ベルト

端野暮

ベルト


男には三分以内にやらなければならないことがあった。


駅構内の雑踏をかき分けて、黒いベルトを手に入れることである。




男が、意中の人との初デートの約束をどうにか取り付けたのが1週間前。


出会いはその2ヶ月前に遡る。


趣味のオンラインゲームで、サーバー上にいた見慣れない名前のユーザーに気まぐれに声をかけたのがきっかけだった。

世代が近いこともあり話は盛り上がり、いつしか個別メッセージを送り合う仲になった。そして男は恋に落ちた。

日々の暮らしに忙殺されていた男にとって、それは青天の霹靂、砂漠に降る雨のような出来事だった。


数日前、男はタンスを開いて絶望していた。

かねてから衣服に無頓着だった男の部屋には、季節外れの服や、着古してヨレた服や、数年前に背伸びして買った似合わない服などしかないという事実に。


仕事と家の往復を繰り返す男には、服屋に行く時間など無かったのだ。


そして男はアマゾンの奥地へと向かい、年相応のシンプルかつ清潔感のあるセットアップを通販で手に入れた。


今朝、男は段ボールから取り出したそれに袖を通すと、意気揚々と家を出た。

それが危機を招くとは思いもせずに。



そして今しがた、満員電車に立ちながら、男は、ズボンが降りていく感覚に冷や汗をかいていた。ポケットに入れた財布の重みが、ズボンにずっしりと伝わっていく。


スマホを取り出し、乗換アプリと彼女からのメッセージを照合すると、男が駅に降りてから、彼女が駅の改札に出るまで、3分の猶予があった。


電車を降りた。

男は走った。

裾を持ちながら走った。

ずり落ちそうな裾を何度も上げながら走った。


そしてついに、赤い真四角の看板を見つけた。

3000円の黒いベルトを迷わず手に取り会計を済ませ、タグを切る。


店を出た。

男は走った。

ベルトを閉めながら走った。

彼女の出てくる改札へ走った。



そしてついに、赤いスカートの彼女を見つけた。

何食わぬ顔で声をかけた男は、ひどく汗をかいていた。



男はその夜、きつく締めたベルトを解くことなく街を去った。


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