10.キャラの深掘り→起承転結と一緒に落とし込む練習(仮タイトル:コスモス)

「おはよう」

「おはようございます、ヒロ。今朝は快晴です。紅茶は入れますか?」

 登録した朝の挨拶、その六番目の音声が流れる。

「お願いするよ」

 あくびとため息が混じった空気を噛み殺しながら、重たい足を引き摺るようにして洗面所に向かう。廊下と洗面所の電気が順に点いて、目線を前に向けると同時に鏡の上の照明が点いた。たるんだ顔が目の前に映る。どうして僕の顔はこうも活力がないのだろう。風がそよぐように当然と言った雰囲気で鼻から息が入り込み、肺を広げてため息の準備をする。また、そうやって空気が汚れていく。僕は不健康なんだ。

「どうしましたか?」

 洗面所の壁に付けられたスピーカーから不自然に柔らかい声が響く。全ての音声の中で一番初めに登録したものだ。僕は黒い無数の穴が空いた無機物を呆然と見つめる。そこには誰もいない。

「別に。なんでもないよ」

 それなのに、僕は期待する。もし、何かの間違いで、イレギュラーで、想定していない答えが返ってくればいいのに。そう思って、両手の拳をぎゅっと固くする。

「そうですか。あまり、無理はなさらないでくださいね」

 無機物は、登録された解答の四番目を繰り出した。

 僕は再び吸い込まれた空気を肺の内側に押し込んだまま、水道の蛇口をひねった。顔を洗おうと掬った水に映る自分の顔がくしゃくしゃに歪んで見えた。


 キッチンに入ると、シンクに残された昨日の夕食の食器が無造作に置かれているのを尻目に、新しい食器を取り出し、トースターに食パンを入れた。冷蔵庫から昨日作った味噌汁の入った鍋を取り出す。シンクからおたまだけを取り出し、洗剤の染み込んだスポンジで軽くさらって水で石鹸を洗い流すと、そのまま新しいお椀を取り出して味噌汁を掬って注いだ。お椀にラップを被せて電子レンジに入れ、低めの温度で二分に設定する。トースターの方を見ると、程よく食パンに焦げ目がつき始めていた。

 僕は、一体何を思考しているのだろう。

 ここ最近、何かに固執するというか、執着するというか、熱中することがなくなった。全てがどうでもよくなってしまっている。そのせいなのか、難しいことを考えることを嫌い、簡単に考えられることばかりに目が向くようになった。

 そう、普段の家事みたいに。高い思考能力を何か適当なことに使うことで、自分は何かを成し遂げようとしているんだと、自分を納得させたいらしい。

 トースターがチンと大きな音を立てる。

 ああ、食パンが焼けた。

 チン。

 ああ、味噌汁も温まった。

 のろのろと食パンをお皿に移し、熱くて火傷しかけた右手の親指と人差し指をブンブンと振る。レンジから取り出したお味噌汁も、お椀ばかりが無駄に熱くなっていて、今度は両手の親指と人差し指を火傷しかけた。

「大丈夫ですか?」

 音声がテーブルの上のスピーカーから流れる。キッチンの天井に付けられたカメラが反応したらしい。

「ああ」

 聞き取れるかどうか微妙な、吐き出される息に混じった声で答えると、スピーカーは「そうですか、よかったです」と言った。うるさい、と思った。

 机に座り、トーストと味噌汁という不思議な組み合わせの朝食を前に手を合わせる。

 きっと、誰かがいれば、こんな朝食おかしいだとか、なんだとか、他愛無い会話が出来るのだろうけど、僕にはそんな人はいない。望んでも、出来やしない。僕は俗に言う、社会不適合者だ。

 ボリボリと食べカスを散らかしながらトーストを貪っていると、目の前のスピーカーからまた音声が響いた。

「今日はとても天気がいいです。お散歩に行かれてはいかがでしょう」

 僕はトーストを咀嚼することを中断して目を丸くした。珍しいことだった。他愛無い会話プログラムは、比較的低確率で実施されるように設定していた。その方がリアルだからだ。その中でもこの天気と散歩の複合ワードは単体では設定していないもので、複数のワードを組み合わせた文章であった。今までこのようなことはなかった。

「ヒロ?」

 しばらく黙ったままでいると、再質問プログラムコード一が実施される。

「……ああ、そうだな」

 しばらく呆気に取られていたが、とりあえずの応答をした。すると、テーブルの上にホログラムが展開されて、散歩先の候補がいくつか挙げられた。

 そこから先はいつもと変わらなかった。適当な散歩道を選択して、そのデータが腕時計型端末に送られる。それでも、目の前の奇妙な現象に驚きが隠せずしばらくテーブルの上のスピーカーを見つめた。

 僕は味噌汁に手を伸ばす。そして久々に感謝の言葉を口にした。

「ありがとう、コスモス」

「どういたしまして」

 気のせいだろうか、ただのプログラム音声が少し明るく聞こえた気がした。もうすっかり冷めたはずの味噌汁が喉の奥に温かさを届けながら落ちていく。

 食器をシンクに重ねて置き去りにして、さっさと服を着替える。支度を全て終えて、靴を履き、ドアに手を掛ける。

「いってきます」

「いってらっしゃい、ヒロ」

 僕は、誰もいないけど何もないわけではない空間に手を振って外に出た。

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