勇者クラームの始まりの物語

バルバルさん

彼の寄り道が始まった日

 俺はクラーム。農民なので名字はない、ただのクラーム。俺の住んでいるのはリィンバーム領の片隅にある農村。この村で日々、せっせと汗を流し農作物を育てている。


 年は多分、12か13だと思う。というのも、俺は村長の家の前に捨てられていた捨て子なので、生まれた年や日を誰も知らないのだ。こんな身寄りのない子供を拾って、ある程度まで育ててくれた村長には頭が上がらない。


 育てた農作物は、領主に収める分以外は加工して、保存のきくようにして俺達農民の糧となる。たまに山に出て、農作物を荒らす動物を狩り、その肉が手に入ればちょっとしたご馳走が食卓に並ぶ。慎ましやかだが、十分に満足できる生活だ。


 今日も今日とで太陽がまぶしい。俺はどちらかというと暑い日の方が好きだ。汗を流せば流した分、仕事をした充実感を感じられるし、作物も適度に暑くなければ育ちが悪い。さすがに暑すぎたり、雨の無い年は御免だが。


 雨が降った日は、木でできた家で草刈り鎌や鍬を整備し、終わればちょっとした趣味に精を出す。俺の趣味は、木を彫って小動物の形を作ることだ。けっこういい腕だとは思うが、売り物にできるレベルではないと思う。まあ、村長は結構気に入ってくれて、俺の家より少し立派な家に飾ってくれるのだが。


 俺は普通に生活をしている。特に他人と違う生活をしているわけではないはずだ。だが、皆は俺の事を口々にすごいと言ってくれる。嬉しい事なのだが、別段変わったことはしていないのに褒められるのは、くすぐったいというか何というか……変な気分になる。


 ある日、俺の事を褒めてくれるが、なぜ褒めてくれるのだと共に働く村人に聞いた。その人はごつい手を俺の頭に乗せ、親がいないのに、曲がることなく真っ直ぐ育ってくれているからだよと言った。そして、お前はきっと、このままこの農村で生きて、ここで死ぬだろうけど。それを誇りに思ってくれそうだから、農民として嬉しいんだとも。


 よくわからない話だ。俺に親がいないというが、ある意味村長が父親だろう。あの人のおかげで今生きていられるし、農作業の仕方も全て叩き込んでくれたのだ。その恩に報いようと頑張っているだけなのだが。そして農民に誇りを持っているという話だが、確かにこの農村でも、冒険者になりに出稼ぎに行く若い人はいる。だが、俺にはきっと向かないと思うし、今の生活で満足しているのだ。だから誇りに思う思わないとかいう話ではなく、満足しているだけだ。


 少し齟齬があるなと思いつつも、今日も鍬を片手に畑へ行く。



 俺はチャウン。農民なので名字は無い、ただのチャウン。と言っても実名より、村長と呼ばれることの方が多いか。俺の村はリィンバーム領の片隅にあるのんびりとした農村だ。特産品は穀物のオリュバと赤い根菜のニルジン。特に俺の村のオリュバで作ったパンはとても美味しいと中央の街でも人気らしい。誇らしい話だ。


 俺の仕事は、実際に農作業をすることもあるが、それだけじゃなく、中央の街との兼ね合いや作物の収支などのちょっとした政治もやらなければならない。これでも頭は良い方なのだ。


 そんな俺には目をかけている少年がいる。彼の名はクラーム。13歳の少年だ。彼はとても働き者で、しかも暇な時間に作る彫刻は見事な物だ。売れるレベルだとおもうが、本人が無欲なので、彼の意見を尊重し売りはしない。まあ、家に飾らせてもらって、たまに来る他の村の人に自慢している。


 彼との出会いは14年前だったか。俺の家の前で倒れている女を匿ったのが縁の始まりだろう。大雨の中、大きなおなかを抱えフラフラと幽霊のごとく歩く彼女を家に匿って、話せるようになるまで世話をした。彼女が言うには、自分はアルフレ領主の娘だという。アルフレ領と言えば、ここから北に少し行った場所にある代々「勇者」を輩出している領地だったか。だが、勇者など近年ではただの称号。魔物もあまり居なくなった今、勇者に勇者としての働きは求められていない。


 だが彼女の話だと、今のアルフレ領主はいわゆる勇者崇拝主義のようで、彼女の生む子供が世界を救うだろうという考えに縛られ、きっとこのお腹の中の子に過酷な運命を歩ませようとするだろう。だから逃げてきたらしい。


 なんというか時代錯誤も良いところだ。勇者とは称号だ。その称号にふさわしく生きるよう、子に強制しようとするとは……勇者には他人がするものじゃない。勇者には自分の意志でなるものなのに。


 そして、その女性を世話して二か月後。彼女は赤子を産んだ。だが産後の肥立ちが悪く、彼女は息を引き取ってしまった。赤子にクラームという名を残して。


 俺はクラームに農民としての基礎を教えた。彼はとても良い子で、それをよく勉強し、しっかりと育ってくれて、今年13になった。このまま農民として育ち、すごしてほしい。



 村長が、俺にささやかな誕生日のお祝いをしてくれた。中央の街のクッキーというお菓子を村長が出してくれて、初めて食べたが、甘くとても美味しかった。


 その夜の事。俺は夢を見た。俺の姿は農民としての服装ではなく、どこかの領地の騎士のような格好で、真っ白な空間にいた。俺が首をかしげていると俺の前に、人が現れた。いや、人と言っていいのかわからない。その背に純白の羽があるのだから。その翼の生えた人は、俺の頬を撫でて消えた。後で思えば、これが俺が人生の寄り道をするきっかけだったのだろう。


 次の朝。あの夢は何だったんだと思いつつ、農作業に向かう。すると、農作業仲間が俺の頬を指差し、なんか変な痣が付いていると言ってきた。小川で確認すると、確かに何かの紋様のような痣が付いている。擦っても消えないその痣。まあ痛くもないし、気にしないでおこう。そう思いつつ、今日収穫したニルジンの籠を村長の家に持っていく。すると、痣を見た村長が目を見開いた。


 俺は村長の家に招き入れられ、深刻な表情をした村長に、この痣がアルフレ領の家紋であることを伝えられた。だが、ただの農民である俺に何故。そう聞くと、言いづらそうに村長は、俺の出生について話した。俺がアルフレ領主の血筋で勇者に? 全く実感というものはなく、ありえないという思いだけが強い。だが、実際に家紋は浮かび上がっている。


 村長は俺はどうしたいか聞いてきた。正直、今更貴族とか勇者と言われても困ってしまう。俺は農民なのだから。


 村長は少し考えつつも、俺の考えを尊重してくれた。


 その夜の事、また夢を見た。俺は鎧をまとい、剣を握っている。すると、目の前に自分に似た姿の青年が合わられた。そして、襲い掛かってくる。斬られた。だが痛みはない。すると最初に戻る。この繰り返しが10回ほど続いた。


 これはもしかしたら、剣の修行なのかも。そう思い始め、俺も剣を振るってみた。まるで、長年剣を使ってきたかのような、そんな手の動きに自分でも驚く。結局斬られたが、30回目くらいに、やっと相手を斬れた。そして目を覚ます。


 この夢の事を村長に話せば、村長は俺の肩に手を置き。もしかしたら、これは運命かもしれないと言ってきた。お前は勇者になる運命なのかもしれないと。だが、そんなことを言われてもというのが正直なところだ。村長は、この運命はクソったれだ。お前に、勇者になってほしくはない。だが運命に抗うというのは大変だと言いつつ、家の奥、木箱の中に大切に収められた剣を渡してきた。


 これで、勇者になれというのかと聞けば、村長は首を横に振る。


 クラームに勇者としての兆候が表れ始めた。頬にアルフレ領の家紋の痣、そして、夢に出てきたという、勇者を導く天使と恐らく先代の勇者。彼らはこの純朴な少年に勇者になれというのだ。


 ふざけるなと思った。彼はただの農民だ。そうあれと育ててきたし、彼もそう思っている。なのに今更勇者になれなど、あまりにも残酷ではないか。


 だが、これが天の定めた運命だとすれば、覆すのは並大抵ではない。それこそ勇者になるのと同じ苦痛をこの少年は味わうことにあるだろう。どうすればいいのか俺は悩んだ。そして、ある方法を思いついた。その方法を実行するために、俺は、クラームにかつての愛剣を渡した。


 俺も、若い頃は中央の街で冒険者をやっていた。その時の思い出の剣だ。俺はこれを持って中央の街に行って、俺の旧友に会えと言った。恐らく、クラームは勇者になってしまう。それを受け入れるにしろ、覆すにしろ、今の彼には重すぎる。なら、少し先延ばしにしよう。クラームに、農民以外の生き方を見せるのだ。農民以外の生き方に触れ、人として成長した後に、再び、勇者になるか、運命に抗うかを決めてもらおうと。


 ただの村の村長にできるのは、これが限界だ。俺は涙を流しながらクラームに謝った。そして、もっと見識を広め、人生経験を積んで戻ってこいと言った。クラームは少し悩みつつも、俺の涙を見て、剣の柄を握った。


 そして、俺にこう言ってきた。俺は農民だ。あなたがその道を示してくれた。だから、あなたへの恩を示すために、中央の街でいろんな生き方を学んでくる。運命とか難かしい話はよくわからないけど、他ならぬ、あなたの示す道が中央の街へ行くことなら、俺は行きます。だから、戻ってきたらまた、ニルジンやオリュバを育てたいと。


 その日、村で彼を送り出すために、小さな宴をやった。再び、彼が戻ってきて、農作業ができることを願って。


 クラームは歩く。人生という道を。誰しもが歩く道を。そんな彼にとって。勇者になるというのは人生の寄り道だった。その寄り道が実りあるものか、無い物かは今の時点ではわからないが。


 寄り道とは、いずれ本当の道に戻る物。彼の歩く道は、農民としての人生の道。彼がいかに功績を上げようと、人生経験をつもうと、それは全て、故郷での農作業に帰結するだろう。




 さあ、これから始まるのは、クラーム少年の、人生の寄り道の物語である。

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