クラスの除け者である俺が出会った理解者がバッファローの群れだったんだが
縁代まと
クラスの除け者である俺が出会った理解者がバッファローの群れだったんだが
俺、
最近、うちの高校の女子の間で流行っているまじないがある。
特殊な魔法陣を描いた紙を用意し、三分という時間の中で手順通りに儀式を行なうと一生を添い遂げられる人物がわかるというものだ。
しかしその内容はわりと曖昧で『その人物の顔が紙に浮かんでくる』や『名前だけ頭の中に伝わる』や『そんな人物と出会わせてくれる』など様々なニュアンスの結末が用意されている。
つまり皆この儀式の正確なやり方なんてこれっぽちもわかっていないのだ。
上澄みだけ掬って青春の一幕を彩るためだけに使っている。
じつに無知な学生らしい。
その点、幼い頃からそういったオカルトに詳しい俺はすぐにピンときた。
儀式は魔法陣に不備があり、儀式の内容も少しおかしい。しかしそれを正せば正常に働くものだ、と。
この儀式の正体は三分以内に正しい手順を踏めば『一生を添い遂げられる理解者を呼び出せる』というものだ。
周りの人間は両親も含めて俺の趣味――もとい才能を認めなかった。
それどころか「そういうの、そろそろ卒業した方がいいよ」などと言う始末である。卒業すべきものとそうでないものの見分けもつかないらしい。
理解されず、孤独に研究を続けるのは覚悟の上。
しかし少しばかり寂しい。
だが、この儀式を成功させれば俺は名誉と共に一生を共にする者まで手に入れられるのだ。
そして添い遂げられると明言しているほどなのだから、気の合う理解者に違いない。
そんな予想から導き出したのが『一生を添い遂げられる理解者』である。
「さあ、今日こそ長き孤独に終止符を打ってやる!」
深夜の自室にて、部屋の中央に置いた紙を前に決意表明をする。
魔法陣は完璧に書いた。
手順もしっかりと追い、あとは最後の一押しのみ。
そんなフィナーレを飾る行動は――己の血で血判を捺すというものだった。
少し、ほんのちょっとだけ怖……いや、痛みへの覚悟が足りていない。
良い感じに鼻血でも出ないものかと鼻を小突いてみたが、俺の毛細血管はびくともしなかった。乾燥したら滲むくせに。
しかし何も鼻血を待たなくても、ナイフで指先を切らなくてもいいのだ。
季節は夏。
蚊に食われて痒みを訴える皮膚というのも風物詩同然だ。
普段は掻かないよう細心の注意を払うが、この日ばかりは思う存分心ゆくまで掻いてやった。そうして出来上がったのが腕のカサブタである。
こいつは簡単に血を湧き立たせることができるもの。いわば血液を召喚する魔法陣だ。
魔法陣を起動させるのに魔法陣を用いる、そんな因果すら良い方向に働いてくれる予感がした。
治りが遅くなると面倒なので最後の手段だったが、鼻血が出ないなら仕方がない。覚悟を決めよう。俺は決して小心者じゃないからな。
カサブタを引っ掻くと意外としぶとかった。
なのに痛い。
「クソッ、こんなはずでは……!」
三分という時間制限もまもなく終了を迎える。
慌てているとようやく湧いてきた血を親指で掬い、俺は思いきり魔法陣の中央へと血判を捺した。
良い音が鳴る。完璧だ。
すると部屋の中の空気が一変した。
呼吸はできるのにまるで粘度の高い水中にいるかのようだ。
目を白黒させていると紙の魔法陣がぐにゃりと動き、まるで捩じられた布のような螺旋を描く。
生理的嫌悪を催す虫を発見した時のような、ぞわりとした感覚が体の中を駆け巡ったが、この異常事態が儀式の成功を示しているようで俺の心臓は高鳴った。
さあ、ここへ来てくれ、俺の理解者!
歓迎の準備もしてある!
用意しておいた甘味を共に食べよう!
しょっぱいものもあるぞ!
そう心待ちにしていると、俺の心の声に促されたかのように魔法陣の中心が盛り上がり――大きな球体になったかと思えば、それが破裂して中からバッファローの群れが現れた。
「ようこそ、歓げ……は?」
バッファローの群れは半透明で、俺の部屋にあるもの全てを蹴散らし始める。
「え? なに?」
どう見ても突き進むバッファローの群れ。
全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れである。
問題なのはその群れが窓や壁を突き破ってどこかへ消えるのではなく、俺の部屋の中をぐるぐると回るように駆け続けていることだった。
破壊されるオカルト雑誌、資料、机、イス、ベッド、通学鞄、制服。
本棚そのものや魔導少女マジカル☆リープのフィギュアまでその犠牲になる。おい待て、それ限定品だぞ!
俺はバッファローを止めようとしたものの、金縛りに遭ったように体が動かず――ついにはハリケーンに襲われたのような惨状の中で気を失ってしまったのだった。
***
目が覚めたのは翌朝のこと。
アラームより少し早めに瞼を開けると、部屋の中は荒れた様子もなく綺麗なものだった。
……夢だったのだろうか。
そう思っていると俺の後ろから半透明のバッファローが頭をにゅっと出してきて危うく叫びそうになった。
そういえば昨晩蹴散らされ舞い飛んでいたものも全て半透明だった気がする。
バッファローたちは物理的なものに干渉するのではなく、その霊体的なものだけ破壊することができるらしい。いやオカルト雑誌の霊体とか何だよって話ではあるが。
そしてもうひとつわかったのは、落ち着いたバッファローたちは俺に対してとても友好的だということだった。
「ま、まさか理解者なのか? バッファローが?」
嫌だ。
嫌すぎる。
儀式が成功したのか失敗したのか判断に困るが、嫌だという感情はどちらでも湧いてくる。
ほんのちょっと泣けてきたが、ここで心折れてはオカルトマニアの名が廃るというものだ。俺は自分の頬を強く叩くと、この謎のバッファローたちを観察することに決めた。
なお、この時の勢いで鼻血が出た。
俺の毛細血管は空気を読まない。
***
どうやらバッファローたちに霊体を破壊された物は劣化が早まり、バラつきはあるものの一週間ほどで朽ちてしまうようだった。
お供え物の味が無くなっているのと似た現象だろうか?
とりあえず俺の私物が酷い状態になったので、しばらく胃薬が手放せなくなったし母さんには「乱暴に扱ったんでしょ!」と叱られた。
制服や教科書の買い直しにそれなりの金がかかると理解しているので、言い返すのはやめておく。
それにバッファローたちのことを説明しても信じてはくれないだろう。
なにせ俺以外には見えないのだから。
一生懸命伝えても信じてくれない、それがわかるあの瞬間が俺はちょっと嫌いだ。
そしてもう一つわかったことがある。
あの夜、同じ部屋にいたというのに俺自身の体には何の影響もなかった。
あまり自覚はなかったが、あの狭い部屋で俺にぶつからず走り回ることはできないはず。というか気絶したのも突進を受けたからかもしれない。
最初は「もしかして多臓器不全とかで死ぬんじゃ?」と怯えたが、意識が飛んだ以外は健康そのものだ。
「今日まで様子を見てみたが、やはり異常はない。つまり……お前たちは無機物しか劣化させられないんだな?」
下校途中に立ち寄ったファーストフード店。
そのカウンター席で、電話をするふりをしながらバッファローたちに話しかける。
バッファローたちは毎日懐いた俺の後ろをついてくるのだ。群れの長になったようで少し気分がいい。
「ついでに霊体をぶっ壊さなければその物体をすり抜けられない。生体はある程度はすり抜けられる、か……」
俺は店内を振り返る。
群れがすべて収まっているので天井までバッファローでぎちぎちだった。
その隙間に他の客がいる。たまにトレイを落っことしてるのは俺のバッファローのせいだ。申し訳ない。
部屋から出られなかったのは俺と契約が結ばれているせいだったのかもしれないが、その辺の家の壁を壊して劣化して崩れられても困るため、あれから俺はバッファローたちに口酸っぱく言い含めておいた。
俺が指示しない限り物を壊すな、と。
今のところそれは律義に守られている。その結果がこれだ。
そろそろ帰るか、と俺が店を出ると、バッファローたちもゾロゾロとついてきた。
この様子を写真に撮れたなら極上の心霊写真になっただろう。多分。
***
バッファローたちを呼び出して一ヶ月が経った。
あんまりにもあんまりな相手だったが、折角呼び出したのだからバッファローたちの力を活かさなきゃもったいない。
そんなわけで嫌いな体育の授業を回避するために数日前から跳び箱を劣化させたり、テスト勉強が間に合わなかった時は配られる答案用紙を劣化させてテストを先延ばしにしたり、色々と使えそうな場面を模索してみた。
が、お得感より罪悪感の方が強くてやめた。
備品とかはなるべく元から古くなってるものを選んだが、これ普通に器物損害みたいなものだしな……。
そんな試行錯誤の中でわかってきたのが、どうやらバッファローたちの力は成長するらしいってことだ。
繰り返し使っている間に明らかに劣化までの期間が短くなり、今では霊体を破壊してから一時間以内に劣化するようになっていた。なんかちょっと怖くなってきたぞ。
「お前たちって本当に何なんだろうな……」
ある日の夕方、俺は歩道を歩きながらバッファローたちを見る。
精霊の類か、それとも悪魔か。
オカルトマニアとしてそれを突き止めたくて色々な文献を漁ってみたが、似たようなものは見つけられなかった。
良く言えば新種だが気になるものは気になる。
もちろんバッファローたちから返事があるはずもなく、つい溜息をついていると前方から数人の男女が歩いてくるのが見えた。――クラスメイトだ。
恐らく向こう側にあるゲームセンターからの帰りだろう。最近クレーンゲームに新しい人気商品が入ったとかで、数人のクラスメイトがたむろしているのを見かけたことがある。
俺が気づかないふりをして通り過ぎようとしたところで、先頭を歩いていた母谷という男子がゲッという顔をした。
その顔をしたいのは俺の方なんだがな。
「牛川じゃん……」
「母谷、顔に出すぎ」
「だってクラス一番の変人だぞ」
「シーッ、この距離普通に聞こえちゃうから」
聞こえてる聞こえてる。
俺は俺の好きなものを隠さずに楽しんだ結果、クラスで浮いた存在になっていた。
オカルト好きな奴は他にもいたが、皆それなりに距離感の取り方と擬態が得意だったらしい。俺はしくじった。
そして一年の頃に女子が「この年齢まで覚えてると死ぬ言葉があるんだって」と盛り上がっていたのを見かけ、ついテンションが上がって言ってしまったのだ。
その言葉を。
俺にとってはただのオカルト知識だったが、半信半疑ながらも盛り上がっていた女子たちは違った。中には泣き出す子もいて、なんで言っちゃうのと非難されてしまった。
今ならわかる。
俺はクラスメイトに呪いをかけたも同然だと。
全員俺と同じ感覚でオカルトと向き合っていると勘違いした結果だった。
あの女子たちの中には該当する年齢までずっと気にし続けたり、当日になってあの日のことを思い出して嫌な一日を送るはめになる子もいるだろう。
そして思い出すのは俺の顔もセットだ。
謝ったが、それで解決しないこともあると思い知った。
それ以来、表立っていじめられることはなかったが『浮いた存在』だった俺は『腫れ物』に変化し、親しくしてくれるクラスメイトはいなくなったのだ。
それでも学年が上がったりクラスが変われば少しは変化があったが、その頃には俺の方が気にしてしまい、話しかけてくる人間に当たり障りない反応をしたり遠ざけていた。
今の状況を作ったのは、俺自身だ。
だから母谷たちのあの反応も仕方ない。
聞こえないようにはしてくれよとは思うが。
すれ違う際に俯いていると、バッファローの一頭がぬうっと頭を出して見上げてきた。
慰めてくれるのか……なんて思えるほど目から感情を読めないので謎の行動だったが、とりあえずありがとうなと心の中で伝えておく。
俺とクラスメイトたちは何事もなくすれ違い、そのまま彼らの声も遠のいて聞こえなくなった。
***
裏山にUFO降臨の儀式をするために登った際、何本かの倒木が道を塞いでいたのでバッファローたちに纏めて消してもらった。
荒れ狂うバッファローたちの様子は何度見ても凄まじい。
これを見るたび朽ち果てておさらばすることになった魔導少女マジカル☆リープのフィギュアに思いを馳せている。
「……? お前たち、何か変じゃないか……?」
すべての倒木を消した直後に違和感が俺を襲った。
少し前からなんとなく感じてはいたが、ほんのちょっとずつでわかりにくかったことだ。
しかし一気に片付けたことでそれは顕著になり、ようやく俺はその正体に気がつく。
「いや、これ明らかに小さくなってるよな!?」
バッファローたちのサイズのことである。
初めは現実のバッファローと同じくらいのサイズだったが、今はそれよりも大分小さい。群れていてわかりにくかったとはいえ観察不足が過ぎる。
バッファローたちは特に気にしていない様子だったが、俺はハイそうですかと受け流す気にはなれなかった。
「も、もしかして力を使ったせいか? あれは霊体に体当たりしてぶっ壊してるわけだから、つまり……」
半透明なバッファローたちも霊体のようなもの。
他の霊体を壊せるってことは干渉し合っているってことで、現実の物と物がぶつかった時と似たような現象――摩耗が起こっているということなんだろうか。
「お前ら何してるわけ!? 自分の硬度より柔らかいから豪快に破壊してたんじゃないのか!?」
バッファローは何も答えない。
バッファローだから仕方ない。
俺は悩みつつも、これからはなるべくバッファローたちの力を使わないことに決めた。
変な奴らだが、長い間一緒にいたことでそこそこの愛着はあるし、このまま行けば消えてしまうかもしれないとわかっているなら尚更だ。
念のためそのことをバッファローたちにも伝えたが、正確に伝わったかはわからない。
なお、UFOの降臨には失敗した。
***
そうしてゆっくりと、しかし確実に時は経ち、俺はクラスメイトたちと共に修学旅行へと向かっていた。
行き先は京都で、日本国内であることにクラスメイトはテンションが下がっていたがオカルトマニア視点で見るとじつに興味深い土地だ。
――で、テンションが下がっていたというのに、目的地へ向かうバスに乗って山道を走る頃にはバス内はお喋りする声でいっぱいになっていた。みんなお調子者だ。
俺は絶賛ぼっち中で、隣の席の男子生徒も後ろへ身を乗り出して話し込んでいたので手持無沙汰になり、とりあえず旅のしおりに目を通す。
ちなみに読むのは五回目だ。バス良いしなくて良かった。
(バッファローたちの様子を見とくのもいいけど……)
俺は最近、あいつらのことをしっかり確認するのが怖い。
バッファローたちは霊体を壊さなくても時間の経過で少しずつ小さくなっていた。
考えてみればバッファローたちは無機物にぶつかる。正確に言うと無機物の中の霊体にぶつかる。そのせいで破壊しなくても少しずつ削れていくのだ。
これを止めようにもバッファローは『待て』の命令だけは聞いてくれなかったし、今でもバス内にまでついてきていた。
しかしそんなバッファローたちでバス内がいっぱいになるほど、こいつらにはもうそんなに質量がない。
なんてったって――手乗りサイズなのだ。
手乗りバッファローってなんだよ。
もうバッファローのフィギュアだよ。
それでも完全に見ないままだと、いつの間にか視界外で消滅してはいないだろうかと心配になる。それくらい儚い存在になってしまった。
俺は覚悟を決め、定期確認と称してソッとバッファローたちを見る。
そして小さな姿が視界に入ったか否かといったタイミングでバス全体が大きく揺れ、唐突に天地が反転した。
……一体何が起こったのかわからない。
咄嗟に頭は守ったが、手が濡れていた。きっと血だ。意外とぬるりとはしてないんだな、と思っていると空気で凝固して近い感触になった。
それを自覚した頃にようやく意識がはっきりとし、バスの灯りが消えて真っ暗になっていることに気がつく。
いつの間にか天地は元に戻っていたが、辺りからは男女様々な呻き声が響いていた。
「が、崖から落ちた! バスが崖から落ちた!」
前方に座っていた生徒はその様子を見ていたのか一部始終を話す。
どうやら飛び出した野生動物に驚いた運転手がハンドル操作を誤ったらしい。
山に慣れている運転手なら下手にハンドルを切らずに突き進んだだろうが、運転手も県外の人間だったので咄嗟の判断が間に合わなかったようだ。
動物と聞いて思わずバッファローたちの姿が脳裏に浮かんだものの、全頭ここにいるのでこいつらのせいじゃない。
そもそもバッファローのフィギュア状態だしな。
徐々に呻き声にすすり泣く声が混ざるようになり、そんな状況の中で先生や運転手は気絶しているということがわかった。……死んでないことを祈りたい。
「ドアは開かないの?」
「車体が岩か何かに挟まってて無理っぽい」
「ガラスを割るとか」
「怪我してて無理だって!」
そこかしこで声が聞こえたが、全員姿はほとんど見えなかった。
少し目が慣れてきたものの、それでも山中で日が暮れ始めているのか光源がないとどうにもならない。
意識のある一部の生徒がスマホで助けを呼ぼうと荷物を探している音が聞こえ、一瞬だけ反射光が見えたものの――スマホも壊れていたのか、その一瞬だけだった。落胆と悲しみの声が響いてくる。
俺も自分のスマホを探してみたものの、ポケットに入れていたそれは横転した際にどこかへ吹っ飛んでしまったようだ。
それでも他のクラスメイトより少しは落ち着いていられたのは、暗闇の中でもバッファローたちが仄かに発光して見えるからだろう。
(部屋にいる時は寝る時にアイマスク必須で厄介だったけど、こういう時は助かるな……)
ただ、この落ち着きには少し現実逃避が含まれることも自覚している。
俺には苦しさを分かち合う相手も、弱音を吐く相手も、協力して希望を見出す相手も、励まし合う相手もいない。声をかけてくれる奴もいない。
みんなそれぞれ自分と、そんな自分に好意的な相手や大切な人のことで手一杯だった。
起きているのかいないのかわかりもしない俺のことを気に掛ける余裕はないのだ。
じつによくわかる。
だから俺は文句は言わない。
ちょっとは傷つくが、バッファローたちの灯りが癒してくれるからいい。
むしろこいつらを独り占めして申し訳ないくらいだ。
それでもクラスの皆と支え合いたかったな、と。
なんとなく、浮いた存在になる前に感じていたのと似た気持ちになった。
***
山道に事故の痕跡は残っているだろうから、救助要請できなくてもいつかは気づいてもらえるはず。
そうわかっていても全方向が真っ暗になり、周囲が夜気に包まれると不安になる。
暗い山中では色々な音がして、そのたび女子の誰かが怯えたひそひそ声で何かを話していた。きっと励まし合っているんだろう。
そして夜の山中はとにかく寒かった。
季節は五月。五月でも夜はこんなに寒いのか? と思ったが、どうやら怪我で血を流したことと閉じ込められてから何も食べていないことが影響しているようだった。それはそうである。
「なあ、光ってるくらいなんだから周りを暖かくできたりしないのか?」
寒くて、暗くて、孤独だった。
だから、ついに俺は小声でバッファローたちに話しかけた。
もう一人で黙々と待ち続けるなんてできなかったのだ。とにかく誰かと話したかった。
だってさ、俺の足、変形した座席に挟まれて動けないんだよ。
隣の席の奴をはじめとした動ける奴は別の場所に集合していた。それくらいは気配や声でわかる。最初は四方から聞こえてた声は今は後部座席側に集中していた。母谷もいるみたいだ。
それが俺とクラスメイトの距離をまんま示してるみたいで、やりきれなかった。
念のため声の音量は絞ったものの、皆が疲れ果て静かになったバス内には思いのほか響く。
俺は口を噤もうとしたが――あの日のようにバッファローたちが下から顔を覗き込んできたので、堪らず更に言葉を紡いでしまった。
俺から離れられないのはわかってるけど、助けを呼んできてほしい。
みんなを助けたいんだ。なんでもするから。
食い物や壊れてないスマホの位置を教えてくれるだけでもいい。
もしくはもっと周りを明るくしてくれ。
それを口に出して言う。
暗闇の中でもわかるほどの奇異の目が向けられているとすぐにわかった。チクチクと肌に刺さるように感じる。
それでも表立って黙れとか気味が悪いと言われなかったのは、俺が頭を打った可能性などを考慮したんだろう。高校生はそこまでガキじゃない。
でもまあ、それでもこれこそが『腫れ物扱い』なことに違いはないんだが。
――すべてはクラスに合わせられなかった俺のせいだが、ありのままの自分で皆と仲良くしてみたかったなぁ。
これだけは口には出さなかったが、その時バッファローの一頭がぴくりと反応して頭を上げた。
それに倣って他のバッファローたちも上を向く。
そして空中を蹄で何度も蹴り始めた。
「……は? おい、お前ら」
これはバッファローが暴れ回る直前にする仕草だ。
何度も見てきたからわかる。
そしてバッファローがこれ以上霊体を壊せば、自身も削り消えてしまうことも直感的にわかった。……しかもこいつらが狙っているのは、きっとバスの屋根だ。
それはバスを挟んでいる岩ごと劣化させる余力はもうないことを示していた。
最初に命じて、そして聞いてくれた数少ない命令。
バッファローたちはそれを律義に守ってきた。
なのになんで今は守ってくれないんだろう。その力を使わないようにしたのは、バッファローたちに消えてほしくなかったからなのに。
――俺にとってバッファローは消えてほしくない存在になっていた。
なのにバッファローたちは俺の言いつけを無視すると、ついに天へ駆け上がりバスの天井の霊体なんていうとんでもなく変なものに突進する。
それはあまりにもあっけない瞬間で、屋根の霊体を荒れ狂う角でぶんぶんと振り回し叩き付け粉々にしたバッファローたちは、それと同時に己の身も砕いてしまった。
俺は叫びになる前の声を飲み込む。
叫ぶことより、こいつらの最期の瞬間をちゃんと目に焼きつけるべきだと思った。
だってバッファローたちが見えているのは俺だけなんだから。
バッファローたちはさらさらと砂が崩れるように消え、最後に残った小さな頭がこちらを向く。
やっぱり何も言わなかったけれど、最後に俺はあいつらを見て、あいつらは俺を見た。
……それだけは、すでに起こった確定事項だ。
俺は肺に空気を吸い込む。
バッファローのことはよくわかっている。
俺の理解者として呼び出されたあいつらの理解者は俺だ。
だから、今からどれだけの時間で天井が劣化し、その劣化具合がどんなものかもしっかりと把握していた。
渾身の一撃を食らわされた屋根は砂粒のようになるだろう。あいつらみたいに。
「みんな!」
張り上げた声は少し震えていたが、後悔はなかった。
「今から天井が砂になるから、目を守ってくれ!」
バス内がざわめく。
そして、予想通りのタイミングでバスの天井全てがざらりと崩れ去った。
鋼鉄が劣化したとして、こんな状態になるのにどれだけの時を要するのかわからないほど細かく。
そうして暗闇に射し込んだのは、闇に慣れた目には眩しく見える月明かりだった。
***
バスの事故から二週間。
月明かりを頼りに使えるスマホを見つけ、救助を呼んだことで先生や運転手を含めた全員が助かった。
今も怪我で入院している奴は居るものの、俺を含めた大半のクラスメイトは登校している。
俺は足を骨折して松葉杖をついているが、その使い方にもそろそろ慣れてきた。
今まで縁のなかったものだが、きっと怪我が完治して手元からなくなれば寂しさを覚えるんだろう。……バッファローたちのように。
バッファローはバスの屋根の霊体と相打ちになった後、再生することもなく姿を消したままだ。あのまま消滅したことも、それが不可逆であることも明白である。
いつかは来る別れだったが――俺はあいつらに伝えられないままだった言葉をずっと心の中で持て余していた。
別れの予感がしていたなら、その時が来る前に言ってやればよかった。
そんな後悔ばかりが湧いてくる。
気分は鬱屈としていたが、現実はそれを覆い隠すほど大きく雄大で予想外のことに満ちていた。
端的に言うと『事実は小説より奇なり』というようなことが起こったのである。
「牛川君だ!」
「バス事故で皆を救ったんでしょ?」
「不思議な力ってマジなのかな」
「友達が言ってたけどマジらしいよ、手品じゃあんなことできないって」
「受験に合格するために牛川様を拝めぇぇぇ!!」
――あの出来事を俺の不思議な力によるものだと解釈したクラスメイトたちが発信源になり、学校中で注目されることになったのだ。
テレビ取材の申し込みもあったが母さんたちに断ってもらった。オカルトは好きだが有名になりたいわけじゃない。むしろオカルトに没頭する邪魔になる。
学校側は半信半疑だったが、事故があったのは事実なので取材に関しては対策をして守ってくれた。
しかし人の口に戸は立てられない。
その結果こういった状況になり、特に怖いのは最後に聞こえてきた声のような俺を信仰対象にするかのようなものだった。
というか信仰対象にされてる。お前今からそんな調子だと社会に出てから良いカモだぞ。
(でも、まあ……)
理解はされた、のだと思う。
あれからクラスメイトとも打ち解けて、たどたどしいながら母谷もお礼を言ってくれた。「能力を隠してなきゃいけない理由があるんだろ、余計な質問はしねぇよ」とここでも誤解があったが、解き方も解くメリットも思いつかなかったのでそのままにしてある。
あれほど欲しかった理解者を得て、オカルト趣味を隠さなくても眉を顰められることはなくなり、クラスにも受け入れられた。
けれどそれはバッファローたちのおかげだ。
もし今後また何かの召喚に成功したとしても、その事実は変わらないだろう。
あいつらは――やっぱり、俺の一番の理解者だった。
最後に命令を無視したのも俺の望みを汲み取ってのことだ。理解者はイエスマンのことじゃないんだから、命令無視をしてでも俺の益になることをしてくれたんだろう。
結果、皆のことを救えたし、自分を包み隠さなくても受け入れてもらえるようになった。だからすべてバッファローたちのおかげだ。
ただ、一生を添い遂げるという意味が望んだものじゃなかった、それだけは嫌で嫌で堪らない。
それは理解者を呼び出してバッファローが現れた時の嫌さよりも数十倍も大きな感情だった。
けれどあいつらはもうこの世にいないのだから、今は遺してくれたこの境遇をしっかり守り抜いて、これからも保っていきたいと考えている。そのためには俺からも他者を理解出来るように頑張らないといけないだろう。
でも理解してもらえた経験がある今の俺なら、きっとできるはずだ。
だから、今はもういないバッファローたちに伝えよう。
最後に言ってやれなかった言葉を、いつか届くと信じて。
バッファロー!
お前たちが理解者で良かった!!
そう心の中で叫ぶと、強い風が俺の周りをぐるぐると回ってから左右へと走り抜けていった。
――ああ、多分。
俺は風の余韻を感じながら笑う。
全てを破壊しながら突き進んだバッファローの群れが立ち去る時は、きっとこんな感じなんだろう。
クラスの除け者である俺が出会った理解者がバッファローの群れだったんだが 縁代まと @enishiromato
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