本編 鬼の慟哭
(スポット)岡山県古代吉備埋蔵文化センター
吉備の国へようこそ。おまえさんが来るのを待っておった。
ここはかつて、大陸から渡来した製鉄技術のおかげで発展し、大和朝廷と並ぶ豪族がいた土地じゃ。
お伽噺「桃太郎」は知っているな。桃から生まれた桃太郎がお供にした犬、猿、雉を連れて鬼ヶ島へ渡り、悪い鬼を懲らしめた話じゃ。
桃太郎のモデルは大和朝廷の派遣した
――風に乗って聞こえる低い唸り声。
うん、なにか聞こえたかな。
そういえば最近、この辺りで恐ろしい鬼の唸り声が聞こえてくるそうじゃ。みな夜も眠れぬと困っておる。わしか?わしは耳が悪くてのう。
きっと、鬼は何かを伝えたいんじゃ。
お伽噺「桃太郎」には隠されたもうひとつの伝説があるんじゃ。興味があるかね。伝説の謎が解けたとき、鬼の恨みの声は消える。みんな安心して眠れるというものじゃ。
そうじゃ、おまえさんなら謎が解けるかもしれん。わしと一緒に伝説を紐解く旅に出かけよう。
この吉備の中山には桃太郎の墓があるのは知っているか。お伽噺の主人公の墓があるなんて馬鹿を言うな、じゃと?
桃太郎のモデルになった吉備津彦命がこの山に祀られておるんじゃ。この山全体が茶臼山古墳といって、お墓なんじゃよ。
靴は歩きやすいものを履いているかな。ここからはちょっとした山道になるぞ。しっかり着いて来いよ。
山歩きの間に、吉備津彦命と温羅の伝説を教えてやろう。
むかしむかし、温羅という鬼が鬼ノ城(岡山県総社市)に住み、周辺を荒らし回っておった。温羅は大男で、両目はらんらんと輝き、髪や髭はぼうぼうとして、性格は極めて凶悪だった。
温羅は都へ向かう船を襲撃したり、女子供を掠ったりとんでもない悪事を働いた。そこで、大和朝廷から派遣された吉備津彦命が鬼退治に乗り出したんじゃ。
温羅は鬼ノ城、吉備津彦命は吉備の中山を本拠地とした。
温羅は山の上から岩を投げ、吉備津彦命は矢で応戦した。岩と矢はぶつかり合い、勝負がつかない。吉備津彦命に天啓があった。矢を二本番えて射よと。
すると、一本は岩を落とし、もう一本は温羅の目に命中したんじゃ。
温羅は鯉に姿を変え、川へ逃げた。温羅の流した血が川を赤く染めて、今でも血吸川という名前の川が残っておる。吉備津彦命は鵜に姿を変え、温羅を掴まえた。
温羅は首を斬り落とされ、首は恨みの唸り声を上げ続け、付近の民は眠れずに嘆き悲しんだ。
ある日、吉備津彦命の夢枕に温羅が立った。首をきちんと埋葬し直せば、吉凶を教えてやろうというのだ。かくして、温羅の首は吉備の中山の麓にある吉備津彦神社の御釜殿の下に埋葬されたんじゃ。
以来、温羅は釜の音で吉凶を教えてくれるようになった。
さあ、到着したぞ。ここは
上の方に白い鳥居が見えるだろう。吉備津彦命は二八一才で亡くなり、ここに葬られたとされておる。ありえないだって?鬼を成敗した英雄じゃ。そのくらい生きていても不思議じゃないだろう。
ははは、実のところ、本当にここに埋葬されているのは誰なのかわからないんじゃ。
しかし、宮内庁が管理をしているのは本当なんじゃよ。それゆえ、この先には一般人は入ることはできないようになっておる。
空を見上げてごらん。
ここは神聖な場所なんじゃ。空の色も違って見える。ほら、木々の隙間から覗く青色が濃いだろう。どうした?肌寒いかい、空気の温度も少し低く感じるんじゃ。
――風に乗って聞こえる低い唸り声。
さあて、先に進もうか。温羅が呼んでおる。
いやいや、何でもないぞ。
こんな山奥に神社があるとは、不思議だろう。
ここは山岳信仰の聖地、八徳寺。山岳信仰は山に対する感謝と畏敬の念を抱き、自然そのものを敬う気持ちじゃ。実は、ここには温羅が祀られているといる伝説がある。
なぜここに桃太郎の敵、温羅が祀られているか。それはこの先に進んでみよう。
これ以上、山奥に進むのは怖いとな?なに、昼間なら大丈夫じゃ。おまえさん、怖がりじゃのう。唸り声が聞こえる?はて、何も聞こえんが。
赤い前掛けがしてある岩があるだろう。ここは穴観音といって、中央にある巨石に観音様が彫られておる。古墳の被葬者を拝む盤座であり、さっき通った八徳寺の奥の院という見立てもある。
岩の穴に耳を近づけてみると、潮騒の音が聞こえてくると言われておるんじゃ。
なんでこんな山奥で海の音が聞こえてくるかって?
この地はむかし、吉備の穴海と呼ばれる海だったんじゃ。吉備の中山と鬼ノ城は海の上に浮かんでおる島だったんじゃな。
――潮騒の音
――荒い波がぶつかる音
――古代の合戦の音 刀がぶつかる 矢が飛ぶ
鬼ヶ島には諸説あって、瀬戸内海に浮かぶ香川県の
ほう、観音様への祈りが通じたか、温羅の導きか、結界が解けたようじゃ。
あのしめ縄の先は異界へ通じておる。道を外れたら山の中で迷子になり、帰れなくなるぞ。人の通った道を辿るのじゃ。ここから急な坂道を下るから、足元によく気をつけて歩くんじゃよ。
――風に乗って聞こえる低い唸り声が少しずつ大きくなる。
この先に何があるか、教えて欲しいじゃと?それはわしにもわからん。
これ、引き返してはならん。怖がることはない。真実を知りたいのじゃろう。
ここが最後の地、石船古墳と呼ばれておる。
おお、そうか。ここはもしかすると。
――風に乗って聞こえる鬼の唸り声。
古墳はその盛り土の向こうじゃ。せっかくここまで来て帰るのか。さあ、その目で何があるか確かめるんじゃ。
そう、ここは、温羅の墓じゃ。
何も無いじゃないかって?
何を言っておる、本当に鬼が眠っていたら怖いじゃないか。
ここにはかつて石棺があったんじゃ。この辺りが海だったという話を覚えているか。石棺の蓋は潮の満引きで上下したという伝説が残っておる。
――潮の満引きの音
――古墳の洞穴の中から聞こえる唸り声
おまえさん、どう思う?温羅は本当に悪い鬼だったのかのう。
温羅は大陸からの渡来人という説があるんじゃ。つまり、外国人じゃな。だから、昔の日本人より身体が大きくて、目の色も違ったのかもしれん。見慣れない外国人が異様な存在に見えたのじゃ。だから、鬼と表現したのだろうな。
渡来人である温羅は大陸から製鉄技術をもたらした。
たたら製鉄では、職人は炉の炎を正確に見るため、片目で見たんじゃ。製鉄のときに、飛び散った火の粉で失明することもあったそうじゃ。
――炎の燃えさかる音
――製鉄の音
吉備津彦命が射た矢が温羅の目に当たったという話を教えてやったじゃろう。何やら因縁があるように思わんかね。
吉備の国は古今和歌集に「真金吹く 吉備の中山 帯にせる 細谷川のおとのさやけさ」と謳われており、「真金吹く」は製鉄のときに飛び散る火花を意味する「吉備」の枕言なんじゃ。
製鉄技術のおかげで吉備国は繁栄した。その証拠に、岡山県内には銅鐸や銅鏡など、多くの鉄製品が出土しておる。
吉備の中山の麓にある吉備津彦神社は吉備津彦命の邸宅の跡に建てられた神社じゃが、そこには温羅を祀る小さな社がある。
温羅は豊穣を司る神として祀られておるんじゃ。温羅は鬼として恐れられた一面と、大陸から製鉄技術をもたらし、この地を繁栄に導いた人物としての一面を持っておる。
これが桃太郎伝説に隠されたもう一つの伝説じゃ。
さっきから聞こえていた唸り声が聞こえなくなった?
それは御伽話で悪者にされた温羅の泣き声だったのかもしれんのう。おまえさんに本当の話を知ってもらえて、気が収まったのかもしれん。
ここまで来てくれて、ありがとう。わしからも礼を言うよ。きっとみんなもよく眠れる。
わしの話はこれで終わりじゃ。帰りは登り坂じゃ。気をつけて帰るんじゃ。異界から現世へ戻るまで足元に気をつけて、決して振り向いてはならんぞ。
【短編こわ~い話】鬼の慟哭 神崎あきら @akatuki_kz
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