昼下がりのメイドさん

 フルールの昼は大忙しだ。


 フルールの作る安くて美味しいランチを求めて、近隣の職人や見習いたちが列をなす。

 店で食べていくほどの時間は取れないから、皆思い思いの器を手に、パンや主菜をよそってもらい、職場で食べる。

 酒の自家醸造を担当している祖父の言うことには、昔は……特に職人見習いが外食をする余裕など無く、師匠の家の賄いが精々だったらしい。

 幼い頃から、こんな状況に馴染んだフルールには、ピンとこない話だ。

 でも、一生懸命働いている人たちが、豊かに暮らせない国は変だと思う。国や、商会が富んでも、働く人が貧しいのでは意味がない。国は民を守る為もので、民を犠牲にして国や商会だけ豊かになっても、誰が幸せになるんだろう?

 そんな国だったから、きっと魔王に付け込まれたんだ。

 温かいシチューをよそいながら、フルールはそう思う。


 チーズと野菜を挟んだパンと、フルール得意のミルクを使ったトロトロのシチュー。

 決して贅沢なものではないけれど、精一杯腕に縒りをかけて作ったランチだ。嬉しそうに抱えて帰る職人たちの笑顔が、何よりの報酬。

 もう結婚を言われる年齢になってしまったが、この仕事を続けさせてくれる人でなければ、フルールは断固拒否する。亡き母は、そんなワガママを言えるくらいには、器量良しに産んでくれた。感謝しかない。


「ふぅ……終わったぁ……」


 毎日、ほんの十五分ほどのラッシュタイム。

 目の回る忙しさは、その間だけ。夜はみんなのんびりと食事し、一日の疲れを取る。

 昼食は仕事の一環らしい。

 エプロンを外して、ぐた~っとカウンターに突っ伏してしまう。

 フル回転して、火照ったおでこを磨かれた木のカウンターに押し当てると、冷たくて気持ちが良い……。


「ふぃ…………」


 思わずため息が漏れてしまう。

 今日も私は頑張った。


 喧騒の通り過ぎた店に、遠くから大きな熊ん蜂のようなブーンという音が近づいてくる。

 もうひと仕事の予感に、フルールは身を起こし、エプロンを付け直した。


 ピンク色のアレは、『魔導スクーター』と言うらしい。

 黒皮のクッションの付いた、ピンク色の素材不明の椅子の前後に車輪がついていて、前に伸びる手すりのようなものを握って走る。フルールは見たことはないが、前についてる四角いガラスは、灯りの魔導機になっていて、暗くなっても普通に走れるのだとか。

 王族でも持っていないだろう魔導機を乗りこなすのは、臙脂色のメイド服の美人さんだ。突飛な魔導機といえば、ドルチェ商会の関係者で間違いない。

 フルールと変わらない年頃の商会主に仕える、物静かで優しげなメイドである。


「食事はできるかしら?」

「はい、もちろん」


 魔導スクーターをメイドのモアレさんは、微笑みかける。

 人が乗れるサイズの物が、魔力を抜くと掌に乗る宝玉に変化した。いつ見ても不思議極まりない。「魔動機については、深く考えてもわからないんだから、考えちゃダメ」と言われても、やはり気になってしまう。

 宝玉になった乗り物をポシェットに仕舞いながら、壁のメニューを眺め思案する。


「お昼のセットと……山鳩と虹鱒はどちらがお勧め?」

「今日の鱒はバター焼きの方が美味しそうですから、あっさり風味が良いなら山鳩を山椒で焼きます」

「では、山鳩のソテーを追加でお願い」


 スラリとしたスタイルなのに、意外に大食漢です。

 フライパンに油を引かず、皮目から山鳩を置いて火を着ける。……最近、着火の魔導機がくたびれて来たのか、何度かしないと火が着かない。……あ、着いた。

 じっくりと弱火で、皮の脂を溶かして焼き上げるのが美味しい。獲ってきてくれた、狩人さんに感謝。

 暫し、静かな時が流れる。

 ジュウジュウと油の撥ねる音しかしない。じっと手元を見つめられるのは、ちょっとやりづらい。相手はメイドさん。きっと料理も得意なはず。

 付け合せの芋と人参は、薄切りなので、さっと火を通せばオーケー。

 モアレさんは、あまり濃い味付けは好まない。バターで炒めたり、グレッセにするよりは、シンプルに塩コショウの方が食が進むに違いない。

 ランチは器によそうだけだから、気合が入るのは山鳩のソテーだ。

 モアレさんがナイフを入れ、フォークで口元に運ぶのをさり気なく見守る。

 ……うん、口元が綻んだ。やったね。


「やっぱり食事は、誰かに作ってもらう方が美味しいわ……。あなたの腕は信頼してるけど、それとは別に」


 珍しく、そんな事を呟く。

 でも、それには納得だ。


「わかります。母が私の為に作ってくれたお料理……同じレシピで作っても、あの味は出せませんから」

「心を込めて……っていう調味料だけは、ね」


 それは、良く解るなぁ。

 今は祖父の為、お客様の為……相手の顔を思い浮かべて作る料理は、なぜか一味違う。


「モアレさんにお料理を作ってもらえる、商会主さんは幸せですね」

「それがねぇ……修理予定の魔導機をチェックしながらだったり、修理方法を考えながら上の空だったり、張り合いの無いこと。それでいて、手を抜いた時とかすぐに気づくの」

「うわっ、最悪。叱られたりするんですか?」


 心配して私が訊くと、モアレさんは困ったように微笑んだ。

 そして、堪らないほど優しい声で教えてくれる。


「ううん……謝られちゃうの。『ごめんなさい、モアレ。次からちゃんと真面目に食べるから』って……かと言って、次からも態度を改めたりしない癖に」


 うわぁ……何という使用人転がし。

 そんな人がご主人様だったら、もうメロメロになっちゃう。

 私も見かけたことのある、ドルチェ・エスターニアさんは好奇心の塊のような可愛らしい人だ。あの方が、モアレさんのご主人様。


「今度、ドルチェさんもご一緒にいらして下さい」


 そう誘ってみると、モアレさんは珍しく頬を膨らませた。


「フルールのお願いでも、それだけは聞けません。だって、そんな事したら、お嬢様は外食ばかり望むようになってしまいます」

「まさか、そんなことは……」

「有るんですよ、あの方は。……それにこのお店は、私の秘密の息抜きの場ですから」


 クスクスと、悪戯っぽく笑う。

 そういえば、この人。新しいお店ができると必ず味見に行くという噂。

 この学術都市にある食品店を全て、味見して回ったのではなかろうか?

 それはもしや、この有能なメイドさんの内緒の趣味なのでは?

 ニヤけしまうのも仕方がない。

 その上で、ウチのお店の常連さんになっていただけたのなら、光栄です。


「ご馳走様でした。……やっぱり、私の為に作ってもらえる料理は美味しいです」


 メイドさんとしてでなく、一人の女性としてモアレさんが微笑む。

 本当に綺麗な人だなぁと、見惚れてしまう。

 そして不意に、思い出したように私に尋ねる。


「不躾なことを訊いて申し訳ないのですが、フルール? お使いの着火の魔導機、火着きが悪くなってませんか?」

「え、ええ……でも三、四回すると、ちゃんと火が着きますから」

「じゃあ、今日だけ私の物と交換しましょう」


 ニッコリ笑顔で、同じ形の魔導機を渡してくれる。

 つい交換しちゃったけど、どうして?


「ウチのが具合が悪くなったと言えば、すぐにお嬢様が直してくれます。明日、直った物と、また取り替えっこしましょう」

「そんな! 申し訳ないですよ。魔動機の修理って高いですし……」

「今朝も、私のお料理を上の空で食べた罰です。そのくらいは私も、嘘ついても怒られませんよね、きっと」


 クスクス笑いながら、ポシェットから宝珠を出す。

 ポワッとスクーターに変えて、ドアの隙間から恥ずかしそうに付け加えた。


「自分の為ではなく、の為の嘘ですから」

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