全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れには三分以内にやらなければならないことがあった。

λμ

そしてバッファローの群れは光となった

 全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れには三分以内にやらなければならないことがあった。

 

 福岡に出現し、北九州を破壊し、旅客フェリーを転覆させ、関門橋を叩き落して突き進むバッファローの群れには、残り一分と五十秒以内にやらなければならないことがあった。

 

 東京本社の上長の顔面に、を叩きつけてやること――


 全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れの先頭集団には、彼らの目となり意志となる一頭のバッファローがいた。その額には、蚯蚓みみずがのたくったような字体で『辞』と表書きされた封書が貼りつけられている。


 無論、全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れは知っている。

 たとえ一頭一頭が緩慢な思考しかできなくとも、一頭のバッファローを目とした数千、数万のバッファローの群れともなれば群体として集合知を獲得し、道中に轢殺した人々の知恵すらも吸い付くし、全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れ――バッファローのレギオンとして知っている。


 民間企業で提出するのは退職願あるいは退職届で、辞表ではない――と。


 しかし、彼らにはそれを指摘する舌がない。

 

 しかし、彼らは主の命令には逆らえない。


 全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れは、文字通り全てを破壊しながら、宇部の闘牛たちをも引き込んで、東京本社の上長を目指す。


 残り、一分と三十秒――

 

 全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れを、この世界にんだのは、福岡に暮らす一人の男だった。


 名は黒葛原つづらはら陽翔はるとという。数年前に事故で死亡し異世界に復活するも、スローライフも半ばに現代に戻された男であった。


 異世界では無双できても現代に戻ればただの人。陽翔はまたしても暗く退屈で不満ばかりが募る現代を生きるしかなくなっていた。薄給で遅くまで働かされ、のべつまくなしに怒鳴り散らされ、同僚には気味悪がられて、とうとうコンビニ店員の外国人留学生に同情されるに至って涙を流した。


 陽翔は自ら希望し、福岡の地に安らぎを求めた。なんか異世界っぽかったのだ。

 しかし、目論見は容赦なく崩れた。

 現代には、リモートワークが存在するのである。


 最も面倒な相手であった上長に毎日のように舌打ちされた。

 福岡の人々は酒の飲めない陽翔をいけすかない東京モンと蔑んだ。


 いくら異世界っぽくても現実で、たとえ異世界であってもスキルがなければ、なにもできない。脳内に罵倒語が渦巻き、震えは止まらず、夜も眠れなくなり、太陽だけは無駄にギラギラと輝いて――陽翔の心は音も立てられずにへし折れた。


 深夜、気づけば辞表を書いていて、足元に自らの血で魔法陣を描いていた。

 それは、かつて陽翔がいた異世界で一度だけ見た召喚術だった。


 ――全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れを喚ぶ魔法陣だ。


 それは陽翔のスキルではなかったし、実際に発動するところをみたわけでもない。

 暗い闇に沈んだ陽翔の手が、ただ独りでに動いたにすぎない。

 陽翔は暗闇に呟く。


「――でよ……!」


 朦朧とした頭で、夢と現実の境目すら見失い、掠れた声で唱えた。


「全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れよ……!!」


 瞬間、魔法陣が光り輝き、ぬぅ、と一頭のバッファローが現れた。

 体長およそ四メートル。体高およそ二メートル半。全てを砕く頭骨と全てを貫く角を生やした、硬く靭やかな焦げ茶色の体毛に全身を包む、アメリカバイソンである。


 アメリカはイエローストーン国立公園にて、ヒグマの数倍も人を殺してきたという、かつてフロンティアの名の下に何万頭もの同胞はらからを殺され皮を剥がれた恨みを今も抱き続ける、全てを破壊しながら突き進むバッファローである。

 

「よくぞ、よくぞ、来てくれた……!」


 陽翔は笑った。大気が震えるほど強い声で笑い、両隣の住人に壁を強く叩かれ怒鳴られた。それでも陽翔は高く笑った。


 召喚術で呼び出した生き物は、術者の命令を忠実に果たす。たとえ、なにがあろうとも、命令だけは完全に果たしてくれる。いまこのとき、唯一、陽翔に寄り添ってくれるのは、全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れだけだった。


「行け! 全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れよ!」


 声高らかに咆哮し、バッファローの額に、べん! と辞表を貼りつけていった。


「あのクソ上長の顔面に! この辞表を叩きつけてやるんだ!」


 ぶもふ、と一つ熱もる息をつき、バッファローは後ろ足で床を蹴った。偶蹄がフローリングを引き剥がし、コンクリを削って粉塵が舞った。 


「行け! 全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れよ! 三分以内に使命を果たしてみせよ!」


 陽翔が叫ぶと、両隣の住民が怒号とともにドゴン! と壁を叩いた。

 その打音をきっかけにして、バッファローは一つ大きく嘶いて、北東目指して猛然と壁に突進、尋常ではない破砕音を立てながら外へと飛び出す。


 と、同時に、床に敷いた魔法陣より、次から次へと種々様々な牛――バッファローが溢れ出し、全てを破壊しながら先の一頭を追いかけていった。


「いけ、いってやれ……」


 陽翔は倒壊していく自室の床に寝転び、低い声で囁く。


「全てを破壊しながら突き進むのだ……!」


 それが、今から二分前のできごとであった。

 全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れは、焦っていた。

 望むと望むまいと、召喚者の命令により焦らされていた。

 

 アメリカバイソンの最高速度はおよそ七十キロ。無論、魔法で呼び出された異世界バイソンとでもいうべきバッファローの群れは、全てを破壊しながら音すら置き去りにして駆けることができるのだが、それにしても、である。


 ――それにしても、福岡から東京は遠い!

 

 福岡-東京間は直線距離で約九百キロ。

 音速は時速およそ千二百キロ。

 超音速でも三分どころか三十分以上かかるのである!


 全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れは、バッファローのレギオンは、焦っていた。今はまだ山陰を貫き、破壊するものがなにひとつ存在しなかった砂丘を越えたばかりである。


 このままでは、絶対に間に合わない!


 全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れの焦りは、群体としての思考すら直線的に均していく。


 ――眼の前に巨大な青い山が見えるが、山は越えていいのだろうか?


 陸上にあるものはアスファルトすら砕いて土埃を巻き上げながら駆け続けてきたのだが、山とは陸続きであるゆえに乗り越えていいのだろうか。


 ――山とは、のだろうか?

 ――山とは、ただのなのだろうか?

 ――わからぬ。

 ――わからぬのなら、


 全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れは、一つの結論に至った。


 ――わからぬまま、突き進むのみ!


 霊峰富士に巨大な横穴が穿たれ、全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れの足音が大地を揺らし、崩れ行く山に噴煙とマグマを求めた。空を曇らせ、絶死の灰と噴石を東京にまでも降り注がせて、なお全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れは焦っていた。


 富士を貫いた時点で、残り十秒を切っていたのだ。

 

 ――、絶対に間に合わない。


 全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れは、レギオンは、辞表と書かれた一編の紙を目とした巨大なバッファローは、しかし諦めなかった。


 ――間に合わせる。主のために。


 全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れが加速する。あまりの速さに周囲の風景は飴のように溶け、それでも足らずに加速する。直線上に存在するありとあらゆるものを踏み倒しながら加速を続ける。


 残り三秒。


 二秒。


 一。


 もはやこれまで――かと思われたそのとき、全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れは粒子となった。波動的性質をもつ全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れ粒子は膨大なエネルギーの塊となって突き進んだ。


 ――時間が足りないのなら、時間そのものを引き延ばせばよい。


 道中、数を増していた全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れの一部が結果として末尾で横列に拡大、運良く福井は高速増殖炉もんじゅを踏み潰したことで得た知見から、全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れはそう結論したのだ。


 全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れは光に近づくうちに無限に質量を増加させ、さらに加速を続けて、光すらも置き去りにしようとしていた。


 その超重量は黒き穴となり、地の球を従えて、さらには太陽すら引き込んでいく。


 もはや東京の上長の顔面など超圧縮の末に理論上にしか存在し得ない点と成り果てているのだが、全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れは止まらない。


 抑止点は失われてしまったのだ。


 全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れは時間を無限に引き伸ばし、宇宙を抱き込みながら、三分以内に、東京本社の上長の顔面に辞表を叩きつけてやるべく加速を続ける。


 

 そして、全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れは光を超える光となった。

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全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れには三分以内にやらなければならないことがあった。 λμ @ramdomyu

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