八人目の助太刀
羽間慧
八人目の助太刀
ただし、それをしなければ自分が不利益を被る、ということはなかった。羽倉が手を加えなかったとしても、それはほとんど完成していた。すぐに渡しても差し支えない。色紙には、七人の名前が記されている。
『短い間でしたが、今までありがとうございました。これからのご活躍を応援しています』
『いつも厳しくも温かくご指導してくださり、ありがとうございました! おかんと言ってしまったときに見せた、中村先輩の表情は忘れられません(笑)』
『一年間お世話になりました。最後の大会で先輩のタオルを間違って使ってしまい、すみませんでした! 思春期の娘がいる父親の気持ちになれました』
『中村先輩も大学で剣道を頑張ってください! 僕も中村先輩と同じ大学に行けるよう、受験勉強頑張ります! 無事に合格できたら、またよろしくお願いします!』
『ご卒業おめでとうございます! 中村先輩が作ってくれたお守りのマスコットは、今でも大切に使っています。先輩が卒業されてさびしくなりますが、いただいたマスコットから元気をもらって全国に行きます!』
『次に中村先輩と会えるのは、全国大会の応援に来てもらえる日かもしれませんね! 楽しみに待っていてください!』
『美波先輩は私の憧れです。男子ばかりの部活でしたが、美波先輩がいてくださったおかげで二年間続けられました。来年は部長として引っ張っていきます。正直なところ、美波先輩のすごさに勝てる気はしません。それでも、私なりに部をまとめていこうと思っています。県内とはいえ近くではありませんが、見守っていてください』
文字の色は同じだが、ペンの濃さや太さは違った。それぞれの愛用するボールペンが異なるためだ。すべて横書きで統一し、両端をびっしり埋めていた。そのおかげで真ん中の白さが際立っている。
顧問をしている剣道部員から、課せられた使命は単純だ。今日卒業する中村美波のメッセージを、寄せ書きの余ったスペースに書きさえすればよい。
ただ、四行ほど埋めてみたが、色紙の寂しい感じは拭えなかった。黒いボールペン一色だけで、イラストや装飾の類はない。
無地の色紙ではなく、花束を模したデザインのものや、桜の花びらをあしらった柄のものにしておくべきだったと思う。羽倉が昨日の放課後に色紙を受け取ったとき、最初に感じたのは手抜き感だった。その直後で「先生が書いたら中村先輩に渡してください」と言われ、部長と色紙を二度見した。だが、顧問がとやかく言うこともないと思い直し、忘れずに渡すと返事をしたのだった。
「羽倉先生。爪をいじる暇があったら、うちの装飾を手伝ってもらいたかったです」
「これのどこが遊んでいるように見えるんです? 指が太くて大変なんですよ。全然シールが剝がれてくれなくて、猫の手を借りたいくらいです」
軽口を言い合えるおじさん同士、愚痴を言い合った。
「色紙に張るシールですか。台紙が透明で、境目が分からなくなるタイプのようですね。そんなものは生徒に任せればよかったのに」
「貼れなかったら貼れなかったでいいんです。見栄えが少し気になってしまいまして」
「確かに色ペンも使っていませんからね。そのシール、もしかして羽倉先生の自前ですか?」
「昨日の帰りに文房具屋へ寄りました。中村さんが好きそうなものを選んだつもりです」
伸びをする猫、首をかしげるインコ、頬いっぱいにヒマワリの種を頬張るハムスター。動物の動画が好きなことを思い出して買ってきた。絵はおじさんもメロメロになるほど可愛いのだが、いかんせん爪が機能しない。指サックをしなければプリントがめくれない指に、可愛いシールが牙を向いていた。
「いだっ!」
シールを持っていた指に、反対の爪が刺さる。爪の間から血がにじんだ。すばやく机上のテッシュを指に巻きつけ、色紙が汚れるのを防ぐ。
二重の意味で、大きな痛手だ。残り二分で体育館入口に移動しなければいけないというのに。いまだに空白が目立つ。
三年生の担任ではない羽倉は、早く来た保護者に待機の声かけをする任務を与えられていた。式が終わった後も保護者誘導の務めがある。いずれ捨てられてしまう色紙に執着するべきではない。だが、一年生達が用意してくれた贈り物に、がっかりする要素を排除しておきたかった。
「やっとめくれた!」
コツを掴めば作業は早く進んだ。
中村美波先輩の文字の下に、桜とインコをちりばめる。在校生の性格に合った動物を、寄せ書きの空いたところに敷き詰めていく。
「これでよし」
各々の役割分担の場所へ移動していく教員の波に、羽倉も加わった。指を抑え、痛みを紛わせながら。
数時間後、中村美波は羽倉が予想した以上に歓喜の声を上げることになる。
その二年後、七人分の色紙を羽倉が徹夜で作ることになるのは、また別のお話。
八人目の助太刀 羽間慧 @hazamakei
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