日本在住バッファロー VS 満員電車 VS 便意

脳幹 まこと

日本在住バッファロー VS 満員電車 VS 便意


 日本在住のバッファロー(♂)には三分以内にやらなければいけないことがあった。


 のどかな草原に生きてきた彼には、あまりに日本は狭かった。

 ピークタイムの京浜東北線には客がごった返していた。最近では女性専用車両の他、バッファロー専用車両も出来ているが、その日、彼は運悪く乗りそびれてしまったのだ。

 数年前、初めて乗った時の人間の好奇に満ちた目は忘れられないものだったが、今となっては誰も自分に注目しない。今、日本には六十万頭のバッファローがいる。そう珍しいものでもない。

 しかし、郷に入っては郷に従え、日本の電車内で便を出してはならない。流石にバッファロー用のトイレは駅にしか置いていない。

 今まで我慢することがなかった彼にとって、今や黒茶色の便は全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れと同等だった。


 野生の勘が彼に告げる。駅に到着してからの三分が勝負だ。駅の構造は普段の出退勤で把握している。最短ルートで走ればいける計算だ。


「間もなく新橋。お出口は、左側です」


 このアナウンスが聞こえてきたら、そろそろ突撃の合図だ。

 大丈夫、今の自分なら全てを破壊しながら突き進める。


 彼はそう思いながら深呼吸した。故郷にいる家族や友人のことを考える。彼らの顔に泥を塗ることは出来ない。これでも最高学府を卒業した身なのだ。


 プシュー


 彼は走り出した。予想通り、人間は自分の走りに対してすっかり怯えて道を開けている。これならいける。

 しかし、彼は目を見開いた。バッファロー専用車両から出てくるバッファローの群れが、揃いも揃って疾走しているではないか!!

 全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れは、全てを破壊しながら突き進める――それがたとえ同種であってもだ。


 とりわけ勢いが凄いのが、バッファロー専用女性専用車両から出てくるバッファロー(♀)である。

 そうか今日はギガノユニバース=ららぽーと新橋でお野菜の特売があったのだ。彼女らにとってもお得情報の波は全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れだったのだ。

 入り込もうとするが、おそらくそんなことをすれば痴漢の疑いをもたれるだろう。バッファロー界における痴漢――敵対行為は即ち集団的蹂躙による死を意味する。


 とはいえこのままいけば、別の意味での死が待っている。

 彼は数秒悩み、別ルートによるトイレ到達を目指すことにした。試行回数が少なく、更にどんなにショートカットを駆使しても二分五十秒台。ギリギリ中のギリギリだ。ちょっと侵略を許すこと覚悟で進むしかない。


 そこからの彼は速かった。

 故郷でも陸上部だった彼の足は社会人のストレスフルな生活を経ても健在だったのだ。彼は自分の潜在能力の高さに喜びを感じていた。

 ピンチの中だからこそ理解できることもある。その学びが個体を成長させるのだ。


 人間の舌打ちが聞こえてきた。図体が大きいバッファローの社会進出を快く思っていない者も少なくない。

 いつもならどつき回してやるところだが、グッと我慢した。今はトイレの方が先だ。


 トイレが目前に見える。人間達は人間専用トイレの前でせせこましく並んでいるが、バッファロー専用トイレはスケールが違う。多目的トイレのおよそ五倍だ。

 彼の体内ストップウォッチは二分五十二秒を指している。まだいける。まだ、まだ。肝心のトイレは――空いている!

 殺意にも近い激情を纏いながら角が生えた獣のピクトグラムのあるトイレにつっこむバッファロー。


 便座に腰かけて、そのまま全力で力んだ。


 喝采の瞬間――そこが彼の限界だった。


 彼は気付いていなかったのだ。故郷と日本との環境の違いに。


 ぶぶぶりりりりりりりいいいいいい!!!!! ぶっちゅああああああんん!!!


 彼のバッファロー・スラックスが跡形もなくはじけ飛んだ!!


 スラックスの密閉空間に彼の大量の、全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れのごとき便が猛烈な勢いでねじこまれたことによって、爆発を巻き起こしたのだ。

 豪快な破裂音とともに、彼の便はトイレ全域に解き放たれたのである。


「ん゛も゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛」


 魂の慟哭が、駅に木霊した。


 刹那、彼は思った。

 次からは服は着ないで出勤しよう――

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