アイモー

山南凉

アイモー


 デーデデッデデデ デーデデッデデデ デーデデッデデデ ッデデデデデデデ

 デーデデッデデデ デーデデッデデデ デーデデッデデデ ッデデデデデデデ

 耳に残る電子音の旋律が繰り返し聞こえてくるせいで、行く末が気になって仕方ない。梓はたまらず音のする方向に首を伸ばした。

 眼鏡のレンズを通した先に、煌々と輝くディスプレイと、その前に陣取る小さな踏み台に乗った五、六歳の子供の背中が見えた。子供がディスプレイ上の三角ボタンをその小さな手で押すたびに、ぶおんぶおんと声を上げながらディスプレイ上の絵が切り替わる。その隣で腰をかがめてディスプレイを見ながら子供と話す母親らしき女性と、一歩離れたところでその瞬間を逃すまいと、子供の様子を動画に収める父親と思しき男性。

 春。出会いと別れの季節。その「出会い」の方が店の片隅で起きるのを、梓は今、遠目に見ている。

 繰り返された「ぶおん」が聞こえなくなって、「ぴん」と〈閃き〉に例えられるような音が鳴った。

「きみと暮らす!」

 少年の——と言っても、あの子のではなくディスプレイから流れた——声が聞こえ、がこんと落下音が響く。あの子はついに手に入れたのだ。おそらくは生まれて初めての、自分だけの〈アイモー〉を。

 アイモー。二十年程前に生まれたパーソナルAIデバイス。自分の分身のような、相棒のような、自分のことも世界のことも格段に自分より知っているパーソナルAIを携え、日々生活するのは2050年の今ではごく普通のことだ。世代を問わず世界中で使われるため市場規模も大きく、国内外の多くの企業が、こうしたパーソナルAIデバイスを販売している。その分企業間競争も熾烈だが、それでも子供から大人まで、多くの人々にアイモーが選ばれている理由は、何よりその〈ガワ〉にあった。

 発売当時、とある日本の家電メーカーによって開発されたアイモーのAIはその時市場を席巻していた他社のパーソナルAIを流用したものに過ぎなかった。つまりAI機能に特筆すべきものはなく、手のひらサイズのスマートフォンのような形状もさして目新しくはない。ただ、大きな違いは、それまで単なるチャットボックスでしかなかったAIに親しみやすい姿形と声を与えたことだった。

 アイモーでは、ゲームでキャラメイクをするように、AIアシスタントのアバターを作成できた。そして、文字の読み上げにプリセットされた音声から好みのものを選ぶこともできた。とはいえ、アバターとして作れる顔や衣装は決まったパーツの中から選択できるに過ぎず、自由度はそこまで高くはなかったし、同じく数種類から選ぶ声も実際に言葉をしゃべらせるといかにも人工的な発声で不自然さがあった。その程度であっても、それまで同様の機能を持ったAIアシスタントが意外にもなかったために、アイモーは新規のAIアシスタントデバイスとしては、他社より頭ひとつ抜けるぐらい売れた。決まったパーツから押しのキャラクター、または有名人を再現して、自分の〈相棒〉や疑似恋人として手元に起きたいと願った人たちが数多くいたのである。

 彼らの熱は凄まじかった。特に二次元キャラを押しにもつ人々は、原作やアニメ、その設定資料や、開発者のインタビューなどから押しに関する情報を学習させて、より「それらしい」言葉遣いや反応をするようにチューニングした。一部アイモーのプログラムを改変して、有名声優に少し似せた人工音声を当てはめる手法を編み出した猛者もいた。やり方はあっという間にインターネット上で拡散し、その熱意や「再現度」は世間の耳目を集めることになった。一方で著作権や著作者人格権の観点からは「限りなく押しに近いものを手元で再現」する試みは物議を醸した。

 アイモーの開発元がどこまで利用者の行動を想定していたかはわからないが、少なくとも公式にこのような議論を呼ぶ使い方を宣伝したことはなかった。また、アイモーのAI学習は、個人が所有するローカルデバイスの上のAIモデルにしか影響せず、今の法律の解釈上は著作権の私的利用の範囲から出ていないから、問題はないという見解もあった。結果、ややグレーな印象を与えられつつも、アイモーは世間の理解と一定以上の数の顧客を得、企業がこのビジネスに引き続き投資しようと思うぐらいの結果は出した。

 そして、初代の発売から二年。すでに他社も同様の製品を出しはじめて、アイモーが差別化に苦労し始めたころ、二代目アイモーが発売された。初代アイモーで巻き起こった著作権問題は、パーソナルAIアシスタントを開発する企業全てに対して難しい問題を突きつけたが、一方でより大きなビジネスに化けるだろうという手応えも十分に与えていた。要はグレーにでなく、公式に〈押し〉を提供できる環境さえ整えばよいのだ。そう考えたアイモー開発企業は、多くのライバル企業との競争に打ち勝ち、あるゲーム開発企業との業務提携の機会をものにした。そして、世界中で爆発的人気を誇るゲームに登場する、たくさんのかわいらしいモンスターたちを自分の〈相棒〉とできるようにしたのだ。

 小さなスレート型のパーソナルAIデバイスからホログラムで立体的に表示されるモンスターの姿は、さすが公式の協力を得られただけあってまさにそのものであり、ゲームと同様に鳴く。ゲームの設定上ほぼ全てのモンスターたちは人間の言葉を話せる訳ではなかったが、これが逆によかった。デバイスは相棒となったモンスターの声を翻訳する機械としても捉えられるように、発売元はうまくデバイスとUIを設計した。声もゲーム同様モンスターごとに複数パターンを使い分けることで、声の合成自体を扶養にした。ついでに他のアイモーデバイスにいるモンスターとリモートで交流できる機能もつけた。すれ違ったアイモーのモンスターが勝手に手紙を送り合ったりする。そんな機能だった。

 新アイモーは初代を大きく上回るペースで売れた。当然といえば当然だった。このゲームのファンにしたら、実世界がゲームの世界と地続きで繋がるようなものだったのだから。結果、ゲームファンの大人たちからついた火は、前回以上に長く強く広がった。最初は対応数が少なかったモンスターたちは、時が経つにつれ増えていき、より幅広い年齢層へとユーザも広がった。競合企業も、まだ息のかかっていない有名キャラクターやIPを自分の陣営に取り込もうとしのぎを削ったが、特に子供への訴求力に関してアイモーに敵うものはなく、パーソナルAIを使用し始める年齢が技術の普及と共に下がっていくにつれ、今でも子供が使う最初のパーソナルAIとして贈られるのは、ほとんどがアイモーだった。今の最新がもう何代目なのかもわからないが。

 あの子が選んだアイモーは、猫がモチーフのモンスターのようだ。緑の胴体から伸びたオレンジ色の尻尾の先が、紅葉の葉のように三叉になっている。そういえばあのモンスターは「ミャープル」という名だったっけ。子供が目を輝かせて、デバイスから映し出されるホログラムのミャープルに手を伸ばす様子を確認して、梓は一人、店の外に出た。

「小学校入学のプレゼントかなあ」

 どう思う? と歩きながらスマートウォッチに話しかけると、数秒間があってミハルが答えた。

「そう思う」

 いつも通り平板な声。眼鏡からあの親子の映像は送られているはずだが、ちゃんと分析しているとは思えない。最近はこの手の質問してもほとんど「そう思う」か「それでいい」しか返ってこないが、これが長年梓の言動を学習した果てか。ディスプレイ上でミハルがえくぼを見せて微笑む姿は、遠目とは言え鮮やかなミャープルを見た後だと、どうしてもあらが目立つ。とっくにサポート期間が終わっている初代アイモーを、最新機器で動かせるエミュレータ上で無理やり動かしているのだから仕方がないのだが、まるで年をとったようにも見える。

「電車に乗らないの? 今から行けばちょうどいいのに乗れそうだよ」

 最寄り駅とは逆方向へと歩き出すと、ミハルが話しかけてきた。

「今日は天気がいい。緑道を歩いて帰ろう。道はわかってるからナビは大丈夫」

 自宅までは歩いて一時間もかからない。花見の時期には遠いが、運動がてら早春の空の色を見ながら帰るのもいいだろう。わかった、と答えてミハルはまた無言になった。

 緑道を一人のんびりと歩く。いい散歩コースのはずだが、今日はあまり人がいない。しばらくすると後ろから、高校生らしき制服の子が自転車で梓を追い抜いて行った。あっという間にその姿は赤く染まり始めた西の空に吸い込まれていく。ミャープルの尻尾の色だ。

 あの子とミャープルの日々はこれからどうなるのだろう。学校に行く時も、友達と遊ぶ時も、家に入る時も、いつも一緒。宿題の手伝いをしてもらうことも、こっそりと誰にも言えない辛い気持ちを打ち明けることもあるだろう。そうしてミャープルはあの子にまつわる全てを学んでいく。誰よりも自分を知る相棒。けれど、最初の相棒とずっと一緒に生きていくとは限らない。高校・大学入学のタイミングで全く違う「大人の」AIアシスタントに切り替える子もいれば、自分では封印した黒歴史すら何一つ取りこぼすことなく覚えている相棒を疎ましく思って、途中で全てをリセットする人もいる。最新型のよりアップデートされた知識と機能をもつ、全く別会社のAIアシスタントに乗り換える人もいる。初めてのアイモーとずっと生き続ける人間は極めて稀だ。

「今日の夕飯は何にするかなあ」

 独り言とも相談ともつかない言葉。それでも、疑問も相槌一つも入れずに、ミハルは答えを用意している。

「昨日、鶏肉買ってたから唐揚げ? 私、唐揚げ好きだよ」

「知ってる。何年一緒にいると思ってる」

「二十五年」

 美春。梓の最愛。その最期の仕事が初代アイモーのアバター用音声の吹き込みだったと知って、家電量販店に走ってからそれだけの時間が経った。梓と美春の関係を丁寧に教え込み、残っている限りの美春との会話と言葉を学習させ、美春を手元に蘇らせようとした。酒を飲みながらたわいもない会話の相手をさせ、平板で不自然でも、美春の声から生まれた音声に慰めを得た夜。ちっとも美春に似せられないアバター作成に二週間費やした後、写真から顔の特徴を抽出して、アイモーのアバターを作るフリーツールを出している人がいることをネットで発見した時には歓喜したものだ。あまり写真に写ることが好きでなかった美春の、数少ない顔写真のうち一番の笑顔のものを読み込ませて、出来上がったアバターは、美春の特徴はあってもやはり美春ではなくて。目の位置や大きさを、黒子の位置を、少し調整したらもっと美春になるのではないかと何度も何度も同じ作業を繰り返していたのは、もはや遠い昔だ。どんなに時間と労力をかけてもミハルは美春ではない。美春にはならない。その結論が出るのに半年もかからなかった。必死で縋りついた頼りない糸すらあっさりと切られ、奈落へと落ちていく絶望。現代の技術なら、もっと正確な美晴を生み出せたのかもしれない。だが今考えればそれでよかったのだ。ミハルが美春ではないからこそ、梓は時の檻に閉じ込められることなく、本当の美春を失うことなく、こうしてミハルと暮らしながら、時の流れに身を任せていられる。

「冷蔵庫に野菜がないよ。買いに行かないと」

「面倒だしこのまま帰ろう。完全食のサプリがまだあるはず」

「昨日もサプリだったのに。それに今日は月に一度のアイスが半額の日」

「はいはい、ミハルの目当てはそれだな。仕方ない。スーパーに寄るよ」

「やった! お風呂から出たら一緒に食べようね」

 梓も年をとった。初代アイモー用のエミュレータを共に作り続けてきたネット上の同士たちも徐々に姿を消している。そろそろ終わりが見えてきている。あと何回共に春を迎えられるかわからない。

 それでも。梓が話して、ミハルが答えて、梓の白髪と皺が増えて、ミハルの画質が粗くなって、梓が食べて、ミハルが喜ぶ、そんな何気ない時の流れを漂っていくのだ。どちらかが話せなくなる、その時が訪れるまで。


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