月夜の風花(KAC20241参加作品)

高峠美那

第一話

 厳寒げんかんの観音堂の前で行う農祭りには、三分以内にやらなければならないことがあった。


 それは旧暦の一月十八日、月が登ると始まる祭りのために、能衆と呼ばれる男達が行うみそぎだ。


 その年によって状況は違う。重たい雪が絶えず空から降リ続く年もあれば、月夜に照らされた積雪が眩しい年もある。


 そして今年は…不思議な光景が祭りの会場を包んでいた。


「凄い…。凄いよ。僕、こんな景色、初めて見た」


「ああ、朝春ともはるか。おまえも能衆に加われる年になったんだな。儂も五十年近く舞を舞っているが…確かに、こんな夜は初めてだ」


 雲などない空。

 冴えわたる月。

 

 暗く透き通った空には、宝石を散りばめたような星が輝いている。

 それなのに、細かな雪がはらはら…はらはら…と舞っているのだ。


風花かざはな…と言っていいのかなぁ」


「そうだなぁ。本来、風花は晴天の空に舞う雪のことをいうが…。月に照らされた風花も、また一興いっきょう


 そう。雲などないのに雪が舞っている。それは風があるということなのだ。冷たく、肌に突き刺さるような風が。


 この村では、農祭りは田楽とも言う。舞いを舞う能衆と、演奏を担当する神楽衆。両方合わせた四十七人の男衆が、裸で観音堂の裏山にある滝で身を清めるのだ。それから、五穀豊穣や無病息災の舞を奉納する。


「いいか。絶対に止まるな。止まればあっと言う間に身体が凍って動けなくなる」


「う、うん」


「滝からやしろに戻るまでの三分間は、とにかく何も考えずに全力で走れ」


「わ、わかった」


 だが、それは祭りの始まりにすぎない。

 月が出てから、翌日の朝日が顔を出すまで続く祭り。能衆はただひたすら四十七の演目を舞い続け、神楽衆は、大太鼓や小太鼓、横笛、銅拍子を途切れさせることが許されない。


 十四才の朝春ともはるは、今年、能衆最年少だ。


「いいか。おまえの周りはみんなで囲ってやる。大勢の中にいれば少しは寒さが防げるからな」


「じいちゃんは?」


「儂か? 儂は先頭を行く。おまえもあと四十年ぐらい踊れば、先頭を走れるぞ?」


「四十年!?」


「はは。そんなもん、毎年やっていればあっという間だ」


「うん!」


 くしゃり…と朝春ともはるの頭を撫でた老人が、白装束を脱いだ。六十をとうに過ぎたはずなのに、冷気に触れた身体から湯気のようなものが立ち上がる。引き締まった身体に、前だけを見る鋭い眼光。

 風花を浴びた老人は、そこだけ切り取られた写真のようで実際の年齢よりずっと若く見えていた。


 ドーン!!


 合図の太鼓が鳴り響く。祭事に携わる男達が一斉に白い衣を脱ぎ捨てた。


「さあ、始まるぞ。準備はいいか?」


「もちろん!!」


 ドン! ドン! ドン! ドン……


「「おおぉぉーー!!」」


 冷たい雪の中、朝春は必死で大人達のあとに続いた。吐く息が白く、前が見えない。それでもただひたすら目の前にある背中について行く。


 真冬でも凍りつかない滝壺に入った瞬間さえ分からなかった。バシャバシャと、無我夢中で滝の下を潜り、そのあとも全力で社に向かって走る。 


「はあ、はあ、はあ」 


 渡されたバスタオルに包まって朝春ともはるが肩で息をしていると、すでに白い衣と袴に着替えた祖父がいた。


「がんばったな。さあ、衣を着て、仮面を付けろ。祭りのスタートだ!」


 神楽には楽譜はない。大太鼓の流れに横笛が続き、能衆が息を合わせて舞を舞う。阿吽の呼吸を要求される舞に、朝春はただただ練習どうりに踊るのが精一杯だった。


 朝春の祖父は本当にすごかった。幼い頃から憧れ、同じ位置に立てたと思っていたのに、圧倒的な存在感を放つ老人を目の前にして朝春の身体が萎縮する。


 …いつか、僕も。


 そう思えたのは、憧れから目標に変わったからなのだろう。


 熟練の笛の音が辺りに響き、月夜の風花は相変わらずはらはらと舞っていて、まるでそれさえ演出しているみたいだった。


 …じいちゃん。今夜の田楽を、僕は生涯忘れないから。



               おわり

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