第2話 その名は『乳児院』
魔法使い。テレビもゲームもマンガも禁止されていたけれど、図書館の本を読むことはできたし、お父さんやお母さんがいた頃は普通にテレビや絵本を見ていたから、なんとなくどんな物かはわかる。
魔導士。軍隊に所属する魔法使いのことをそう呼ぶらしい。つまりは軍人さんだ。
そして、ここは統合軍が運営する魔導士の療養施設。通称『乳児院』。ただし、ここには本物の赤ちゃんは一人もいない。
いるのは魔法の使い過ぎで心まで疲れ切ってしまった魔法使いたちだ。
「あ、あの、ミルクはこれぐらいで」
「うーん、ちょっと温いかな。カルラ二等陸曹はちょっと熱めのミルクが好きだから」
人間の世界は滅んでしまった。いや、完全に滅んだわけじゃないけど、たぶんこのままだといずれダメになるだろう。
人間は奴隷になってしまった。こちらの世界の人間たちはみんな、異世界人の奴隷になってしまった。
そんな異世界人がどんな姿をしているかと言うと、ボクたちと見た目はほとんど変わらない。ただ、髪の色が青だったり緑色だったり、瞳の色が黄色だったらり紫色だったり、肌の色もうっすら青だったり赤だったり、角が生えていたりといろいろいるけれど、基本的な見た目はほとんど同じだった。
腕が二本、脚が二本、頭が一つで、目が二つで耳が二つで鼻が一つで口が一つ。そういう基本的な形はボクたちと同じだった。
そして、食べ物も似ていた。赤ちゃんが母乳やミルクで大きくなるというのも同じらしい。
……赤ちゃん。
「まんま」
「はいはい、カルラちゃん。お腹すきましたねぇ」
ここを利用しているのはみんな軍に所属する魔法使いたちだ。つまりは大人。
魔法使いはほとんどが女性らしい。そして、この療養所にいるのも女の人だけ。
なんとうか、うん。
「シロウ。カルラ二等陸曹にミルクを飲ませてあげて」
「え、えっと」
「練習練習。私も手伝うから」
レニアさん。この療養所で働く治療師さんだ。治療師、というか保育士。とっても優しそうな人で、なんとうか、いろいろなところが大きくて、包容力があるというか、ママ、みたいな感じの人だ。
「カルラ二等陸曹はミルクの時このぬいぐるみを抱いていないと飲んでくれないの。覚えておいてね」
「……はい」
……ボクは十四歳です。今年で十五歳になります。
「は、はーい、ミルクですよ」
「あんま、ま」
カルラ二等陸曹。黒髪で黒目の額に二本の短い角が生えた、女の人だ。今はなんとうか完全に赤ちゃんだけど、そうじゃなければ背が高くて凛々しい人なんだろうな、とそんな感じだ。
そんな凛々しいはずの軍人さんがぬいぐるみを抱いてボクの膝に頭をのせて、ミルクを飲んでる。
「んま、んま」
とにかく仕事をしないといけないんですけど、どうしたらいいのかわかりません。
赤ちゃんみたいな言動のおむつを履いた成人女性の相手なんて、どうすればいいんですか……。
「けぷっ」
「はーい、カルラちゃん。上手にげっぷできましたね。えらいえらい」
「きゃっきゃ」
……だれか助けてください。
「さあ、お昼寝の時間ですよ。ねんねしましょうねぇ」
本当に助けてください。ミルクをあげるくらいはいいんです。
「うう、ああう」
「あらあら。シロウ、おむつ持ってきて」
魔法使いは魔法を使いすぎると赤ちゃん返りしてしまう。そう、本当に赤ちゃんみたいになってしまう。
本当にミルクを上げるくらいはいいんです。
「はーい、きれいになりました。お昼寝しましょうねぇ」
おむつや着替えの時間は、地獄です。相手は赤ちゃんみたいだけど、大人の女の人で、ボクは男なんです。
なんでボクはここにいるんでしょうか。
誰か助けてください。
「よし、みんな寝たわね。それじゃあ、交代で休憩しましょうか」
この乳児院にはボクやレニアさんの他にも何人かの治療師がいます。その人たちはみんな女性で、この施設で男はボクだけです。
以前は男の人もいたみたいだけど、魔法使いの人たちから苦情と言うか不満というか、いろいろあったみたいで今はいない、とリーネさんから説明された。
「はあ、疲れた。大丈夫、シロウ」
「はい……」
正直、疲れる。心も体も。
そう、体。体力だ。
ここにいるのは精神が赤ちゃんになった人たちで本当の赤ちゃんじゃない。赤ちゃんみたいな行動をするけれど、実際は大人なのだ。体はボクより大きな人ばかりで、軍人だからそれなりに力も強い。女の人たちだけでは大変そうだ。
「魔法使いも大変よねぇ。戦争だけじゃなくて、いろいろなところにかり出されて」
戦争。ボクの世界を襲った人たちの中にも魔法使いはいたのだろう。
「そんなに戦争があるんですか?」
「ん? 今はそうでもないわね」
「え? じゃあ、どうしてこんなに?」
ここにはたくさんの魔法使いがいる。入れ替わり立ち代わり、回復してここを出たと思ったら次の人がやってくる。
「魔法使いはね、本当に大変なのよ。特に軍属の魔法使いは訓練も過酷だから」
「訓練、ですか」
「そう。ああ、そう言えばあなたの世界には魔法がなかったのよね」
魔法がない。だから、魔法に対抗できなかったのかもしれない。少なくともボクはここに来るまで一度も魔法を見たことが無い。
「魔法と言うのは魔力を消費する。これは研修で習ったわね?」
「はい。魔法は魔力を消費し、それを制御するには強い精神力が必要、なんですよね」
「その通り。魔法使いは魔力と精神力を使用して魔法を操る。ちなみにこれも魔力で動いているわ」
これ、とはレニアさんが持っている薄いガラス板のようなものだろう。
「これは魔道具の一つ。これに魔力を流すと。こんな風に文字や映像が浮かんでくるの。そして、記録することもできる」
記録。そう言えばレニアさんは寝かしつけた魔法使いたちを見ながら何かを記録していたような。
「これはここに来る療養者さんの治療記録ね。体温や脈拍、血圧や魔力の回復具合。かいろいろな情報を記録しておくの。そうやって体調を管理して、退院時期を見極めるのよ」
便利だ。見せてもらったら文字だけじゃなくて写真まで記録されてる。どういう原理かわからないけれど、魔法ってすごい。
「ちまににこれはカルラ二等陸曹の記録ね。この調子なら三日後には退院できると思うわ」
文字は、読めない。異世界の文字だから当然だけど。
「あなたの物も近いうちに届くはずよ」
「そうなんですか。でも、それ、ボクに使えるんですか?」
「大丈夫大丈夫。使い方は教えるから」
いや、そう言うことじゃないんです。魔力なんです。
魔力。このガラス板は魔力で動いているわけで、つまりボクに魔力がなければただのガラス板でしかないわけで。
「そもそもボクに魔力がないと」
「うーん、そうね。大丈夫だと思うけれど、もしかなったら増やすこともできないし」
「増やす? そんなことできるんですか?」
「できるわよ。ただ、こうなっちゃうけど」
こう。
つまり、これか。
「赤ちゃんになる、ってことですか?」
「そう。魔力量を増やすには魔力を限界まで絞り出すしかないの。ただ、そうすると精神力も限界ギリギリまで削ることになるから」
「こうなる、ということですね」
「言ってしまえば自己防衛ね。精神力を削りきると発狂するか廃人になってしまう。それを防ぐために幼児退行して自分の心を守るのよ」
「……大変ですね」
「大変よねぇ。特に軍属の魔導士は魔法の技術や魔力量で評価や階級が決まるから」
つまり、偉くなるには赤ちゃんになるしかない。ということなのか。
……いや、本当に、大変だこれは。
「さて、みんなが寝てる間に記録の整理や連絡の確認をしちゃいましょうか」
寝ている。本当に皆さんぐっすりだ。こうして見ると、みんな普通で、ただ寝ているだけに見える……。
「……あの」
「何かしら?」
「どうして皆さん、ベビー服なんですか?」
「んー、なんでかしら?」
うーん、やっぱり、普通じゃないな、この場所も、異世界も。
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