【礼賛】異世界最強のレストランはこちらです

粘菌

礼賛の王

 それは、見た事もないような【肉塊】だった。

 

 熱く熱せられた鉄皿の上に乗っている、異様な迫力のそれ――いや、その皿も十分大きいのだが――は、あまりに巨大で、もはやおとぎ話のように見えた。弾ける油の中、どでん、と聳え立つその立ち姿は、凛としていながらも、どこか……そう、粗暴で……そのくせ、美しい。


 そう、美しいのだ。


 そりゃもうカリッカリに、バカ丁寧に焼き上げられた肉の表面からは、湯気のようにたちのぼるオーラが見える気がする。


 こんな強ぇ奴、オラ今まで見た事もねぇぞ……!

 赤毛の冒険者ガセイルは、隣に座るジャル=ドレイ・フレッドと目を合わせた。


 ゴクリ、お互いの喉がなる。


「じゃ、どうぞ」


 食堂の主、ディラルドはそっけなくそう言って、ろくに説明もせず奥に引っ込んだ。


 がらんとしたこの食堂には、名前はない。

 あったとしても誰も知らない。


 いや。


 必要がない、らしい。

 食通の間からは、ただ【礼賛】とだけ呼ばれている。

 由来は知らないが、言い得て妙な名前だ……と、鼻腔をくすぐる野獣のような香りに酔いながらガセイルは思った。


「な、なぁ、これ、どうやって切ればいいんだろう」

「わからん……ああ、ここにカットナイフがあった……」


 いそいそとジャル=ドレイがナイフを入れると、驚くべきことに、その巨大な肉塊にバターのように通っていく。


 目を剥いた。


「マジ……かよ……」

 

 ナイフをあらためてみたが、何の変哲もないキッチンナイフだ。

 指でやさしく触れてもスパリとはいかん――ということは、この肉。どれだけ柔らかく焼かれてる……??


「あ……」


 ナイフで肉の波、クレヴァスを切り開き、刮目する。

 ジオードみたいなスモークリング、その中にある肉の色。

 血の赤というには蟲惑的で、ピンクというには淑やかさの足りぬその色……。

 溢れんばかりの肉汁が垂れていく様は、もはや……。

 ああ、食事という概念の中には収まらない妖艶さ。


「は、早く切ってくれ、かぶりつきたくて敵わん」


 震える手で肉を大きめに切り分け、皿に乗せる。

 ガセイルは涎を我慢できず、普通の店の巨大ステーキぐらいあるその肉を手で掴んでかぶりついた。


「あっ、オメェ……」


 明らかなマナー違反。この店は、格式のあるきちんとした店だ。

 だからって負けてらんねぇ。

 ジャル=ドレイも急いで切り分け、でかい肉を口に頬張る。


「あっ……!」


 ぱちり。

 含んだ瞬間、口の中で何かが弾けた。

 それは肉の旨さだったのか、感動だったのか、今でもジャル=ドレイにはわからない。

 わかるのは、溢れんばかりの肉汁が、柔らかい赤身の肉を噛みちぎるたびに口の中に溢れることだけ。

 ジューシー、そんな言葉では到底足りない。塩加減、味付け……おお、パーフェクト……!

 

 ひとつ、ふたつ。

 どこまでも柔らかい肉を口全体で堪能する。

 幸福に浸りながら、もぐもぐと食べ続けていたその時、ガセイルが肉塊の方にすっとナイフを伸ばすのが見えた。


「おおおお前ッ!」


 くそが、何抜け駆けしてんだよ!


「もうたまらんわ、たまらんのだ、何だよ、何なんだよォこの肉は!」


 咀嚼、それは愉悦。


 殴りあわんばかりに、男たちはナイフを取り合いながら、肉を食べ尽くした。

 最後の一切れは、ジャル=ドレイが勝ち取った。

 一年前にフォル=クリクで悪竜【恥の尾】に辛勝した時よりも、ケスタ平野の戦いで無双し表彰された時よりも、何倍も嬉しかった、そう思った。


 最後の一切れが喉を通っていく。

 ガセイルは相棒を恨めしそうに見つめた。


 その時である。


「おー、おめぇら食うの早えなぁ……」


 礼賛の王、ディラルドがすっ、と現れた。

 

 ぞわり、総毛立つのを感じる。

 おい、こいつ気配がなかったぞ。

 

 二人は同時にディラルドを見た。なんじゃこいつ。手練れの冒険者である俺たちですら近づいているのに気づけんとか、お前は何もんじゃ。

 ジャル=ドレイは顔には出さないが、肝がちょっとだけ冷えた。心臓がどっくんどっくん鳴っている。これダンジョンだと俺死んでる……しかし、そんな思いはすぐに吹き飛ぶことになった。

 

 アレだ。


 アレはなんだ。


 ディラルドがカラカラと曳いてきたのは、一台の何の変哲もないワゴン。

 そのワゴンの上に乗っている銀盆に、二人の目はもう釘付けになっていて離れない。


 あれは……まさかッ!


「ちょっと部位は違うけど……まだ足んねぇだろ……?」

 

 ああ、そのまさかだった。

 むわり。

 銀のカバーを外すと、美味そうな蒸気が宙に溶けた。

 そう、ワゴンの上に鎮座していたのは、たぶん……タン??

 きれいなピンク色の煌めき、刺しが入っている。

 あれ、竜牛じゃね? めちゃくちゃ高い奴じゃない?

 それも、まるまま一本分。

 鉄串を刺して藁火、スモークで丹念に焼きあげたそれは、黒くワイルドに焦げたバークも完璧。


「うぇぇぇ、タンだよぉ、タンだよォ……!! えっ、あ、なんかすげぇ……嗅いだことのねぇうまそうな匂いがしねぇか……?」

「ああ、たぶんあの葉だ。下に敷かれたあの葉の匂いだ」


 そう囁きあっていると、


「おお、御名答……こいつは肉の味が濃いからな! 途中からこれに巻いて食えばさっぱりするぞ」


 言いながらディラルドは肉を切り分けていく。

 切る前に、ちらり、こちらを見る。

 ジャル=ドレイは気づいたが、ガセイルはその目線に気づいていない……肉の美しい断面にもう釘付けだ。

 綺麗な刺しの入った肉質。

 分厚いタン元から贅沢に切り分けられたそれが、皿に盛られていく。


 さっきあれだけ食ったのに、また喉がなる。切り分けるナイフから滴る美味そうな肉汁。


「なんだよ……あれ……」


 ガセイルが頭を抱えていた。俺だって同じ気持ちだ。ジャル=ドレイはそう思ったが、声にはできなかった。どうしてもうまく舌に言葉が乗ってこないのだ。唾液が溢れそうになる。


 分厚いタンのロースト、香草添え。


 手早く盛りつけたにしては美しいその立ち姿にあてられて、いそいそとナイフを取ろうとしたふたりに、ディラルドはぽそりと言った。


「いやいや、これはそんな料理じゃねぇ。手で食っちまうんだ。」

 

 こうやって、な。そういって、タン先をくるくると大葉の香草で巻き、口の中に放り込んだ。

「これが一番美味い」

 

 おーう。

 ふたりはナイフを放り出し、むちゃくちゃな勢いで大葉と肉をむさぼりはじめた。


 店主の言うことは本当だった。

 肉の味が濃い。塩加減という意味ではないが、これほど濃い味の肉は食べたことがない。

 それだけでは胃もたれするのだが、この香草を巻いて食べると、どうも口のなかがさっぱりして、また次に手を伸ばせてしまう。

 山葵か生姜に似た爽やかさと、葉物独特の苦味。


 あああ、うまい。


 そのうちに、ディラルドが切り分ける肉が、完璧に計算されている(何を言ってるのかわからないと思うが)ことにジャル=ドレイは気付いた。

 タンの噛み締めるほどに溢れる美味さはそのままに、普通の肉にはひとつぐらいあるはずの筋という筋がない。

 コリコリと硬い部分すらも、どこにも感じられないのだ。

 これは一体どういうことだ?

 ジャル=ドレイは訝しみながらも、次々と肉を口に放り込む。


 ふとディラルドを見ると、彼は肉を切り分ける手を止めている。

 手元に何かの柑橘系の果実を持っており、彼はそれをナイフで半分に切り分けると、勢いよく手でジュバリ、と果肉を絞り、ボウルに果汁を注ぎ入れた。


 ボウルに塩と大蒜を入れ、カッカッカッとリズムよく混ぜると、残りの肉(タンの先の部分が残っていた)を薄く薄く切って投入。残った大葉も合わせて刻みいれ、ざっくりと混ぜ合わせる。


 柑橘のよい香りがこってりとした気分に心地よく感じられる。

 ガセイルはもうこの世に存在していいような顔をしていない。

 ジャル=ドレイも同様だ。

 ああ、どうしてもディラルドから目が離せない。


「ほいよ。」


 さっと、とても軽い調子でサーブされた皿の上には、美しい円柱のような佇まいの竜牛タン先のタルタルステーキ。

 

 ごくり。

 ふたりは、息を呑んだ。

 

 ほんのりピンクに色づいた肉と、フレッシュな大葉の刻み、それに酸味と苦味が混じった柑橘果実が宝石のように入り組み、おとぎ話の魔術師の塔のように皿の真ん中に聳えている。


 ガセイルのスプーンを持つ手が震えていた。

 崩すのが憚られるのだ。

 ジャル=ドレイは、ええいままよ、とスプーンを突き立てようとした……


「あ、忘れてた。」


 ディラルドは、テーブル下から見たこともない乾いた乳酪を取り出し、グレーターでゴリゴリと皿の上に削っていく。塔が雪のように彩られていく。ふわりと乳酪のよい香りが舞う。


「も、もう絶対美味いやん……ああ……」


 まるで失神したようなガセイルの顔はもうふにゃふにゃで、きっともう骨は残っていないのだろう。かくいうジャル=ドレイも目頭を抑えている。


 【礼賛】。


 すこしづつタルタルステーキを食べすすめながら、ふたりはこのレストランの異名の意味をはっきりと理解した。そう、それ以外に名付けようがないのだ。

 店の名が無いのも理解した。下手な名前は無粋なのだ。

 

 このディラルドという主人は、店の主人などではない。

 王だ。もはや、王国の主だ。

 

 【礼賛の王】。

 

 人好きのするその顔に騙されてはいけない。

 最も複雑で、最も蠱惑的で、何よりも計算高い――


「……さて、お腹いっぱいになれたかい?」


 ああ、こりゃもうどうしようもねぇ、この店ほんとにどうしようもねぇよ。また来ちまうよ、来るしかねぇじゃねぇか。

 もうちょっと入るならデザートもあるんだけどね、黒茶飲んでいくかい。人好きのする微笑みを浮かべながらそう言う【礼賛の王】を尻目に、ガセイルとジャル=ドレイ・フレッドは、お互いの目を合わせ、頷き合ったのだった。

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