目の前の問題を解決しないと、きっと私、消えちゃう

烏川 ハル

目の前の問題を解決しないと、きっと私、消えちゃう

   

 彼女には三分以内にやらなければならないことがあった。

 それが出来なければ残念とか、悲しくなるとかみたいな「やりたいこと」ではない。まさに彼女自身の存在に関わるような、絶対に「やらなければならないこと」だ。


「なんだか私、昔の特撮ヒーローみたいな気分……」

 レトロな腕時計で改めて時間を確認しながら、狐田きつねだ麻衣子まいこは独り言を口にする。

 頭に浮かんできたのは、子供の頃に両親と一緒に見た特撮。彼女の両親でさえリアルタイムではなく再放送で見たという、古典的なテレビ番組の変身ヒーローだった。毎回のように「地球上では三分しか戦えない!」みたいなナレーションが入って……。

「いいえ、違うわ。だって、あれ、たとえ怪獣に負けちゃっても別に地球が滅ぶわけじゃないし、自分が死んじゃうわけでもないし……」

 そういえば、別の特撮番組では「自分が死んじゃう」パターンもあったはず。同じく両親に勧められた古い番組だったが、そちらは強化スーツを着込んで変身するタイプの変身ヒーローで、その変身スーツが五分しかたず、それを過ぎるとスーツごと爆発という設定で……。

「うん、時間はちょっと違うけど、そっちの方が今の私に近いかも。目の前の問題を解決しないと、きっと私、消えちゃうだろうし……」

 昔の特撮番組に想いを馳せて、現実逃避していたのは、ほんの少しの間だけ。自分自身の言葉「きっと私、消えちゃう」を耳にして、麻衣子はハッと我に返る。

 そう、重要なのは「目の前の問題」だった。

 麻衣子の目の前では今、彼女の両親が喧嘩しているのだ。

 三十年前の、まだ麻衣子が生まれる前の姿で。


――――――――――――


 麻衣子はタイムマシン開発チームに所属する、若い研究員だった。

 タイムマシンで未来へ行き、現代の我々では知り得ない情報を入手して戻ってくる。それは夢のある話であり、彼女以外の研究員たちも最初、実用テストで時間移動を行うメンバーとして志願するつもりだったらしいが……。

「まだ技術的にも道義的にも、それは問題がある。だから、まずは未来でなく過去、しかもそれほど遠くない過去だ。その程度ならば『知り得ない情報』を知ってしまう危険性もないからな」

 研究チームのおさである教授が、そう主張した結果。

 行かせてもらえるのが「未来でなく過去、しかもそれほど遠くない過去」ならば、時間移動の危険性に対する恐怖心の方が、期待感や好奇心を上回ったのだろう。他の研究員たちは乗り気ではなくなり、麻衣子にその席が回ってきたのだ。


 そして麻衣子が行き先として選んだのが三十年前、彼女の両親の初デートの現場だった。

 公園の池のほとりでロマンチックに愛を語り合う、健全で爽やかなデート。それは「初デートの記念日の話」として、何度も両親から聞かされたことがあり、実際に自分の目で見てみたくなったのだ。


 麻衣子の開発チームが作ったタイムマシンは、乗り物型ではない。SF映画に出てくる転送装置みたいなタイプであり、装置の中にセットした物体や生き物などを、指定の時間と場所へ送り込む仕組みになっていた。

 ただし時間移動した先で、その時代にいられるのは一時間だけ。ぴったり一時間が経過すると、自動的に元の時代に引き戻されるシステムだ。

 今回の麻衣子の時間移動では、目的地である公園の近くへ、両親から聞いていた「記念日」のデート時間に合わせてやってきたはずだったが……。

 公園の「池のほとり」をいくら探しても、両親の姿は見当たらない。

「もしかして……。お父さんとお母さんの記憶、少しあやふやなのかな? 『記念日』自体は間違ってなくても、時間はもう少し遅かったり、あるいはもう終わっていたり?」

 この時代の滞在時間が残り数分となり、麻衣子がそんな心配をし始めたところで、後ろからポンと肩を叩かれる。

「やあ、芽衣めいちゃん。早かったね」

 振り返ると、そこにいたのは若い男の人。年齢が違うので一瞬わからなかったが、確かに面影はあり、麻衣子も理解する。

 若い頃の父親の姿だ。

 しかし、彼女がそれを悟ると同時に、反対側からも聞き覚えのある声が……。

麻彦あさひこさん? そちらの女の人は、だぁれ?」

 慌てて視線を向ければ、若い頃の母親だ。大きな桜の木に隠れるようにして、こちらを覗いていた。

 母親「芽衣」の怒りのオーラを、麻衣子は女性の直感で感じ取る。しかし父親「麻彦」の方は、それがわからなかったのだろう。

 芽衣に対して応じるより先に、麻衣子に謝罪を示す。

「ああ、ごめんなさい。人違いでした。後ろ姿が似てて……。いや何となく、雰囲気も似てるように感じたからかな?」

 父親の言葉に続いて、麻衣子の耳に入ってきたのは、母親の小さな呟きだった。

「麻彦さん……。あなたという人は……」

 見知らぬ女性――この時点の芽衣から見て――に対する「似ている」発言のせいか、あるいは後回しにされたせいか。

 いずれにせよ、芽衣の怒気は強まっており、同時に麻衣子は察するのだった。

 自分がこの場に来たことで、大切な二人の初デートをぶち壊してしまった、と。


――――――――――――


「どうしよう……。このまま二人が喧嘩別れしたら、私、生まれてこなくなる……」

 心配しながらも「迂闊に自分が割って入るのは火に油を注ぐだけ」と思えば、ただ二人の様子を見守るしか出来ない。

 しかし先ほど現実逃避しながら考えたように、今ここで両親を仲直りさせることは、絶対にやらなければならないこと。麻衣子自身の存在が賭かった大問題だ。

 頭では、それもわかっていたのだが……。


「麻彦さん! だいたい、あなたという人は……」

「ちょっと待ってよ、芽衣ちゃん。それ、今は関係ない話だよね?」

 麻衣子の目の前で、若き日の両親はヒートアップしていた。

 改めて、ふと腕時計の――この時代に合わせた外見の――時間を確認すれば、もう「残り三分」ではなかった。

 麻衣子が現実逃避したり、オロオロしたり、ただ様子を見ていたりした間に、時間は無為に過ぎていたのだ。この時代にいられる時間は、もはや三分どころか三秒しか残っていない!

「ちょっと待って! これじゃ、私は……!」

 今さら慌てても遅かった。

 二分五十七秒を無駄にする者が、三秒で何か出来るわけがない。

 麻彦と芽衣の二人が自分たちの喧嘩に夢中で、すぐ近くにいる麻衣子のことなんてすっかり忘れしまった間に……。

 麻衣子の姿はスーッと消えて、その場から消滅するのだった。


――――――――――――


「ただいま、狐田くん。無事に戻ってきたようだね」

「あれ? 私……」

 三十年前の世界から消えて、次に麻衣子が意識を取り戻したのは元の時代。タイムマシンの装置の中だった。


 過去を変えてしまったはずなのに、教授は「狐田くん」と呼びかけたのだから、自分の父親は狐田麻彦のままなのだろう。

 では母親が別人になったのだろうか。

 そう思った麻衣子は、パッと自分の顔を触る。鏡を見るまでははっきりしないが、少なくとも手で触れた感触としては、姿形は変わっていないらしい。

 そんな彼女の仕草を不審に思ったらしく、教授が少し顔をしかめながら質問してくる。

「どうしたのかね、狐田くん? 時間移動は成功したのだろう?」

「いや、実は……」

 いつも以上に教授の眼光を鋭く感じて、なかば威圧されたような気分で、麻衣子は正直に話した。

 両親の初デートをぶち壊してしまった、と。

 自分は過去を改変したに違いない、と。

「ふむ。ならば、それは……」

 教授は顎に手を当てながら、ニヤリと笑う。

「……うん、理論を実証する良い例になったくれたぞ。大丈夫、私の考えていた通りだ。過去改変のパラドックスは起きないのだよ。それが時間物理学の真髄だ!」


 タイムマシンで過去へ行き、自分の親なり祖先なりを殺してしまえば自分が生まれてこなくなるはず。しかし、自分が生まれてこなければ、親などを殺す「自分」もいなくなるから、それを殺すことは出来なくなるはず。しかし親あるいは祖先が殺されなければ自分は生まれてくるので、それを殺すことになり……。

「こんな感じで論理矛盾がループするのが、有名な過去改変のパラドックスだ。これがあるからタイムマシンは理論的に作れない、あるいは過去への時間移動は出来ない。そう言い張る学者もいたくらいだが……」

 実際、教授のチームはタイムマシンを作ってみせた。

 だから教授は考えたのだ、そもそも過去改変のパラドックスなんて存在しないのではないか、と。

「どういう意味ですか、教授?」

 質問する研究員に対して、彼は誇らしげに手を広げる。

「ほら、見たまえ! この彼女こそが、素晴らしい実例ではないか! そもそも『自分の親を殺せば自分が消える』が間違いだったのだよ!」


 いや、私、お父さん殺したわけじゃないんだけど。

 心の中で麻衣子は反論しながら、それでも教授の言いたいニュアンスは理解できていた。

 つまり、たとえ親が変わっても麻衣子自身に変化は起きない。きちんと彼女は彼女として生まれてくるからパラドックスは起きない、という話だろう、と。

「大袈裟にいうならば、歴史の修正力だ。いいかね? イメージしにくい時間軸を排除して、二次元や三次元で例えるならば……」

 熱っぽい口調のまま、教授は説明する。

 例えば東京から大阪まで旅行する際、飛行機でも自動車でも新幹線でもフェリーでも、乗り方や行き方を間違えなければきちんと大阪に辿り着ける。「東京から大阪まで新幹線で旅行」の予定で、新幹線が運休になったとしても、代わりに飛行機などで行けるわけで、この「新幹線が運休」というのが「親殺し」に相当するわけで……。


 そんな教授を前にして、麻衣子たち若い研究員たちは思うのだった。

 その「例えば東京から大阪まで」の話ならば、それほどたいそうな理論ではない。子供の頃、SF漫画で読んだ覚えがあるくらいだ、と。


――――――――――――


 ちなみに。

 次に実家に帰省した際、念のため確認してみたが、麻衣子の両親は元通り麻彦と芽依のままだった。

 しかも、改めて初デートの話を詳しく聞いてみても、喧嘩の話は一切でてこなかった。


 だから、麻衣子は思った。

「もしかして……」

 自分は過去改変したわけでも何でもなく、あの喧嘩は元々あった出来事だったのではないか。

 ただ二人が「とるにたらない些細な出来事」として忘れてしまったり、すぐに水に流したりという程度だったのではないか、と。

「だとしたら……。教授の『例えば東京から大阪まで』の話も、あんまり当てにならないわね。そもそもこれが元のルートだった、ってことだし」




(「目の前の問題を解決しないと、きっと私、消えちゃう」完)

   

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