サハラの秘宝

伊藤沃雪

サハラの秘宝

 俺には、三分以内にやらなければならないことがあった。目の前に迫るバッファローの群れ、それが駱駝たちに突っ込む前に何とかして退ける必要があった。


 アフリカ・ニジェール周辺のオアシス。岩塩キャラバンの一員として働く俺は、テネレ砂漠を越えて南下してきたところだった。テネレはトゥアレグの言葉で『何も無いところ』という意味だ。近代化の流れに追いやられて、塩を運ぶキャラバンの数は年々減っている。トラックなら二週間で往復できる距離を、わざわざ駱駝たちと一緒に二ヶ月かけて移動するのは馬鹿馬鹿しい、と言われた事もある。それでも俺にはこのキャラバン以外に居場所はない。『何も無いところ』だろうが、キャラバンとして生きる砂漠は俺にとって、愛するものだ。だから泥臭いと思われても必死にやっている。


 しかし、今この状況──バッファローが自分に向かって、そして背後のオアシスで休んでいた仲間たち、駱駝や騾馬たちに突っ込んでいく光景は予想だにしていなかった。本来なら、動物との接触がないように見張りが立って居るものだが、見張りのやつ、最近入ったばかりの若い奴で、煙草なんて咥えてやがったから、ロクに見てなかったんだろう。


 俺達が設置した天幕やら置いたままの荷物やら、その全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れ。バッファローは距離を取っていれば害はないが、人間がかれらの進行方向に居たものだから興奮しているのだ。バッファローは銃ごときでは追い払えない。逃げるしかない。


「みんな逃げろ! 木の上に登れ!」


 俺は大声で叫びながら全速力で走った。オアシスの傍で腰掛けていた仲間たちも事態に気付いて、駱駝たちを逃がし始めた。バッファローに追いつかれるのが先か、俺が踏み潰されるのが先か。オアシスだから周辺に背の高い木が多く生えていた。バッファローたちが猛然と向かってくる。無我夢中で木に取り付いてよじ登る。先頭を走って来たバッファローの角が靴を掠めたが、何とか木に登り切った。仲間たちも首尾よく対応してくれたおかげで、駱駝たちも難を逃れることができたようだ。


「見ろよ。今日も我らが故郷の夕陽は美しい」


 木によじ登りながら、古参の仲間が言った。アフリカには『バッファローに追われたら、景色を楽しみなさい』という諺がある。さすがベテラン、しっかりと実践している。同じ方向を仰ぎ見れば、上空には燃えるような紅と取り残されている冷たい碧が混在していた。溶解していく丸い陽光に嘆息する。愛する砂漠。一族の同胞たちは戦争に行き戻ってこない。貧しさに喘ぎ、命の危機にあって無様に木に登ることになっても、この光景には代えられない。俺はうっとりと黄昏に見入った。

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サハラの秘宝 伊藤沃雪 @yousetsu

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