踊れない人形の謎
陶器に似た材質でできた人形が、机の上で優雅にワルツを踊っている。
普通なら、ギョッとしてしまう光景だろう。
だが、生徒たちも皆、慣れたものだ。
「ドルちゃん、今度は何を持って来たんっすか?」
ここフィナンシュ王国立魔法学院魔導器学部の教室では、こんな反応である。
淡いグリーンのエプロンドレスを纏った少女、ドルチェ・エスターニアは愛らしい服装に似合わず、腕組みをしながら、眉を顰めた。
「預かりものだから、イタズラしてはいけませんよ? ちなみに、スカートの中は白いドロワーズです」
「人形のスカートまで、覗きませんって!」
思わぬ濡れ衣(?)を着せられた男子学生が慌て、学部の仲間たちの爆笑を買う。
嗜める口調のドルチェ嬢は、妹のような年齢であっても、彼らを指導する賢者バーナム師の助手であり、同じく指導者の一人でもある。
自ら『ドルチェ商会』という魔導機を扱う商会の商会主を務め、魔導機の修理に関しては、バーナム師も一目置く存在だ。
それ故、国有ダンジョン『欲望の
「それって発掘品じゃないですよね? 物凄く綺麗だし……」
「踊りっぱなしだから、壊れて修理が必要ってわけでも無さそう」
スパイダーシルクの鮮やかな紫のドレスは、どても発掘品には見えない。優雅にワルツのステップを踏む人形は、修理が必要というわけでは無さそうだ。
「本当は音楽も聞こえるのに、鳴らなくなったとか?」
女子学生の予想に、ご覧なさいと微笑む。
そして、情熱的なリズムの曲をハミングした。
すると……。
「えっ……踊りが変わった?」
今度こそ、学生たちは度肝を抜かれた。
心得のある女子学生が、唖然として呟く。
「しかも正しいステップだよ、これ……。ここのターンを優雅に決めるのって、とても難しいのに……」
「そうなんです。これはとある伯爵家からお預かりした、家宝の魔導機ですよ。デビュタント前の御令嬢が、ダンスを学ぶ時のお手本にしているそうです」
「何曲くらい踊れるんですか?」
「さあ……私が鼻歌で歌える五曲は、完璧に踊りましたよ?」
学生たちが目を丸くして、踊る人形を見た。
陶器に似た材質の人形が踊るだけでも、稀有な魔導機だ。加えて曲を聞き分け、正しいステップで踊る……。伯爵家の家宝どころか、国宝級の代物だろう。
「ドルちゃんって、ダンスも踊れるんだ……」
変な所に感心する学生もいた。
仕えるメイドさんもいるし、良家の令嬢っぽい気品もあるのだが、日頃の魔導機を前にした奇行が、そのイメージを台無しにしている。
それ以前に……。
「万が一、壊しちゃったら、一生かかっても弁償しきれないような魔導機を、教室に持ち込まないで下さい!」
もっともな抗議の声が、学生たちからあがる。
良いものを見せてもらったとは思うが、机の上で無造作に踊らせて良いものではないだろう!
魔導機の仕組みと修理を学ぶ学部の生徒とはいえ、そんな物の修理なんて絶対に無理だ!
単純な着火の魔導機にさえ、あくせくしているというのに……。
「ですよねぇ……。私でも、これを修理する自信はありません」
テヘヘと笑って、チロッと舌を出す。
その姿は可愛らしいのだが、ちょっと無茶をし過ぎでしょう。
コマンドワードを囁くと、人形の貴婦人は踊りをやめ、優雅なカーテシーを決めてから、基本姿勢なのであろう。胸の前で指を組むようにして、動きを止める。
ワインボトルほどの身の丈の貴婦人は、専用のクッションを敷き詰められた箱の中で、静かな眠りについた。
金細工の立派な錠がかけられると、思わずホッとため息が漏れてしまう。
「で……ドルちゃん。こんなとんでもない物を持ち込んだのには、何か理由があるんでしょう?」
「そうです! ……忘れてました」」
ニッコリ笑って、思い出したように手を打つ。
人形の見事なダンスに見惚れて、本来の目的を忘れていたらしい。
足元に置いた箱の中から取り出したのは、同じサイズの男性の人形だ。
こちらはいかにも出土品らしく、身に纏ったタキシードも色褪せ、煤けて見える。
「本命はこちらです。先週ダンジョンから出土して、ウチに持ち込まれたものです。価値が判断できなくて、買い取りは少し待っていただいてます」
「ドルちゃんが判断できないなんて、珍しいね?」
「壊れているなら、買い叩けるんですけど……」
そう言うのであれば、これは完全に動作する『生きてる』魔動機ということになる。
「これも国宝級で、値がつけられないとか?」
「いえ、さっきの人形とペアになるなら、買い取り金は惜しまないと件の伯爵様が仰ってますので、それであれば私が値付けする必要はないのです」
「えっ? ペアじゃないんだ?」
逆に驚いてしまう。
大きさといい、作りといい、先程の貴婦人と並べてしっくり来る。
出土品なので、身なりは見窄らしいとは言え……。
「人形そのものは、できるだけ綺麗にしたんです。モアレが今、タキシードを腕に縒りをかけて新調してます」
ドルチェに仕えるメイドさんなら、豪華で映えるものを縫い上げそうだ。
完成の暁には、もう一度見てみたい。
でも、何が問題になっているのだろう?
コマンドワードを囁かれ、優雅に一礼する。……ここまでは貴婦人と同じ。
だが、ドルチェが基本的なワルツをハミングすると、その問題点が明らかになった。
「下手くそ!」
「ダンスは解らないけど、こいつが下手なのだけは解る」
ギクシャクと全く優雅さに欠け、リズムもあやふやなダンスに大爆笑が起きた。
当然、疑われるのは……。
「ドルちゃん、これ壊れてるんじゃないの?」
「それが、壊れてないから困ってるんです。何度調べても、魔力の流れは完璧。だから、伯爵様の貴婦人をお借りして、リードされると踊るのかな? って、試したんだけど……」
「……試したんだけど?」
「足を踏むわ、一緒に倒れそうになるわで、貴婦人を壊しちゃいそうだから中止です」
「そりゃあ、酷い!」
さすがのドルチェも、これは悩んでしまうだろう。
完璧に動作するし、貴婦人同様に音楽も聞き分けそうだ。
だが、踊れないくせに、無理に踊ろうとするこの人形に、どんな価値があるのか?
国宝級の可能性もあるが、実用性も、芸術性も皆無では……。
「この子の利用目的が解らないと、値が付けられないんです……」
困りきった顔で、首を傾げるドルチェも珍しい。
学生ばかりでなく、会議を終えて加わったバーナム師も交えて、いろいろとさせてみたが、全てダメだ。
不器用過ぎて何もできない人形に、とうとうみんな匙を投げた。
「ここまで何もできない魔導機って、あるんだ……」
「いっそ清々しいよね……」
「何と言うハイスペックな無能……」
酷い言われ方だが、現状の価値は灯りや着火の魔導機にも劣る。
悩みに悩んだ結果、ドルチェの結論は……。
「伯爵様の貴婦人が故障した際の、部品取りくらいにはなるかな……」
さっそく、これを手に入れた冒険者グループを呼び、伯爵様と連絡を取る。
いざという時の補修部品に出せる額は限られると聞かされて、ドルチェ商会の買い取りと決まった。
金貨八万枚は、魔導機の希少性と無能さをプラスマイナスして、妥当な線と意見が一致した。大成功と言える額ではないが、冒険者にとっても誇れる金額だ。
「無能扱いされちゃって、何だか可哀想になってきました」
人形のタキシードを着せ替えながら、しみじみとモアレが呟く。
何だか、情が移ってしまった様子。
慈愛の眼差しを横目に、お茶を楽しんでいたドルチェが決めた。
「では、その子をモアレにプレゼントしましょう」
「え、お嬢様。……私はそんなつもりで言ったのでは……」
「お人形は、一番愛してくれる人と一緒に過ごすのが、幸せなんですよ? 私は……損害を思うと邪険にしちゃいそうですから、モアレにお願いします」
戯けて笑う主人に、モアレも苦笑しながら頷いた。
モアレの私室に大事そうに飾られた『紳士』は、とても幸せそうに見えた。
☆★☆
話はそれから、二年ほど先のことになる。
見た目だけは、すっかりレディになったドルチェと、メイド服ではなく、ドレスを纏ったモアレの姿を、件の伯爵家のゲストルームに見ることができる。
デザートのフォークを置いたモアレが、感極まったように顔を綻ばせた。
「評判となっている、マリトッツォ伯爵家の料理番の手によるディナー。堪能させていただきました……」
「こんなもので、あなたのお手柄に報いる事ができたとは、思っておりませんよ?」
「伯爵様。モアレは何よりの食道楽ですから、大満足ですよ。昨日から浮かれて仕方がないくらい」
「お、お嬢様っ……」
ばらされて、頬を染めるモアレに伯爵は、楽しそうに微笑む。
だが、食事が終わったと見るや、同席していた四人の孫娘たちは、待ちきれないと揃って祖父におねだりを始めた。
「お祖父様、早く貴婦人を見せて! ちゃんと真面目にダンスの練習をするから」
まだまだ社交界デビューには早い幼い令嬢たちが、貴婦人の収められた箱に目を輝かせる。
母や使用人たちから噂で聞かされている家宝の人形を、まだ見たことがない。
今夜は訳あって、初めて自分たちにもお披露目してもらえるという。
夕べのモアレ同様、ワクワクが抑えられない様子だ。
「わかった、わかった……頃合いだろう。小さなレディたちに、貴婦人を紹介しよう」
家令が恭しく、片付けが済んだ広いテーブルに、貴婦人の眠る箱を開いた。
少女たちは、気品あふれるカーテシーに色取り取りの瞳を輝かせる。
その少女たちを見守る、母たちの懐かしそうな顔を見てから、ドルチェが命じた。
「モアレ……貴婦人に、『紳士』を紹介してあげて」
モアレは、ちょっと寂しそうに持参した箱を開く。
スパンコールに煌めくタキシード姿の、あの時の人形が優雅に一礼して進み出る。
準備していた楽士たちがワルツを演奏し始めると、紳士が貴婦人の手を取った。
優雅に踊る二体の人形は、完全に一対となって、幼い令嬢たちの溜息を誘う。
ドルチェは、その優美な姿を見ながら肩を竦めた。
「盲点だったわ……。てっきり人形は『踊れる』ものだと思いこんでいたから、まさか『教える』必要があったなんて……」
「たぶん……ダンジョンに一人で置かれている内に、踊り方を忘れちゃったんですよ。気まぐれでリズムを取らせてみたら、覚えたので、もしかして……と思いまして」
「でもこれって、半分は私のお手柄よね?」
「……はい?」
「だって、モアレがダンスを覚えたのって、すぐにサボる私を監視していたからでしょ?」
得意げな主人の笑顔に、専属メイドは深い溜め息を吐いた。
一対の人形は、息の合った踊りを見せている。
うっとりと見つめる幼い令嬢たちに、いつか来る舞踏会の夢を見せながら……。
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