ウェルカム・トゥ・バッファロー・パーティー

宮野優

ウェルカム・トゥ・バッファロー・パーティー

 少年には三分以内にやらなければならないことがあった。

 いや実際はそんなことはなかったのだが、目の前の少女に乗せられてそういうことになってしまった。

 答えを出さなければいけない。我を通すか。他人に合わせるか。

 およそ四十年の時を超え発掘された謎――「全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れ」について、何を語るべきか。



 事の発端は彼が今年卒業することになる中学校ジュニアハイスクールの自由研究課題だった。

「アシュレイ、研究課題のテーマってもう決まってた?」

 午後の授業が終わった後にジェシーが声をかけてきた。

「いくつか案はあるけど、国語か歴史の科目でやろうと思ってる。第一候補は『ギリシャ神話で人類に火をもたらしたプロメテウスと、旧約聖書でイヴとアダムに知恵の樹の実をもたらしたサタンの扱いの差について、古代ギリシャの世界観とユダヤ教の世界観の対比から考察する』ってやつかな。過去にいくらでも研究されてそうだけど、キャッチーなテーマでいいかなって」

 だが言っている途中から既にジェシーは眉をひそめていた。

「それをキャッチーだと思う中学生はアメリカ全土でおまえしかいねーよ。他にもっと軽いテーマはねーのかよ」

「第二候補は……『近代アメリカで脅威と見なされた存在が創作物に与えた影響を調べるため、モチーフとしてそれらが使われた小説の作品数の推移から考察する』ってやつだね」

「……? つまり、何?」

「例えばAI。専門家やSF作家は人類にとって脅威になることを前世紀の時点から予言していたけど、社会全体が脅威を感じるようになって本格的に議論が盛り上がったのは二〇二〇年代頃かららしい。それからプラハ人工知能条約の批准まで、世間ではAI脅威論の熱が下がることはなかった」

「待てよ、わかったぞ。その盛り上がりと、題材としてAIが使われる小説の数が増えてるかを比較するってことだな?」

「そういうことだね。サンプルを増やして有意な統計を取るのと一般市民の感覚をより反映させるために、有料で出版された小説じゃなくあえてアマチュア作家がWebに上げたものを検索対象にする。あまり手を広げても時間がかかるからコミックや映画は最初から対象外にした」

 ここまで話しながら、次にジェシーが言いそうなことは大体察しが付いていた。

「そのテーマさ、俺と組んでやらないか?」

 このタイミングで研究について聞いてくるのはそういうことだろうとは思っていたが、最近まで入院していて学校を休んでいたアシュレイはともかく、ジェシーがまだ誰ともグループを組まず課題のテーマも決めていないのは意外だった。

「てっきり君はもうマイキーと組んでるかと思ったけど」

「マイキーの奴、先にカレンとエマと組んじゃってさ。こういうのをグループでやるときに女がいると、口うるさいし仕切られるし、面倒じゃねえか。わかるだろ」

「とんでもない性差別発言が飛び出してきたな。まあそれはともかく……今話した研究テーマでいいなら、ぼくも共同でやるのは構わないよ」

 この自由研究課題は一人でやるかグループでやるかという選択も含めて生徒の自主性に任せられている。アシュレイは元々誰かと組んでやろうとは思っていなかったが、退院したばかりで何かと忙しかったし、作業を分担できるなら悪い話ではなかった。ジェシーはお調子者なところはあるが、人に仕事を押しつけて楽をしようとするような男ではない。

「決まりだな。役割分担はどうする?」

「ぼくのやりたいテーマだから、面倒なところは引き受けるよ。レポートのまとめはこっちに任せてもらって構わないから、最初のデータ集めの方をやってくれないか。二〇〇一年以降の、各種Web小説サイトから、まずは『AI』をメインのキーワードにして、『滅亡』とか『破壊』とか『失業』とかその辺をサブのキーワードにしてコンシェルジュアプリに検索させればそんなに時間はかからないはず」

 詳しいことはまた相談することにして、その日は解散になった。

 ジェシーが興味深いデータを見せてきたのは、その翌日だった。



「それで発掘されたのが『全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れ』? 何かの呪文?」

 ミリアムは露骨に訝しげな顔をした。無理もない。アシュレイがジェシーからその胡乱な文章を聞かされたときも同じような顔をしていたはずだ。

「知ってのとおり、コンシェルジュアプリに検索を命じると、メインのキーワード――この場合はAI――を抜いた検索結果も集めてくれる。それにキーワードを他言語に翻訳して検索されたデータも。その中からジェシーがたまたま興味本位で『破壊』というキーワードに引っかかる作品の数が多い時期を抽出させると、こいつが出てきたってわけさ」

「『全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れ』について書かれた小説がいくつもあった時期?」

「いくつも、なんてもんじゃないんだ。二〇二四年の二月二十九日――閏(うるう)年なのは特に意味はないと思う――からのほんの数日間で、『全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れ』を描いた小説が千百作品以上投稿されてる」

「そんな意味不明なテーマで千百!? どんな流行?」

「どうもその日に、そのWeb小説サイト――カクヨムっていう半世紀続いてる老舗らしいんだが――で、ある条件で書かれた小説を三日と半日限定で募集するっていう企画があったらしいんだ」

「その条件が『全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れ』?」

「いや、厳密にはその条件は、本文の書き出しを『○○には三分以内にやらなければならないことがあった』から始めるってものだった」

「え? じゃあバッファローはどこから顔を出したの?」

「その条件の中で更に自由課題として、やりたい人だけ挑戦してくれればいいテーマとして『全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れ』というのが設定されてたんだ」

「ごめん、全然意味がわからないんだけど……」

「だろ? そんなテーマが設定された理由も、これといった得はないのにそのテーマで千百人の人間がほんの二、三日で短編小説を捻り出す理由も一見するとわからない。だがぼくの考えでは、これには深い意味がある」

 アシュレイは今日学校で考えていた仮説を語った。

「まず考えられるのは、当時の日本の社会が置かれていた状況の影響だ。この年は新年早々大きな地震が起こったらしいが、それと関連づけるのは単純すぎるだろうな。もっと長い期間で考えた方がいいだろうが、日本国内ではその数年前から、大きな事件が多発してたらしい。ちょうど新しい天皇エンペラーが即位して新たな元号エラ・ネームになった頃だったが、そのめでたさとは裏腹に不穏な空気が社会に充満していた。世界全体に目を向けると、その数年前には世界的な感染症の大流行があったし、大国ロシアが戦争を始めたのもこの時代だ」

「……その重苦しい空気感とバッファローが関係あるってこと?」

「飛躍した仮説に思われるだろうが、ぼくはこの時代の日本人にとって、世界が滅びることへの恐怖、或いは終末への歪んだ憧憬というのが真に迫ったものとして存在してたんじゃないかと思う。『全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れ』というのはそのわかりやすい暗喩メタファーなんだ」

 前世紀末、世界の滅亡を本気で信じていた者が少なからずいた時代のジャパニメーションにはその世相が色濃く出ていたと聞いたことがあった。二〇二四年のカクヨムでそれと同じことが起きても不思議ではない。

「バッファローの群れが世界を滅ぼすのは無理なんじゃ……」

「そこに物理的なリアリティは必要ないよ。それに有名な『進撃の巨人アタック・オン・タイタン』では、無数の巨人が大地を行進して全てを踏み潰すのが世界の終わりの光景として描かれる。これは二〇一〇年代の作品だから、二〇二四年の日本人にはこの終焉のビジョンが共有されていて、その発展として『全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れ』が生まれた可能性は無視できない」

「なんで『進撃のバッファローアタック・オン・バッファロー』になるのかは全然わからないけど、言いたいことはとりあえずわかった」

「そう、なぜバッファローなのか。ぼくが次に考えたのもそこだった。バッファローという単語は複数の種類の生物に対して使われていて、紛らわしい言葉でもあるんだが、多くのアメリカ人にとってはバッファローとはアメリカバイソンを指す。これは日本人も同じらしいんだ」

「あの肩とか頭に毛がもじゃもじゃしてる強そうな牛ね」

「ああ、バッファローがアメリカの草原に生息してるということも多くの日本人に共通認識としてあると考えていいだろう。ましてWeb小説サイトで小説を書くような層ならそのくらいは知っていると考えた方が自然だ。そこからごく単純な仮説が立てられる」

 ミリアムの顔のしかめ具合は言外に「また飛躍した仮説が飛び出してくるんじゃないだろうな」と釘を刺していたが、気にせず続ける。

「『全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れ』は当時の日本人から見たアメリカそのものなんだよ」

「ええ……?」

「さっきも言ったがロシアの蛮行。これを止められなかった当時のアメリカはいよいよ『世界の警察』の役割を担えないことがはっきりし始めていた。それに加えて大統領選挙の混乱、リベラルと保守の対立の激化、パンデミックで百万人が死んでも公衆衛生に十分な注意を払わない愚かな大衆……世界一の大国の無様な姿に世界は――日本はこう思ったかもしれない。もしかして世界の終わりはアメリカから始まるんじゃないか、と」

「……うん、とりあえず続けて」

「アメリカで生まれ、アメリカで広がる終焉の萌芽、世界に広がる厄災、それがバッファローの群れなんだ。昔ゾンビ映画が象徴していたものと一致する部分もあるかもね」

「『バッファロー・オブ・ザ・デッド』だね」

 どこか投げやりな調子でミリアムが呟く。

「つまりバッファローは世界を終わらせてしまう、或いは世界をあらゆるもの、そしてその引き金を引いてしまいかねないアメリカへの不信、その全ての象徴なんだ。二〇二四年の冬、終わりの見えない閉塞感の中で、日本人の作家たちはその恐れ、怒り、諦念、そして解放への祈りをバッファローの群れに込めて描いたんじゃないかな」

「バッファローに全てを背負わせすぎじゃない?」

 ミリアムは呆れたように深々とため息をつく。

「ジェシーは何て言ってるの?」

 嫌な予感がしたが、気にせずに答える。

「ジェシーに言わせれば……ぼくは考えすぎだそうだ。彼の言い分では、バッファローには深い意味はない」

「結論から言うとわたしもほぼ同感」

 間髪入れずに彼女は言い放った。

「どこからそんな変なテーマが出てきたのかはわからないけど、たぶんそこに当時の社会や時勢は何の関係もない。そして『全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れ』を書いた人たちも、恐怖や怒りのような負の感情に突き動かされたわけじゃない」

「じゃあなんで」

「ただのノリだよ」

「ノリ?」

「そう、みんなで一つのことをやるのがただ楽しかったから。バッファロー・パーティーに集まって何日も夜通し騒いでただけ」

 アシュレイの脳裏に、バッファローを象った一回り大きいロデオマシーンを乗りこなそうとして振り飛ばされる日本人の若者たちのイメージが浮かんだ。

「それだけで……? ただ楽しいから?」

 アシュレイが知る限り同年代で最も聡明な人間であるミリアムが自分の考察を全く歯牙にもかけてない様子なのも、ジェシーの考えに同意するのも、正直面白くなかった。

 だが二人の考えに説得力がないわけではなかった。アシュレイにとって、ミリアム以外に友人と呼べる間柄の人間ができたのはここ一年のことだ。それ以前の彼には実感として理解することはできなかっただろう。複数人で何かをすることが、ひとりでやるよりも楽しいということなど。だが今は少し違った。

「ジェシーの方が正しかった……? ぼくはあらゆることに意味を求めすぎてるのか?」

「いや、そんな深刻になることじゃ……っていうかもしかして、あなたたち二人バッファローにのめりこみ過ぎて、『全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れ』の件を自由研究にしようとしてない?」

「実はそうなんだよ。で、ぼくとジェシーでアプローチの仕方について割れてる。ぼくは今話してた仮説を基にレポートをまとめようとしてて、ジェシーは当時投稿されたバッファロー小説の内容の傾向をまとめて、特に面白いやつをいくつか紹介するって案でいきたいらしい」

「それ、どっちにするか三分で決めよう」

「え?」

「条件の話。『○○には三分以内にやらなければならないことがあった』っていう書き出しで始めるっていうルールにちなんでさ」

 自分ひとりで決められることじゃない。そう言おうとしたが、元々研究テーマはアシュレイが決めていた。強く主張すればジェシーは自分のアイディアにはこだわらないだろう。

 我を通すべきか。他人に合わせるべきか。

 確かに自分は考えすぎだったのかもしれない。だがジェシーのやろうとしている、反応の良さそうな作品の紹介をメインにする発表はあまりにも。忙しい中楽をしたい気持ちはあったが、当初想定していた内容と比べてあまりに手抜きな研究に見えやしないだろうか。それに主導権がジェシーに完全に移ってしまうのも気に入らない。

 だが自分の正しさが大きく揺らいだ今、それでも我を通すのはただ間違いを認めない、潔くない行為ではないか?

「……三分も必要ない。もう決まった」

「よろしい。ちゃんと決断できる男の子は好きだよ」



 発表は予想よりも好評だった。他の生徒、特に四人以上で組まれたようなグループの発表と比べるとお世辞にも力作とは言えない内容だったが、アシュレイとジェシーが二人で選び、ジェシーが身振り手振りを交えて大げさに語った『バッファロー小説傑作選』の紹介は生徒たちの反応もなかなかよかった。

「『全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れ』? 馬鹿すぎんだろ。よくあんなもん見つけてきたな」

「まあアシュレイなら一人でもなんとかなると思ってたけど、ジェシーもやるじゃんね」

 放課後マイキーとガールフレンドのカレンが話しかけてきた。この二人とエマは「グラントパークで見られる動植物」について発表していた。現地の調査は主に二人が担当して、エマはまとめの方を担当したらしい。もしかしたらこの二人が公園でデートのような雰囲気を醸し出して、エマとしてはいたたまれなかったのかもしれない。

「俺はジェシーも誘ったんだけどさ……」

 そう言ってマイキーはジェシーの方に視線をやった。やや距離があることを確認して、声を潜める。

「あいつ、アシュレイが退院してきたら一緒に組むからって」

「え?」

「『退院してきたらアシュレイもうちらのグループに入れればいいじゃん』って言ったんだけどねー。」

 カレンもニヤニヤしながらジェシーの方を見やった。

「『アシュレイはきっと人の研究に途中参加したがらない。時間がなくてもあいつなら何とかするだろうけど、一緒にこういうことやれるチャンスももうないかもしれないし』って。いいとこあるよね、あいつ」

 ――ぼくを待ってくれていた。ぼくがひとりにならないように。

 気づいてもよかったのに、マイキーとカレンに言われるまでその可能性を考えもしなかった。単にやりたい研究内容もないから成績優秀な自分に組もうと持ちかけてきただけだと――

 とんだ愚か者だ。今回の件は、何から何までジェシーに助けられてばかりだったのだ。

「ジェシー」

 アシュレイは彼に駆け寄った。共にやや小柄な体格なので、目線の高さはほぼ同じだ。首を傾けずともじっと目を見て話すことができる。

「君と組めてよかった。中学最後の自由研究課題、一緒にやれて楽しかった。ありがとう」

 ジェシーは目に見えて顔を紅潮させると、目を逸らしながら言った。

「急に何だよ。どこの世界にそんなことを真顔でガン見しながら言う奴がいるんだよ。おまえそれ、勘違いされるから女子には絶対やるなよ。ってか男子にもやめとけ」

「ああ、それは大丈夫。ぼくは自分の顔の良さを自覚してるから、女の子にはこんなことしない」

「おまっ……そういうとこだぞ」

 げんなりした顔のジェシーをよそに、アシュレイは上機嫌だった。

 二〇二四年二月二十九日、何の前触れもなく出されたテーマに頭を抱えながらも笑いながら筆を執った日本の作家たちに思いを馳せる。彼らの気持ちが、今なら少しだけアシュレイにもわかる気がした。

 ほんの数日という限られた時間、皆で一つの方向を向いて、常識に囚われない奇想を燃やし、暴れ牛を乗りこなし全力で駆け抜けた者たち――

 彼らこそ「全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れ」そのものだったのかもしれない。


     “Japanese buffalos in 2024” closed.

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