プロローグ・後編

 なんだこれ。


「だれか、誰か助けてくれ!」


 なんだこれ。


「火が!火がぁあ!」



 なんだ、これ。



 燃え盛る炎は人々を飲み込んでいく。舞台も、家も、真っ赤に染まっていく。人々は叫び、逃げまどう。

 だが、その中に佇むだけは、楽しそうにそれを見ていた。


「り、龍だッ!龍だユーディアル!」


 。それは世界で『厄災』と呼ばれている化け物。【厄災】であった。

 龍は興奮したのか、野太い咆哮を上げてようやく動き出した。逃げまどう人たちに向かって、一直線に。

 この村の近くに龍の巣なんてなかった。龍が良く出る話も。なのに、どうして――。


「逃げるぞ!ユーディアル!」


 ただ茫然と見ていた僕の手を掴んでアゲットは走り出した。手を引かれた僕は、ようやくやるべきことを思い出した。


「アゲット!僕の家に行こう!僕の父さんは騎士だ!きっとなんとかしてくれる!」


 僕の父親は騎士で、村でもその名を馳せていた。村を守るためか、僕の家は村の離れにある丘の上に建っているのだ。

 アゲットは僕の言葉を聞いて「分かった!」と大きく返す。

 遠くで家の壊れる音がする。焦げ臭い臭いがする。みんなの悲鳴が聞こえる。アゲットの息遣いが聞こえる。僕の心臓の音が聞こえる。

 怖かった。とにかく怖かった。涙が滲んだ。でも足は止めなかった。


 ようやく見えてきた僕の家。村の異変に気付いたのか、父さんと母さんが表に出ていた。


「父さん!母さん!」


 アゲットと共に父さんと母さんの腕に飛びこんだ。


「二人とも無事でよかった。一体村でなにがあったんだ」


 村でなにがあったのかを話そうと口を開いた。だが、その口から放たれたのは言葉では無く、小さな悲鳴だった。

 僕たちを覆い隠す黒い影。恐る恐る後ろを向くと、【厄災】が楽し気にこちらを見つめていたのだ。


「はやく家の中へ!!」


 父さんの大きな声を合図に、弾かれたように走り出す。家の中に4人で駆け込んでバタンと扉を閉じた。だが、こんな家は安息の地にはならないと皆わかっていた。

 ドガン!ガラガラ!と、音を立てて玄関付近が簡単に壊されていく。破壊された箇所から、龍は楽し気な顔を覗かせた。

 震えが止まらなかった。恐怖のあまり過呼吸に近い状態となっていた。目の前にいる【厄災】から目を離すことができなかった。


「お前たち、裏口から逃げなさい。父さんがこの龍の注意を引く」


 その言葉の意味を幼い僕でも理解することができた。

 龍は【英雄】と呼ばれる者にしか倒せない、魔獣の中で最も強いとされている生き物だった。ただの騎士である父さんに勝てるはずがないのだ。


「嫌だ!そんなの絶対にいや――」


 言い切る前に僕の体は引っ張られた。僕の母さんがアゲットと僕の手を引いて走っていた。

 ダメ。嫌だ。このままじゃ父さんが、父さんが――。


「走りなさいユーディアル!お父さんは生きて戻ってくるわ!だから……お願いだから走って!」


 そんなはずない。そんなことを言葉にできるわけもなく走った。

 だって、母さんも苦しそうに涙を流していたから。あそこに残っても、何もできないって知っていたから。

 


 裏口から家を出て、とにかく遠くへ走った。後ろを向いても、もう村や家は見えなかった。どれくらいは知ったのかも分からなかった。それだけ無我夢中になって走っていた。

 ようやく僕たちは足を止めた。全員の息遣いのみがこの場に響いていた。


「……父さん」


 小さな言葉祈りを呟く。お願いだから僕たちのところへ走ってきて。そんな祈りと共に来た道を振り返る。誰も走ってくる気配はない。

 お願い。お願い。お願い。父さん。

 強く、強く願う。だが、そんな願いは無情にも崩れることになる。それを知らせに来たのは、やはりあの【厄災】であった。


「なんで……!なんで僕たちを……!」


 そう悲痛を叫んだ時にはっとした。

 龍は魔力に敏感な生物。この世界にある植物、鉱物、土、水、生き物……すべてに魔力が混ざっている。もちろん、この僕にも。

 そして魔力には属性があるのだ。火、水、風、砂……そして、すべての原点である【陽】。それはどの属性よりも濃く、珍しい属性だ。そして、僕が持っている属性なのだ。


 もしかして、この悲劇は僕が招いたことなのか?


『愉快。愉快。実に愉快だ』


 龍は人の言葉を喋りだす。とても楽しそうな声色で。


『人間というものは実に愉快だ。愚かで、無様で、弱い。故に、大切な家族すら守れぬのだ』


 そう言って、龍はグチャリと何かを目の前に落とした。

 それは人間の上半身。僕の、父さんだったもの。

 虚ろで光を失った目が、こちらをじっと見ていた。


「あ、あ、うああ!!!うわあああ!!!!」


 思わず悲鳴を上げる。その悲鳴に、龍は更に楽しそうな表情を作った。


『ああ、愚かで愉快!弱い貴様は、これすらも守れぬのだ』


 そう言って、次は母さんに牙を立てる。

 母さんは何とか僕たちを逃がそうと突き飛ばした。

 受け身をとって、顔を上げた先に映ったのは、絶望地獄だった。


「いやあああああああ!!!!!!!」


 甲高い悲鳴が響く。バキ、ボキ、グチャリと、生々しい音が鳴る。ボタボタと母さんの血が垂れ落ちる。



 この地獄は、いったいなんなんだ。



 ゴキリと鈍い音を立てて母さんは動かなくなった。グチャリと母さんが地面に落とされて、酷く不気味な笑顔を作る【悪魔】はこちらを見た。


 消えていく。

 消えていく。

 僕の日常が、僕の平穏が、僕の希望が――消えてく。


「ユーディアル!逃げよう!ユーディアル!」


 誰か親友の声が聞こえる。


『次は貴様の親友だ』


 何か悪魔の声が聞こえる。


 鼓動が聞こえる。

 息が聞こえる。

 声が聞こえる。


 聞こえる。



 魔力の集まる音が、聞こえる。



 「ᛞᚱᚨᚷᚩᚾ ᚴᛁᛚᛚᛖᚱ修祓の矢光


 何かを唱える。いつの間にか龍に向けていた手から青白い光が発生した。

 ――音が消えた。直後、強い反動が自身を襲う。幼く華奢な体はそれに耐えきれず、地面に背を打ち付けた。


 体を起こす。目の前には、

 地面も抉れて削れていた。龍は見当たらなかった。父さんの死骸も、母さんの死骸も見当たらなかった。

 ぐらりと視界が大きく揺れる。目の前が暗くなっていって、輝いている星空と、叫ぶ親友の顔がかろうじて見えた。


「ユーディアル!ユーディァㇽ――!……」


 声が遠のいていく。意識が、遠のいていく――。




 あれから数日が経った。

 僕たちはあの後、通りかかった旅人に拾われて村へと戻ったらしい。

 村の状況は酷いものだった。建物はすべて焼けて、たくさんの死体が転がっていたのだそうだ。生き残った村人たちが残火を消して、瓦礫や死体を片付け、今はみんなで復興を頑張っている。

 そしてこれはアゲットから聞いた話だが、あの時僕の掌から白い光線が出てすべてを焼き尽くしたのだと言っていた。


 あの日から僕は何をする気も起きなかった。寝る気も、食べる気も、動く気も起きなかった。今日もベットの中でうずくまっている。



 全部僕のせいだ。僕が全部壊したんだ。全部。

 僕が強ければ。僕がなんとかできていれば。僕がこの力を自在に操れていれば。


 僕が英雄強者だったなら――。


 ベットから降りた。瓦礫の山の中にある細長い棒を掴む。

 この手で、アイツ厄災を殺せるようになったら。



 ――ブンッと、風を切る音が響いた。



 あの日のアイツを殺すため。

 あの日の悲劇を繰り返さないため。

 あの日に死んだ人たちのため。


 僕は、英雄になると決めた。





 これは彼の懺悔の物語。

 これは彼の後悔の物語。

 これは彼の悲劇の物語。


 これは【英雄】が見た、記録の一片なのである。



 英雄伝記地獄の物語が、始まる――。



 プロローグ【終】


 

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英雄伝記 みみくろん @mikuro3939

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