第57話 最終話

 サイラスとお茶を飲んでから一週間。

 この一週間は怒涛の日々だった。学園に通いながらも、隣国の公爵家から届いた釣書にお断りの連絡を入れたり、もう一枚の釣書の伯爵家の次男と侯爵家で茶会をして再度話をしてみたり、父から侯爵家の仕事の一部を任されたり。

 

 多忙であったアシュリーの体調を心配したのか、エディーは学園が休みの日にも執務室で父から与えられた仕事に取り組んでいた彼女を、アシュリーを執務室から庭へと連れ出し、お茶を飲んでいた。

 最初は「仕事がある」と遠慮していたアシュリーだったが、偶然廊下で出会った父に「休憩も必要だ」と一蹴され、エディーと葡萄の果物茶を飲みながら、料理長が作った焼き菓子や料理に手を伸ばしていた。


 エディーはこの一週間、トールボット公爵家で情報収集に精を出していたらしい。アレクサンドルが購入したあの薬物の販売ルートが特定されなかったためだ。彼へと最初に販売した人物を特定するためにも、公爵家から押収した人事の書類などを見て素性の知れない人物を把握していたそうだ。


 それだけでなく、父から許可を得たとの事で、薬物の解毒剤の材料となる植物の実を実際に見せてもらう事ができた。

 アシュリーが公爵家に行く際に渡されたのは、禁止薬物の解毒剤だったのだ。その解毒剤はエディーが王宮医師に依頼して作ってもらったものだという。買い付けを行ったのがサンタマリア侯爵家の諜報員なので、実物の見本として数個侯爵家に残しておいてあったそうな。


 触る分には問題ないとエディーに言われたため、実際緑色の実を手にとってみれば非常に硬く、これをすり潰すのも大変な作業だろうな、とアシュリーは思った。


 彼女が拒否反応を示しているのは、今のところオレンジの果実茶だけなようだ。いつもの表情で、親指と人差し指で実を何度か押している彼女を見て、エディーは少し胸を撫で下ろす。

 ふと空を見上げれば、真上だった陽が少しづつ傾き始めている。そろそろか、と思ったエディーは、今だに興味深そうに実を見ているアシュリーに話しかけた。



「アシュリー、今思い出したのだが葡萄に引き続き、新作の紅茶ができたらしい。少々味を見てくれないか?」

「ええ、勿論!」

「茶葉が俺の部屋にあるから取ってくる。ちょっと待っていてくれ」

 


 そう言って立ち上がり、エディーはアシュリーとお茶をしていたガゼボを去る。そして玄関で彼が待ち望んだ人物が来ていたのを見て、声をかけた。


 

「アシュリーならあっちのガゼボにいる。よろしく頼むよ、大切な妹だ」

「ああ、分かっている」


 

 そう言うと、エディーは彼にアシュリーを託す。

 エディーは名残惜しさを感じながらガゼボへと向かう彼が消えるまで、彼の背中をじーっと見つめていた。

 

 

 紅茶を取りに行くと言って席を立った兄を待っていたアシュリーが、時間の掛かっている兄を心配し始めた時――思いもよらぬ声がアシュリーの背中の方向から聞こえた。

 彼女は慌てて振り向き立ち上がれば、そこに居たのはサイラスだった。


 少々バツの悪い表情をしたサイラスは、アシュリーへ席に着くよう椅子を引いたため、アシュリーはお礼を伝えて椅子に座ればサイラスも向かい側の席に着いた。

 

 

「急にこちらへ来て悪かった」

「いえ、驚きはしましたが……お兄様と休憩をしていましたので、問題ございません。本日はどのような用件で?」


 

 そう言って首を傾ければ、サイラスはアシュリーの後ろにいる執事に視線を送る。その意図を理解した執事はサイラスに向けて首を縦に振った後、アシュリーの目の前に持っていた箱を置いた。

 その時、ふと箱繋がりで以前ワイト家で見たあのネックレスを思い出すが、今目の前に置かれている箱はあの時のものよりも一回りも二回りも大きい。きっとネックレスではないだろう、と判断したアシュリーは和かにサイラスへと尋ねた。


 

「殿下、こちらは……?」

「……今ここで開けて欲しい」

「承知致しました」

 


 そう言ってアシュリーは綺麗に包まれた包装を丁寧に外していく。そんな彼女をサイラスは切羽詰まっているような、焦っているような……何とも言えぬ表情をしているのだが、アシュリーは下を向いているため気づかない。


 青いリボンが解かれ、青い包装紙を丁寧に剥がした後に出てきた木箱の蓋を落とさないように持ち上げた。そしてその中身を見たアシュリーは、蓋を持ったまま思いもよらぬ贈り物に固まってしまった。


 最初に目についたのは、以前ワイト家で見たサファイアのネックレス。そして次に目に入ってきたのは、サファイアのネックレスとお揃いで作られたであろうサファイヤのイヤリングである。


 思わずアシュリーはサイラスへ視線を向ける。



「殿下、これは……」

 


 どういう事なのでしょうか、と尋ねようとしたアシュリーとサイラスの視線が交わる。その瞬間、彼の雰囲気に飲み込まれたアシュリーは、次の言葉を紡ぐ事ができなかった。

 パクパクと口を開け閉めするアシュリーの代わりに、サイラスが言葉を紡いだ。



「俺と婚約して欲しい」



 その言葉にアシュリーの目が見開く。

 ワイト家で見せられた時は、てっきり妹分であるアシュリーに「婚約者ができた」事を仄めかしているのだろうと考えていた。もしかしたら婚約者にしたい人物が、何らかの理由で公表できないため、昔馴染みであるアシュリーには伝えておこう、という意味だと捉えたのだ。


 だから「軽々しく見せてはいけません」と夫人に伝えたのだが……混乱するアシュリーは考えていた事が思わず口に出てしまう。



「私と、ですか……?」

「……他に誰がいる」

「そ、そうですよね……」



 まあ、アシュリーに渡しているのだから、彼女に求婚しているのは当然だ。

 元々アシュリーも、アレクサンドルと婚約する前は彼と婚約するのだろう、と漠然に思っていた。だが、今は状況は違う。

 アシュリーに瑕疵はないとは言え、彼女は婚約が白紙になった令嬢である。王族の降下先が婚約白紙になった令嬢の元でいいのだろうか、他に素敵な令嬢もいるはずだと彼女は思った。


 釣書を貰った時も、婚約白紙になったアシュリーの格を下げないようにするための手助けの一環だろうな、と考えていた。


 そのためアシュリー自身は派閥である伯爵家の次男の方が良いのではないかと思っていたくらいだ。

 伯爵家の彼に対しても、この醜聞を押し付けるのは申し訳ないとは思うのだが、そもそも王家と伯爵家では影響力が違う。サイラスの事を考えて、そろそろ結論を出そうとしていた矢先のことだった。


 だからここで求婚されるとは全く思っていなかったのだ。



「ですが、私は一度婚約白紙になった令嬢ですよ? 醜聞が……」

「それは相手方の都合によるものだ。醜聞ではない。俺が嫌いなのであれば身を引くが、そうでないのなら受けて欲しいと思っている」

 

 

 今までにない真剣な表情でアシュリーを見つめるサイラスの瞳に覚悟の色が見え、アシュリーはそれに圧倒されてしまう。そして気付かされた。次に婚約する人は、生涯を共にする人物なのだと。いや、そうでなくてはならない。


 だから父と兄は「納得がいくまで悩みなさい。軽々しく選ばないように」と釘を刺したのだ。アシュリーも真剣に悩んではいたが、実感が湧いていなかったのかもしれない。

 

 勿論伯爵家の彼であっても、きっと侯爵家を良くしていく事はできるだろう。だが、サイラスの真面目な表情を見て、ふとアシュリーの頭の中に二人で寄り添っている未来の光景が思い浮かんだのだ。

 アレクサンドルと伯爵家の彼は、そこまで想像した事はなかったのに。


 そのことに気づいた時、アシュリーは無意識に口に出していた。



「はい、お願いします」



 その瞬間、アシュリーはサイラスに抱きしめられていた。サイラスは耳元で「ありがとう」と呟く。優しくも力の入った抱擁に、アシュリーは彼の腕から抜け出そうと考えることもなく、ただそれを受け入れていた。


 

 そして幾らか時間が経った頃。



「そろそろ妹から離れてくれませんか、殿下」



 ドスの低い声が聞こえてアシュリーが顔だけを声の聞こえた方向へ向けば、そこにいたのは兄であるエディー。サイラスはその声に「いやだ」と反論している。……あれ、どこかでこのやり取りを聞いた事がある、とアシュリーが遠い目をしていると、抱きしめられていた身体が急に自由に動かせるようになっていた。


 エディーによってサイラスはアシュリーから引き剥がされたらしい。

 


「殿下、まだアシュリーとは婚約しておりませんが」

「だが……」

「こ、ん、や、く、しておりま、せ、ん、が!!」

「うっ……分かったから、敬語はやめてくれ……」



 感極まってしまった。済まない、とアシュリーに謝罪するサイラスに、アシュリーは目をぱちくりとする。まるでエディーが母のようにサイラスを嗜める姿を見て、アシュリーは久しぶりに心の底から笑う。

 

 最初は驚いてアシュリーを見つめていた二人だったが、笑いが伝染したのか最後には三人で笑い合ったのだった。


 

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令嬢たちは戦う〜義理を欠いた方は愛せません 柚木ゆきこ @sakurayuki_0119

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