花騎士

緋色 刹那

色を失った街

 日本離れした、西洋的な街並み。丘の上には白亜の城。街は季節問わず、色とりどりの花であふれ、人々に笑顔が絶えなかった。

 花の城下町・百花ひゃっか町。柚葉ゆずはの憧れの場所。

 実際に訪れたことはない。写真で見たことがあるだけだ。それでも、無機質な灰色の都会で暮らしている柚葉が憧れるには、十分だった。


「私もいつか、百花町に住むんだ!」


 柚葉はそう、心に誓った。


 ◯


(……こんな街、住むなんて言うんじゃなかった)


 雪村ゆきむら柚葉は憧れだった百花町を実際に目にし、後悔していた。

 日本離れした、西洋的な街並み。丘の上には白亜の城……想像どおりだったのはそこまでで、街は荒れ果てていた。

 具体的には、花の一本も見当たらない。道端の雑草ですら、どす黒く枯れている。

 笑顔どころか、そもそも人に会わない。車も走ってない。不気味なほど、静まり返っていた。


「ここ、本当に百花町なんですよね?」


「えぇ、百花町ですよ」


 となりを歩いていた地元の不動産屋は、寂しげに微笑む。

 柚葉がネットで内見の予約をした不動産屋で、これから二人で候補のアパートへ内見に向かうところだ。常に営業スマイルを浮かべていて、少しうさんくさい。


「三、四十年前まではそれはそれは美しく、活気のある街だったそうですが、今では見る影もありませんね。残念です」


「三、四十年前!」


 めまいがした。

 柚葉は押し入れで見つけた百花町の写真に憧れ、百花町にある高校を受験し、合格した。母親には反対されているが、春からこの町で一人暮らしをする。

 憧れの街で始める、新生活……それがまさか、このような結果を招くとは。「ネットでも受験できるし、街に行くのは合格したあとでもいいっしょ!」と浮ついていた頃の自分を叱りたい。


 とはいえ、柚葉が何も知らなかったのは無理もないのかもしれない。

 百花町は閉鎖的な土地で、本にもネットにも詳しい情報は載っていなかった。写真の持ち主である祖母と、その家族である祖父と父も、柚葉が物心つく前に亡くなっていた。


 ◯


「さぁ、着きましたよ。こちらがオススメの物件です」


 案内されたのは、いかにも「出そう」なレンガ造りのアパートだった。屋根や外壁はところどころ朽ち、汚れている。昼間だというのに、どの部屋もカーテンが閉めきられていた。


「ボッr、おもむきのある建物ですね」


「ありがとうございます。気に入られて、永住されている方もいらっしゃるんですよ。中も素晴らしいので、期待してください」


 部屋までの道中も、誰ともすれ違わなかった。

 不動産屋は部屋の鍵を開け、柚葉を招き入れる。たしかに、内装は新築かと思うほどキレイだったが、外観と差がありすぎて、かえって不安が増した。


「どうです? これ以上なく素晴らしい物件でしょう?」


「まぁ、部屋は……うん」


 不動産屋は自信満々に案内する。どこからその自信がわいてくるのか、不思議だった。


「ちなみに、建て替えやリフォームの予定はないんですか?」


「現段階ではございません。百花町は街全体が百花城ひゃっかじょう家の私有地で、ほんのわずかな修繕にも複雑な許可が必要になるんです。そのせいで、どの物件もリフォームしづらくて……こちらのアパートですと、全ての許可が下りるのに数年はかかるかと」


「とんでもない一族ですね」


 街全体が私有地など、聞いたことがない。

 街が荒れ放題なことといい、百花城家とはろくでもない人間の集まりなのだろう。彼らのせいで憧れの街が廃れてしまったのかと、柚葉は怒りが込み上げた。


「さて、」


 一通り部屋を案内されたところで、不動産屋は笑顔で振り返った。


「いかがなさいますか? お気に召さないようでしたら、別の物件も案内できますが」


「うーん……」


 柚葉は悩んだ。

 どうせ、他のアパートも似たような感じだろう。正直、新居などどうでもいい。今すぐ、家に帰りたい。

 だが、今さら進学先は変えられない。母親にも余計な心配をさせたくないし、されたくもない。

 不安だらけのアパートだが、いいところもある。家賃は格安で、光熱費込み。百花町の住人になれば、無料でバスを利用できる。買い物や娯楽にも不便はしない。


 悩みに悩んだ末、柚葉は「ここにします」と渋々うなずいた。


「ありがとうございます! では、契約書にサインをお願いしてもよろしいですか?」


「はいはい」


(どこも廃墟なら、いっそ城に住まわせてくれないかなー。掃除でも洗濯でもなんでもするんで。絶対、部屋余ってるっしょ)


 不動産屋は嬉々として、数枚の契約書とペンを差し出す。それらを柚葉が受け取ろうとした……そのとき。

 針のように細長い刃が玄関のドアの隙間から飛び出し、契約書とペンを貫いた。契約書とペンは数枚の花びらに変わり、ひらひらと床へ落ちた。


「きゃッ?!」


「ッ?!」


 ドアが勢いよく開き、柚葉の視界はピンク色に染まる。バラ、コスモス、カーネーション、サクラ……一瞬、巨大な花束が部屋へ飛び込んできたのかと錯覚する。

 現れたのは、これから舞踏会に行くような、大量の花をあしらったピンクのドレスを着た少女だった。柚葉と同い年か、少し年上に見える。手には、不動産屋の契約書とペンを貫いた、針のように細い刃……フェンシングで使う、フルーレをにぎっていた。


 少女は不動産屋をキッとにらみつけると、問答無用でフルーレを突く。

 素人の柚葉では目で追えないほど素早かったが、不動産屋は軽々と避けてしまった。少女は追撃するが、いずれも後ずさりつつ、避けられてしまう。


「避けるな、〈悪魔〉! 今日こそ、倒してやる!」


「〈花騎士はなきし〉ですか。ずいぶんお早い到着で。残念ですが、あとは住人の皆さまにお任せしましょう」


 不動産屋は背後の壁をすり抜け、逃亡する。

 入れ替わりに、人の姿をした白いが、壁の向こうから這い出てきた。体格に差はあるが、顔はハッキリとしない。


「お、お化け?!」


 柚葉はとっさに少女の背後へ隠れる。

 少女も柚葉をかばうように立ち、人の姿をした何かに剣先を向けた。


「さっきの〈悪魔〉と契約してしまった人達よ。あなたも契約書にサインしていたら、ああなっていたでしょうね。間に合って良かったわ」


「悪魔? 契約書? ここ、自称ボロいいアパートじゃないの?」


「とっくに廃墟よ。住人なんて、もう何年もいない。いるのは、悪魔にだまされ、人間をやめさせられた、憐れな被害者たちだけ。彼らをなんとかできるのは、私しかいない」


「……あれ、全部倒せるの?」


 人の姿をした何かはどんどん増える。

 壁を完全に通り抜けた者は、その場でたたずみ、ジッとこちらの様子をうかがっている。いつ襲いかかってきてもおかしくはない。

 部屋の外へ逃げたところで意味はない。相手は壁をすり抜けられるのだから、いつかは追いつかれる。


 少女は少し考え、うなずいた。


「……無理ね!」


「無理?!」


「ゾエ!」


 ガラガラッ


「こちらに」


「誰?!」


 ベランダから、ツインテールのメイドが部屋に入ってくる。柚葉や少女よりも二、三年上の女性で、重そうな細長い袋を肩にかけていた。

 メイドの女性は袋の中から白い鉄の筒のようなものを引き抜き、少女へうやうやしく差し出す。


花折かおりお嬢様、どうぞお使いくださいませ」


「ありがとう、ゾエ」


 少女はフルーレを鞘へ収め、白い鉄の筒を慎重に受け取る。ドレスにシワが寄るのも構わず、膝をつき、筒を構えた。


「それ、なに?」


 少女は今日の天気でも口にするように、さらっと答えた。


「ん? バズーカ」


「バズーカ?!」


「こちらの耳当て、お使いください」


「あぁ、ありがとうございます……じゃなくて!」


「大丈夫。傷つけやしないから」


 少女はバズーカの引き金に指をかける。

 柚葉は慌てて耳当てをつけ、その上からさらに手で押さえる。人だった者達は危険を察知し、少女へ向かってくる。

 少女が引き金を引くと、弾ではなく、暖かな春風が突風のごとく放たれた。

 風は人だった者達の体に吹きつけ、色とりどりのへと分解する。大量の花びらは風で舞い上がり、部屋全体に散らばった。かすかに花の匂いがした。


「……きれい」


 幻想的な光景に、柚葉はそれがなんだったのか忘れ、見惚れる。

 その様子を、少女とメイドの女性は微笑ましそうに見ていた。


「ついでに、他の部屋の人たちも〈花葬かそう〉しておこうかしら。ゾエ、その子をお願い」


「かしこまりました」


「え、ちょ、まっ?!」


 メイドの女性は柚葉を抱え上げ、ベランダから外へ飛び出す。階段を二段飛ばしするような感覚で、三階から地上へと下りた。


「し……死ぬかと思った」


「フフッ、この程度で人は死にませんよ」


「何で私より平気なんですか……?」


 一方、一人残った少女は廊下へ飛び出し、片っ端から部屋のドアを開け、バズーカを撃った。撃ち損ねた者はフルーレで風と共に貫き、花びらへと変える。

 柚葉のいる地上からはその様子は見えなかったが、バズーカの音の位置と、部屋や窓からあふれ出る大量の花びらから、少女が今どこにいるのか、おおよその場所は特定できた。


「あの子、一人で大丈夫なんですか?」


 不安げな柚葉に対し、メイドの女性は平然と笑みを崩さない。


「何の心配もございません。花折お嬢様は我が百花町唯一の〈花騎士〉ですので」


「その、花騎士ってなんなんです? 不動産屋……のフリをしていた人も言ってましたけど、この街では常識なんですか?」


 メイドの女性は困ったように微笑んだ。


「私の口からはお答えできません。花折お嬢様が『あなたには知る必要がある』と判断されれば、ご説明されるでしょう」


「はぁ……」


 バズーカの音はしばらく鳴り止みそうもなかった。


 ◯


 日が暮れる頃、ようやくバズーカの音がやんだ。

 少女が顔や髪についた花びらを丁寧に払いながら、柚葉とメイドの女性のもとへ戻ってくる。メイドの女性のように三階からではなく、ちゃんと一階の玄関から出てきた。


「終わったわ。あの花びら、後で片しといて」


「承知しました」


「えー。あのままのほうが良くない? 枯れるまで待ったらいいじゃん」


 薄暗く不気味だった廃墟は大量の花びらに彩られ、美しく生まれ変わっていた。夕日のオレンジの光が、その美しさをより引き立てる。

 あれだけ外観を不気味がっていた柚葉も、思わずスマホで撮影してしまった。


 少女は悲しげに、アパートを見上げた。


「……もう枯れているわ」


「え?」


 柚葉はもアパートを見上げる。

 つい先ほどまで鮮やかだった花びらは急速に色を失い、どす黒く枯れていった。元の不気味なアパートに戻ったどころか、前より不気味さが増している。


「何あれ?! 怖っ!」


「あなたを騙そうとした不動産屋……〈悪魔〉のしわざよ。あいつのせいで、百花町はあらゆる植物が育たず、枯れてしまう土地になってしまったの。昔は街中に花があふれていたそうだけど、私も写真でしか見たことはないわ」


「よ、よくも私の憧れの街を……! あの不動産屋、後で晒してやる!」


 少女は「晒す?」と首を傾げた。

 「何でもないのよオホホ」と柚葉は慌てて誤魔化した。


「だけど、あなたが迷い込んでくれて助かったわ。あいつが張った結界のせいで、私達は中へ入れなかったの」


「そうだったんだ。私のほうこそ、助けてくれてありがとう。よく分からないけど、二人がいなかったら生きて出られなかった……んだよね?」


 「えぇ」と少女はうなずいた。


「ああなった人間は〈花騎士〉が〈花葬〉しないかぎり、異形の姿のまま永遠に留まり続けることになる。なぜ〈悪魔〉がそんなことをするのか、目的は分からないけど、あいつのせいで街から人はいなくなるわ、訳アリ物件だらけになるわで、ホント困ってるのよね。早く出て行ってほしいわ」


 ところで、と少女は柚葉の顔をまじまじと見つめた。


「あなた、百花町の住人じゃないわよね? 〈花葬〉のことも知らなかったし。どうして、この街に来たの?」


 柚葉は「ハハハ」と遠い目で笑った。


「内見をね、しに来たの。春からこの町の高校に通うからさ」


「一人で?」


「うん。憧れの街で、一人暮らしパラダイス! ……の予定だったのになぁ。ここは住めないみたいだし、いっそ高校変えようかな」


 ハァ、と柚葉は重く息を吐く。

 こんなことを恩人に話しても仕方ない……分かっていても、愚痴らずにはいられなかった。


 すると、


「だったら、ウチに住む? また〈悪魔〉にねらわれたら大変だし。今から高校変えるのも大変でしょう?」


「え、いいの?」


 少女はうなずいた。

 柚葉は喜びかけ、はたと冷静に考えた。ここへ来るまで、真っ当な家はなかった。彼女が住んでいる家も、ここのアパートとさほど変わらない廃墟かもしれない。


(いや! こんなすっごいドレス着て、メイドさんまで連れてる子が、廃墟に住んでいるわけがない! きっと大丈夫なはず!)


「ちなみに、どの家?」


「あそこ」


 少女は迷わず、指を差す。

 その先には百花町のシンボルと呼ぶにふさわしい、白亜の城が建っていた。ズレているのかと確かめたが、どこから見ても城を指している。


「……まさかと思うけど、城じゃないよね?」


「? そうよ。アレが私の家」


 少女はキョトンとする。


「きゅ、急に行ったら、おうちの人のご迷惑になるんじゃないかなぁ?」


「気にしないで。家主は私だから」


「家主?!」


 「これから一緒に住むなら、自己紹介しないとね」と少女は名乗った。


「私は花折。この街の領主で、唯一の〈花騎士〉よ。これからよろしくね」



〈つづく?〉

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