夜の謎解き

淡島かりす

塩辛とビール

○○には三分以内にやらなければならないことがあった。

今日は右手に箸を持ち、左手にはフォークを持っていた。

今は目を開いていたが、既に目を閉じていた。

今は家にいて、そして今は外にいた。

○○に入る漢字二文字を述べなさい。


「わかりますか、お兄様」

 大学生の妹が見せてきたのは、スマホの画面に映し出された貼り紙だった。薄汚れた灰色の壁にガムテープで貼り付けられた、おそらくよくあるコピー用紙。印字された文字は横書き。内容に至っては何が何だかよくわからなかった。安倍智樹は目を少し細めてそれを数秒見つめると、自宅のダイニングテーブルの向かいに座る妹を見た。

「どこにあったんだ?」

「大学の三号館の裏です」

「あぁ、三号館ね」

 かつて自分が通っていた大学のことを、智樹は久しく思い出した。三号館は学食と繋がっているので昼前はいつも混んでいた。

「朝通りかかったら、こんなものが。きっとこれはミス研に対する挑戦状に違いありません」

 風呂上がりで化粧を落とした妹は、精一杯の険しい顔を作って言った。

「んなわけないだろ」

 智樹は冷たく言いつつ、手元に置いた缶ビールを持ち上げた。

「路代が思うほど、ミス研の知名度はないからな」

「ロッテと呼んでください」

 自分で自分に付けた愛称を口にする妹を、智樹はいつものように半分ほど無視した。全て無視しないのは、兄妹仲が良いのと、元ミス研代表としての血が騒いだからである。

「これ以外に何かあったか?」

「これだけです」

「○○に入る言葉……。普通に考えたら人間に関する言葉が入りそうだけど、人じゃない可能性はあるかな」

「どうでしょう。右手と左手、というのは人間にしか使わないのでは」

「じゃあ人間だと仮定しよう」

 まだアルコールに浸ってはいない頭を働かせる。

「気になる言葉は、三分以内、箸、フォーク、目、家、外だな」

「右手にお箸、左手にフォークを持たなければならない状況って何でしょう? スプーンとフォーク、お箸とお椀ならわかるのですが」

「食べる時ならな。食べない時なら結構あるんじゃないか? 例えば飲食店で配膳をする時とか」

「確かに。でもそれだと両手が塞がってます。両手が塞がってるのに三分以内に出来ることってありますか?」

「別に三分間持ってなきゃいけないわけじゃないだろ。邪魔なら置けばいいだけだ」

「でもそれだと、書かれている意味がありません」

 路代は眉間に皺を寄せた。

「ミスリードって可能性もある」

「そんなのアンフェアです。謎解きには必要なもののみを詰めるべきでは」

「べきでは、って言われても」

 何やら憤慨する妹はとりあえずそのままに、智樹は次の行に注目する。これも二行目と同じくらい意味がわからない。

「目を開いているのに、目を閉じてる。どういう状態だ?」

「物凄く細い目とか」

「本気で言ってる?」

「いいえ」

 路代は首を左右に振った。

「そもそも、今は目を開けているのに既に目を閉じている……だと、目を閉じているのに開いてることになります。どういうことなのでしょう」

「四行目も似たような感じだな。家にいるのに外にいる」

「矛盾するというか、両立しにくい事柄を二行目から四行目に書いてあるようです」

 妹は「うーん」と言いながら、智樹の缶ビールを手に取って勝手に飲んだ。

「冷蔵庫にあるぞ」

「面倒だったんです」

 悪びれもなく言って、路代は美味しそうにビールを傾ける。智樹はそのビールは妹にやることにして、仕方なく椅子から立ち上がる。

「ツマミいる?」

「何かありますか?」

「塩辛」

「最高です」

 冷蔵庫から塩辛を出して皿に適量盛り付けつつ、智樹は話を元に戻した。

「要するに二行目以降が滅茶苦茶なんだ。そこがポイントなんじゃないか?」

「と、仰いますと」

「その滅茶苦茶が一行目に関わってるってことだよ。一行目だけ変にまともだろ?」

「なるほど。では二行目以降だけ考えた方が頭がスッキリしますね。お兄様、生姜のチューブ少し絞ってください」

「わかってる」

 塩辛が入った小鉢の隅にチューブに入った生姜を少しだけ絞り出し、それをテーブルへ持っていく。ついでに箸を渡すと、路代は早速小鉢から塩辛一つと生姜をひとつまみ持ち上げた。

「外では出来ませんけど、家の中なら自由ですもんね」

「まぁそこまで変な食い方じゃないとは思うけど、店で頼む訳にはいかないしな」

「この前、夢の中で塩辛にチョコレートをかけてる人が出てきました」

「でもあるらしいぞ、塩辛チョコ」

「ただ、その方がかけていたのは醤油でして。でも夢の中の私はそれをチョコレートだと思ってたんです」

「夢ってそういうもんだろ。整合性が……」

 兄妹はそこでふと黙り込んだ。路代はゆっくりと塩辛を咀嚼してから口を開く。

「夢のお話でしょうか」

「目を開けているのに既に閉じてる、ってのは寝ているから目を閉じてるけど夢の中では目を開いていることを指すのかもな」

「家の中にいて外にいる、も同じですね。二行目はその布石。つまりこの方は夢の中にいるということです」

「じゃあ○○に入るのは、漢字ってことだから「彼女」とか「子供」とかか?」

「いえ、お兄様。二行目以降に年齢や性別を特定するものはないですから」

「あぁ、そっか。ってことは汎用的な……」

 ビールのプルトップを開ける。少し溢れた泡を急いで啜ったあとに、智樹は一度頷いた。

「わかった」

「本当ですか?」

「あぁ。これは……」

 智樹はふと口を閉じて妹を見た。

「三号館って言ったな?」

「はい、三号館です」

「心理学科のゼミ室があるとこ」

「そういえばそうですね」

「これ、何かの心理実験じゃないか? 高橋ゼミがそういえばこんなことよくやってた」

 在学中のことを思い出した智樹はため息をついて塩辛に手をつける。

「止めた。なんか考えさせられたのが馬鹿臭い」

「何でですか。思いついたなら教えてください」

「自分で考えろよ」

 塩辛に生姜をつけて口に入れる。爽やかな味と磯臭さが絶妙に混じり合う。

「そんな難しくないから、すぐわかるだろ」

「そうかもしれませんけど、途中で言うのやめられると気になるんです」

 お兄様ぁ、と懇願する言葉を無視して塩辛をビールで胃袋に流し込む。偶には家で飲むのも悪くなかった。


END

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