神と利益の名のもとに

二枚貝

神と利益の名のもとに

 伝説にいわく、その聖女は黄金の雨に打たれて息絶えたという。



 ※



 快晴の空だった。

 疑いようもなく良い天気だった。だが、この日ひとりの少女が都市の中心広場で処刑されることも、また疑いようもない事実だった。

 朝から広場には、刑の様子見たさの庶民たちが集まりだした。

 正午に近づくにつれ、尋常ならざる人混みになった。その人出を狙って小商いをする者、食べ物や飲み物を売り歩く者が現れる。

 ちょっとした金を持っている者は、近くの家の二階や屋根に登らせてもらい眺望を特等席から楽しんだ。


 さながらお祭り騒ぎだった。もちろん、娯楽のすくない庶民にとっては処刑は貴重な、滅多にない娯楽である。

 しかもこのたび、処刑されるのはただの罪人ではない。若くうつくしい女性であり、この都市でもっとも高貴にしてもっとも裕福、もっとも神の寵愛あつき者――と、昨日までは呼ばれていた存在だった。


 いまや彼女は聖女ではなかった。

 賭けにおけるたった一度の敗北が、彼女を無敗の神の寵児から、ただの凡人へと引きずり下ろしたのだ。

 商業都市ラヴァの聖女は賭け事において負け知らず、その豪運と蓄財の才こそが商人たちの街の守護聖女としてこの上なくふさわしい――だからこそ聖女は誰からも愛されていた。彼女と賭けをして負けることは、ラヴァの民にとって名誉ですらあった。

『私は負けたのではない、賭け金を我らが聖女とその守護の神へ納め奉ったのだ』

『私の金は聖女の財産の一部になる。ひいては、神の宝物の一部に納められるということ、ならばこれ以上の名誉があるだろうか』

 だが彼女は負けた。勝機と賭けと富の神に愛され無敗の豪運を持っているはずの女は負けた。一度でも負けるなら、それはもうただの人間だ、すこし賭けが強いだけの。

 ラヴァの民はもはや彼女を愛さなかった。不敗こそが価値であり名誉であったのだ、だからこそ民は彼女を誇りに思ったのだ。不敗でなくなった聖女になど、もはや誰も価値を見出したりしない――良くも悪くも、商業都市ラヴァの民たちは現実的なのだ。


 広場の混雑と高揚が最高潮に達したまさにその時、遠くから重苦しい音を立ててやってくる荷車の存在にひとりが気がついた。

「来た! 偽りの聖女が!」

 まるで家畜を乗せる用のものを転用したのか、粗末な木製の荷車に見張の兵とともに座っているのは粗末な衣、化粧っけのない白く整った顔、黄金そのものを鋳溶かしたかのような髪――かつての聖女そのひとだった。その背後には、砲台用かと思うような鉄車輪の荷車に何やら積まれたのが、十台ほども列をなし続いている。

 広場に押しかけた観衆の幾人かは、かつて彼女が聖女に選ばれ、神殿へ入った時のことを思い出した。

 若くうつくしい当時の新聖女は、高貴なる血と、強い心力、有力な後ろ盾を持ち、身に纏うのは最上級の絹、錦と黄金で飾られた豪勢な無蓋馬車に乗って、その背後には神殿への奉納用の金貨を山と積んだ車が何台も続いて……皮肉なほどに、いまの光景とは対照的だ。


 かつて聖女への礼賛を叫んだその口で、民たちは罵声と汚物を投げつける。だが彼女はじっと目を伏せたまま、車から下ろされ、処刑のために空けておかれた広場の中央へ刑吏に小突かれながら歩く。

 通常の処刑なら、すぐさま刑吏が罪状を読み上げる。だが、元聖女の処刑にはそれがない。彼女に罪があるとすれば、それは聖女にふさわしくなくなった――その一点につきた。

「リィシア・アッシェン。いま、生の終わりに、申し上げたき儀はあるか」

 形式的なその言葉がかけられた瞬間、いままで黙ってうつむいていた彼女が顔を上げた。

 彼女は引き結ばれていたくちびるを開き、よく通る声を張り上げるでもなく、だがその場に集った者たちの歓声にもかき消されれぬほどはっきりと、言った。


「――――神と利益の名のもとに」


 *


 もはや何ひとつ、リィシアの心を揺らがすことはなかった。

 聖女の地位を追われたことも、生まれて初めて賭けで敗北をしたことも、仕え続けてきた富と賭け事の神に見捨てられたことも、これから処刑されるということさえ――すべてがどうでも良かった。

 昨日、リィシアは賭けに負けたのではない。勝てるはずのない賭けにみずから身を投げたのだ。生涯でただ一度愛した女を相手に――そして自ら勝ちを放棄した。リィシアにとって、賭けの結果ではなく、彼女に拒まれたことこそが敗北だった。

 神殿をこうして追われたことも、好きにすればいいと思った。神の寵愛を失った元聖女など、縁起の悪い存在でしかない。商人の街ラヴァの民は縁起の良し悪し、運の良し悪しにひどく反応する。不幸を呼び寄せぬうちに殺してしまえと思うのは当然のことだ。

 だから処刑場に引き出された時も、さっさと終わればいいとさえ思った。

 でも。


「リィシア・アッシェン。いま、生の終わりに、申し上げたき儀はあるか」

 その言葉に、はっとなった。

 言いたいことが、あった。まだ言えていないことが。リィシアは、愛した女に何ひとつ伝えられていないのだ。

(勝って、あなたを勝ち取って、伝えるはずだったのに)

 顔を上げ、ぐるりと取り囲んでいる群衆を見る。

 あのひとがこんな場所に来るはずない、そう思いながらも一抹の未練を残して。

 早く言わなければ、刑吏はすぐにでも処刑を始めたがっている。数分の余裕もない。

 考えるより先に、リィシアの腹は決まっていた。

(いま伝えられないなら、もう一度、機会を手に入れればいい)

 聖女は生まれ変わることがある――歴代聖女の中でも一握り、神に愛され、神に惜しまれた者だけがそれを可能にする。

 自分がまだ神に愛されているのかは分からなかった。すくなくともリィシアの神は、おのれの聖女が罪人として刑場に引き立てられるまで何の妨害も起こさなかった。

 それでも、リィシアにはこの方法しかない――あるかも分からぬ神の寵に賭けるという方法しか。

(最期まで賭けか)

 ほんの少しだけ苦い感情が生まれ、すぐに消えた。これは賭け、しかも一生に一度、神を相手にした大博打――いやでも高揚が溢れ、すべての感情を塗り替えてゆく。


「――――神と利益の名のもとに」

 リィシアがそう述べると、広場は一瞬で静まり返った。それが、彼女が賭けごとの時必ず口にする祈りの言葉だと、その場に知らぬ者はいなかったから。

「わたくしはもう一度、生まれ変わり、あなたに会いに行く」

 数秒後、ほとんど絶叫に近い悲鳴で広場は包まれた。

 それは呪いと復讐の言葉に聞こえたかもしれない、広場にいた観衆にとっては。

 だがリィシアにとってはまじりけのない愛の言葉だ。

 動揺はどんどん大きくなり、収まりがつかなくなってゆく。見かねた刑吏が合図を出すと、兵士たちはあの台車の荷を剣で切り裂いた。

 どっとこぼれて溢れ出た黄金の輝きに、誰もが目を奪われた。

 それは信じられぬほど大量の金貨であった。

「これらはすべて、リィシア・アッシェンが集めた汚れた財産である。汚れた黄金は、その持ち主の死と引き換えに浄化されるであろう!」

 呆然としていた民は、じわじわとその言葉を理解して、ひとりまたひとりと地に落ちた金貨を広い――リィシアに向かって投げつけ始めた。

 罪人の財産を相続することは、その罪も穢れも相続することを意味する。だが罪人が死した後ならば――それは罪人が命でもって罪を贖った後のことゆえ、財産は清められたことになる。

 早い話が、散らばった大量の金貨を持ち帰りたいのなら、ここでリィシアに死んでもらうしかないのだ。

(盛大にやっておくれ。もっともっと、噂として広めてもらわないと、あのひとの元へは届かない)

 そのためならばとリィシアは微笑んだ。


 やがて投げつけられる金貨の量は凄まじいまでに増し、その光景は黄金の雨が降り注ぐかのようにさえ見えたという。

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