第4話 ベルリンの壁崩壊・2020年
【東京(1989年11月10日 東京時間)】
その日も残業に追われ、一人暮らしのアパートに帰宅した時には夜十一時を回っていた。いつもの様に、電気をつけた後すぐにテレビをつけた。目に入ってきた映像を、俄には信じられなかった。
ベルリンの壁に登った沢山の若者が、抱き合ったり、シャンペンをがぶ飲みしたり、踊ったり、兎に角大騒ぎをしているのだ。現実の出来事であると認識するのに、ステップが必要だった。まず、壁の裏にはブランデンブルグ門があることから、そこが本当にベルリンの壁だとわかった。そして、放映されている番組は、特別ニュース速報であり、キャスターが興奮して報道しているのを見て、漸くそれが本物のニュースであることを認識した。
ベルリンを訪れてから三年七ヶ月後のことだった。永遠になくならないだろうと思っていたベルリンの壁が、いとも簡単に斧やハンマーで叩き壊されていく。呆気にとられてニュースを見続けた。やがて、あのレトロな東ドイツ製自家用車が、西ベルリンの道路を埋め尽くしている様子が映し出された。さらに、再開した幽霊駅から、東ドイツ市民を乗せた地下鉄が、西ベルリンへと向かう光景も出てきた。
思えば、肩パットの入ったスーツで武装して初出勤して以来、最初の一、二年は業務と職場で使う英語を覚えるだけで精一杯で、何の余裕もなかった。ようやく仕事に慣れてきた頃、日本は未曽有のバブル景気に沸いていた。お祭り騒ぎのなかで置いてきぼりにならぬ様、必死で自転車をこぎ続けるような生活のなかで、ベルリンの記憶はどんどん遠くなっていた。
ソ連に始まったペレストロイカが東欧の民主化を推進していることは、それまでも報じられていた。もはや、ソ連の戦車はやって来ないとわかるや否や、ポーランドとハンガリーが、社会主義を捨てたことも知っていた。それでもなお、あのベルリンの壁が、そしてあの壁が守ってきた頑強な秩序が崩れることなど、想像できなかった。
その晩は、唖然としてニュースを見続けた。ふと、KaDeWeの脇で、ロックバンドの演奏に合わせて踊っていた少女が、壁のなくなったベルリンで成長できるのだと気がつき、一人ビールでお祝いした。
【ロックダウン下のニューヨーク(2020年4月)】
旅のなかには、帰ってきて時が経つにつれて、その意味合いが増してくるものがある。一九八六年のベルリン訪問はそんな特別な旅だった。今から思えば、私達は東欧諸国で民主化の嵐が吹き荒れる三年前、冷戦対立の最前線だったベルリンを見た。鉄のカーテンは頑強で、そこにでき始めていた小さな裂け目に気を留める人は、ほとんどいなかった。当時の私は、ベルリンという窓から、ドイツの犠牲の下に、冷戦の安定を享受している世界を垣間見た。
ベルリンの壁が崩壊した翌年、正式に東ドイツの全ての州がドイツ連邦共和国(旧西ドイツ)に移り、東西ドイツは正式に統一した。ドイツの統一は、喜びや華々しいでき事だけでなく、新たな苦難もドイツ国民にもたらした。旧東ドイツとの経済格差を解消する過程において、一九九十年代初頭から二十年近くに渡って、経済不振と高い失業率が続いたからだ。こうした苦難を乗り越え、ドイツはヨーロッパ最強の経済として復活を遂げ、EUの盟主としての政治的主導力も強固になった。
二年前に、息子がベルリンを観光した時の写真を見せてくれた時、そこに映る画像には、私の記憶に残るベルリンの暗さは片鱗も残っていなかった。東ドイツが独り占めしていたブランデンブルグ門は、今やたくさんの観光客が普通に門をくぐっていた。ベルリンは再びドイツの首都となり、ライヒスタークには国会が戻り、未修復だったドームも再建された。かつて東ドイツ市民しか自由に見られなかったペルガモン博物館は、今やドイツ随一の博物館になり、入館するのに三時間待ちだという。そして、フリードリヒ通り駅の国境検問所は、俗称だった「涙の宮殿」という名前で、冷戦時代の国境検問のメモリアルとして博物館になったらしい。一九八六年当時、五十代になった自分がそんな写真を自分の息子に見せつけられるなどと、誰が想像できただろう。人生の不思議を感じずにはいられなかった。
そして今春、世界一のコロナのエピ・センターとなったニューヨークで、一歩も外に出ない日々が約二ヶ月続いた。そんななか多くのニューヨーカー同様、家の掃除と断捨離を始めた。長年手つかずのままだったクローゼットの奥に置かれた古い段ボール箱を開けた時、古本やら手紙やらに混じって、卒業旅行の時につけていた行動記録兼お小遣い帳と現地で使ったトーマス・クックの時刻表が出てきた。それがこの旅行記を書き出したきっかけだった。鳴り止まない救急車のサイレンに不安を煽られるなか、思い出しては書き続けるという作業のお陰で、精神の安定を保つことができたと思っている。若い頃の冒険心や好奇心そして美羽との友情を心の中に再現することが、『見えない敵との戦い』という試練を乗り切るための心の肥やしになったことは間違いない。
コロナ禍は『一寸先は闇』である現実を人々に叩きつけたが、こんな時だからこそ、冷戦下の西ベルリナーのように、できることを淡々と続けていくという、当たり前のことの大切さを実感する今日この頃である。毎夕七時きっかりにアパートの窓をあけて、マンハッタン中で自宅待機しているフェロー・ニューヨーカーと共に、最前線で働く医療関係者とエッセンシャル・ワーカーへの感謝の気持ちをこめて鍋を盛大に叩く。社会を覆い尽くしている禍もいつかは拭いさられることを信じて。
2020年5月(ロックダウン中のマンハッタンのアパートにて)
【旅行記】冷戦下(1986年)の東西ベルリン 青山涼子 @ropiyama
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