第3章:『白い貌の呪い師・ツァメラ』


 朝になった。


 太陽の下、破壊された村の惨状が、より一層鮮明になる。


 倒れた家、えぐれた地面。折れた柵。渇いた血。


 そしてなにより、死体。


 首が折れた死体。腹を潰された死体。頭が砕けた死体。


 死体。死体。死体。


 例えるなら、まるで巨人が癇癪をおこした後のような、そんな有様であった。全てが壊され、撒き散らされていた。


 生き残った者たちも、無傷とはいいがたい。身体に――そして、心に傷を負っている。家族の、友人の、恋人の骸の前で、すすり泣く声が響く。あまりにも突然だった。何の前触れもなく奪われた命。しばらくは現実を受け止められない者も多かったが――明るくなるにつれ、ようやく、実感を伴った悲しみとなって心を蝕み始めた。


「――――」


 ウィノナは、村の外れから、ずっと遠くを眺めていた。


「ウィノナ」


 彼女の背後から、声を掛ける男がいた。オズイェという若者だ。身長が高く、筋肉質な男だった。


「待っているのか、マトを」

「――――」


 こくりと、ウィノナは頷いた。


「きっと、帰ってくるさ」


 オズイェは言った。自分で言っておきながら、ずいぶんとむなしく響いたと感じた。


 マトは、自らを犠牲にして、村を救ったのだ。それは、明らかであった。たったひとりであのバッファローの大群を引きつけ、村の外へ誘導したのだ。その甲斐あって、ぎりぎりのところで村は全滅を免れた。――だが、あの状況で生きているというのは、考えづらい。一頭でも人間を殺せるバッファローが、三十頭だ。おそらく、死んでいる。


 その時、ウィノナが、弾かれたように顔をあげた。


「――あ! ――あ!」


 叫び声をあげ、指を差す。そちらを見たオズイェが、驚愕に目を見開いた。


 一人の男が、歩いてくるのが見えた。


 マトだった。

 泥と血で汚れてはいるが、足取りは普段通りだった。多少疲れているようには見えるが、怪我はなさそうだ。何か、大きなものを引きずっている。


 信じられない。


 ウィノナが、マトの許へ駆け寄る。


「うああああ、ああああ!!」


 胸の中に飛び込み、声をあげて泣き出したウィノナを、マトは優しく抱き留めた。


「心配をかけたな」


 少し遅れて、オズイェもマトの許へ向かう。


「生きていたのか」オズイェが言った。「良かった」

「なんとかな」マトは口の端を歪める。「さすがにダメかと思った」


 オズイェが、マトが引きずっているものに目を向ける。


「それは――死体か?」

「ああ」


 マトが運んでいるのは、バッファローの死体だった。おそらくは、昨日村を襲った群れの中の一頭だろう。


「なんとか、一頭だけ仕留めることができた」マトは死体を見せる。「たしかに、不死身だった。目を抉っても、頭を砕いても、首を斬っても死ななかったが――どういうわけか、心臓を抉り出したら動かなくなった」

「不死身? どういうことだ?」

「シンテから、聞いてないのか?」

「――シンテは死んだよ」

「そうか……、じゃあ、そこから話さないとな――」


 マトは、シンテから聞いた話を、ウィノナとオズイェに改めて説明する。シンテ達、狩りに出た男たちが遭遇した、奇妙なバッファローの群れのこと。そして、その群れに襲われ、狩人たちは全滅したこと。シンテは、死んだふりをしてなんとか逃げ延びたこと。


「じゃあ、俺たちの村を襲ったのも――」オズイェは絶句する。「その、呪いのバッファロータタンカの群れってことか」

「ああ。間違いない」

「くそったれ。なんだって、俺たちが、そんな……」

「――村は、どうなった? どれくらい無事だった?」


 マトが尋ねる。


「ひどい有様さ。大勢殺されたし、重い怪我を負ったやつは、夜明けまで保たなかった。結局、半分ぐらい死んじまった。生きてるやつも、怪我人が多い。村を守る柵も、家も、ほとんど壊されちまった」

「そうか――」


 マトの表情が曇る。


「――食料は、残っているか?」

「ん? ああ、それは、大丈夫だ。食い荒らされはしていないと思う」

「じゃあ、そうだな……確か、村の側に岩場があったよな。たしか、洞窟もあっただろ」

「あったな。結構大きかったはずだ」

「そこに、生き残った村人たちを避難させてくれ。食料と、武器と、毛布なんかの防寒着とか、必要最低限だけの荷物だけもって、全員で移動するんだ。弔いの儀式も、とりあえず後回しだ。急いでくれ」

「ああ――ん、マトは来ないのか?」

「俺は、呪い師ウィチャシャ・ワカンに協力を求めに行く。馬は残っているか?」

「何頭かは無事だった」オズイェは言った。「なるほど、『鍛冶は鍛冶屋に任せろ』ってわけか――誰を呼ぶ気なんだ?」

「ツァメラだ」


 マトがそう答えた瞬間、オズイェが口をあんぐりと開けた。ウィノナの表情も、凍り付いた。


「ツァメラだと?」オズイェの声は険しい。「なんで、よりにもよって……あんな奴に。呪いを解いて俺たちを救うどころか、これ幸いに皆殺しにしかねないぞ」

「長老の指示だ」

「長老が!? ありえないだろ。あの人がツァメラを一番嫌っていた」

「本当だ。長老は、シンテの話を聞くなり、俺に〈白い貌の呪い師〉を呼ぶよう指示を出した。長老は、この呪いは村を滅ぼしかねないと言っていた。だからこそ、ツァメラに助けを求めなくてはならないと――結果として、長老は正しかった」


 危惧していた通りに、村は滅んだのだ。


バッファロータタンカは心臓を抉れば死ぬんだろ? それで全部殺せばいいんじゃないか?」


 オズイェは、まだ納得しかねない様子で反論する。


「いや。何をしても死なないバッファロータタンカの心臓を、生きたまま抉るのは非常に難しい。俺も、この一匹はたまたま運が良かったからできただけだ。もう一度やれと言われても、難しいだろう。それに――」

「それに?」

「これは俺の予想だが、これは対処療法に過ぎない。根本的に呪いを解かなくては、たぶん、意味がないと思う」

「……そうか」


 オズイェは、ばりばりと頭を掻きむしると、大きく息を吐き出した。


「わかった。わかったよ。マトがそう言うなら、そうなんだろう。従うよ」

「ありがとう」

「気をつけろよ? ツァメラに心臓を取られないようにな」

「大丈夫だ。チェイトンの遺品オトハンに酒があったよな。あれを手土産に持っていく」

「――――!」


 ぎゅう、と。

 ウィノナが、マトの手を握る。そして、まっすぐに彼の目を見つめた。


「大丈夫だ。ウィノナ」マトが、ウィノナの頭をなでる。「俺は、大丈夫。絶対に帰ってくる。信じてくれ」

「…………」


 ウィノナは、マトの手を離した。


「ありがとう、行ってくるよ」





 太陽が高く登っていた。真昼の空の下。

 馬を飛ばしたマトは、呪い師ウィチャシャ・ワカンの住む森へと辿り着いた。岩山の近くにある、シロヤナギの森だ。


 シロヤナギには、治癒の力があるとされている。精霊の力の強い場所を、この呪い師は好んでいるのだ。


 森の中を、川が流れている。清らかな水。マトは、川に沿って森の中を進む。静かな森だった。生い茂る木々の間から、太陽の光が差し込む。心地よい風が、吹き抜ける。木々の葉がこすれる音や、小鳥のさえずりが聞こえる。


 マトは、森の中を進んで行くうちに、随分と自分の心が落ち着いていることに気づいた。村がバッファローに襲われてからずっと張りつめていた精神が、穏やかになっている。森の精霊の加護なのかもしれないと、マトは思った。


 道を思い出す。小さいころ、一度訪れたことがある。たしか、この川に沿って進んで行けば辿り着くはずだ。


 ほどなくして、川の側にある建造物が見えてきた。


(あった――)


 マトは安堵する。あまりにも遠い日の記憶だったため、あまり自信がなかったのだ。

 川の側にある建物は、〈発汗小屋〉という。〈イニピ〉と呼ばれる、「発汗の儀式」を執り行うための小屋だ。


 癒しの力を持つヤナギの枝で組み上げた骨組みに、木の皮、織られた布などを被せ、さらにその上にバッファローの皮を被せる。作りとしては「円」が基本になっており、これは「始まりもなく終わりもない」「すべてがつながっている」という〈大いなる神秘ワカンタンカ〉を体現している。


 小屋の内部には、大量の煙草袋が吊るされており、床にはセージが敷き詰められている。そして、中央には炉が据え付けられる。さらに、儀式用のパイプやバッファローの頭蓋骨を組合わせて作った、〈消えない火ペタ・オイハンケシュニ〉の祭壇も用意されている。


 〈発汗の儀式イニピ〉とは、治癒の儀式だ。この小屋の中へ焼けた石を入れ、セージや杉の葉をふりかける。そうして、薬草の香気を含んだ蒸気を全身に浴び身を清め、汗を大量にかくことで心と体を浄化するのである。


 マトの村にも、この〈発汗小屋〉はあった。それどころか、どの部族のどの村でも大抵は〈発汗小屋〉があるものだ。それだけ〈発汗の儀式イニピ〉とはありふれた、それでいて重要な儀式なのである。


 マトは馬を降りて、〈発汗小屋〉へ近づく。ちょうど、儀式の最中であることはすぐに分かった。小屋から漏れた蒸気が立ち昇っているし、熱気が離れていても伝わるほどだったからだ。おそらく、呪い師が中に入っている。


 一刻も早く協力を取り付けたいところだったが、儀式の最中の妨害はできない。マトはおとなしく、小屋の横で待つことにした。


 さほど待つ必要はなかった。


 少しすると、小屋の入り口が開かれ、「ぶはっ」という声と共に、ひとりの男が飛び出してきた。


 若い男であった。

 マトと同じくらいか、あるいは彼よりも少し年下といったところだろう。


 異質な男であった。


 まず、肌が白い。褐色の肌のマトたちとは違い、太陽を拒絶するような白さだ。バッファローの骨を思い出させる白さである。

 そして、金色の髪をしている。これもマトたちとは違う。長く伸ばされた髪を編み込み、背中側へ流していた。


 極めつけは――目の色だ。

 男の目は、透き通った青い色をしていた。


 ターコイズのような瞳。空と水の力を宿しているという魔石の色だ。


 男は、白人ワシチューだった。

 そして、彼こそが〈白い貌の呪い師〉――ツァメラその人であった。


 ツァメラは、裸に腰布一枚という出で立ちだった。〈発汗の儀式〉により、全身から滝のように汗を流している。


 美しい男であった。


 線が細い体つきをしている。すらりと伸びた手足に、細身の体躯。マトが心配になるほど華奢な肉体である。しかしながら、均整の取れた美しさが宿っている。


 小さなかんばせは、ひとたび目を合わせれば、視線を逸らせなくなるほどの魔性に満ちている。切れ長の瞳に、まっすぐな鼻筋と、ほっそらした顎。ともすれば、女性のようにも見える中性的な顔立ち。


 身構えていたマトでさえ、あまりの妖艶さに一瞬言葉を失ってしまうほどだった。


 ツァメラと、目が合う。


 呪い師は、挨拶の口上を述べようとしていたマトを手で制すると、出入り口の近くの川へと飛び込んだ。一切の躊躇をせずに、全身を清流へ浸す。頭のてっぺんまで水に潜り、暖めた身体を冷やしているようだった。


 しばらくしてから、ツァメラは川から上がる。そして、マトの方へ歩いてきた。


「どいてくれ」


 マトの背後――小屋の横には、シロヤナギで作られた寝椅子のようなものが置かれていた。サイズも大きく、背もたれも傾いているため、ツァメラが座るとほとんど横になっているような体勢になった。


 ツァメラは椅子に寝そべり目を閉じると、ゆったりと、大きく呼吸を繰り返した。


「最近発見したんだが――」ツァメラが、ぽつりと呟いた。「〈発汗の儀式イニピ〉のあと直ぐに川に入って身体を冷やして――その後さらにこんな風に、自然の風を感じながら身体を休めると、癒やしの効果が倍増するんだ」


 呪い師は、椅子の脇に置いてあった金属製のグラスを手に取り、中の液体を味わった。匂いからして、甘い果実酒のようであった。


「嘘じゃない。今度試してみるといい。〈発汗の儀式イニピ〉、川、沐浴だ。このサイクルを三回ぐらい繰り返すとね――身体と精神が極限まで浄化され、頭の中がぶわっと真っ白になるんだ。幸福という蜜があるとすれば、それを薄めずに流し込まれたような感覚になる。自分という人間が〈大いなる神秘ワカンタンカ〉とつながっていることを実感できる」


 ツァメラが、金属のグラスを置いた。目を開ける。マトの方を見た。


「ところで、君は何処の誰」


 マトは、自らの名と、村の名前を告げた。


「このたびは、呪い師ウィチャシャ・ワカン殿の力を借りるために馳せ参じました」

「つまり、仕事・・の依頼か」ツァメラが口許を斜めにする。「いいよ。話を聞こう。場所を変えようか」


 ツァメラのあとについて行く。


 さほど離れていない場所に、彼の家があった。

 太い丸太を組み合わせて出来た家だ。つくりからして、マトたちが住んでいるウィグワムとは異なる。丸太小屋――白人ワシチューたちが住むような家だ。


 ツァメラがドアを開ける。

 中は広い。家具や祭具、呪具などが所狭しと並べられている。中でも量が多く、目を引くのは書物だ。壁際に置かれた本棚に、ぎっしりと白人ワシチューの本が整然と詰め込まれている。


 マトは、視線を向けるだけで災いが降りかかるのではないかと思い、バツの悪さから目を逸らした。


 そんなマトの様子をよそに、ツァメラは着替えを済ませる。丈の長い儀式服に袖を通し、石に紐を通した首飾りをぶら下げる。


 部屋の中心には、大きなテーブルがあった。向かい合うように椅子がふたつ。ツァメラはどっかりと腰を降ろすと、「座りなよ」とマトを促した。


 居心地が悪そうにマトも椅子に腰掛ける。落ち着かない。椅子も、テーブルもそうだ。家具も、内装もなにもかも、この家の全てがマトの常識の『外』であり、まるで自分が死後の世界に来てしまったような気分になった。


 ツァメラは、煙管に火を付けると、煙をゆったりと楽しみはじめた。甘ったるい香りが、マトの鼻孔をくすぐる。


「さて――」ツァメラが言った。「じゃあ、話を聞こうか」

「はい、では――」

「ちょっと待った」


 話を切り出そうとしたマトを、ツァメラが制する。


「かしこまらなくて良い」

「え?」

「格式張った形で話さなくていい。普通に、同じ村の人間にそうするような話し方で構わない」

「ですが――」

「かしこまる、ということは、つまり普段の自分とは別のふるまいを演じることだ。偽り――無意識に嘘をつき続けると言い換えてもいい。儀式のときならいざ知らず、何が起こったのかの報告では、そのせいで歪みが生じかねない。自分が普段つかう言葉で、自分が普段話すように説明してくれ」

「わかりま――」マトは言い直す。「わかった」

「それでいい」ツァメラは言った。「そもそも君たちは、僕の事が嫌いだろうからね」

「…………」


 何故白人ワシチューであるツァメラが、呪い師ウィチャシャ・ワカンをやっているのか――それには、アキという名の呪い師が関係していた。


 アキは、伝説の呪い師であった。


 精霊と対話し、豊かな知識を持ち、あらゆる呪いに精通していた。部族の中――否、この大地でもっとも尊敬を集めていた呪い師と言っても過言ではなかった。


 その癒やしの力により、死病に犯された人を救って見せたり、川の氾濫を予期して人々を避難させたり――アキによって救われた人間は、枚挙に暇がなかった。


 それほどまでに優れた呪い師であったアキだが、一点――部族の者が看過できない問題点があった。


 知識欲が、白人ワシチュー文化にもむいていたのである。


 彼は、白人ワシチューと取引を重ね、書物を漁り、この大地の外の知識をも積極的に吸収しようとした。到底、赦される話ではなかった。


 マトの集落はそこまで厳しいものではないが、地域によっては白人たちとは殺し殺され、半ば戦争状態にある部族も珍しくない。


 先祖の土地を奪いっていく白人に対する敵愾心は、年齢が上の世代のものほど強い。マトの村の長老も、こっそりと白人から酒などを買っている若い世代に対しては、厳しい目を向けていた。厳格な部族では、白人との接触・取引が発覚した時点で、頭の皮を剥がす刑に処す例もあったという。


 アキに対しても、白人との取引をやめ、本を燃やすよう求める声はあった。しかしながら、大抵の人間は、アキに大きな恩がある。必然、あまり強くは言えなかった。


 尊敬できる呪い師であると同時に、排除すべき異分子。相反するふたつの面を持った男は、やがて人里離れたこの森で、ひっそりと暮らすようになった。


 狩りなどはできないため、様々な集落の者が持ち回りで食料などを届ける。その代わりに、儀式を執り行ったり呪いを解いたりをする。そういった距離感に落ち着いた。


 そんな折り、アキはひとりの赤ん坊を拾った。


 白人ワシチューの赤ん坊だった。どういう経緯かはわからない。ただ、驚く周囲の者に向けて、アキは「捨てられていた」とだけ説明した。


 これには流石に反対する者が多かった。「今すぐ殺すべきだ」と主張する村長たちもいた。だがアキは抗議の声を無視し、男手ひとつで育て上げることにしたのだ。


 赤ん坊は、ツァメラと名付けられ、呪い師のもとで育てられた。

 そして、盆の水を注ぐが如く、アキの呪いの術についても、そっくりそのまま受け継ぐことになったのだ。


 アキの死後、ツァメラは呪い師となり、この森での生活を続けている――というわけだった。


「――という経緯で、俺の村は滅ぶことになった」


 マトは、今回の件についての説明を終える。

 黙って聞いていたツァメラは、得心がいったように頷いた。


「なるほど、不死身のバッファロータタンカの群れ、か……面白いな」

「面白い?」マトの声色が低くなる。

「失礼。興味深いという意味だ」ツァメラは煙管をくるくると弄ぶ。「今までそんな呪いは、聞いたことがない」

「そんな……」マトは絶句する。「じゃあ、ツァメラにも解けないということか」

「それはわからない。詳しく調べてみないことにはね」


 ツァメラは立ち上がり、壁際の本棚に向かう、何かしらの本を探しながら、マトに語りかける。


「まあ、それだけ指向性の強い呪いだとしたら、一番疑わしいのは人為的なものだろう」

「――誰かが、恨みを持って俺たちを呪ったと?」

「そう。君たちの村、最近なんか恨まれるようなことやってない? どっかの村と戦争して、皆殺しにしたりとか」

「していない――が」


 ふと、マトの脳内に心当たりがあった。


「ひとり、いる。村にというか、俺に恨みのある人間が」

「うん。話してくれる?」

「チェイトンという、友人だ。小さい頃から、ずっと一緒だった」

「でも、恨まれたんだ」

「ああ。バッファロータタンカの追い込み猟の時に、崖の側で後ろから刺された……。俺を殺すつもりだと言っていた」

「ははあ、そんなに恨まれるって何やったの? そのチェイトンって人の親でも殺した?」

「いや、わからない……。小さい頃はいつも一緒に遊んでいたし、いまでも時々、酒を飲んだりすることがあったぐらいだ。――殺されるような心当たりはない」

「ふうん。まあ、恨みって買う方は自覚無かったりするからね。それで?」

「チェイトンはその場で自殺した。ナイフで首を斬り、俺と、俺の恋人と、村を呪うと言っていた」

「絶対それじゃん」ツァメラが言った。「命を対価にした呪術だよ。そりゃあ、強力だ」

「そんな――」マトの声が震える。「じゃあ、俺が……、俺のせいで村が滅んだのか?」

「それは違うよ」ツァメラが首を振った。「呪いで村が滅ぶのは、呪いを掛けた術者のせい」

「でも、俺が恨みを買わなければ、チェイトンは俺たちを呪わなかったんじゃないのか」

「原因はあっても責任はないよ――」ツァメラは本棚から一冊の本を取り出し、開く。目を通しながら、なんてこと無いように話を続けた。「呪いって言うのは、掛けた本人に全ての責任があるの。人通りの少ない場所を通っていた商人が、強盗に襲われてしまったとする。強盗に襲われた商人には『不用心だった』という原因があるかもしれないけど、どちらが『悪い』のかと聞かれたら、襲いかかった強盗が絶対に悪いでしょう?」


 ツァメラは、ぱたんと持っていた本を閉じ、本棚へと戻す。そうして再びマトの正面へ座ると、ぱちんと手を叩いてから「さて」と話を切り出した。


「――事情はわかったよ。呪いを解こう」

「ありがとう」マトは礼を言った。

「うん――じゃあ、『取引』について話をさせてもらおうか」


 ツァメラの言葉に、マトが眉をしかめる。


「念のため、酒は持ってきたが――それでは足りないのか」

「そうだね。簡単な祝福ならまだしも、今回の呪いはかなり厄介そうだ。こちらとしても、それなりのものを要求させてもらう」


 等価交換・・・・。ツァメラが部族から冷たい目で見られている原因の一端がここにある。


 何かを得るために何かを差し出す『取引』という概念が、マトは苦手であった。これは、マト個人の問題ではなく、マトの部族たちの持つ共通の文化的な価値観によるものだ。


 マトたちは〈大いなる神秘ワカンタンカ〉の許に「全ての存在が平等である」という考え方を持っている。人も獣も草も木も石も、全て等しく価値があり、上も下もないのだ。


 で、あるとするならば、社会――人のあつまるコミュニティにおいても、当然上下関係は存在しない。男にも、女にも、老人にも、若者にも、偉いだとか偉くないだろか、そういった上下関係は存在しないのである。必然、主従関係も存在しない。無論、各集落にはまとめ役となる村長や長老などがいるにはいるが、あくまでもそれは便宜上――みなの意見を聞き、意見の整理や最終的な意思決定を下すための存在であり、リーダーである彼らの命令を絶対に遵守しなければならない――というものではない。命令があったとしても、それに従うかどうかは個人の考えによって尊重されなくてはならないからだ。ある種の個人主義的な思想が根底にあるのである。


 では、個々それぞれが好き勝手に振る舞うのかというと、そういうことではない。


 平等であると同時に、「全ての存在はつながっている」「全てが共有されている」という考えが成り立っているからだ。――みんなはひとりのために。ひとりはみんなのために。ひとりひとりは平等であり、尊重されなくてはならないが、同時に、ひとりはみんなの為に生きていくものなのである。


 ゆえに、マトたちの間では『我欲』といった欲望や、『独占』といった行為は、酷く嫌われる。全てが共有されるべきであるからだ。したがって、富を貯め込むことそれ自体が、あまり褒められた行為ではないのだ。マトの村でも身内に死者が出たりすると使っていた家財道具を分け与えたり、思わぬ収入が合った場合は、それを全員で共有することは、ごくあたりまえに行われている。


 したがって、マトたちにとって白人ワシチューたちの用いる『取引』という概念は、非常に受け入れづらいものになっているのである。物々交換によるやりとりというのは、個人の財の所有が前提となるし――誰かが困っていれば助けるのは当たり前であり、そこで見返りを要求するのは恥ずべき行為となるからだ。


 古い世代の人間が、白人ワシチューたちとの『取引』を好く思わない理由は、ここにもある。もし『取引』の概念が一般的になり、自分たちの部族の間でも平然と行われるようになれば――それは、社会の成り立ち、が根底から崩れることに他ならない。その恐怖も敵視の一因となっているのであった。


「君の村に、子供はいるかい?」

「ああ」マトは頷く。「……弟子をとるつもりか?」

「いや、そうじゃない。もし今回の件について、呪いを解くのに成功した暁には、――君の村の子供たちに『文字』を教えることを赦して欲しい」

「文字、だと――?」マトは訝しげな声で問いかける。「まさか、白人ワシチューの文字か?」

「そうじゃない。この文字は、僕が考えた」

「……は?」

「僕が考えた、独自の文字だ。それを、君たちの村の子供たちに教える。使い方を習得するまで」


 予想外の要求に、マトは面食らってしまった。いったい、この呪い師が何を考えているのか、理解ができなかった。


 なので、直接尋ねることにした。


「待ってくれ、何が目的だ。どうして、そんなことをしたい?」

「ふむん。そうだな」ツァメラはそこで煙管に口をつけた。どう説明するべきか、考えているようだった。「最終的な目的は、この文字を、我々全ての集落全ての部族で使えるようにしたい。そのための、第一歩だ」

「全ての者が、文字を使えるようになるだと……? 繰り返しになるが、何故そんなことを?」


 ツァメラは、人差し指を立てる。


「理由は大きく分けて、ふたつ。まずは、純粋に文字というものが非常に便利だからだ。『ことば』を記録として残す道具というものの持つメリットは遙かに大きい。日々生きていく上で覚えておいた方が良い知識。今では口で伝えて残していくしかないが、それでは失われていったり、変質してしまうこともあるだろう」

「そんなに長い間残るものなのか?」


 ツァメラは本棚を指さす。


「私の蔵書の中には、百年以上昔に書かれたものも存在する。そういった、古い本を開き本を読むと、まるで過去に生きた人間が時を超えて語りかけているように感じるよ」ツァメラは話を続ける。「それだけではない。言った言わないの揉め事に対して、記録を取っておくことでトラブルを回避できたりするだろう。物覚えの悪い者が、忘れないように言われたことを記しておいたり――あるいは、遠くの者へ近況を伝えたりするのもにも役立つだろう。集落同士の連絡、情報のやりとり。そういったものが格段にやりなすくなるはずだ」

「便利すぎないか……?」

「便利すぎるさ。便利すぎて、何か問題があるのかな?」

「便利すぎるものは、社会の混乱や、精神の堕落を招くだろう」

「時間が解決するね」ツァメラが肩を竦める。「最終的な目標は、全ての人間が文字を当たり前に使えるようになること。過渡期には混乱が産まれるだろうが、いずれ文字を使うのが当たり前の生活になるさ。混乱は必然的に収まる。精神の堕落だって、そんなことにはならないよ」

「そうか?」

「君たちはシュンカ・ワカンに乗って狩りをするだろう?」

「ああ」

「もともとシュンカ・ワカンはこの大地にはいなかった。白人ワシチューによって齎されたものなんだよ」

「それは、長老から訊いたことがある。ずっと昔は馬を使わずに狩りをしていたと」

「でもいまは当たり前のように馬に乗って狩りをする。移動にも使う。馬は、なくてはならないものになっただろう――それで精神は堕落したかな?」

「それは……」


 どうなのだろう。マトは答えに詰まる。


「僕たちはそうは感じていないだろう? もし、馬がいない時代の祖先が僕たちを見たら、『自分の脚を使わないなどけしからん。堕落している』なんて憤慨したかも知れないが――今を生きる僕たちには関係が無い。それと同じさ」


 会話のペースをツァメラに握られていると感じた。マトは、続きを促す。


「わかった――じゃあ、もうひとつの理由はなんだ?」


 ツァメラは、人差し指と中指を立てた。


「それは、白人ワシチューに対抗するためだ」


 ツァメラの答えは、マトにとって予想外のものだった。


「対抗する……?」

「そうだ。今後、白人ワシチューたちの侵略は、より激しいものとなるだろう。僕らは、さらに危機的な状況に立たされる。先祖の土地は奪われ、仲間は殺される」

「現状維持はできないか」

「人間の欲望には果てが無いからね。奪えるならば奪い付くすさ」

「戦争になる、と」

「どうだろう。戦争と呼べるものになるかどうか――一方的な殺戮や、略奪になるかもしれない」

「それは――そんなに、絶望的な戦力差があるのか」

「マト、君は銃弾を躱すことができるかい?」


 不可能だ。何度か、白人が銃を使う場面を目撃したことがある。弾丸が速すぎて、反応すらできなかった。


「無理だ。弓ならばまだしも、あれをいくつも用意されたなら、対処のしようがない」

「それが答えだ」


 ふたりの間に、重苦しい沈黙が降りる。


「だから、僕は文字で『誇り』を守りたいと考えている」ツァメラが言った。

「どういうことだ?」

「僕らが白人ワシチューに迫害され、数を減らしたときに、いままで僕らが生きてきた歴史や文化を、文字として保存できているようになれば、それらを、きっと未来へと遺すことができる。文字はことばであり、ことばは〈祈り〉だ」

「…………」


 マトは押し黙った。ツァメラの言っていることが、よく理解できなかったからだ。いや、言わんとせんことは伝わる。だが、呪い師の言葉の裏には、彼がいま話した言葉以上の何か・・が込められているように感じられた。それ・・が何なのかが、わからなかったのである。


 しかしながら、それ・・は確かに、マトの心を揺さぶった。


「――わかった」マトは言った。「呪いが解けたら、貴方が文字を教えることができるよう、取り計ってみる。反対もされるだろうが、出来るかぎり実現できるよう、力添えをするよ」

「本当かい?」

「ああ」


 マトは頷いた。あらためて、小屋の中を見渡した。

 呪具や祭具、そして、大量の本。


「すまない。俺は、ツァメラのことを誤解していた」

「誤解も何も、ろくに逢ったこともないじゃないか」

「だからこそだ。俺は――ツァメラのことを恐れていた」

「嫌っていたのではなくて?」

「ああ、怖かったんだ」

「なぜ? 呪い師ウィチャシャ・ワカンだから?」


 そんなわけはない。マトが呪い師に対して敬意を持ったことはあっても、恐怖を抱いたことはなかった。ツァメラも、わかっていて聞いているのだ。


「目の色が違うからだ。だから、俺は、ツァメラのことを敵だと思っていた――いや、そこまではっきりと敵視していたわけではないが、心のどこかで何をするかわからないやつだと思っていたんだ」

「そっか」


 ツァメラは、紫煙を吐き出すと、椅子から立ち上がった。


「気にすることはないさ。未知と偏見は差別の第一歩だが、これから知って行けばいい。何より今は――呪いを解くことの方が先決だからね」

「そうだな。改めて、よろしく頼む」


 マトも立ち上がる。

 ふたりは小屋を出ると、マトの馬に乗り森の外へと出発した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る