あの日、そして、なんでもない今日
ninjin
あの日
僕には3分以内にやらなければならないことがあった。
基、今、たった今、『僕には3分以内にやらなければならないことが、出来た』。
違う、『三分以内にやらなければならなくなった』が正解だ。
シトシトと弱々しくも、冷たく、指先が痺れるような、それでいて静かな雨の夜。
金曜日の夜なのに、こんなに静かなのは、天気予報によるとこの後、雨が雪に変わるからなのだろう。
擦りガラスみたいに曇った、国道沿いの公衆電話BOXの中で。
それは唐突に訪れた。
つまりそれは、『カチャコン』それから『ヴぃぃぃぃー』という、小さな機械音と同時に始まったカウントダウン。
最期の十円・・・、残り・・・3分・・・。
僕は慌てて上着の右ポケットから財布を取り出し、小銭入れを確かめた。
残念なことに、そこには500円玉1個と1円玉が3枚・・・。
更に焦って、僕は受話器を首と顎に挟んだまま、左手をジーンズの左ポケットに突っ込んで、そこに在るであろう硬貨をまさぐってみる。
そして、確かにそこに存在した2枚の硬貨の感触に、一瞬色めき立ち、そして人差し指に触れた2枚共に間違いなくそれが中心部分を穿たれたコインであることを認識しながらも、無理矢理にそれを掴んで引っぱり出してみる。
・・・・・。
55円・・・。
がっかりだ・・・。なんて、悠長に残念がってる訳にはいかない、のだった。
どうのこうのと考えている暇はない。
しかし切り出す勇気も無い。
迫りくるタイムリミット。
それでも恐怖を振り払って、敢てタメ口っぽく、
「あ、あのさ・・・」
そう言った瞬間、受話器に手を添えていなかったことを忘れてた。
つい言葉が力んで首を動かしちまった途端、受話器が滑り落ちそうになって、小さく「あっ」と裏返った声を出し、それでも間一髪、受話器は無事左手でキャッチ出来たのだけれど、右腕の何処かしらを、電話機本体なのかボックスの壁なのか、うん、これもよく分からない何処かしらにぶつけてしまい、思わず「ッテ」って、口走ってしまった。
でも、本当は別に痛くも何ともない。
――ん? どうかしたのかい?
受話器から聴こえる純子先輩の可愛らしい声なのに、ちょっとだけヤンキー(スケ番)口調。
「い、いえ、何でもありません。すみません・・・」
なんだ、おい、格好悪いなぁ。
いつもの敬語に戻ってるよ、俺。
もう既に30秒、いや1分近く過ぎちまったか?
制限時間、残り2分。
大丈夫。
ウルトラマンだって、最初の1分はグダグダやってる、さ。
◇◇◇◇
FMラジオのリスナープレゼントで当選した映画鑑賞のペアチケット。
その映画は、最近公開されたばかりの《ボディガード The Bodyguard》、ケビン・コスナーとホイットニー・ヒューストン主演の話題作だ。
まさか当たるとは思ってもいなかった、が、しかし、当たったら、必ず純子ちゃんを、いや純子さんを・・・、いやいや、純子先輩を誘おうと誓っていた。
純子先輩は、僕より2コ年上の高校2年生で、地元の商業高校に通う女子高生。
二つ隣の中川さんちの長女で、僕の幼なじみ。
小さい頃はよく遊んだし(遊んでもらった?)、大好きだったし、何なら僕は純子ちゃんをお嫁さんにすると思っていた。
いや、今も『好き』なのは変わっていないか。
でも、ちょっとオッカナイ。
彼女が中学に上がってから、僕らは次第に疎遠になったような気がする。
『純子ちゃん』って呼んでいたのが、『純子さん』になり、いつの頃からか『純子先輩』になっていた。
それは彼女の制服のスカートが長くなっていき、化粧が派手になっていく過程と同時並行していたと思われる。
それでも僕は、彼女しか考えられなかった。
たまの朝に玄関先でバッタリ出くわし、僕が『おはようございます』と声を掛けると、純子先輩は気怠そうに引きずるスカートとは裏腹に、眩しいくらいの笑顔で『お、けんたろー、おはよう』って返してくれるのだ。
ま、それ以上の会話は、ここ半年は無いに等しいのだけれど・・・
だってさ、何の話をしたら良いのか分からないし、不良っぽくなっっちまってオッカナイし、どんどん綺麗で可愛いくなっちまうから、恥ずかしくってまともに目を合わせられないし・・・
だから僕は、朝一折角出くわしたにもかかわらず、
『あ、俺、遅刻しちゃいそうなんで、じゃ、またっ』って、走り出しちゃう。
なーにやってんだか、俺。
◇◇◇◇
焦る、焦る、焦る・・・
でも、焦るばかりで、上手く言葉が
出て来ない、出て来ない、出て来ない・・・。
時間だけが過ぎていく。
真剣に誘って断られたら目も当てられないし、軽く誘って冗談にされるのも困るのだ。
『おっ、けんたろー、電話して来るなんて久々じゃん。で、どーしたの?』から始まった会話だったのだけれど、27分間、思い出話なんかで結構盛りあがった。
かなりの余裕を持ったつもりで、100円玉を電話機に投入したし、30分もあれば本題にちゃんと辿り着く筈だった。
いや寧ろ、100円も入れちまって、そんなに話すこと無くって勿体ないよ、くらいに思っていたのが本当のところだ。
ところが何だか純子先輩がノリノリになっちゃって、彼女が8割喋って、電話を掛けた僕の方が殆ど聞き役だったのだけれど、僕が少し調子に乗って冗談で返すと、純子先輩は実に楽しそうに笑いながら『けんたろー、てめぇ、ぶっころすぞ、このやろー』って、3回くらい言っていた。
やっぱりちょっとオッカナイ。
27分間、僕の思い描く向かうべき方向とはまったくズレていた気がするけれど、感触としては悪くはない筈だ、きっと。
でも、やっぱりフラれるのは、辛い。鼻で笑われそうで、怖い。断られた挙句、顔を合わせ辛くなってしまうと、生きていけない。
それでも・・・。
――どうしたの? 大丈夫? いまさっき、ガタンって音がしたけど、平気?
純子先輩の声色が少し変わった気がした。
昔の純子ちゃんみたいに優しい感じに。
「あ、うん、はい。大丈夫です。問題無いです。ちょっと受話器落としそうになっって、慌てて腕ぶつけちゃって・・・。あ、でも、ほんと、全然大丈夫ッス」
――そう、なの? それならいいけど・・・。でも、今日はどうしたの? 急に電話なんかしてきて、何か大事な用事でもあった?
やばいっ、ピンチだっ。
そういうツッコミが一番痺れる。
ピンチのウルトラマンって、こんな感じなのか?
もう間もなく、カラータイマーが鳴り始めそうだっ。
◇◇◇◇
「あ、あのですね、実はチケットが、あ、そう、ここにチケットがあってですね、え、映画の・・・」
――・・・・・。
不味い、反応なし?
しかし、前に出るしかない。
ここまで来たら、もうそれしかない。
時間がないのだ。
もう一度硬貨を用意して掛け直すなんて、無理に決まってる。
腕時計の針は既に午後の11時を回っている。
僕が硬貨を手に入れて電話を掛け直すまで電話機の前で待っていてくださいなんて、お願い出来る訳がない。
そうなると、純子先輩以外の誰かが電話に出た場合、しかもそれが彼女の父親だったりしたならば・・・
考えただけで恐ろしい。
だから、今、戦うしかない。
「ええっと、それがですね、何ていうか、映画のペアチケットで、ええっと、当たったんです、ラジオの抽選で・・・」
何言ってんだ、俺。どーでもいいだろ、ラジオとか抽選とかって、バカなのか。
もうピコーン、ピコーンって、鳴ってるよ、カラータイマー。
――・・・(コホンっ)
小さく咳払いをする純子先輩。
でも、それで感じた。何となく。
これは、行けそうな気がする、って。
「もし、良かったら、明後日、日曜日、暇なら、俺と映画、一緒に観に行ってもらえませんか?」
言いきったぁ・・・。
――・・・それで、その映画って、何の映画?
「あ、そうでした、言い忘れてました。ええと、ボディガードです、ケビン・コスナーとホイットニー・ヒューストンのっ」
――ほんとに? 良いの? あたしで?
純子先輩の言葉に、頭に血が上った。
「良いに(決まってます、俺、純子先輩とこの映画観に行きたいんですからっ、先輩のこと、好きっス・・・)」
ツぅー、ツぅー、ツぅー・・・
最後はどこまで向こうに聞こえていたのか分からない。
一瞬の興奮状態から、徐々に血の気が退いて来る。
ほんと、いったいどこまで聞こえていたのだろう・・・
僕は、3分間を戦い切ったのだろうか・・・???
国道、公衆電話からの帰り道、みぞれの粒に濡れながら僕は、何も考えられず、ただボーっと歩き続けた。
ウルトラマンって、最後は必殺技で劇的な勝利を収めて、颯爽と飛んで行くんじゃなかったっけ?
◇◇◇◇
「それで、どうなったの?」
「どうなったって、どうもこうも、次の日、そう土曜日の午後にさ、『純子先輩』、そう『純子』、君のお母さんから電話か掛かってくるまではさ、父さんはずっと悶々としていたよ。居ても立っても居られないっていうかさ、こっちから電話掛ける勇気も無くてさ、ただモヤモヤして落ち着かなくってさ、家の電話の近くを行ったり来たり、ウロウロしてた。お袋、そう君のおばあちゃんがさ、なんか怪訝そうに父さんのこと見ていたよ」
「ふーん、何だか笑っちゃう。 パパ、可愛い」
「おいおい、可愛いって何だよ、親を揶揄うもんじゃない」
「だって可愛いじゃん。 で、ちゃんと電話は掛かってきて、一緒に映画も観に行けたの?」
「そりゃあ行けたさ。 じゃなっかったら、今こうして・・・。ま、それは良いや。 以上、この話はおしまい」
「えーっ、まだいいじゃん、お夕飯までまだちょっと時間あるしぃ、その先もきかせてよぉ。 でもさぁ、昔って大変だよねぇ、携帯電話の無かった時代って、想像も出来ないよ。 10円で3分って、安いと言えば安いんだけど、みんなどうやって生活してたか不思議だよ。 どうやってコミュニケーション取ってたのか分からないし、あたしには無理。 ほんと、想像つかないよ」
「そうだろうな、今となっては、君たちには想像もつかない世界なのかもな。 でも、ま、そんな時代だったのさ」
「ねぇ、だからさぁ、そのさっきの話の続き、聞かせてよ」
「いんや、今日はもうおしまいって、そう言ったじゃないか」
私がそう告げると、今年17歳になる一人娘の麻梨沙は、少し悪戯っぽい笑顔でソファから立ち上がり、
「じゃあ、その先はママに聞いてくるね」
そう言って、夕飯の料理をしている妻の居るキッチンに向かおうとした。
「ちょ、ちょっと待ちなさい。 マっ、ママには、ダメだって、訊いちゃダメだって、料理の邪魔しちゃ・・・」
そんな私の言葉を聞いてるのか聞いていないのか、振り向いた彼女は、更に悪戯っぽく微笑んで見せて、私の書斎から出て行った。
まいったなぁ。
麻梨沙にオッカナかった『純子先輩』なんて話をされると、また俺、純子に叱られちゃうかもな。
ま、いっか。
日曜の夕方、間もなくサザエさんが始まる時間だ。
明日からまた仕事が始まる。
だけど、今日は何だかいい気分だ。
久しぶりに娘と話せて、純子との思い出に浸って・・・
サザエさんの時間になっても、今日は残念な気持ちにはならないよ。
だけど、ちょっとだけ不安なのは、麻梨沙が『純子先輩』話を広げ過ぎてしまうんじゃないかってことなんだけど・・・
ま、それもいっか。
私はビールのグラスを片手に、もう片方の手でテレビのリモコンのスイッチを入れ、チャンネルを8に合わせる。
なんてことはない、幸せな、日曜日の夕飯前・・・。
おしまい
あの日、そして、なんでもない今日 ninjin @airumika
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