この星に生まれて……。
碧
第1話
すべてを破壊しながら突き進むバッファローの群れには三分以内にやらなければならないことがあった。
一体、何をやらなければならないのか。何故、三分なのか。
彼ら――いや、すべてを破壊しながら突き進んでいるうちに、自他の境を失いつつある、彼らバッファローのひとつになりつつある意識は、何もわからないままただひとつの確信だけを持っているのだった。
***
ベベ・ローマンドは三分以内に母星に戻らなければならなかった。夜勤パートの時間が迫っているのだ。
憂鬱な気分だった。
長年勤めた会社を、長時間労働とパワハラに耐えかねて退職し、82年間に渡るメンタル・ヘルスの治療を経て、ようやく主治医からの就労許可が出たのが5年前。それから近所のハローワークで短時間のパートの求人を探し、応募し、採用の連絡を貰うまで、たったの1年だった。
もっとよく考えて行動すべきだったのだ。
ポポロンティラ星人の平均寿命が1000年を越えたと政府が発表してから久しい。長く生きていかなければならない一方で、惑星の経済は停滞し、福祉の予算は削減される一方。働けるうちに働いて貯蓄しなければ老後が心配だ。そんな焦りがあったせいで、考えが足りないまま目の前にあった求人に飛びついてしまった。面接の時点で、なんかちょっと危ない会社だなと思いながらも、自己評価の低さから、採用の連絡を貰った瞬間につい、ちょっとうれしい気分になってしまったのもよくなかった。
――ホモ・サピエンスも、かつてはこんな気持ちで生きてたのかな……。
ベベは、太陽系第三惑星でかつて繁栄していたとされる、ほ乳類の一種に思いを馳せた。
生まれながらにして陰鬱な性格で、何事にも執着できない半生を送ってきたベベの、現在の唯一の趣味が、ホモ・サピエンスだ。
69年前、メンタルヘルスの治療期間中、気晴らしに出かけた地元の科学博物館で、その生態を再現した展示を見たときの衝撃は忘れられない。名状しがたい胸のときめきがベベの心を満たした。
ホモ・サピエンスに心底惚れ込んだベベの、それからの行動は、速かった。
なけなしの貯金をはたいて高性能カメラとタイムマシンを買うまでに5年、宇宙船とドローンの操縦免許を取るのに6年、それからSNSで、他のホモ・サピエンス愛好者との交流を深め、10年後には、地元の「ヒューマン同好会レレリプロポン支部」に加入した。
大きな団体に所属できたことで、ベベのホモ・サピエンス探求活動範囲は飛躍的に広がった。
古今の様々な情報が手に入り、時には国や星の垣根を越えた調査活動に加わることができた。
太陽系の遺跡調査に参加できたときは、とにかく感動した。夢にまで見たホモ・サピエンスの痕跡を、この目で、直に見ることができるなんて!
それは冥王星と呼ばれる準惑星に残る、ホモ・サピエンスの古代都市で、彼らが高度な科学技術と文化レベルを有し、ベベたちポポロンティラ星人と似通った生活をしていたことを示していた。
ベベのホモ・サピエンスへ愛着は更に高まった。
ヒューマン同好会の次の大きなプロジェクトは、タイムマシンでホモ・サピエンスが滅亡する前の太陽系第三惑星に赴き、彼らが絶滅した原因について調べることだった。
通説では、太陽系第三惑星は、ホモ・サピエンスの過剰な生命活動により温暖化が進んだことが遠因となって、多くの種が滅亡されたと言われている。
――生きているだけで一つの星の気候を変動させて、沢山の種を滅亡に追いやり、ついには自分たちすら消え去ってしまう……。ロマンだ。
ベベは、なんとしてもその瞬間を見届けたかった。そして、幸運なことに、冥王星調査のたった20年後に、そのチャンスはやってきたのだ。
タイムマシンで過去の太陽系第三惑星の調査に向かうツアーが同好会で企画され、参加者が広く募られたのだ。
ベベは絶対にそれに参加したかった。だが一つだけ大きな問題があった。
調査に同行するための費用は、すべて参加者が自腹を切らなければならない。
長く働かずほとんど無収入だったベベには、厳しい条件だった。
だが、このチャンスを逃すなんてあり得ない。
ベベは最後の貯蓄をはたいて、このツアーに参加した。
論文などはまだ発表していないが、ベベには、ホモ・サピエンスの滅亡の直接原因について、一つの仮説があった。
即ち、感染症だ。
第三惑星が温暖化することによって、かつて赤道近くの一部地域にしかいなかった節足動物が惑星全体に生息するようになり、それが媒介する感染症が蔓延して絶滅してしまったのではないか、という仮説だ。
ベベは、ホモ・サピエンスが滅亡した頃合いとされる太陽系第三惑星の、北極圏近い場所に降り立ったとき、自分の仮説の正しさを確信した。
「いる! めっちゃいる! 視界を埋め尽くすぐらいの、本物のアノフェレス・ガンビェ!」
「しぃーっ!」
同好会の大先輩、メメが厳しい顔でベベをたしなめた。
「私たちは過去に来ているのよ。大声ではしゃいで、既存の生態系に影響を及ぼすようなことは、慎んで」
「す、すみません……」
「特にあなたは、シンパシー能力が高いんだから、興奮して他の生命体に影響を及ぼさないように気をつけてね」
心配そうな顔で言うメメに、ベベは苦笑する。
「私の感情が影響を及ぼすのは、同胞だけですよ。太陽系の生命体とは感情の機構が違うから、大丈夫ですって」
「わからないでしょう。あなたの能力も、この星の生命体の感情についても……わからないことだらけだからこそ、私たちは研究を続けるの」
メメの言葉に、ベベは神妙な顔になって頷いた。その通りだった。この世界のすべては、永遠に未知の存在で、知性を持った生命体は、永遠にそれを追求し続ける。それが、ポポロンティラ星人の信念なのだ。
「それにしても、ホモ・サピエンスは見当たらないわね……最後の集団はこの辺りで暮らしていたと推測されていたのだけど」
つぶやきながら、メメがドローン・カメラを使って周囲を慎重に捜索している。ベベはそれをアシスタントしながら、段々と焦りが生まれてきた。
メメを始めとする、今回のツアーに参加している同好会メンバーのほとんどは、そもそも本業がサピエンス研究だったり、すでにリタイアメントしていて普段から時間を持て余していたりして、この第三惑星探査には何の時間的制限もなく参加している。
しかし、ベベは、パート・タイムの合間にこのツアーに参加しているのだ。
――出発前に辞表を出しておけばよかった……。
勤めだしてたった1年で辞めるなんて、いくらなんでも社会人としてあり得ないのではないか。それに人出が足りてないし……。などと思い、結局、シフトとシフトの合間に参加した今回のツアー。
参加できる時間は短く、満足いくほどの成果は得られないまま帰還の時間が迫っている。
――悔しい。
生命の調査観察に、欲と焦りは禁物だ。しかし今、ベベの中に強い感情が生まれていた。
――もしかしたら、生きた、本物のホモ・サピエンスが見られたかもしれないのに。パートのシフトさえなければ、みんなと一緒にここに残って、生きている本物のホモ・サピエンスが見られたかもしれないのに。
「ベベ、今、感情が高ぶってない?」
メメが心配そうに声をかけてきた。
「だ、大丈夫です」
「念のために精神安定薬を飲んだ方が良いんじゃないのかしら」
「……だ、大丈夫ですよどうせ、あと3分で私はポポロンティラ星に戻るんですし……」
自分で言いながら、その自身の言葉に、ベベの心は更に乱れた。
どうして自分だけが、あと3分で母星に戻らなければならないのだろう。憧れの太陽系第三惑星を離れ、あのクソみたいなパート先に行かなければならないなんて。
なにもかもが腹立たしく、めちゃくちゃにしてやりたい気分だった。
「……! だめよ、ベベ、落ち着いて!」
メメの鋭い叱責の声も、ベベには最早届かない。
その後の彼らについては、べべのパートのシフト時間が迫っていたためか、記録が欠落している。
***
すべてを破壊するバッファローの群れは、理由もわからないまま、膨れ上がりゆく破壊衝動を軸につながりあい、ただただ土埃をあげながら疾走していた。
三分後に迫る、耐え難い「何か」に対する憤りが、彼らを突き動かす。力強い4足があらゆるものを踏み荒らし、雄々しい角が目の前の障害物を突き崩す。
太陽系第三惑星最後のホモ・サピエンスが悲鳴とともに彼らに踏みつぶされていった。
この星に生まれて……。 碧 @madokanana
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