臨海にて在りし日を懐かしめ少女
秋犬
臨海にて
2人の少女が構造物を登っていくと、ようやく地上に辿り着けそうな気配がしてきた。
「ねえアオイ、なんでこの階段登りにくいの?」
アオイと呼ばれた少女はふわりとスカートを翻し、白い服の少女に答える。
「この階段は、徒歩で登るように設計されていません。過去は階段が動いて人間を輸送していたそうですよ」
「ふうん、昔の人ってすごく身体が大きいのかと思った」
「その考えも面白いかもしれませんね」
白い服の少女――ソラはアオイと共に登りにくい階段を登っていく。
「よいしょっと……ねえアオイ、なんか暗いけどまだ地上じゃないの?」
「いいえ、ここが地上で間違いないようです」
「でもなんか暗いよ?」
ソラは登り切った階段の先を見つめる。階段はまだあちこちに見えるが、ソラの目の前の階段は確かになくなっていた。
「ここは過去に商業施設として賑わっていたようです。休日には多くの人間が買い物を楽しんでいたと記録にあります」
「多くの人間ねえ……どのくらいの人間がいたの?」
「ざっと1日あたり、7万人が訪れていたようです」
「ななまんにん!? 信じられないね」
ソラとアオイは薄暗い建物の中を進んでいく。しばらく進むと日の光が射し込む場所にやってきた。大きな吹き抜けになっているそこは瓦礫が散乱し、「あの日」から時が止まっていることを如実に示していた。
「ねえアオイ、地上はまだなの?」
「もうすぐです。ここから先の滞在時間はわずかですので、しっかり景色を見ていってください」
アオイが告げたとき、ソラの眼前に真っ青な空が現れた。よく晴れ渡った空は地面をほどよく暖め、そよそよと風が吹いていた。
「うわあ、きれい……」
生まれて初めて本物の空を見たソラはその場に立ち尽くす。
「ねえアオイ、15歳の誕生日に地上に来れるなんてすごいと思わない?」
「はい、私もソラが地上滞在の審査に通ってとても嬉しく感じます。15歳、おめでとうございます」
15歳になったら許可される地上滞在をソラは心待ちにしていた。アオイの髪が地上へ出て風になびく様子を見て、ソラは心が躍る。
「ねえアオイ、ここから先に行ってもいいの?」
「滞在時間内はどこへ行っても自由ですが、帰路のことも考える必要がありますのであまり遠くに行くことはお勧めできません」
ソラはアオイと共に商業施設の外へ出る。元がなんだったのかよくわからない建物が連なる道をソラは物珍しく眺めた。
「少しだけ散歩したいな。ねえアオイ、この辺の建物について教えてよ」
「はい、わかりました。まずは上ばかりではなく、あちらを見てください」
アオイの白い腕が示す方をソラは見る。
「……水だ! しかもたくさん!」
更に歓喜の声を上げるソラに続いて、アオイは解説を続ける。
「この辺りは港と言って、海を渡る船が陸へ止まる施設だったようです」
「海と船! 知ってる! この前図鑑で見たよ! ねえアオイ、船は見られるの?」
ソラは初めて見る景色に興奮していた。
「少し歩きましょう。もし残っているなら、この近くに有名な船があるはずです」
アオイが示した方にソラは歩き出す。
「ふふ、地上って面白い。何もないはずなのにこんなに眩しいし。あれが太陽って奴でしょ、私知ってるんだから」
ソラは嬉しそうに空を眺める。自分の名前の由来はかつて上方を示す言葉であると教わったのは随分と前であった。ずっと地下で暮らしているソラは、地上は上方が限りなく青いという話が本当であると信じることができていなかった。
「あー、楽しいね。よかった、地上滞在できて……それにしても歩きにくいね。ずっと人間が歩いていなかったからだね」
道中は地面が盛り上がったり瓦礫が落ちていたりで、歩きにくいことこの上なかった。そんな中、アオイは黙々と目的の船を探した。長い長い構造物と高い高い構造物の側にあること、船なので水の上に浮かんでいるはずであることをアオイは認識してソラの目的の物を探すことに努めた。
「ねえアオイ、どうして地上はこんなにきれいなのかな」
「きれい、とはどういうことですか?」
「だって、こんなに色鮮やかなんだもの」
「鮮やかであることがきれいですか?」
「うん、青とか緑とか茶色とか、私はたくさんの色が好き」
「私もソラと好きな物の話ができて嬉しいです……到着しました」
アオイは船のあった場所をソラに指さして見せた。
「ねえアオイ、船があるんじゃなかったの?」
ソラは水中に沈んでいる、構造物であっただろう物を指さす。
「申し訳ありません。どうやら異常気象などで船体が破損、沈没したと思われます」
「なんだ、がっかり……これがこの船の元の姿なのかな」
ソラは船の絵が描いてある看板を見つけた。白い帆を張った、立派な船であった。
「そうだアオイ、あの向こうにある丸いのは何?」
ソラは船の向こう側にある巨大な円上のものを指さす。丸い物は各所に小さな箱型のものをぶら下げ、今にも倒れそうに佇んでいる。
「あれは観覧車と言って、あの円に吊してある箱の中に入って高いところから景色を眺めるものです」
「へえ、あんなに高いところまで人間は行っていたのね。この辺に転がっている丸いものや乗り物みたいなものにも乗っていたのかしら、でも何のために? これではぐるぐる回ってるだけじゃない」
ソラは辺りに転がっていた構造物を思い出してしきりに感心して、そして首を捻った。
「そろそろ、滞在時間の残りが少なくなりました。ここから近くに別の地下通路があるので、そちらに行きましょう」
アオイはソラを元来た方向ではなく、更に前方へ案内した。
「あーあ、地上滞在もこれでおしまいかー」
ソラは貴重な経験を無駄にしないよう、青い空をしっかり目に焼き付ける。
「青い空を絶対見たかったからこの時刻にしたけど、できれば月とか星ってのも見てみたかったな、滞在時間的に無理だけど。ねえアオイ、次の地上滞在の許可はいつ下りるの?」
「次回はこれより2万5千時間後……換算すると約3年後です」
「ええ-、そんなに待てないよ」
アオイが案内するほうに、地下へ続くと思われる階段が見えてきた。
「さようなら地上、また会う日まで」
ソラは白い防護服の中から地上に別れを告げる。これ以上の滞在は防護服を着ていても危険であった。
かつて行われた戦争の末に地上の核兵器が次々と爆発し、大量の死の灰が地上を覆ってから数百年が経っていた。地下で細々と生き延びた人類は染色体異常によってますます数を減らし、最近ではソラのように立派に育った若くて健康な少女は珍しい存在になりつつあった。
「それまでに、生きていたらね」
ソラは名残惜しい気持ちを残して、階段を降り始める。
高濃度の放射線物質で汚染された地上へ、戦前生まれの生物が帰るのはまだまだ先の話であった。地上では既に過酷な環境に適応した新たな種が生まれているらしいとソラは習っていたが、僅かな滞在時間ではその生物を見つけることはできなかった。
「じゃあアオイ、帰り道を案内して」
「はい、ナビモードに移行します」
ソラは地上滞在の思い出のために展開していたAIアオイのホログラムモードをナビモードへ切り替える。ソラを案内していた少女の姿は消え、アオイの眼前で地図と方向が指し示される。
「ねえアオイ、アオイは地上に来て楽しかった?」
「はい、私はソラと地上滞在が出来て満足です。また一緒に行きましょう」
ソラは微笑むと、アオイの導きで深い深い地下へと帰っていった。
臨海にて在りし日を懐かしめ少女 秋犬 @Anoni
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