社会人三年目の悩み

羽間慧

社会人三年目の悩み

 商談相手が来るまで時間はある。プレゼン資料の確認を終えた私は、スマホのアラームをセットする。後輩の企画書を見ておかないと。


 マグカップのコーヒーに口をつけると、ソイツが出てきた。


「肩の力抜こうにゃ。もうお昼寝の時間だにゃーん。ご飯は食べにゃいのかにゃ?」


 にゃあにゃあと話すソイツは、かまってちゃんの同僚ではない。マグカップに描かれているマンチカンだ。短い足で立ち上がり、私を見あげていた。


 スーパーの在庫処分セールで買った量産品は、私が湯を入れたときから人の言葉を使い出した。私以外でソイツの声を聞ける人はいない。得体の知れないものを一人暮らしの家に置く訳にもいかず、職場で自然に割れるまで使うことにした。猫の恨みは怖いと聞く。


「そんにゃのじゃ、お腹膨らまにゃいにゃ! カップスープにパンを浸したら、パンが消えちゃうにゃあああ!」


 大袈裟だなぁ。そりゃあ、ランチへ出かける先輩みたいに、立派なご飯じゃないかもしれないけど。三年目の私には、食べようとする意思を保つだけでも大変なのだ。


 新卒で一人暮らしを始めたときは自炊できると思っていた。だが、半年と経たないうちに、スーパーのお買い得品と惣菜に頼る日々が続くようになった。


 ご飯を一緒に食べていた同期は、私以外いなくなった。仲良くなった後輩ちゃんも三月でやめた。新しい後輩くんを指導しつつ、どうせすぐやめちゃうんだろうなと後ろ向きになってしまっている。こんな先輩の裏側は、せっかく頑張ろうとしてくれている後輩くんに見せたくない。


「赤いコメントが、ぎっしりだにゃ。褒め言葉と修正点が半々になるように調節するにゃんて、教える側は大変だにゃ。よしよししてあげるにゃ」


 親指に触れていた取っ手のしっぽが、心なしか温かく感じた。指導してもらった上司は別の部署へ移動になり、新年度になってから褒められたのは初めてだ。


「にゃいてるのかにゃ?」

「泣いてない」


 私は目を覆った。

 どうせ添削を入れたところで、年度末にシュレッダーにかけられる。そんなゴミを生み出す作業を、褒めないでくれるかな。


又田尾またたび先輩、お疲れ様です。花粉症しんどいですか? コンビニのクジで『ちょっとセレブなティッシュ』をもらったので、先輩にあげましょうか?」


 後輩くんの好意は断れず、私は小さく頷いた。


「ありがとう、茶斗羅ちゃとらくん。ちょうど目が痛くて」


 こんなかっこわるいとこ、早く忘れてほしい。私の祈りは虚しく、直しかけの企画書に目が留まる。


「又田尾先輩の字、いつも綺麗ですよね。自分はタブレットのペンシルで書くときも雑になってしまうので、羨ましいです。どうやったら上手くなれますか?」


 どうせ教えてもやめちゃうと、後ろ向きになっていたけれど。期待のこもった瞳で見られてしまっては、いいとこ見せたいと思ってしまう。


「話長くなってしまうかもしれないから、商談の後でもいい?」

「もちろんです! その間、頑張って作業進めときます!」

「眩しい目に、お姉さん恋に落ちちゃうにゃ」


 そんな単純じゃにゃいもん。……って、言葉が移ったにゃ! さすがに後輩くんのいるときは、うっかり口に出さないようにしにゃいとにゃあ。

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社会人三年目の悩み 羽間慧 @hazamakei

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