びしたんでしょ?」と咎められた。怖くて私は「うん」と嘘をついた。本当は泥遊びなんてしていなかったけれど…。そのうち母はそれが生理だったと気づいた。ナプキンはハンカチに包んで厳重に隠してトイレに持って行くように教えられた。胸だけでなく股間のいわゆる土手部分も目立つようになったためか、大人用のガードルショーツもはかされるようになった。どうしてナプキンや身体の変化を隠さなければならないのか、生理の仕組みもよく分からなかった当時の私は、自分の成長に後ろめたさを感じていた。顔は相変わらず男の子に見えるのに、身体だけ他の子たちより早く大人の女になってしまった自分は変わり者なんだと自覚した。
変わり者ながら小5の時、一つ上の先輩に恋をした。友だち経由でラブレターを渡してもらった。それはその場でビリビリ破り捨てられた。友だちに恋文の欠片を拾ってもらい、校舎の裏庭に穴を掘り、泣く泣く埋めた。
それが引き金になったのか、その頃から同世代の異性は恋愛対象外になった。小学校を卒業すると、学校や塾の男の先生という大人の男性に憧れた。
中高生の頃は制服で、学校に行く時は必然的にスカートだったおかげで女と認識してもらえたけれど、私服になれば相変わらず男子としても通用していた。
ある時は、親戚の男の子が私のことを実は女だと気づくと「お兄ちゃんだと思っていたのに」と泣かれ、またある時は「校内男装女装コンテスト」のクラス代表男装役に抜擢された。高校生の頃、知り合いの大人からは「お父さんにそっくりになったね」と褒めるように言われた。
本命大学に落ちてしまい、高校を卒業してもなお男らしい私は、かろうじて受かった女子大に通うことになった。私服でスカートをはき、当時流行していたキャミソールとか少し露出多めの服装をしていても、私は4年間、一度もナンパも痴漢もセクハラもされることなく、清らかな女子大生を貫くことができた。片道3時間もかけて電車やバスを乗り継いで大学に通ったというのに、一度だってナンパや痴漢の類に遭遇することはなかった。
ある種の性自認をこじらせていた私は「ナンパ、痴漢、セクハラされたい」というおかしな欲求があった。たぶん今でも。女なら普通は嫌がることのはずなのに、男に間違われやすい私は、女なら遭遇する可能性の高い「ナンパ、痴漢、セクハラ」を経験することで、女として認められたかったんだと思う。
大学1年生の夏休み、地元の自動車学校へ通うとそこで同い年の女の子たち六人くらいと仲良くなった。「先生たち、セクハラばっかり言ってくるよね」、「コーナー曲がり損ねると妊娠するぞとかさ」などという話を耳にした。私は…そこでもセクハラされる対象から外されていた。教官から一度もセクハラされることはないまま、無難に卒業できた。
振り返ってみると、何もない私の人生において、唯一セクハラしてくれた人は、生まれる時、私を取り上げてくれた今は亡き、産婦人科医だけだった。高校生の頃から生理不順で定期的に産婦人科のお世話になっていた。30歳過ぎた頃、冬になると乳首がかゆくなることを伝えてみると、「いいローションがあるから。塗ってすぐは彼氏に(乳首を)舐めさせちゃダメだよ」なんて冗談を言われ、ローションを処方された。普通の女なら病院変えたくなるレベルだというのに、変わり者の私は嫌ではなかった。セクハラまがいの発言をされることで女として認められた気がして、うれしかった。取り上げてくれた先生だし、生まれてすぐ生身の丸裸を見られているから、今さら恥ずかしいことは何もないと思えただけかもしれないけど。
結局、異性との接触は何もなく、清純なまま大学を卒業した。他の同級生たちは彼氏に車で迎えに来てもらっていたり、中には「中絶したらしい」と噂になった子もいたというのに、私には本当に何もなかった。
大学卒業して2年ほど過ぎた頃、在宅ワークの傍ら「出会い系サイト」に登録し、異性とメールのやり取りし始めた。早熟だったせいか、実は性欲は旺盛な方で、中学生の時点で自慰は覚えていた。本当は興味あるのに相手にされないから、異性と関われなかったけれど、24歳にもなってキスさえ経験ないなんて…このまま何もない人生は嫌だと思った。だから明らかに身体目的でしかないような9歳年上の男と出会い系で知り合い、その人と会ってすぐに初体験した。イケメンで顔が好みだったから、この人ならいいと思えた。ブスだけど経験のないウブな私のことをその人はちゃんと女の子扱いしてくれた。そのことがうれしかった。彼がヤリ目でしかないと分かっていても。
初体験できたというのに、挿入の痛みがひどくて気づけばセックス恐怖症になっていた。初体験後だったと思う。生理不順でその時はたまたまセクハラ先生じゃない医師に診察してもらうと、「あなたの場合…男性ホルモンも女性ホルモンも多くて、おまけに貧血の反対の多血ですよ」と血液検査の結果を告げられた。私が男女(おとこおんな)なのはホルモンの仕業だったのかと妙に納得できた。「高プロラクチン血症を発症していて、排卵が起きていない可能性が高く、何も治療しなければ妊娠しづらいと思います」と不妊体質ということも告知された。別に結婚予定も妊娠願望もなかったけれど、将来のために治療しておくことにした。しかし処方された薬の副作用が強くて低血圧に陥り、投薬治療はすぐにやめた。
処女喪失させてくれた彼には彼女がいた。やっぱり私は遊び相手でしかなかった。けれど容姿がタイプだから関係を続けたいと思った。怖くてセックスできなくなってしまったから、出会い系で知り合った他の人たちに恐怖心を和らげてもらい、セックス恐怖症を克服すると、懲りずにまた初体験の彼と頻繁に会うようになった。気づけば私は彼の性欲処理係という彼の玩具になっていた。
彼に少しでも女らしく見られたいという思いが募り、プロにメイクしてもらったこともあったけれど、そもそもブサ男顔の私は化粧が似合わず、努力することも諦めてしまった。
彼と出会って10年ほど過ぎた頃…35歳になると私は無性に「妊娠してみたい」という欲求に襲われるようになった。たぶん高齢出産と呼ばれる年齢に達し、妊孕力の衰えを意識したからだと思う。同じ頃、子宮頸がん検診で異形成もみつかり、人生で初めて真剣に死を意識したこともあり、子孫を残したくなったのかもしれない。あの頃は「妊娠したらどうなるんだろう」という興味本位のつもりだったけれど、今振り返れば本能的に子を授かりたい願望が強まっていたんだと思う。
とにかく妊娠を経験したくなった私は「産みたいなんて思わないから、中絶前提で妊娠させて」と関係を続けていた彼に頼んだ。(後に市川沙央さんの『ハンチバック』と出会い、自分の話かと錯覚するほど共感できた。)彼もまた「俺が孕ませてやるから」とその気になった。利害一致した私たちは子作りセックスを始めたけれど、もちろんそう簡単に妊娠するはずはなかった。そもそも私は20代の時点で不妊症気味と告げられ、治療も何もしないまま、相変わらず生理不順だったから…。
妊娠しづらい身体だからこそ、妊娠してみたいと安易に思えたのかもしれない。どうせ女として欠陥だらけの私は妊娠できないと諦めていたし、油断もしていた。本当に妊娠できるとは少しも信じていなかった。彼の方は「妊娠させてやる」といつでも本気モードだったけれど。
そして39歳の冬…妊娠してしまった。信じられなかったし、動揺した。女として出来損ないの私が本当に妊娠するなんてあり得ないし、何かの間違いだろうと。望んでいたはずなのに妊娠を認めたくなかったし、妊娠検査薬だけでは信用できず、すぐに最寄りの産婦人科へ駆け込んだ。
「おめでとう。胎のうの中に心拍が確認できたよ。お母さんの心拍より赤ちゃんの心拍の方が速いんだよ。」
医師から我が子の心拍を見せられたら、それまで不安しかなかったのに、急に感動が込み上げてきて、同時に母性も目覚めた。本当にできていたとしても、堕ろすつもりだったけど、どうしよう…この子が愛しいし、この子に会いたいと…。
彼に妊娠を告げ、産みたくなったと言うと、堕ろす約束でしょと当然、認知してはくれなかった。
彼の言う通り、産むつもりなんてなくて、妊娠してみたかっただけのはずなのに、本当に妊娠したら子に会いたくなって、産みたくなるなんて知らなかった。女として落ちこぼれの私に母性が芽生えるなんて想像したこともなかった。
だって私は…愛され女子たちのように「赤ちゃんかわいい、あの子かわいい」と子どもたちをそこまでかわいいと思ったことはないし、むしろ苦手だし、そもそも人間全般と関わりたくないタイプだから。身体目的以外で異性から女扱いされることはないし、女として、人としてもこじらせてるから、そんな自分の中に我が子を守りたいと思える母性が生まれるなんて驚くしかなかった。
経済力も体力も若さも何もない自分が、シングルマザーになれるだろうか…。子育て中の友人に相談すると「ワンオペ育児は自分ならできない」と言われ、助産師からも「ひとりで育てるのは相当な覚悟が必要」と諭された。どうしても支援者が必要と知った私は、内密出産を始めていた九州のJK病院に相談したり、叔母や母に協力してもらえないか頼んだけれど、誰もおなかの子の味方にはなってくれなかった。母なんてばっさり「始末しなさい」と言い放った。
誰より母が味方になってくれないのは一番よく分かっていた。だって母は精神障害2級の娘(私の妹)に振り回される日々だから、孫の世話なんてできるわけがなかった。発達障害の妹という存在を見てきたこともあって、私は子どもをほしいとは思えなかった。病気の当人も家族も過酷なことは十分理解しているから、子を残したいなんて思わなかった。いわゆる「きょうだい児」の私は常に生きづらさを抱えており、家庭を築きたいと考えたこともなかった。みんな存在しなければこんなに苦しまなくて済んだのにと政略結婚した親たちのことを憎んでいた。
どんな家庭事情であれ、自分が強い人間だったら、ひとりでも産んで育てられたかもしれない。心がひ弱で甘い私にはそういうたくましさもなかった。葛藤し悩んだけれど結局、当初に望んだ通り、おなかの子は中絶した。
中絶なんて経験しない方がいいに決まっているけれど、私にとっては必要な経験だった。一番大事な命を手放すという経験は未熟な私には必要な通過儀礼だった気がする。
産めなかったことは悔しいし、悲しいし、未だに後悔しかないけれど、どんな軽はずみで不純な動機でも、授かれたことと命を感じられたことは嫌じゃなかった。女として自信がなくて、出会い系に逃げたからこそ出会えたかけがえのない存在。守れなかったけれど、私は男っぽい女に生まれたからこそ、我が子と出会えた。
妹のことも…好きにはなれないけど、妊娠・中絶を経験したら、存在を否定できなくなった。だってごく普通の平凡な家庭だったら、もう少しまともな恋愛もできていたと思うから。妹がいなかったら、あの子のことは授かれなかった。そう考えると、妹の存在も認めるしかなくなった。
産めなかったあの子は、私にとって足枷だったもの、女なのに男みたいというコンプレックス、恵まれない家庭環境などすべてを肯定してくれるきっかけになった。黒歴史まみれなのに、その中に赦しと救いをもたらし、私に母性を与え、私を女らしい女に導いてくれた。
私が欲しかったもの、私に必要だったもの、欠けていたもの、すべてを与えてくれたあの子と出会えた私の真っ黒な人生をこれからも、私の心の中に宿り煌めくまっさらなあの子の存在と共に大切にして生きてゆきたい。決して何もない人生ではなくなったから。私の黒歴史は懸命に命を瞬かせてくれたあの子がいた人生に変わったから。
中絶後、かつてないほど規則正しくまともな生理が来るようになった。まだ出産を諦めてはいないらしい身体の執念を感じた。本能と母性のおかげで「産んで一緒に生きるためにもう一度妊娠したい」という新たな欲望が脳裏を過る時もあるけれど、それは最も望んではいけないことだと分かっている。
さようなら、性でこじらせていた私。妊娠できたんだから、あんたは正真正銘の女だったよ。母親になり損ねたけど、女しか知り得ない、あの子がくれた強靭で柔らかな温かい母性は心身に刻まれたよ。
「女に見られたい」、「ナンパ、痴漢、セクハラされたい」、「セックスしたい」、「妊娠したい」、「今度こそ産みたい」…欲望まみれの愚女に餞の花束を。
愚女~ナンパ、痴漢、セクハラされたい~ ゆきとかげ @yukito210
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