国家公務員たちの憂鬱

 一頭立てとはいえ、通勤に馬車を使うのは男爵家としての意地だ。


 姉のエルザとともに国有ダンジョン『欲望の坩堝るつぼ』の従業員口に降りたアンナは、ひとしきり溜息を吐いた。

 貴族とはいえ、下級の男爵家では領地収入だけでは心許ない。手に職を得、働くことは仕方のないことだ。貴族としての体面を保つには、呆れるほどの支出が必要なのだから。

 中でも、数少ない国家公務員として就職できるのは誇らしいこと……であるはず。

 誇らしいことなのだと自分に言い聞かせて、アンナは姉と更衣室に向かった。


 若い頃は貴族の下働きをしていた老婆たちが、小遣い稼ぎに下働きとして着替えを手伝ってくれる。……ここまでは、充分に貴族らしい。

 だが、質素なドレスの代わりに身につける……これは誇らしいのであろうか?

 スパイダーシルク特有の艶のある真紅のドレス。錦糸、銀糸の刺繍は、まだ貴族らしいとも言える。だが、大きくスリットの入った裾はどうなのだろう?

 しかも、その裾は斜めに切り開かれていて、貴族らしい絹のストッキングを履いた脚は、ガーターベルトのあたりまで露出してしまう。

 ドレスの胸ぐりも大きく、アンナくらいの膨らみがなければ、少し屈んだだけで、すっかり覗けてしまうに違いない。


(これも、国家公務員の仕事……なのよね)


 無理矢理に自分に、そう言い聞かせる。

 ダンジョンの入場収入以上に、入り口に併設された酒場の収入は大きい。

 これもみんな王国の収入の為。民の税率を上げずに済ませる為。

 そう思い込まなければ、荒くれ相手に酒場の給仕の仕事などやってられるものか。


「アンナ、その衣装の時は気をつけてね。長剣の柄や魔道士の杖などを傾けて、スカートのスリットを持ち上げようとする輩が多いから」


 職場の先輩でもある、姉からの忠告は重要。

 こんな服装に甘んじていても、そこは貴族令嬢。穢れを知らぬ乙女ばかりだ。不埒な輩に下穿きを露わにされてしまい、あまりの辱めに泣き崩れてしまう娘も少なくはない。

 その場合、クビになるのは娘の方。

 こんな仕事でも、何とか国家勤務の職を。と願う下級貴族令嬢はいくらでもいる。

 職を解かれれば、大いなる不名誉となってしまい、貴族相手の結婚はまず無理だ。

 貴族令嬢の肩書に涎を垂らす、平民に嫁ぐしかない。

 こんな破廉恥な服装に身をやつしても、王国の収益に貢献してこその王国貴族というのが、働く令嬢たちの矜持である。

 もちろん、そうまでして稼ぐ必要の無い子爵以上の御令嬢には、全く無縁の話であるのだが……。


「では参りますよ、アンナ」


 声をかける姉のエルザは、黒いロング丈のタイトスカートにフリルブラウス。朱のベストを重ねた、羨ましいほど清楚な服装をしている。

 十八歳になった姉は、今年から酒場勤務を卒業して、ダンジョン産アイテムの買取カウンターの受付窓口の担当だ。

 荒くれ共をあしらう度量と、受付をこなせるエレガントな所作。

 受付嬢まで務められるようになった娘は、貴族婦人としての素養を備えた令嬢と評判になり、良縁が次々と舞い込むという。


 ……あと一年と少し。


 泣き崩れてしまうだけではない。誰が酒をどれだけ売ったかも、役所の官吏転属を願うバーテンダー……いや、男爵令息たちに細かくチェックされてしまう。彼らもまた、管理能力を問われている。

 お互いに成果を上げねば、職を解かれる厳しい世界なのだ。

 乳房に粘着剤をちょんと付け、ドレスの広い襟ぐりの端を貼り付ける。貴族令嬢として、谷間は見せても、愛らしい乳首まで覗かれる恥辱は許されない。

 今日もまた、清廉さと媚態の境目で、王国の為に働く時間が始まった。


      ☆★☆


(頑張ってね、アンナ……)


 アイテム買取カウンターに座ったエルザは、つい酒場のアンナを目で追ってしまう。

 酒場のウェイトレスに抱きつくなど、不埒な行いをした不届き者は、両腕を切り落とされて、国外追放。そんな厳しい法律に、彼女らは守られている。

 とはいえ、いろいろと悪知恵を働かせるのが、荒くれ者というやつだ。

 相手は高嶺の花の貴族令嬢と承知しているのだから、所持した武器の柄などで、スカートやドレスの胸元を引っ掛けるなどは序の口。

 足を引っ掛けて躓かせ、抱きとめる振りをしながら、まだ穢れを知らぬ乳房や尻などを撫で回す不届き者もいる。

 早熟な体つきに、あどけなさの残る顔。一、二の人気を人気を争う妹だけに、姉の心配は尽きない。

 ……とはいえ。


 最近、アイテム買取カウンターに寄り付く荒くれ共が、少な過ぎるのではなかろうか?


 エルザ自身の人気の問題か? と心配したが、交代で勤務している他の娘も、同じような不安を抱えているらしい。

 昨年まで、際どい服装で酒場で勤務していた姿を見知っていて、一転、楚々とした装いとなったエルザに、逆に唆られるらしく、粘っこい視線を向ける荒くれは少なくない。

 受付嬢に媚びた笑顔は必要なく、貴族令嬢に相応しい上品な笑みを浮かべるギャップが堪らないとか、どうとか……。

 だとしたら、眺めてばかりいないでカウンターに並んで欲しい。

 まさかと思うが、窓口嬢の取扱件数まで評価の対象になっていたら、失職の危機だ。

 最近はダンジョンの宝物が、渋くなっている……というわけでもあるまいに。

 それとなく荒くれたちの噂に耳を澄ましていたら、その理由が知れた。


 ライバルは『ドルチェ商会』であると!


 伝説の『ゴミ拾いパーティの成り上がり』話とともに、『ドルチェ商会』の名も広く語られ続けている。

 ゴミ捨て場と言われた、ダンジョン内で見つかった廃棄魔導機の山。

 無価値と言われたそれを全て持ち帰り、『ゴミ拾い』と嘲り笑われたパーティー。それをすべて引き取り、名を貶めたお詫びにと、超高価値の魔導機を贈った者こそが『ドルチェ商会』だ。

 しかも商会は、その大量の廃棄魔導機を修理して蘇らせ、贈った魔導機の数倍の利益を得たという後日譚もある。


 要するに、『夢よもう一度……』というわけだ。


 あの商会の取扱品目は、魔動機専門のはず。

 それでも学の無い荒くれ共に、区別がつくはずもなく……どうやら、ダンジョン内で得たお宝はもちろん、拾ったゴミのような物まで、とりあえず『ドルチェ商会』に持って行ってるらしい。

 それは私の……アイテム買い取りカウンターの仕事でしょうに!

 困ったことに、あそこの商会主は王国立魔法大学院の助手を兼務していて、魔導機の売上を他の学部の研究資金援助に当ててるらしい。

 その為に強いコネがあり、アイテムの鑑定も専門の道士に依頼して、かなり高精度にできてしまう。

 アイテム早見表と見比べて値付けする私たちより、信頼度が高い上に無料ってどういうわけよ?


 商会主は美形だけど、まだ子供でちんちくりんだから論外にしても……普段店を取り仕切ってるあのメイドさんがねぇ……。

 魔導スクーターなんて、珍しい物で走り回ってるのを見たことが有るけど、美人過ぎるでしょ? 胸は勝ってると思う。

 でも、際どい服装など見せていない分、清楚さで負けてる。

 ツンと澄ました所が堪らんなどと、荒くれ共にも大好評だ。


 魔導機専門だけに、他は買い取りはしてない様子。

 とはいえ、ボッタクれる鑑定収入は壊滅的だし、良さげなアイテムはみんな他所に売られちゃうしで、買取カウンターの危機だったりする。

 王国の収益の為に尽くす、私たちの矜持は傷つけられっぱなしだ。


(まったく、どうしてくれようか……)


 エルザが怒りに震えていると、不意に荒くれ共が騒ぎ始めた。

 まさか妹の危機かと目をやれば、噂のちんちくりん……もとい、『ドルチェ商会』の商会主であるドルチェ・エスターニアが、美形メイドを伴って現れたではないか。

 慌てて、ダンジョン管理事務所の所長である、ボルドー子爵が飛び出して来る。

 職員としては、どうしてそんな小娘にペコペコしているのかと歯痒くてしょうがない。

 これでは、ドルチェ・エスターニアの方が格上に見えてしまう。

 子爵に案内され、悠然と貴賓室に消えてゆく。まったくっ!


 どんな話をしているのやらと、気を揉むまでもない。

 三十分ほどの短い時間で、にこやかに貴賓室から出て来た。

 こちらを振り向くこともないのに、荒くれ共には小さく手を降ったりして、人気取りしている所が妬ましい……。

 少し遅れて出てきた子爵に呼ばれ、窓口をクローズして所長室に向かう。

 ……どうせ、誰も来やしないだろう。

 行ってみると、所長は満面の笑みでこう告げた。


「先程、マジックアイテムギルドの使いとして、ドルチェ商会の商会主が見えたのは承知しているだろう? あちらからの依頼もあって、新たに制度を整え直すことになった」


 言いなりですか? と聞き返したいが、そんな権限は新人窓口嬢にはない。代わる代わるに休憩を取る同僚も、押し黙ったままだ。


「明日からは、ダンジョンより出土するしたアイテムは全て、買取カウンターの窓口を通して、付加魔術協会より提供されたこのタグを窓口で取り付ける。そして、このスタンプで打つ連番で管理されることになる。魔導具は赤、魔導機は青。……間違えんようにな」

「それって、タグと番号以外は、今まで通りということでは……」

「それを明文化するということだ。その番号が無い物は、マジックアイテムギルドとしてはダンジョン産と認めず、盗品同様に半額以下で買い叩くという方針らしい。……あまりに数を持ち込まれ、手間が増えるばかりで、受け入れを制限したいのが本音だな」


 あぁ……納得してしまう。

 最近はゴミでも何でも、とりあえず鑑定してもらおうとする輩が多いから。

 対応が増える分には、望むところだ。

 それが窓口嬢の矜持なのだから!

 翌朝、正式に掲示がなされ、アイテム買取カウンターに行列が戻った。


「このタグを破損、もしくは付け替えされた場合は重罪となります。くれぐれもご注意ください」


 荒くれ共を笑顔で脅して、ガチャコンとタグにスタンプを押していく。

 待ち望んでいた、充実した時間。

 得意満面で、次から次へと荒くれ共を捌きまくる。

 休憩時間を気にし始めた時、私はふと気づいてしまった。


(このスタンプ、一度も朱肉を使用してないのだけれど……ひょっとして魔導機?)


 しかも押すだけで、番号が自動登録されていないか?

 それと気づいて、背中を冷たい汗が伝った。

 もし、自分のミスでこのスタンプを壊してしまったら……ひょっとして賠償金だけで、私の家である男爵家は終わる?

 気がついてしまったら、手が震えてしまう。


 その日以降、アイテム買取カウンターの窓口嬢の不自然な笑顔は、罪もない荒くれたちを悩ませることとなった。

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