エピローグ
-Life goes on- それでも生きていく男の話
橋の上での戦いから、一週間が過ぎた。
季節は日ごとに進み、もはや日陰にも雪は残っておらず、暖かな春の陽気が身体を包む。
学園に植えられた何千本という桜は、その全てが見事に咲き誇っていた。イヨ婆ちゃんの家の庭木も、きっと今頃は満開だろう。
俺は晴れ渡る青空の下で、日差しを浴びて、中庭のベンチに座って
桜吹雪の一枚が、ティーカップに注いだ紅茶にヒラリと舞い落ち、静かに浮かんでいる。
ベンチの左隣の空席にも、桜の花弁が積もっていた。
ただ、そこに相棒の姿はない。
初めて出会ったあの日、汚れた飯をくれたアイツは――隣で一緒にサンドイッチを頬張ったケシィは、もう居ない。
だが視線を中庭へと向ければ、そこでは何人もの生徒達が、木陰で弁当を広げておかずを交換したり、芽吹いた菜花をスケッチしたり、バットとボールを使って大笑いしつつ遊んでいた。
「クリストファー先生~! まだ食べてるんですかー?」
「ロビン先生ぇーっ! 俺らのチームに入ってくれよ! 二点差で負けそうなんだよぉ!」
混ざって遊んでくれだとか、一緒に食べましょうよと誘ってくれる。
そんな生徒達に軽く手を振って、花びらが舞い散るスピードと同じくらいゆっくりと、弁当箱を空にしていく。
「……ごちそうさま」
弁当箱の蓋を閉じてから、そっと左目に、新調した眼帯に触れる。
失った眼球の代わりに、今は
傷は塞がり、胃袋は満たされ――俺の心を吹き抜けていた寒風も、いつの間にか止んでいた。
「――プーちゃんプーちゃん、プーちゃ~~~んっっ!!」
すると、レットが慌ただしく中庭に駆け込んできた。教師が学校内で走るなっての。
「どうしたレット」
「こ、これっ!」
ぜぇぜぇと肩で息をする幼馴染は、額に汗粒を浮かべつつ、茶色い封筒を手渡してきた。
「ま、魔法省からの特別推薦状だって!
「……オイ。なんでそんなに詳細を知っているんだ。他人の郵便物を、勝手に開けて見るな」
普通に犯罪では? まぁ身内みたいなもんだから、別に訴えたりしないけど。
先に読まれてしまった封筒の中身を、改めて確認する。
確かにそれは、宮廷魔導士試験への推薦状だった。受験資格の年齢は過ぎたのに、特例中の特例ってわけか。
「ペンも持ってきたよ! 書類にサインして、すぐに返送しなきゃ……!」
「………………」
しかし俺は、レットからペンを受け取らなかった。
何も記入せず、推薦状を折り畳み始める。
「プ、プーちゃん!?」
「良いんだ」
貴重な推薦状。八年連続不合格になって、それでも奇跡のようなチャンスが巡ってきた。
なのに、その紙に折り目を付け、形を整え、折り紙の要領で紙飛行機を作っていく。
……なぁケシィ。この選択を、お前は笑うかな。
でも俺はもう、生き方を決めたんだ。
――今までは、生きる覚悟も、死ぬ勇気もないままに、抜け殻のような日々を過ごしてきた。
お前と出逢ってから、俺の人生は始まった。お前の背中を追い続ける毎日だった。俺にとって、お前が世界の全てだったんだ。
そんなお前が急にいなくなって、どうすれば良いのか分からなくなった。
やりたいことなんて最初からなかった。進むべき道も見えなかった。
自分を英雄だと誇ることもできず、宮廷魔導士試験も八年連続で不合格。
だけど……たとえ何者にもなれなかったとして、人生はそこで終わったりなどしない。
挫折し、夢が叶わず、諦め、目標を見失っても。日々は終わらない。
みっともなく、だらしなくて、立派じゃなくったって。何も成し遂げられずとも、命ある限り――道のりは続いていくんだ。
……ケシィ。お前の居ない世界を、俺は今日も生きていくよ。
俺は俺の人生を歩いていく。
悲しみと後悔を抱えながら、それでも――教師として、生徒達と一緒に生きていこうと思う。
そう思えるように、なったんだ。
『あばよ……ダチ公……』
折り畳んで完成させた、不格好な紙飛行機を飛ばす。
春風に乗って、舞い上がる花弁と共に、小さな飛行機は高く高く上昇していった。
「――あばよ、ダチ公」
言えなかった、あの日のサヨナラを告げて。どこまでも広がる青空を、見上げていた。
「……あっ」
すると突然、レットが思い出したように声を上げた。
「プ、プーちゃん! 試験を受けないなら受けないで、その旨もシッカリ書いて送り返さないといけないみたいだよ、それ!? ホラこれ返信用封筒!」
レットの言葉に、しんみりしていた俺は、一気に現実へと引き戻される。
「えっ!? そ、そうなの!? おまっ、そういうことは早く言えよぉお!」
大急ぎで紙飛行機を追いかける。
色々な想いとか比喩とか込めて飛ばしたのに、カッコ付かなさすぎるだろ。ダサいどころの騒ぎじゃない。
……けどまぁ、人生ってのはそんなもんかな。
「ど、どいてくれ! てか誰か、その紙飛行機キャッチしてくれ!」
「わーっ! 行かないでぇー!」
大人二人が大騒ぎして、中庭で紙飛行機を追いかけている姿に、他の生徒達は何事かと注目してくる。
赤髪のピーターは「競争か!? 俺も走るぜぇえ!」とワクワクし、貴族の次男坊テイモンは優雅に紅茶を啜り、木の上のバンビエッタは弓で射ち落とそうとする。
城内の窓から見下ろすグーディー主任は額に手を当て呆れており、学園長は笑っていた。
「とっ……たァ!」
そしてようやく、紙飛行機を手に掴む。
しかし俺の爪先は、固い『何か』にぶつかった。
「おわぁあっ!?」
それは噴水の縁だった。
躓いた俺は、顔面から水中へとダイブしてしまう。
高い水飛沫が上がり、大粒の水滴が日光をキラキラ反射させつつ、中庭に飛び散っていく。
「プーちゃぁぁあああんっ!」
だがどうにか腕を高く上げ、全身ずぶ濡れだが、送り返す推薦状だけは濡らさずに済んだ。
「あ、危ない危ない……! ギ、ギリギリセーフ!!」
「……ふふ、あはははっ」
ふと、誰かの笑い声が聞こえてきた。
レットのじゃない。中庭を横切る通路を歩く――オルアナが、そこにいた。
びしょ濡れな担任教師を見て、分厚い魔導書を胸に抱えてクスクス笑い、目に涙まで浮かべている。
俺はひどく驚いて、レットも他の生徒達も、オルアナと一緒に教室へ向かう途中だったルゥやティナーすら、心底びっくりした表情を浮かべていた。
ルゥの小説を蔑ろにした件を、オルアナがルゥ本人に謝罪して以降、ティナーとも仲良くなったらしい。常に三人一緒に行動している。
だが声を上げて笑うオルアナの姿は、二人も初めて見たのだろう。
「あはっ、あはは……! はぁー、おかしい」
そんな中でオルアナだけが、無邪気な少女そのものな姿で、肩を震わせ笑い続けていた。
正午の日差しを浴びて、オルアナの背後に伸びる影。その中からスワンプマンが、ヒビ割れた髑髏の仮面をヌルリと出す。
そして俺に小さく会釈して、笑うオルアナの影へと再び潜っていった。感謝してるってことかな。
「まったく、なにやってるのロビン先生。んふふっ、馬鹿じゃない? ……午後の授業、始まるわよ」
そうして再び、普段の
それでもまだ口元は緩ませたまま、長い銀髪をなびかせて、ビショップクラスの教室へと向かっていった。
……アイツの笑顔を、初めて見た。なんだ、ちゃんと笑えるんじゃないか。
噴水の中から立ち上がって、濡れた身体で背筋を伸ばす。
見上げる先、雲一つない快晴の空には、透き通った青空には、一隻の飛行船が浮かんでいた。
――飛行実験、成功したんだな。
あの空飛ぶ船も、知らない誰かの
「……プーちゃん。今、すごく良い笑顔してるよ。久々に見た」
「そうか? けど笑い事じゃないだろ。ずぶ濡れだぜ」
昼休みの終了を告げる、鐘の音が学園に鳴り響く。
その音色はどこまでも遠く、遥か広がる空までへと、届いていった。
さぁ……急いで着替えて、教室に向かおう。午後の授業の時間だ。生徒達が待っているのに、まさか俺が遅刻するわけにはいかない。
なぜなら俺は、アイツらの――魔法の先生なんだから。
『ロビン・クリストファーは魔法の先生』 END
ロビン・クリストファーは魔法の先生 及川シノン@書籍発売中 @oikawachinon
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます