第3話 苦難の始まりと愉快な仲間たち


 さて、そんなこんなで私の闘病生活はスタートした。


 タヌキ先生からは具体的な期間は明示されなかったが、最長で三カ月の入院となるらしい。しかもただの入院じゃなく、依存症治療のための隔離病棟での生活である。



 実際に生活してみて感じたのだが、この隔離病棟というのが中々に息苦しかった。

 部屋だけでなく、病棟全体が完全に外の世界から隔離されてしまっている上に、人や物の出入りがかなり厳しい。


 荷物は最低限の服や日用品以外、すべて没収。スマホや本も持ち込み禁止。

 外へ自由に出ることもできず、飲食も病院側で管理される。


 つまり三カ月間はお酒を飲むなんて脱獄でもしない限り、到底不可能なのだ。



「まぁ、別に。三カ月ぐらい、どうってことないでしょ」


 いったいどの口が言っているんだと思われるかもしれないが、入院時の私は自身がアルコール依存症であると認めていなかったのだ。


 酒なんてやめようと思えばいつだってやめられる。そんな舐め切った考えでノコノコと入院してきたのだから本当にどうしようもない。


 私は病棟にあるラウンジの椅子でふんぞり返りながら、生気の抜け落ちた顔で朝食のパンをもそもそとかじる患者たちを冷めた目で眺めていた。



「(今夜から患者同士で依存症について語るミーティングがあるらしいけれど、一体それが何の役に立つと言うのだ。私はこんな人間たちとは違う。適当に過ごしてさっさと退院してやる)」


 我ながら、失礼極まりないことを考えていたと思う。だけど私は、その日のうちに自分の考えを悔い改めることになる。



 完全アルコールフリーの薄味ディナーも終わり、夜も良い感じに更けてきた頃。

 薄暗い照明に落としたラウンジにて、依存症患者が集うミーティングが始まった。



「俺は嫁に迷惑ばっかかけちまってよぉ……できることならあの世でアイツに謝りたいんだ……」

「きっと天国で会えますよぉおお……!!」


 いい年したおっちゃんの、涙まじりの懺悔ざんげ

 死別した妻に対する想いを目の前で聞いていた私は、もらい泣きレベルを遥かに超えて嗚咽おえつを漏らしまくっていた。



「アルコさん、気持ちは分かるけど少し抑えて……」

「す、すみません。思わず感極まっちゃって……」


 隣りに座る恰幅かっぷくの良いおたふく顔のおばちゃんからティッシュを受け取り、私は止め処なく流れていた涙をぬぐう。周囲の人たちはズビズビと鼻をかむ新人を見て苦笑いを浮かべていた。



 このラウンジには食事もとれるような大きな円卓がある。それをぐるりと囲むように、13人の患者たちが席についていた。

 順番に重々しい話をしていく光景は円卓の騎士達もかくやという状況。しかし実際に話している内容と言えば、己の黒歴史暴露大会である。


 ただし、ただの暴露大会とあなどるなかれ。

 このミーティングこそ、依存症治療における大事な工程の一つなのだ。


 自身が依存症で悩んでいることを自分の言葉で発言し、他人に聞いてもらうことで心を整理するという、ちゃんと理にかなった治療法だった。



 酔っ払って奥さんに手を上げ、別居する羽目になったオジサン。


 家事の間もずっと飲酒をしないと正気を保てないキッチンドリンカーおばさん。


 お酒の禁断症状が酷すぎて何年も病院暮らしをしている、地縛霊みたいなお爺さん……などなど。



 日中はあれだけこの人たちのことを馬鹿にしていたはずなのに。お酒に狂わされ、もがき苦しむ彼らの話を聞いているうちに、私はすっかり彼らに感情移入してしまっていた。


 もちろん、私は一番最初に自己紹介を済ませてある。

 結婚の準備で転職中に婚約破棄をされた。恋人も仕事も失い、酒浸りになってここにブチ込まれました、と馬鹿正直に告白しましたとも。


 そのお陰かは知らないが、みなさん私に優しかった。ヒステリックそうなオバサマなんて、両手いっぱいの飴ちゃんをくれた。



「おう。みんな何かを抱えてここへ来てんだ。酒やヤクに一度は溺れちまったが、それでも何とかしようっていう仲間だからな!」

「デンコーさん……」


 電気工事系を生業としている、超絶強面コワモテマッチョのデンコーさんが私の肩をバンバンと叩く。

 痛いけれど、彼にそう言ってもらえると何だか心強い。



「よっし、じゃあ次は俺だな!!」

「お願いします、デンコーさん!」


 デンコーさんはそう言うと気合を入れ、ドカっと音を立てて席に座り直した。1人で2人分のスペースを使っている彼はまるでこの円卓の王様だ。



「(いったい彼はどんな苦悩を……)」


 不謹慎だけど、私は少しワクワクしながら彼が話し始めるのを待った。



「俺は……俺はよぉ。酒を飲んだら、どうやら人が変わっちまうみたいでよぉ。居酒屋で仲間と飲んでたはずなんだが、気付いたら隣の席の奴らを殴り飛ばしちまって……」


「え……?」


「半殺しで3回、器物破損で5回警察にパクられたよ。さすがに酒をやめようと思ったが、無意識に飲んじまうから今は嫌酒薬が無いとマトモに生活できねぇんだわ」


「はい……?」



 どうしてこの人は良い話の流れをぶった切ってまで、悪酔い自慢を始めたのだ……?

 ゴリゴリマッチョな彼が暴れたりなんかしたら、普通の人は手が付けられないに決まっているじゃないか……ていうかそれは、本当に酒の悩みなのか?


 喜々として己の罪を話すデンコーさんには悪いが、退院しても絶対にこの人とは街で再会したくないと思ってしまった。さすがに酒乱ゴリラとは遭遇したくない。


 そして彼の失敗談もとい武勇伝が語り終わった頃には、あれだけ止まらなかった涙はすっかり枯れてしまっていた。



「(ま、まぁそういう人もいるよね。悩みなんて人それぞれだし……)」


 心の中でそう折り合いをつけた私は、次の発言者を見やる。



「次は僕かな……?」


 良かった、今度は優しそうなお爺ちゃんだ。昼間に将棋を打っていた好々爺こうこうやなら酒乱ゴリラにはなるまいて。



「僕はヤクを売る側だったんだけどねぇ。遂に捕まっちゃって、ここ退院したら刑務所の方に……」

「……ヤク?」


 ヤクって違法ドラッグとかの……?

 え? ちょ、それここで言って良いの!?



「オヤジにも申し訳ないし、そろそろ引退かなぁ……」

「(ひえっ!?)」


 このお爺ちゃん、まさかのソッチの筋の方だった……!!

 しかも結構ヤバ目の事にまで手を出していたっぽい。


 でも、そうだよね。なにも依存症ってアルコールだけじゃないもの。



「(と、いうことは……)」


 ドラッグお爺ちゃんに続く人たちをゆっくりと見回す。そういえば何の依存症かで座る席が決まっていたんだっけ。


 いやいや、どの人もちゃんと真面目に人の話を聞いている。みんな、危ない人にはとても見えないよ……!!



「彼女とヤる時に打ってたんだけど……トブ感覚が忘れられなくて……」

「眠剤をゲットするために、医者の梯子はしごをしてたら金足りなくなって自己破産しちゃって~」


 私の願いとは裏腹に、若干呂律の回らない舌っ足らずの人たちが連続していく。


 アルコール依存の患者さんは大人しめの方が多かったが、どうやら薬物依存の患者さんはハイの人が多いみたいだ。とても楽しそうに話をしている。



「(このまま彼らと上手くやっていけるのかな私……)」


 せっかく病と闘う心強い同志が生まれたと思ったのに。


 早くも私は別の不安に押しつぶされそうになる私。しかしこの濃ゆいメンツを仕切るリーダー役を任されることになるとは、この時の私はまだ知らない。

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