ダブルバインド・タイムリミット

秋待諷月

00:03:00

 彼には三分以内にやらなければならないことがあった。

 俯きがちに覗き込んだスマホの画面に映し出されるのは、黒い液晶に浮かび上がったデジタルタイマーの無機質な文字盤。ピ、ピ、と、わざとらしい電子音が発されるのに合わせて、赤い光で表示された数字も、文字どおり、刻一刻と減っていく。

 時計は床に固定された一抱えほどの金属製の箱の中に収まっており、箱の壁面と時計の隙間には、複雑に絡まった無数のコードが押し込まれていた。

『どうだ、解るか?』

 スピーカー設定にしたスマホから、男のハスキーボイスが聞こえた。強張りこそあったが、落ち着いたものだ。この状況で大した度胸だと、彼は無謀だが勇敢な相棒に今更ながら感じ入った。同時に、今はそれが忌々しくもある。

「少し待ってくれ。今、考えてる」

 爪を噛みながら彼は答えた。事実、彼の脳味噌はフル回転の真っ最中だ。

 スマホの向こう側に鎮座する時限爆弾を、彼は何がなんでも、相棒の手で三分以内に解体させなければならないのだから。




 相棒は少しばかり名の売れた私立探偵、彼はその助手だ。

 とは言え、相棒は純然たる脳筋にして肉体労働派で、推理力など皆無のへっぽこ探偵である。その相棒が体力と強引さを武器に集めた情報を元に、頭脳労働派の彼が理論的に事件を解決に導く、というのが、実態としてのスタイルだった。

 そんな二人が営む探偵事務所に一時間前に届いたのは、差出人不明の怪しい封書。開いてみれば、それは「近くの空きビルに爆弾を仕掛けたからどうにかしてみろ」という、二人への挑戦状とでも言うべきものだった。

 助手である彼を安全のため事務所に残し、単身でビルへと乗り込んだ相棒が手紙の記述どおりのポイントで発見したのは、建物を丸ごと崩壊させるだけの威力を持つと思われる爆弾らしきもの。

 通話機能を介した彼の指示の元、相棒が箱の蓋を外してみれば、爆弾に繋がれたデジタル時計はすでに「00:03:00」を示していたのだった。

 地上二十階。エレベーターは動いていない。階段を駆け下りたところで間に合わないだろう。ビルは無人だが、近隣住民へ避難を呼びかける時間も無く、ビルが倒壊すれば周辺家屋への被害は免れない。

 この場で解体するしかない。それが、豪胆な相棒が即座に下した決断だった。

 だがそれは、相棒の命そのものが、彼の頭脳に委ねられたことと同義でもある。




 タイマーが「00:01:30」を告げた。

『どちらかを切ればいいんだよな? どっちだ?』

 スマホ画面の片隅に、ニッパーを握った相棒の右手が映り込む。鋏の先端が悩ましげに彷徨うのは、デジタル時計から爆弾へと延びる、赤と青、二色のコードの上方である。

 古いイギリス映画の影響をまともに受けた、コントのネタでしかお目にかからないような時限爆弾。液体窒素で一時的に無効化するような猶予は無い。

「考えてるって言ってるだろ」

 苛立ちも露わに、彼は相棒を黙らせた。スマホ越しに二色のコードを睨みつける。

 ――そう、単純な話なのだ。赤と青、どちらかのコードを切らせる、たったそれだけのこと。問題は、どちらのコードを切らせるか。


 結論から言えば、「どちらのコードを切ってもいい」。


 先ほど相棒が箱の蓋を開き、内部をスマホのカメラで映した瞬間、彼は気付いた。この爆弾の、時限装置とは無関係の大元の重要なスイッチが入っていないことに。

 つまりこの爆弾は、例えどちらのコードも切らないままタイムアップを迎えたところで、爆発などしないのである。

 

 スイッチは誰かが切ったわけではない。入れ忘れたのだ。

 真犯人である彼が、この爆弾をビルに仕掛けた時に。


 彼の計画はこうだった。自ら書いた挑戦状で相棒を空きビルに乗り込ませて爆弾まで誘導し、至近距離での爆破により確実に殺害する。

 警察や世間は、「勇敢だが無謀な探偵が爆弾処理に失敗した」と考えるだろう。助手である彼自身は、相棒の最期を聞き届けた証言者として、また、敵討ちに燃える復讐者として捜査に協力し、事件をミスリード、もしくは迷宮入りさせる。その後は探偵事務所の後継者に収まり、その明晰な頭脳を持って名探偵の名を欲しいままにする――つもりだったのだ。

 だが、その計画は爆弾が爆発しないことが発覚した時点で完全に破綻しており、とうの昔に放棄している。相棒の殺害計画は、ほとぼりが冷めた頃に練り直すことに決めていた。


 今、彼がすべきことは、とんだ茶番となってしまったこの事態を、自分が犯人だと分からないように収拾させることである。


「お前の命が懸かってるんだ。簡単に選べるわけがないじゃないか」

 動揺を悟られないよう、絞り出したような声で彼が呟くと、スマホの向こうで相棒が小さく息を飲んだ気配がした。しばらくして漏れ聞こえたのは、「ははっ」という小さな笑い声。

『お前が選んだ答えなら、どうなろうが俺は後悔しないよ』


 どちらを選ぼうが、どうなりようもない。爆発しないのだから。


 だが、どちらを切っても同じことや、そもそも放っておいても爆発しないことを、相棒に教えるわけにはいかない。爆弾のスイッチは巧妙に偽装してあり、スイッチの存在があることを、ましてやそれが切れていることを、スマホの映像だけで判断することはできないのだ――爆弾の仕組みを知っている犯人以外には。

 脳筋の相棒はそんなことには気付かないだろうが、本物の爆弾が仕掛けられていた以上、警察にも届け出ざるを得ない。当然、今彼が観ているこの映像も確認されるだろう。専門家の目で見れば、彼の証言の不自然さはすぐに露呈するに違いない。相棒のスマホが爆発で吹っ飛んでくれれば証拠も残らなかったろうが、悔やむべきは詰めの甘さである。

 では、このままタイムアップまで放置することを提案する? それ即ち、「結果的に爆発しなかったとしても、彼が相棒の命を諦めた」ことを意味する。相棒からの信頼が揺らぐことや、世間の心証を考えると絶対に避けたい。

 最善策は、どちらかのコードを相棒に切らせ、あたかも爆弾解除に成功したように見せかけること。現場に駆けつけてから爆弾のスイッチをしれっとオンにしておけば怪しまれる心配もなく、相棒の信頼を損なうどころか、彼の有能ぶりを示すチャンスにもなる。

 だが、ここでまた問題が生じる。「なぜそのコードを選んだのか」の根拠を説明しなければならなくなるのだ。

 爆弾が正常に動いていれば、どちらのコードを切っても爆発するように彼は設定していた。相棒を確実に殺すためである。完全にそれが裏目に出た。どちらのコードもハズレなのだから、正解のコードを選びようがなく、故に、説明もできようはずがない。

 時計の残り時間は三十秒を切った。彼の額に汗が滲む。

「そこまで言うなら自分で選べ。運には自信があるんだろ?」

『俺は俺の運より、お前の頭脳に賭ける』

 

 くどいようだが、どちらに賭けても爆発はしない。


 彼は喉まで出かかった「いいからさっさと切れ」という言葉を寸前でぐっと飲み込み、代わりに拳を握って歯を食いしばる。タイマーは淡々とカウントダウンを進めていく。『決めてくれ』『お前なら大丈夫だ』『早く!』と相棒の声が追い打ちをかけてくる。無駄に威勢の良い声に思考が阻害される。

 赤か青か。どちらでもいい。どちらでもいいのに、彼はどちらかに決められない。


 爆発するはずの爆弾が爆発しない瞬間まで、残り三秒。






 Fin.

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