第35話

「――ぐ、ゥうううっ……!」


 すると。背後で、男の呻き声が聞こえた。


 振り向くと、そこではラビが鼻血を流しながら立ち上がり、ブン殴られた頬を腫れ上がらせつつ、それでも執念で立ち上がっていた。


 まずい。この状況は、前にもあった。

 帝国軍人としての意地を貫くつもりなら――最悪の事態になる。


「マジックAIは、渡さん……! この技術で、貴様らの国が更に、発展するのなら……!」


「オイ……! 何考えてんだ、ラビ先生……!!」


 ラビは頭上のマジックAIに魔力を注ぎ、その魔法陣を、崩壊させようとする。


 炸裂魔法のトラップと同じだ。だが今回の規模は、比較にもならない。


 何千万という魔法陣が、何百人もの学生達の魔力が、無作為に崩壊を起こしたら――どんな被害が出るか計り知れない。


「やめろ!! 学園ごと吹き飛ぶぞ!!!」


「本望!! 地獄におわす総統閣下に、我が帝国に、栄光あれぇぇええええっ!!!」


 そしてラビが、マジックAIを暴発させようとした瞬間――。


 城門の上から、大柄な男が飛び降りてきた。


 無精髭を生やしたその男性教師は、魔法陣の刻まれた『調理ボウル』に『チョコレート』を砕いて放り込む。

 そしてマッチの火を強化した魔法でボウルを熱し、ドロドロに溶けたチョコレートを、泡立て器で勢いよく掻き混ぜると――そのチョコレートの体積を、魔力で何百倍にも膨らませた。


「『チョコレート・プラネット【慈しみの惑星】』!!!」


 黒いドロドロの液体が、大量のチョコレートが、マジックAIを包み込む。青白い光は少しも漏れてこない。

 その結果魔力が遮断されたのか、いつまで経っても、暴発という最悪の結末は訪れなかった。


「貴様ッ……! 『ドナルド・ミック・グーディー』!!」


 自爆を防がれたラビは、悔しさと共に吠えた。


 だが無精髭の大柄な中年教師――グーディー主任は意に介さず、それぞれの指の隙間に『マシュマロ』を挟んで取り出す。そのマシュマロの断面には全て、小さな魔法陣が刻まれたいた。


「『マシュマロマン』! 拘束しろ!!」


 マシュマロが集まり、巨大化し、白いフワフワの『ゴーレム』となる。


「りょ~うか~い。捕まえれば良いんだね、ミッキーくぅ~~ん」


「俺をそのアダ名で呼ぶな、マシュマロマン! いつも言っているだろ!!」


 愉快なやり取りをする二人(一人と一体?)だが、ラビを捕まえるマシュマロマンの腕力は強く、抵抗するラビの初級魔法を弾き飛ばしていた。

 そしてそのフワフワの身体で彼を抱きしめ埋めて、見事に拘束してみせた。ラビはまるで、底無しに沼に半身が浸かってしまった野生動物のような姿となる。


「くっ、クソぉぉおおおっ……!」


 そしてラビはついに、全ての抵抗手段を封じられ、学園側に捕縛された。


 グーディー主任に続いて、ゲオルギウス学園の教師達も続々と集結する。橋の上で倒れた生徒達や、湖に落水した学生達の救護に当たっていく。


 レットも駆け付けており、俺はようやく、この一件が決着したのだと安堵した。


「――どういうことかね、クリストファー先生ぇえええええええっ!!!!!」


「はいッ! スイマセぇンッ!!」


 しかし学年主任に一喝され、即座に背筋を伸ばして敬礼する。兵士時代を思い出し、思わず軍隊式の反応を見せてしまった。


「生徒達の魔力を借りて、それでようやく敵対者を迎撃するなどと!」


「そ、それは……」


 言われてみれば、確かにその通りだ。


 生徒達が自発的に力を貸してくれたとはいえ、戦いに巻き込んだ形になる。

 そもそも、俺がラビの言葉を信用せずキャンプ地から離れなければ、誰も危険な目には遭わなかったかもしれないのに。


「学生の安全は、生徒達に頼らず、教師の力で守るのが使命でしょうが!」


 命懸けで教え子達を守ったのに、まさか説教されるとは。これもまた、予想外で盲点だ。


「あ、あの……っ。ロビン先生に魔力を与えたのは、私達が自分から……!」


 ここで『まさか』が三度。オルアナが俺を庇ってくれた。正直、泣きそうなくらい嬉しい。


「マーカス君には聞いてなぁぁあああいッ!!」


「……ご、ごめんなさぁい……」


 だが学年主任の大声で、首席合格者すら黙ってしまった。正直、泣きそうだ。


 主任は腕組みをしたまま俺を睨んでおり、本当に嫌な上司だ。


 ――しかしグーディー主任は、煙草シガレット型のチョコレート菓子を一本、俺へと差し出してきた。


「え……?」


「今後はシッカリしてくれないと困りますよ、クリストファー先生。……貴方はもう、この学園の教師なのですから。共に働く『仲間』に、半端者は要りません」


「……!」


 初授業で生徒達と模擬戦をし、円卓の間でしこたま怒られた時。「俺は貴様のような輩を、この学園の教師としては絶対に認めん!」と怒鳴っていた。


 だけど、コレは――そういうことなんだろうな。


 そして駄菓子を受け取った俺に背を向けて、グーディー主任もまた、救護活動に急いでいった。


 その大きな背中を見送り、シガレットチョコを口に咥えてみる。


「……それ、美味しい?」


「食べてみるか? オルアナ」


「要らないわ。『間食をすると太りますよ』って、使用人スワンプマンがウルサイから」


 オルアナと何気ない会話を交わし、シガレットチョコを舐め、八年前に煙草を吸った時みたいに「ふぅー……」と息を吐き出す。


 ガキの頃に食べて以来、何年も口にしていなかった駄菓子は、甘く蕩ける幸福の味がした。

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