声たち

koumoto

声たち

 ……また声が聞こえる。

「ええ。きっといい部屋になりますよ。ここの住人は、まもなく死にますから」

「ほう。どれどれ。ははあ。なるほど。たしかに、いまにも死にそうな顔つきですな」

「ええ、ええ。きっと立派に死んでみせますよ。もうまもなくです」

 寝床に横たわったまま宙を見つめる。部屋の暗闇を見まわしても仕方がない。どうせだれもいない。声が聞こえるだけなのだ。


「三話目からが面白くてさ。それまでは、正直、ちょっと我慢みたいなところもあるんだけど。ほら、あれだよ、えーと、名前を思い出せないな。ほら、このあいだ続編が出た、超能力の、ヒーロー映画で有名になった人。あの人が敵として出てくるんだよ、そしたら一気に面白くなる」

「へー、悪役ってことですか?」

「いや、単純にそうは言いきれないんだけど。そこがまた複雑で、面白いんだよ。善悪が明確に分けられなくてさ。えーと、名前なんだったっけな。忘れちゃったな」

 バイト先の休憩室で、人と人が喋っている声がする。喋っているのは自分ではない。興味がない話題だ。海外ドラマか何かの話らしい。一方は饒舌に楽しげに語り、もう一方はそれなりに関心を示しながら相槌を打っている。

 ふと、話が途切れたのか、気まぐれなのか、自分にも話題を振られた。ドラマとか見ないの、と。

「見ないですね」

「ふーん。興味ないの?」

「興味ないですね」

 興味がなかった。この人たちの話題にも、その声にも。


「俺もね、まあ、こんなんでもモテたときがあったってことなんだよ。わりと。必要以上に、やたらとべたべた触ってきてな。まあ、その人は、けっこう年がいってたんだけど。最初から明らかに俺に惚れていて。バレバレでさ、笑っちゃうくらいなんだよ」

 居酒屋で、人が自分に喋りかけている声がする。喋っているのは自分ではない。興味がない話題だ。性的な事柄か何かの話らしい。一方は身勝手に独りよがりに語り、もう一方は特に関心も示さず相槌ともいえないような相槌を打っている。

 ふと、話が途切れたのか、気まぐれなのか、自分にも話題を振られた。フーゾクとか行かないの、と。

「行かないですね」

「へえー。なんで?」

「金がないし、興味もないですから」

「へえー。じゃあ、何に興味があるの?」

「何もないですね」

 興味がなかった。この人の話題にも、その声にも。


 部屋に帰り、着替えると、座ってじっとする。なにもしたいことがないし、なにもやることがない。部屋にはテレビもないし、本棚もない。自分には特に趣味がないし、楽しみもない。座って宙を見つめて数時間かそこらの暇を潰すと、水を飲んで、歯を磨いて、寝ることにした。

 明かりを消して、寝床に横たわりながら、スマホを取り出して、ネットを覗く。殺戮が現在進行中の紛争地について検索して、凄惨な映像や画像をだらだらと眺める。身体の一部を失った人の嘆き、家族がみんな死に絶えた人の叫び、見るかげもない瓦礫の山、ごろごろ並べられた子どもの死体。ぼんやりと口を開けて眺めながら眠気を待つ。これがいちばん落ち着くのだ。不眠が続いた時期にいろいろ試して、そうわかった。

 だが、最近はそこに妙な声が混じってくる。

「どうです。手狭ではありますが、見事なものでしょう」

「うん、なかなかいいね。生気というものを感じない。適度に陰気だ。死んでいないのに、死んでいるみたいだ」

「もうすぐです。もっといい部屋になります。まもなくここの住人は死にますから。時間の問題です。そうしたら、この部屋も仕上がりますよ。お客さまに最適な物件です」

 また、新たな客が来たらしい。ワンルームだというのに、千客万来だ。毎晩毎晩、案内されてくるらしい。自分を無視して、内見が行われているらしい。いや、無視はされていないのか。ちゃんと自分について語られている。ちゃんと自分を見てくれている。その声によれば、自分はまもなく死ぬらしい。


「ちょっとだけ見ましたよ、あれ」

「どれ?」

「あのドラマ。このまえ言ってたやつですよ。三話目から面白くなるやつ」

「ああ、あれ。あれね。シーズン2になってダメになった」

「ええー。せっかく見始めたのに。面白くなくなったんですか?」

「うん、面白くなくなった。見事にクソになった。ストーリーがクソになると、キャストもクソに見えてきた。全部ダメだ、あれは」

「ええー。三話目もまだ見てないのに。続き見る気なくなるじゃないですか」

「見なくていいよ、あんなもん。詐欺だもん。思わせぶりなだけ。でもさ、三話目から出てきたあの人。なんて名前だったっけ? あの人の別のドラマ、法廷のやつ、いまかなり盛り上がってるんだよ」

「ええー。本当ですか」

 バイト先の休憩室で、どうでもいい声がする。自分もそこにいるらしい。そこにいなくてもいいのだけど。


「それで、明らかにぼったくりでさ。やんなっちゃうよ。泣き寝入りだよ。こっちはか弱い市民だからさ。どうしようもないんだよ、毟られるだけだよ、まったく」

「災難でしたね」

 珍しく、自分が喋っている。居酒屋で、部屋の声からの逃げ場だったはずの時間潰しにすぎない場所で、ろくな接点もない、一人で喋りつづける常連相手に、自分が積極的に喋っている。

「そういえば、興味というか、楽しいこと。見つけたんですよ」

「なに、いい店見つけたの? いい女の子がいるところ?」

「いえ、そういうわけではないんですけど」

 深夜にだらだらと眺める紛争関連の字幕つき映像を思い出した。親族の女性が兵士に強姦されて殺された、と、その様子を淡々と語っていた。殺してまで人に触りたいとは、奇妙な情熱だ、と思った。金を払ってまで人に触りたいというのも、奇妙な情熱だ、と思った。自分は真逆だ。殺してでも、金を払ってでも、人に触りたくない。

「自分の部屋の壁が薄いらしくて。隣の声が聞こえてくるんですけど。その声を聞いていると、なんだか励まされるんですよ。自分は生きているんだな、って、実感するんですよ」

「なにそれ? 盗聴? 犯罪じゃないの?」

「いえ、なにもしていませんよ。聞こえてくるだけです」

「それなら仕方がないけど。大丈夫? 犯罪とかはしちゃダメだよ」

「大丈夫です。全然問題ないです。人生で、いまがいちばん楽しいです」

 そう語る自分の声がする。


「まだなの?」

「おかしいですね。まもなくのはずなんですが……」

 帰ると、早々と明かりを消して寝床に横たわった。スマホも取り出さず、紛争の映像や画像も眺めず。ただ、聞こえる声に耳を傾けた。

「死んでいないのに死んでいるようだけど。なかなか死なないのはどういうことなのかね。話が違うじゃないか」

「そうですねえ。死ねばここは最高の部屋になるんですが。おかしいですねえ」

「早く死んでくれないと、こちらも待ちきれないんだがね」

「そうですねえ。早く死んでくれないと、こちらも困ってしまいますねえ」

「死ね」

「死ね」

「死ね」

「死ね」

「死ね」

「死ね」

 おまえらが死ね、と呟いて、今夜も眠る。無駄なことだと知りながら。

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