◇◇――エピローグ――◇◇

 人気のない公園のベンチにぼくを座らせ、スマホ片手に蛍は怒っていた。


「父上殿、待たせたな。最適解(こたえ)が出た。アメリカに行こうと思うが、構わないな」


 それから二、三の言葉を交わした後、蛍は通話を切った。


「ふん、こうなるのは分かっていただろうに。年齢(とし)は取りたくないものだな」


 蛍は呟いて、それから苛々とした様子でぼくの回りを歩き回った。


「……どうしたの、蛍。少し落ち着きなよ……」


「……ん? ああ、そうだな。そんなことより、寒くないか?」


 最適解(こたえ)が出て、蛍の頭は目まぐるしく回転しているみたい。ぼくを気遣いながら腕を組み、難しい表情。


「コーヒー飲みたい」


 ぼくがそう言うと、蛍は眉を八の字にして困ったものを見るような表情になった。


「あの甘いやつか? 駄目とは言わないが、今度は別の病気の心配が必要だな」


 そんなことを言って、蛍は近くの自動販売機までひとっ走りして、ぼくの好きなメーカーのコーヒーを買ってきてくれた。


「ふふっ……」


 文句を言っていた癖に、コーヒーを飲むぼくの様子に蛍はご機嫌。


「すぐに迎えが来る。このまま出発するぞ」


「うん、分かってる」


 秋月蛍は電光石火。

 この時のぼくは、二十四時間後にはワシントンにいて、最先端技術の治療を受けることになるなんて思いもしてなかった。


 ぼくを見つめ、僅かに微笑む蛍だったけど、視線が合うと、何故か今度は厳しい表情で言った。


「アイツ以外に適した人材が居ない……」


 蛍はスマホを取り出し、視線をスクリーンとぼくとの間でさ迷わせた。


「……こんなことはしたくない。でも、これも最適解なんだ……」


 そう言って大きな溜息を吐き出した蛍はぼくの隣に腰掛け、忌々しそうにスマホにタップした後、画面を押し付けて来た。

 スクリーンに浮かんでいる名前は――


 ――武田 節子――


「…………本気?」


 ぼくが言うと、蛍は険しい表情で眉間を揉んだ。


「あいつはどうしようもない女だ。でも、お前の世話に関する限り信用できる。何より――」


 何より、なんだろう。そこまで蛍が言ったところで、セツが電話に出た。

 開口一番言った。


『みぃちゃん、死んだのか……?』


 通話はスピーカーになっていて、静かな公園の中、圧し殺したようなセツの声は、嫌になるぐらいよく響いた。


「セツの馬鹿。ぼくは死なないよ」


 ムッとして、答えを返したのはぼくだ。


『……みぃちゃん?』


 苦々しい表情で、蛍はやっぱり眉間を揉んでいる。


「何が、みぃちゃんだ。自分の顔を鏡で見ろ。お前は幾つだ? とうに二十歳は超えているだろう。馴れ馴れしいだけじゃなくて不気味さすら感じる」


『――ケイ! 何の用だ! 電話をみぃちゃんに渡して、今すぐお前は消えろ! ああ、みぃちゃん! すごく心配していたんだ。そこに居るのは無神経で本当に酷い女なんだ。今、何処? すぐに迎えに行くよ』


 セツは全然変わってなくて、ぼくは少し呆れてしまう。


『ずっと前から、ケイにみぃちゃんは相応しくないと思っていたんだ。大丈夫、ちゃんと分かってる。辛くなったんだね?』


 蛍は益々険しい表情になった。


「……いいかげんにしろ、セツ。最適解(こたえ)が出たんだ」


『……………………』


 セツは元使用人というだけじゃなく、蛍にとっては遠縁の親戚に当たる。最適解(こたえ)が出た、ということの意味がよく分かっているのだろう。口を噤んで押し黙った。


「アメリカに行くことになるが、それに当たって優秀な随員が必要になる」


 蛍は傲慢に言った。


「……泣いて喜べ。もう一度雇ってやる」


『…………』


「どうした。悠希に会いたくないのか?」


『…………逢ぃたぃよ……』


 その声は震えていて、電話越しにでも、セツが泣いているのがよく分かった。


『みぃちゃん、死なずに済むのか……?』


「ああ」


『なら……それが一番だ』


 ぼくのタイムリミットがなくなった訳じゃない。こうしている今も、ぼくの病状は進行しているけれど、目の前に見えるのは希望。

 セツが泣きながら言った。


『みぃちゃん……あいしてるよ……』


「ありがとう」


 応えることはできないけれど、セツの気持ちは素直に嬉しい。その思いからお礼を言うぼくの横で、蛍が額に青筋を浮かべている。


「一応言っておくが……浮気には死刑を適用する」


「セツに?」


「両方だ!!」


 真夜中の公園で、蛍の怒声が響き渡った。


◇◇


 その日の内にセツと合流したぼくたちは、荷物を纏める暇さえ惜しみ、都内にとんぼ返りすることになった。


 セツと蛍にガッチリ脇を固められたぼくは、和修さんのバックアップもあり、万全の体制でアメリカはワシントンへ。


 ちなみに、ぼくを救うことになる革新的技術を持ったお医者さんは日本人だった。蛍は、ずっとこの人を探していたみたい。


 『最適解』は万能の神通力じゃない。正解を指し示しながらも、その居場所までは特定できなかった。

 その事について、蛍は忌々しそうに述懐した。


「旅行と聞いてピンときた」


 何気なく言っているけど、そのピンときたっていうのが凄く怖い。


「なんでワシントンなのさ」


 この質問に、蛍は顰めっ面で考え込んだ。


「……なんでだ? でも、そこだ! って思ったんだ」


「よく分からないよ……」


「まぁ、細かいことはどうでもいい。そうだろう?」


 新しい治療。新しい薬。それらはまだ日本では無認可の革新的技術。副作用は少なく、ぼくの負担も随分と少ないものだった。

 ぼくは順調に回復して行く。

 セツは、ぼくの体調が良くなって来ると甘いものばかり買ってきて、自己アピールが激しくなってきた。


「さぁ、みぃちゃん。美味しいケーキがあるんだ。最近流行りのスイーツもある。私が食べさせてあげるよ」


 セツは蛍に次いで親密な女性。いずれ、ぼくは彼女に押し切られるんだと思う。

 ちなみにアメリカにやって来てからの蛍は、あちこち忙しく飛び回っている。何でも父である和修さんの代理らしいけど、将来的にその和修さんの地盤を受け継ぐことになる彼女には大事なことだ。


「悠希、今すぐ私を孕ませるんだ。そうすれば、ずっと一緒に居られる」


「ケイ! お前の都合でみぃちゃんに無理させるな!」


 蛍とセツは呉越同舟。顔を合わせると喧嘩ばかりだけど、何やら取り決めがあって、二人は上手くやってるみたい。


「いいか! 私の後だ! 私の後だからな!!」


「分かってるよ!」


 元々、セツは多能。ぼくの看護に始まって、注射や点滴、日常生活のサポートなんかも何でもござれのスーパーウーマン。

 そんなセツはガードが固い。

 父さんが見れば泣いて喜ぶような金髪ナイスバディの看護婦さんは、全員セツにブロックされていて、ぼくは話をすることすらできない。


「アメリカ女にみぃちゃんを汚させる訳には行かないよ」


「…………」


 蛍の最適解は、多数の女性をぼくに近付ける危険より、セツ一人をぼくに侍らせる危険を選択したようだった。

 それから…………


◇◇


 一年後。


◇◇


 ぼくは全快して、再び日本に戻れることになった。


「蛍、結婚式は……日本でするの?」


「うん、そうだ。私たちはこの国で出逢ったから、この国で結ばれよう」


 ぼくが復調するにつれ、蛍は柔らかい笑みを浮かべるようになったけど、結婚式が近づくにつれ、セツは仏頂面になった。


『私としては、最低あと一年は予後を見て欲しかったがね』


 ぼくの病気は再発の恐れがある。その為、セツは最後まで反対意見を唱え続けた。今回の帰国は、そのセツの反対を押し切ってのものだ。

 蛍がポツリと呟いた。


「死ねばいいのに」


 そのセツだけど、アメリカの空港に置き去りにされた。パスポートは蛍が抜き取っているので、日本に帰るのは当分無理だろう。


 客でごった返す空港のロビーで、蛍がそっとぼくの肩を引き寄せる。


「私が保証するんだ。大丈夫に決まってる」


「うん、信じる」


 ぼくは蛍の最適解を信じる。彼女が大丈夫と言えば、きっと大丈夫なんだろう。


「なあ、悠希」


「なに?」


「あいしてるよ」


「うん、ぼくも」


 ワシントンでの生活を経て、大分アメリカナイズされた蛍だけど、このやり取りだけは以前のまま。


「…………」


 暫く見つめ合っていると、蛍の頬にうっすらと朱色が昇る。


「まだ慣れないの?」


「……ずっと、恋しているんだ」


 見つめ合うのは、嬉しくもあり、気恥ずかしくもあり。何度身体を重ねても、蛍の初心は変わらない。そんな彼女を好ましく思う。


「実は……ぼくも……」


 ぼくも思い切って言うと、蛍は真っ赤になった顔を逸らし、照れくさそうに頬を掻く。


「そ、そそうか。ま、まいったな……」


 そんな彼女は純情で。


 きっと、ぼくたちは初心のまま続いて行くんだと思う。


 何があっても、二人で一つ。


 ぼくと蛍との『最適解』。


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秋月さんと御影くん ~あの娘、ぼくが死んじゃったらどうするんだろう~ ピジョン @187338

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