第4章:『葬送の儀式』


「これが、件の『不死身のバッファロータタンカ』の死体?」


 ツァメラが、バッファローの死体の前に屈みこむ。地面に転がった死体を、矯めつ眇めつじっくりと検分している。


 呪いの調査をするのに、実物が見たいということだった。村に置いてきた死体だったが、処分されていないのは幸いだった。


 ふたり乗りで馬を飛ばし、村に着いた頃にはすでに太陽が斜めになりかけていた。昨日の襲撃が夕暮れ時だったため、マトはすでに気が気ではなかった。


「不死身なのに死んでいるっていうのも、矛盾してるけどね」

「心臓を抉ると、動かなくなった。だが、それまでは、どんな攻撃を加えても決して死なず、ダメージを受けている様子もない。信じられないかもしれないが、不死身と形容するしかなかった」

「へぇ……結構死体の損傷が激しいけど、じゃあこれは生きている・・・・・うちにやったってこと?」

「ああ」


 バッファローの死体は頭が取れており、内臓も抉られ、足も折られている。マトが跨りながら死ぬ気で攻撃を与え続けた結果ではあるのだが、最終的に傷口から心臓を抜き取るまでは、動きが鈍る様子も見られなかった。


「どうやって?」

「走っているバッファローに飛び乗って、こう――ずがんと」

「……うすうす感じてたけど、君ちょっと人間離れしてないか?」


 死体を検分していたツァメラが、呆れたような顔を見せた。そうして、ゆっくりと立ち上がると、身体を伸ばした。


「うん――なるほどね。不死身以外に特徴は何かあった?」

「えっと、あ――」

「何?」

「でも、これ、うーん……」

「どんな些細な事でもいいよ。別に勘違いならそれでも構わない。とにかく情報が欲しいんだ。話して」

「その……、〈声〉が聞こえなかったんだ。このバッファロータタンカたちは」

「声?」


 困惑の色を見せるツァメラに対し、マトは説明をしてみせる。曰く、マトには生きているものの考えを、感じ取ることができるということ。〈声〉と呼んでいるその思念を、このバッファローたちからは感じなかったということ。そのせいで、昨夜は不意を打たれるようなかたちになったのだ。


「へぇ――すごいじゃないか」ツァメラは口許を斜めにする。「そういった能力ちからを持った人間の例は聞いたことがある。厳しい修行に耐えた呪い師ウィチャシャ・ワカンが、そういった能力に目覚めることが、稀にだがあるらしい。マトには産まれつき備わっていたんだね」

「そう……なのか」


 意外であった。てっきり自分だけのものだと思っていたため、前例があるということで、どことなく安心感を覚える。


「でも、そうか。〈声〉が聞こえない……」ツァメラはぶつぶつと呟きながら歩き回る。「確認だけど、マトが聞けるのは動物とか、植物だけ? 石とか、鉱石とか土とかの〈声〉は聞こえない?」

「ああ」

「そうか……、じゃあ、そういうことになるか……」


 ツァメラは、もう一度、バッファローの死体の脇に屈み込んだ。顔を近づけ、臭いを嗅いだりしている。そのまま、しばらく何事かを調べているようだった。


 ツァメラがゆっくりと立ち上がり、何度か頷いた。


「何か――、わかったのか?」

「死んでる」

「いや、それはそうだろ……」


 答えをはぐらかされたのかと、マトは眉を寄せる。


「そうじゃない――。こいつをマトが殺したのは、昨日の夜から今日の未明にかけてのはずだよね」

「ああ」


「傷口や腐敗具合を調べたら、もっと古い死体だったんだよ。少なく見積もっても、二週間ぐらい経過している死体なんだ」


「――え?」

「つまり、この村を襲った時にはすでに死んでいた・・・・・・・・ってことになる」

「どういう……、ことだ? いや、昨日の時点では間違いなく生きていた。そうじゃなきゃ、村を襲う事なんてできないだろ」

「そうだな、どう説明すればいいのか――」


 ツァメラは周囲を見渡す。近くの家の残骸に歩み寄る。木彫りの鳩の人形が落ちていた。

 ツァメラは人形を拾い、マトに見せつけてきた。


「『やあ、こんにちは。僕は鳩だよ!』」


 親が子供にそうするように、人形を動かしながら裏声で喋る。


「――どう?」


 ツァメラが尋ねる。


「どうって、なにが」

「いま、何が起きた?」

「……鳩が喋った」

「うん。でも実際は喋ってないよね。動かしたのも、喋ったのも僕だ」

「そんなことはわかっている。何が――」そこで、マトはツァメラが何を言いたいのかを理解できた。「そういうこと……か?」

「わかってくれたかい」ツァメラは鳩の人形を地面に落とした。「人形は、自分では動かない。動かしたのは、人間である僕だ。それと同じことが、バッファロータタンカで起きていたんだよ。彼らは不死身なんじゃない・・・・・・・・・最初から・・・・死んでいた・・・・・んだ。だから、死ななかったんだ。これは、死体を意のままに操る呪いだったんだよ」

「死体を、動かす……」


 ツァメラが、口許に手を当てる。


「呪いをかけた人物――たしか、チェイトンとか言ったっけ。バッファロータタンカの追い込み猟の時に首を斬って崖から落ちたと言ったよね」

「ああ」

「その崖の下には、もしかしてすでに落としたバッファロータタンカの群れがいたんじゃないかな?」

「……いた。チェイトンが落下したのは、バッファロータタンカたちを落としたあとだ」

「そして、そのバッファローの群れの死体は、見つからなかった――違うかい?」

「その通りだ。バッファロータタンカもチェイトンの死体も見つからなかった」

「チェイトンが死体を操る呪いを使って、バッファロータタンカたちを移動させたんだ。だから、死体が消えたんだ」

「なるほど、そうだったのか……」

「マトがバッファロータタンカたちの〈声〉が聞こえなかったのもそのはずだ。死体の〈声〉だからだ。君の能力は、生きている動物や植物の〈声〉しか聞こえないんだよ」

「そうか」


 言われてみれば、そうだった。たしかに普段から動物の死体からは〈声〉が聞こえない。当たり前すぎて、認識もしていなかった。


 チェイトンは笑って見せた。マトの背筋が泡立つほどの、妖艶な笑みだった。


「――呪いの正体はわかった。それでは本腰を入れて、対策を練ろうか」





「死体を操る呪い。そして術者本人も死体となって動いている。呪いの解き方は簡単だ。正しい手順であの世へと送り出せばいい」

「正しい手順で送る……?」マトが聞き返す。「葬送の儀式を執り行うのか?」

「そうそう――。とはいえ、流石にめちゃくちゃ簡略化はさせてもらうけどね。遺体を高いところに括りつけて、この煙管の煙と祈りで天の大精霊のもとへ強制的に送りつける」

「なるほど……」


「マトにも協力してもらうよ。葬送の儀を行うには、チェイトンの死体を見つけ出す必要があるわけだから」

「もちろん、協力は惜しまない。俺にできることならなんでもやるさ」

「ありがとう……」

「葬送するのは、チェイトンだけで良いのか? ほかのバファロータタンカたちが残って暴れることは?」

「それは問題ない。あくまでバッファロータタンカたちは人形と同じだからね。操り手の術者がいなくなれば、動くことはできなくなるはずさ」

「そういうものか」

「ああ。だけど、問題なのは、チェイトンの死体がどこにあるか――だね」

「そうだな――この大地のどこにあるのか、まったくの手がかり無しで探すのは骨が折れるだろう」


「手がかりは、無いわけではないんだ。原則として、呪いは物理的な距離が近ければ近いほど強くなる。逆にあまりにも遠くまで行ってしまうと、効果が弱くなったり、効かなくなってしまう。『射程距離』があるんだよ」ツァメラは木彫りの鳩を動かして見せる。「今回の呪いの場合、イメージとしてはこのように、〝見えない手〟を使って操っているような形になる」

バッファロータタンカに手が届かなくなるよりも遠くには行けないのか」

「そう。村を丸々ひとつ滅ぼせるほど強力なバッファロータタンカの群れ。それも、三十匹近い数を同時に操作するとなると、本体はかなり近い距離にいるはずだ」

「そう考えると、見つけられなくもない、のか……? 襲われるのを待てばいいんだよな」

「それでも難易度が高いことに変わりは無いけどね。三十匹のバッファロータタンカの群れをいなしながら本体を探さないといけないわけだから」


 そう考えると、実現は難しいのではないかと思えてきた。昨日の夜も、ぎりぎりのところで命拾いをしたようなものである。あの猛攻を避けながら、チェイトンの死体を探すというのは、現実的に考えて、不可能と言ってもいいのではないだろうか。


「ひとつ、策がないことも、ないんだけど……」


 ツァメラが言った。彼にしては珍しく、遠慮がちな口調だった。


「なんだ?」

「ただ、結構なリスクがあるんだよね――。マトの身が危ない」

「問題ない。そもそもの作戦自体が危険だろう。成功率が少しでもあがるなら、それに賭けたい」

「そっか。じゃあ、言うけど――」ツァメラが、マトの目を見る。「君の〈声〉を聞く能力ちからを利用する」

「え?」マトが目を丸くする。「待ってくれ。死体の〈声〉は聞けない」

「そうだね。でも――、そもそもの問題として、なぜ君には人間以外の〈声〉が聞こえると思う?」

「なぜ、って――」マトは悩む。考えたこともなかった。「なぜだ? 長老には〈大いなる神秘ワカンタンカ〉に近いからだと言われたが」

「そうだね。そもそも僕たちは、〈大いなる神秘ワカンタンカ〉の意によって全てのものとつながっている」

「ああ」

「だから、たとえばマトと僕も『つながっている』わけだ。それだけじゃない。他の人や馬や、狼や花や木や石――あらゆるものとつながっている。だけど、普段は意識として実感しているわけじゃない。それはわかるよね」


 マトは頷いた。


「マト。君の能力ちからは、その『つながりを感じ取る』能力なんだ。普段は意識することのできない他者との『つながり』を直感的に感じ取ることができる。それが〈声〉という啓示となって現れるわけだ」

「うん……?」


 よくわからなかった。それを察したのか、ツァメラは説明を続ける。


「マトと僕は『つながっている』けど、実感はない。でもさ、マトと――その辺を歩いている狼よりは、親しいよね。つながっているとは、思わない?」

「それは、そうだが」

「それはさ、マトが僕と〈ことば〉を交わしたからなんだよ。実際に会って、会話をして、言葉をのやりとりを行ったから、つながりをより強固に実感できる」

「たくさん話すと、つながりが強くなるってことか?」

「つながり自体の強さは変わらないよ。変わるのは、そのつながりをどれくらい感じ取れるかってこと。全然話さない赤の他人より、毎日言葉を交わす家族の方が、なんとなくだけど、つながってるなぁって感じがするでしょ」

「ああ」

「普通の人は、言葉を交わせるのは同じ人間同士だけ。相手の『声』を聞けるのは人間だけだよね。狼や草木の声は聞こえない」

「俺は、人間以外の〈声〉が聞こえる――その分、人間以外ともつながりを感じやすい――ということか」


「そう!」ツァメラが笑顔を見せる。「よかった。やっと伝わった」


「理解が遅くてすまない」

「全然。じゃあ、逆になんでマトには石や土、それから死体なんかの〈声〉が聞こえないか、という話なんだけど――これは、認識の問題なんだ」


「認識?」


「そう。マトは本能的に、石や土なんかを、『自分たちとは別』だと考えている。だからこそ、〈声〉を聞くことができないんだ」

「別、か……」マトは思い出す。「まあ、言われてみれば――獣や草木よりは、石は『遠い』気がするな。生きてないから」

「本来は、死体とも生き物と同じようにつながっているはずなんだけど、そういう風に認識していないんだ。だから聞こえない」

「ああ」


「逆説的にいえば、その認識を覆せば、死体の〈声〉が聞こえるようになるはずなんだよ」

「そう、なのか――」マトは驚きの声をあげる。「どうすればいい。どうすれば、その認識を変えることができる?」

「強引に認識を変える――それは、呪術的にかなり危険なんだけど……」

「大丈夫だ、問題ない」


 ツァメラは、そこで一度大きく溜め息を吐いた。そうして、目を逸らす。再びマトに視線を戻し、どうやら意思が変わらなさそうだというのを確認すると、死体・・を指さした。


 昨日、マトが殺した――厳密にはもっと前から死んでいた――バッファローの死体だ。


「食事、というのは呪術において非常に重要な要素なんだ。ただ単に栄養をとるだけではなく、相手を取り込む――相手とひとつになることを意味する。それは、わかるよね」

「食事の前の祈り、獣を殺す前の祈り、狩りへの祈りにも、似た文言はあるな」

「そう。だから、死体を食べることで、死体とひとつになれば――理論的には、マトは本能レベルで、死体への認識を変えられるはずだ。より身近な存在となり、〈声〉が聞こえるようになる」


「なるほど、な」予想外の方法だった。「丸々一頭食う必要があるのか」

「いや、もちろんそれが理想だけど時間が無い。最低限、呪術の要――心臓を食べればいいはずだ」


 そういえば、死体を操る呪いも、対象の心臓を抉り取った瞬間に無効化された。そういうものなのだろう。


 マトはバッファローの死体に近づく。その側らに、抉り出した心臓が転がっていた。マト自信が取り出したものだ。

 マトはバッファローの心臓を手に取る。


「危ないよ」ツァメラが警告する。「死体を食べることは『死』を取り込むこと。マトの命そのものが、死に引っ張られてしまうかもしれない」

「大丈夫だ」


 マトは言った。


「なぜ?」

「……約束したからな」


 マトは大きく口をあけると、腐った心臓にかぶりついた。






 炎が燃えていた。


 村の中央。倒れた家の材木を寄せ集め、組上げ、巨大な営火を焚いている。

 そのため、すでに夜遅い時間帯だというのに、火の周囲は昼間のような明るさだった。  営火の側らには、同じく倒壊した家屋から拝借した柱が立てられている。死体をくくりつける、木の代わりに使うものだ。


 営火を背にして、マトが立っていた。


 戦装束に身を包み、弓を背負い、短槍と戦斧トマホークを携えている。完全に戦いの場に赴く戦士の出で立ちであった。

 長老の羽冠も被っていた。指導者や、勇者にしか被ることを許されない装備だった。今回の戦いは、それだけ厳しいものになる。マトは、それを直感していた。


 戦い。


 そうだ。これは狩りではない。戦いだ。敵は、三十匹の不死身のバッファローの群れ。対して、こちらはただのひとり――否、ふたり。

 ぶるりと、身体が震える。こんな感覚は、初めてだった。いや、初めて狩りに連れて行ってもらったあの日も、同じ気持ちだったかもしれないと思い出す。


 死。


 そのヴィジョンが、頭から離れない。

 心残りが、無いわけではなかった。


「なあ」マトが声を出す。

「なに?」ツァメラが答えた。


 呪い師は、柱の根元に腰掛けていた。彼の周囲には、複雑な文様が描かれ、いくつかの祭具や石が並べられていた。

 これは死者から姿を隠すための『まじない』らしい。マトからは普通に見ることができるが、死んだ人間からは存在を認知できなくなるとのことだ。


「もし、この作戦が成功して――子供たちに文字を教えることになったら」

「うん」

「俺の恋人――ウィノナというんだが、彼女にも、一緒に教えてやってもらえないか?」

「本人がいいなら願ってもないけど……どうして?」

「ウィノナは、言葉が話せないんだ」


 五年ほど前――ウィノナの両親が、白人ワシチューに殺されたのだ。幸いにも、彼女は岩場の陰に隠れて無事だったが、自分の親が殺される場面を、目の前で見てしまった彼女は、そのショックから言葉を話せなくなってしまっていた。他人が何を言っているのかは理解できるが、それに対する返答ができないのだ。呻き声や叫び声は出せるが、何か意味のある単語を声にすることができなくなってしまったのである。


 生き物の〈声〉を聞けるマトにとっては、ウィノナの気持ちを汲むことも難しくないが、他の者とコミュニケーションを取ることが非常に困難になってしまっている。


「でも、文字を使えば、子供たちとはやりとりができるかもしれない。だから、頼むよ」

「ああ、わかった」


 もし、この戦いで自分が命を落としても。

 呪いさえ解くことができれば――。


 そんな気持ちを見透かしたように、ツァメラが口を開いた


「じゃあ、マトも文字を習わないとだね」

「俺も?」

「当たり前でしょ。恋人が何を書いてるのか、わからないなんてことになったら大変でしょ」

「――そうか」マトは言った。「それも、そうだな」

「そうだよ」


 二人の間に、沈黙が降りた。〈声〉を聞かずとも、ツァメラが何を考えているのか、マトには察することができた。知り合って、まだ一日も立っていないのに、ずいぶんとつながりを感じられるようになったものである。昨日まで、恐怖の対象であった〈白い貌の呪い師〉だというのに。


 一陣の風が、村を吹き抜ける。


 燃えさかる営火が、揺らめいた。


 その、時だった。


「来た」


 〈声〉が聞こえる。マトが、闇に向かって歩き出す。


 バッファローの群れだ。


 全てを破戒し進み続けるバッファローの群れがやってきたのだ。


 マトは弓を構え矢をつがえると、渾身の力を持って引き絞る。闇へ向かって矢を放った。

 暗黒へ吸い込まれる矢。


 命中した手応えを感じる。


 直後だった。


 一匹のバッファローが、闇の中から飛び出してきた。


 跳躍。マトは、正面から突撃してきたバッファローの上を、悠々と跳んで躱す。


 わかる。


 死体の〈声〉が聞こえる。


 その〈声〉に耳を傾ければ、攻撃を仕掛けてくるタイミングが完璧に把握できた。


 今度は、右から。


 マトは弾かれたように走り出す。右からのタックルを、紙一重で避けた。


 次は左から。


 マトは走るルートを直角に曲がる。急激な方向転換についてこれず、飛び出したバッファローはそのままあらぬ方向へ跳んでいった。


 また左。今度は二頭。


 マトは急ブレーキを掛けて立ち止まる。


 その鼻先を、バッファローたちが駆け抜けていく。


 わかる。


 すべてがわかる。


 避ける。


 躱す。


 跳ぶ。


 回る。


 次々と繰り出されるバッファローの突進を、紙一重で避け続ける。

 恐ろしいほどに統率された死体の群れ。だが、統率が完璧であるからこそ、〈声〉を聞くことで行動が把握できる。


 どの個体がどの位置にいるのか、そして、どのタイミングで仕掛けるのか。

 それさえわかれば、バッファローの群れの突進を避けることは、マトには難しくなかった。


 しかし、油断はできない。


 その重量から繰り出される突進は、ひとつひとつが一撃必殺の威力を持つ。かすりでもすれば、ダメージから十全に動くことはできなくなり――確実な死が訪れるだろう。


 マトの体力も無限ではない。躱し続け、疲労がたまれば、動きに精細を欠く。そうなれば、命取りだ。


 そうなる前に、チェイトン本体を見つけなければならない。

 ツァメラの話では、そう遠くではないはずだ。


 躱しながら、〈声〉に集中する。一匹一匹の死体の〈声〉――その中に、あきらかにひとつだけ異質なものが存在した。


 個体それぞれに指示を出す、司令塔のような〈声〉だ。他の〈声〉とは違い、動いていない――間違いない。これが、チェイトンの死体の〈声〉だ。


 方向は、マトの前方。


 バッファローたちの波状攻撃の隙を突き、マトは一直線にそちらへ駆けだした。

 チェイトンまで、距離にして約三十歩。


 加速する。


 妨害するために飛び出したバッファローを躱す。


 残り二十歩。


 マトは、戦斧トマホークを手に持った。


 残り十歩。


 ――捉えた。


 その時だった。

 マトの前方・・から、一匹のバッファローが突進を仕掛けてきたのだ。


(莫迦な――)


 避けきれない。


 咄嗟の判断。


 ぎりぎりで身体を捻る。


 バッファローが肩を掠める。


 衝撃。


 吹き飛ばされる。きりもみ回転。落下。


 何が起こった。


 先程まで、チェイトンの死体だと思っていた〈声〉が、バッファローだったのだ。だから、捕まえようとして真正面から走って近づいたマトに対し、不意を突く形でカウンターのタックルが当たったのである。


(――どういうことだ)


 怪我の具合を確認する。激しい痛み。肩が外れていた。


(なぜだ。〈声〉は間違いなく司令塔だった。なのになぜ、チェイトンではない――?)

(まさか、チェイトンはこの場にいない?)

(だとしたら、お手上げだ)


 動揺。

 そして、左腕へのダメージ。

 それにより、マトの動きが大きく鈍る。先程までと違い、反応が一瞬遅れる。


 バッファローたちの攻撃が、当たるようになってきた。


 直撃こそしないものの、掠ったり、あるいは、回避行動の遅れにより体勢を崩したりすることが多くなった。


 このままでは、そう遠くない未来――攻撃を躱しきれなくなり、マトは死ぬ。

 本人がそのことを一番よくわかっていた。


 どうすればいい。


 考えろ。

 考えるんだ。


 さらに死体の〈声〉に集中する。さきほどまでの〈指令塔〉は、やはり変わっていない。遠くから、他のバッファローに向けて指示を出し続けている。


 だが、あの〈司令塔〉はチェイトン本体ではなかった。


 だとすれば、いったい――。


 その瞬間、マトの頭に電流のような閃きが走った。


(まさか――)


 確証はない。


 ギャンブルだ。

 だが、その直感を信じるしかない。このままではジリ貧なのだ。

 マトは決意を固めると、再び〈司令塔〉へ向けて走り出した。


(やるしかない――)


 妨害に来たバッファローを避けながら、〈司令塔〉へ近づく。

 先程と同じ展開だった。


 残りの距離が僅かになった時――。マトの進行方向の先――正面から、一匹のバッファローがタックルをぶちかましてくる。


 〈司令塔〉だ。


 だが、今度は避けなかった。


 マトは正面から、そのタックルを受け止めたのである。


 当然、止まる筈もない。


 バッファロー(アメリカバイソン)の体重は、大きな個体では一トンを超えるものもいる。速度も速い。最大時速は六五キロメートルにもなるのだ。

 そんなタックルを正面から受けて、無事な人間など存在しない。


 それはマトとて例外ではない。


 だから、思い切り――正面から跳ねられただけだった。


 終わった――。


 少なくとも、傍で見ていたツァメラにはそう見えた。


 だが、実際は違った。


 マトは、正面から受け止めるように見せて、その実――バッファローの身体がぶつかる瞬間、自ら後に跳んで衝撃を逃がしたのである。


 それでも凄まじいインパクトであったのに変わりは無い。肺の空気が全て吐き出され、意識が失われそうになるのを、すんでのところで耐えたのだ。


 そのまま、〈司令塔〉の頭に正面からしがみつく。


 外れた左肩が痛む。激痛。無視。


 しがみついたら、離さない。斧を口で咥え、右腕一本で走るバッファローの背中へとよじ登る。


 なぜ他のバッファローに的確に指示を出し続ける〈司令塔〉が、チェイトン本体ではないのか。


 その『謎』の答えが、ここにある。


 マトは、走るバッファローの腹部へ、斧を斬り入れた。


 本来ならば死んでもおかしくないような傷を受けながら、バッファローにひるんだ様子は見られない。不死身だ。


 斧を投げ捨てる。代わりに、腰に差した短槍を握りしめた。

 開いた腹の傷へ向けて、マトは短槍を思い切り突き入れた。


 瞬間、それまで一切異常が見られなかったバッファローの様子が、一変した。


 鳴き声こそあげなかったものの、バランスを崩し、転倒したのだ。


 マトもそれに巻き込まれる。

 振り払われ、地面へと投げ出された。


「ぐっ、う――」


 呻く。痛みに耐え、マトはゆっくりと立ち上がった。


 右手には、短槍。


 さらにその槍の先端に、『何か』が突き刺さっていた。


 それは、人間の死体だった。


 腐敗が進行しており、上半身――それも、頭部と胸部だけしかない。


 間違いなく死んでいる――にもかからわず、槍に貫かれた痛みに耐えるように、びくんびくんと痙攣を繰り返している。


 腐りかけたその顔に、マトは見覚えがあった。


 チェイトンだった。


 これが、答えだ。


 チェイトンは、自身が操るバッファローの内の一体の体内に隠れていたのだ。下半身と両腕を切除し――操るバッファローの内の一体に丸呑みにさせる。

 そうやって、姿を隠していたのである。


 だからこそ、〈声〉は聞こえていたのに、近づいたらバッファローしか見えなかったのだ。弱点である本体を隠す策。自分もバッファローも死体であるということを利用した、奇策といえる。


 槍の先に突き刺さったチェイトンと目が合う。


 〈声〉が聞こえる。


 憎悪の声。マトに対する、どこまでも深い憎しみと、怨嗟。

 誤解ではなかった。たしかに、チェイトンはマトのことを憎んでいた。


 マトは、チェイトンを槍で刺したまま、ツァメラの許へ戻る。

 偶然ではあるがチェイトンの心臓を貫いたことが功を奏したのか、もう死体を操る呪いは上手く使えないようだった。


 三十匹のバッファローは、全部が地面に倒れ込み、横になったままもがいている。立ち上がることすらできなさそうだった。


「やったね」


 ツァメラが言った。


「ああ……」


 マトが、大きく息を吐き出した。


 そこからの段取りは、なんの問題もなく進行した。

 柱の上にチェイトンの死体をくくりつける。

 死体に向け、ツァメラが祈りを捧げる。最初は身体を震わせていたチェイトンも、儀式が進むにつれ動きが鈍くなっていった。


 ツァメラが煙管を吹かす。紫煙がゆっくりと立ち上り、チェイトンの死体にまとわりつく。そのまましばらく空中をただよっていたが、やがて煙はゆるやかに、夜空へと吸い込まれていった。


 葬送の儀式が終わると、チェイトンはぴくりとも動かなくなっていた。何の変哲もない、ただの腐乱死体へ戻っていたのだ。


 周囲へ目を向ける。あれだけの暴虐の限りを尽くしたバッファローの群れも、ただの死体になっていた。


 静かだった。


 営火の火の粉が爆ぜる音と、風の音だけが響いていた。


 星が見えていた。

 月が出ていた。

 満月だった。


「……終わったね」


 ツァメラが言った。


「ああ」


 マトが答えた。


 それきり、ふたりは喋らなかった。どこか遠くで、野生の狼が遠吠えをしている声が聞こえた。

 

 


 †


 バッファローの一件のあと、マトは、約束通りにツァメラが子供たちに文字を教える場を提供した。三日に一度、祈りの時間のあとで、子供たちを集めて一斉に教えるのだ。反対意見もあったが、ツァメラがバッファローの呪いを解いた立役者であることを、マトが懸命に訴えた結果、それなりの人数が集まるようにはなった。


 そして、ウィノナとマトも教室で学んでいる。ウィノナは、マトが提案したところ、二つ返事で快諾してくれた。


 ウィノナは、見事に勉強にハマっている。自身が使える〈ことば〉があるということに、感動しているようだった。もう二度と、他人と高度なコミュニケーションを取ることは難しい――そう諦めていた彼女にとって、文字はこれ以上無いほど求めていたツールだったのだ。


 それ自体は喜ばしい。


 喜ばしいことではあるのだが――。


 誤算は、ウィノナの吸収力がすこぶる高く、逆にマトは、こういった座学がとても苦手だったことだ。


 自宅。ウィノナが笑みを浮かべながら、木の板を持ってマトに見せてきている。  

 木の板に、水で使って書かれた文字。それを、何としてでも読み取る必要があるのだ。


 水が乾いていく。完全に乾いて読めなくなったら、ウィノナの機嫌が悪くなることは想像に難くない。解読不能になるまで、あと三分あるかどうかだ。


「う、うううう、う――」


 マトは呻き声をあげながら文字の解読にいそしむ。長い文章だ。解読に時間がかかる。焦れば焦るほど、わからなくなりそうだった。

 ちらりと、ウィノナの顔を見た。


「――――」


 彼女と目が合う。どうやら、苦戦しているマトを見て、面白がっているようだ。笑いを堪えるような、そんな表情をしている。


「んっ、ん――」


 ウィグアムの外から咳払いが聞こえた。来客が、自身の存在を知らせるための所作だ。

 咳払いだけでわかる。やってきたのはツァメラだった。


「悪い、ちょっと待っていてくれ――」


 だが、今だけは、彼に構っている暇はない。もう少しだけ、待っていて貰うことにした。


 マトには三分以内にやらなければならないことがあった。

 愛する恋人の書いた文章を、解読しなければならないのだ。



〈了〉


 

 

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